16 盲目
朝九時三十分、目が覚める。一般的にはだいぶ遅い起床かもしれないが、現在大学は春休みを迎えているので、もう少し寝ていてもいいぐらいだ。
朝飯は必要ない。あと二時間半待てば昼になるからだ。母親が作り置きしていたパンと目玉焼きをそのままにし、俺は身支度を進める。
今日は珍しく予定がある。学校もアルバイトもない俺の中では、今のところ春休み中唯一の予定だ。
渡辺蓮実と書かれたLOINのトーク画面を開き、「今日どこに集合なの?」とメッセージを送る。予定とは彼女とのことだった。
CHARINが上層部の金銭横領や違法勧誘などの犯罪が発覚し、実質的な解散をして以降初めての連絡である。ルシファーらの突撃事件で色々捲れてしまったらしい。奴らも逮捕されたらしいが、結局、その主張自体は間違えていなかったのだ。
CHARINが解散すると知って、初めは戸惑った。俺が費やしてきた資金は? 時間は? その全てが水の泡となったようでどうしたら良いものかとなった。残った物といえば、ルシファーから似合わないと言われたルビーヴィトンのバッグだけ。それを買いに行った二人組とも、渡辺とも一切関わらなくなっていた。
結局、高い勉強代だったということで割り切るしか無かった。幸い祖母は俺のお願いを聞いてくれているのか、両親にこの事はバレていない。なので、恥を晒すことはない。
割り切ったところで、俺は自分を騙した詐欺師達にさほど怒りを覚えていないことがわかった。須藤や他の者が俺の貯めていた資金を一部吸い取り、使っていたことを理解した上で。
CHARINとトゥイッターで検索すると被害者の会が出来ていたり、かなり炎上しているようだった。とにかく吸い取った金を返せとそういう主張らしいが。
俺も被害者である以上、戦うべきなのかもしれない。登録料がもしそれで帰ってくるのであれば、損にはならないわけだし。
そこで俺はハッとなった。渡辺からの誘いとは、もしかしてその被害者の会への勧誘なのではないだろうか。
彼女は俺以上にCHARINへ資金も時間も費やしていたし、須藤への尊敬も人一倍強かった。
そんな彼女がCHARINの───須藤の顛末を知って、一体どんな思いだっただろうか。
大きなショックを怒りに変え、全力で戦おうと思っていても不思議では無いはずだ。
もしそうならば、俺は今度こそ、彼女の力になれるだろうか。怒り狂って気絶するだけの、惨めな男にならないだろうか。
※ ※ ※ ※ ※
「久しぶりだね。村松君。春休みは楽しめてる?」
「や、まあ……特には」
学校近辺の喫茶店に集合した俺たちは、暫くは他愛もない会話を続けた。この三か月どうだったとか、単位は足りているかだとか。だが、なんとなく彼女が本当に話したいところはそういうことではないことは伝わっていた。
だから、あえて俺から切り出してみることにした。
「あの……CHARINって結局……」
俺がそう言った瞬間、渡辺は呆気にとられたような表情を作った。俺から振られるとは思ってもいなかったか?
彼女はすぐに表情を戻し、少し残念そうにつぶやいた。
「うん、まあ横領はしょうがないよね。捕まっても仕方ないと思う」
「お、俺も驚きました。須藤さんも、やっぱり関わっていたんですかね」
「うん。そうみたい……でも」
渡辺はまっすぐと俺を見ていた。決意の固まっているような、美しい表情だ。
「私は、あの人達が完全に悪だとは思えないんだ」
俺の予想はきれいに外れることとなった。思えば純真に須藤やCHARINの人間を慕っていた彼女が、そんな考えに及ぶはずがない。
渡辺は早口に語った。
「確かに須藤さん達がやったことって犯罪かもしれないけど、それで本当に須藤さんがやって来たことが全部だめになるってことにはならないと思う。だって須藤さんの話はとても面白かったし、本当にタメになったもん! 事実わたしは、あの人と出会って本当に変わったんだもん!」
渡辺は俺に、自身のスマートフォンの画面を向けた。そこに映し出されていたのは、眼鏡をかけた地味な女性の姿。
「これ、CHARINに入る前のわたし。今みたいにこんなに喋れなかったんだよ。知り合いだって全然いなかった! そんなわたしをここまで変えてくれたのは須藤さんや、CHARINの仲間たちだったんだよ! 村松君もそうじゃない?」
「…………」
そう問いかけられ、俺はすぐに答えを出せなかった。俺は彼女ほど変われている自信がない。ノルマも達成できなかったし、あの騒動の時、彼女を護ることもできなかった。ここまで「変われた」と自負できる彼女がうらやましい。
しかし、そんな俯く俺にかまわず渡辺は続けた。
「あの時最初に村松君が助けてくれたよね? あれ、本当に感謝しているんだよ? 村松君がそうやって勇気を出せたのも、CHARINで勧誘活動したりさ、色々動いていたのがいい方向に働いたんじゃないのかな?」
「あ……それは……」
変化とは、自分自身では気が付かないものだ。そんな言葉があった気がする。今の俺も、そういうことなのだろうか。だが、あそこで気を失ってしまったこともまた事実。結果としては、護れなかった。
やはりそんな結果では、少なくとも自分自身の口から、変わったなんて言えない。
そんな俺の葛藤を察したのか、渡辺は「そうだよね。大変だったもんね」と言って座りなおした。
しかし、彼女の言葉にはその先があった。
「だったらさ、今度こそ変わればいいんじゃない? 村松君がまだ、自分自身を認められていないならさ」
「今度こそ……でも、どこで?」
「成田さんって覚えている? 村松君がおばあちゃんを連れてきてくれた時に司会していた人だよ」
「え、まあ……覚えてる……けど」
「今成田さんがCHARINの後継団体を作っているところなの。CHARINで培ったノウハウなんかを引き継いだ、全くクリーンなビジネスモデル! 今度は投資を主にメインでやっていくって話だよ!」
俺は驚いた。もう後継団体なんかが出てきているのかと。渡辺は結局はこの話がしたかったのだろうか、色々説明が展開された。
「名前は確か……BOMMONEY! 爆発するようにお金が増えていくからっていう意味でつけられたんだって! わたしは立ち上げメンバーとしてもう登録したよ。もうこの稼ぎ方に慣れちゃってるから、普通の生き方じゃもう駄目なんだよね」
そうか。まだ終わってはいなかったのか。俺は胸の奥に熱いものがこみ上げていくのを感じた。
結果なんてものは後からの実績で幾らでも塗り替えられる――。それは渡辺からの励ましで貰った言葉だった。CHARINでは失敗に終わったが、そこで終わらなければ、その失敗は成功までの「過程」に変わる。諦めることを諦めなければ、俺は負けたことにはならない。
俺の答えは、もう決まっていた。俺はまだ、負けていないからだ。ここから俺の逆転劇が始まる。そうだ、俺は元々知能で勝負する性格だった。営業職のような側面のあるCHARINとは相性が悪かったのかもしれない。投資という完全自分の知能で勝負する戦いならば、きっと俺の力が存分に発揮されるはずだ。
俺は彼女の勧誘にイエスと答えた。もう一度、同じ目標を決意して。
「やっぱり村松君ならそう言ってくれると思っていたよ! あー誘ってよかった! ねぇ、早速だけど明日って空いているかな?」
「あ、空いてるっす」
「バーベキューの時に紹介した私が誘った子達覚えている? もうみんな誘っててさ、オーケー貰っているんだよね! 今度はみんなで力を合わせてやってみようよ! 私達でチームを組んでさ! 村松君がいたら絶対上に行ける! 人生変えよ?」
そうか……俺はやっぱり「最初」では無かったか。これも仕方ないことなのかもしれない。事実、俺はまだ「なれていない」。自分の目標の姿に。
今度こそ、ならなければいけない。それが、俺の成功の目的なのだから。
俺は渡辺をじっと見つめ、その決意を、その理想の姿を改めて口で表明した。
「わ、ワタナベサン……の、稼ぎ頭に……俺はなります」