13 そちら側
「……断言します。CHARINは成功の正規ルートであると! 皆さんも一緒に、正規ルートに乗りませんか!? 須藤さんやみんなが開拓してくれたこの道を! 皆様と同志になれるその瞬間を、私は楽しみにしております!」
盛大な拍手が興る。リアクション大きめにしたのもあってか、すごい臨場感だった。会場にいるからこそ伝わる言葉といった感じだ。
だが、問題はここからだった。この後進行役の男が司会を交代し、三十万円のことを告げるんだ。
俺も始めは驚いたものだ。辞めようとすら考えた。懐かしさすら感じたが、実はまだひと月も経っていない。そういえば、払い戻し機関の二十日は既に過ぎてしまっていた。
「では続いて会員登録費用についてのご説明です。私後藤が説明をさせていただきます」
その瞬間、俺は祖母を見た。彼女は唇に手を当てて小さくうなずいていた。なんだ? その頷きは。料金がかかることは想定済みだったということか? それともほかに何か……。俺は気が気でならなかった。
俺の視線に気が付いたのか、祖母が俺の方を向いて一言。
「お金かかるのね」
「あっ……うん」
それしか言えなかった。かつては俺も同じように動揺したからだ。その気持ちは理解できる。
だけれど俺は、この道で戦うと決めた。三十万円などポンと出せるぐらいの経済力のある男になると。その為には、どうしても第一歩が重要なんだ。祖母には俺の第一歩になってもらわなければならない。
ここからが、勝負だ。
後藤が会費の件を話し終え、登録前の質疑応答の時間に入る。とにかく、ここで祖母を帰らせては駄目だ。
「あの……おばあ」
「拓郎君、おばあ驚いちゃった。本当にみんな一生懸命頑張っているのねって」
「あ、ああ! みんな成功したいからさ、俺もそうなんだよ。確かにまあ会費とか……かかるけど」
「そうねえ……」
「いや、で、でもそれは……成功の正規ルートだからであって……」
「どうでした? おばあ様!」
渡辺が駆け寄ってくる。正直助かった。祖母の様子がおかしい。怪訝そうに周囲を伺い、何かを訴えようとしている感じがする。
「本当に皆さんこのお仕事に一生懸命になられていて感心しましたわ」
渡辺の眼差しに祖母は薄い笑顔で答えた。
「ですよね! わたしも最初来た時はみんなの熱気がもうすごくって。おばあ様お若いですし、会員になったらもっと若返りますよ!」
「そうかしら。あはは……でもね」
祖母は少し伝えるべきか悩むような素振りを見せてから、再び口を開いた。
「どうしてお仕事をするのにお金がかかるのかしら?」
「……へ?」
祖母の戸惑ったような問いに、俺は気の抜けたような返事で答えた。すると祖母は俺へ優しい笑みを返して、続ける。
「お仕事というものはその対価としてお金をもらうことが前提なの。あなた達のやっているこれは逆にこっちがお金を払ってしまっているの。これじゃあ仕事にならないわ」
「それは違いますよ。おばあ様」
困惑する俺を他所に、渡辺が反論する。
「登録料の三十万円はCHARINで販売している商品を一旦自分で買い取ってもらう為のものですよ。それを売り払って利益にしていくんです。最悪売れなくてもCHARINの良品質の商品が全部自分のものになるんですよ! それってめちゃくちゃ良心的じゃないですか?」
「それは会社の経費で負担するものですよ。登録したばかりの会員が背負うべきものじゃないわ」
「CHARINは特殊なんですよ。普通の会社とは違うやり方でやっているからです。それに、自分で払うからこそ好きなようにノルマを設定できるんです」
「でも最初は三十万円払うのでしょう? 自分たちで決めているってことにはならないわ」
「いやでもそれは違くって――」
渡辺と祖母の主張がぶつかり合う。俺はそれをただ見守ることしかできなかった。とにかくわかったことは、祖母はCHARINに疑いを持ってしまったということ。
登録してくれる可能性は低いということ。
祖母は労働の対価にはお金をもらうことが絶対だと言った。それはCHARINでも例外ではない。商品を売れば、その分だけ売り上げになる。固定給がないだけであり、しっかり自分の実力で稼ぐことが出来るシステムのはずだ。それに会員を増やせば、実質的な固定給も入る。祖母にはそれを分かってもらわなければならない。
「お、おばあ……」
「拓郎君、帰ろう?」
「え?」
「美味しいものを食べに行こう。おばあが奢るから。東京にはいろいろなお店があるはずよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。おばあ……その、これは全然怪しいものとかじゃないんだ。ちょっと他と違ったやり方ってだけで、大丈夫なんだよ。俺だってこれから稼いでそれを証明する! だから考え直してくれ!」
「そうですよ! 怪しいだなんてとんでもないです! わたしはこのCHARINにホントに救われたんです。自分を変えるきっかけをくれたんです。だからどうか!」
「ん~? どうしましたどうしました~?」
俺たちの声が大きかったのか、やり取りに気付いた須藤がやって来た。祖母の顔が引きつる。
「おばあ様、もしかしてちょっと、疑っちゃっているカンジ?」
「いやね、ちょっと私には難しいかなあと思いまして」
「そんなことありませんよ~。おばあ様まだお若いんですし、これからこれからぁ!」
「あはは、そんなことないですわ。近頃物忘れもひどくって、お役に立てないかもしれません」
「じゃあCHARINをやって若返りましょうよ! ボケる人って仕事辞めた途端一気に来るらしいんですよ! CHARINをやれば忘れられないことも出てきますから!」
渡辺が続く。今にも抜け出しそうな祖母を彼女と須藤で引き止めているという構図になっていた。俺も絞り出すように言う。
「お、おばあ……ここまで来たんだ。考え直してくれないか?」
「そうですよ! お孫さんとここまで来たんですよ! 一回はいってみるだけ入って、お試しの二十日間で決めてもらうっていう方法でも全然いいんで!」
「おばあ様、孫と共に実績を作っていくのって素敵ではありませんか? 老いた先の未来でそんなことが待っているかもしれませんよ。チャレンジチャレンジ~!」
「あ~……その……」
「おばあ様!」
「やりましょう!」
「おば……」
俺はふと、我に返った。なんだ、この光景は。
一人の老人を相手に、若者が三人がかりで言いくるめている。
やるかやらないかなんて、自分の選択でしかないのに。
祖母は泣き出しそうになっていた。怖いのか、悲しいのか。心の中は見れないので、実際の感情を知ることは出来ない。だが、祖母にこんな思いをさせるつもりはなかった。
そうだ。祖母を誘ったのは俺だった。祖母に新しい人生を始めてほしいという気持ちは本心ではあるものの、その根底には自分のノルマ達成の為というものがあった。実際大学内で勧誘に成功していれば、祖母を誘うことはなかっただろう。
目の前の目的を達成するために、俺は祖母を利用してしまった。祖母を上手い言葉で言いくるめ、重要な三十万円のことを隠し、若者だらけで空気の慣れない場所に連れてきて――。
これではまるで、詐欺師じゃないか。
本当にこれは正しいことなのか? 幾ら未来で成功できるとはいえ、誰かを悲しませてしまうような商売をしているCHARINは本当に正しいのか?
とにかく今は、祖母をこの状況から脱却させてやらねば。
俺はふうと息を吐いて、言った。
「おばあ……わかったよ。確かに、おばあには難しかったかもしれない」
「拓郎君……」
「ちょっと村松君!? いいの!? こんなのもったいないよ!」
「いや、この辺にしておこうハスミちゃん。これ以上は……」
意外なことに、須藤はすぐに引き下がった。まるでこれ以上食い下がると何か悪いことでも起きるのかという具合に。
「え、ああ……はい。すみません。そうですよね、熱くなってしまいました」
その言葉にハッとしたような表情を見せて、渡辺も引き下がった。やはり何かあるのかもしれない。そんな二人の反応に祖母は安堵するように頷き、笑顔を見せた。
「いえ、いいんですのよ。皆さまが一生懸命なことは伝わりましたから。さっ、拓郎君。行こう」
祖母が俺の手を引く。が、俺は素直に頷くことが出来なかった。
どうしてだか、ここについて行ってしまうと、この一か月間で自分がやって来たことの全てが、無駄になってしまうような気がしたからだ。
もう、クーリングオフの二十日間は過ぎている。俺はもう、”そちら側”にはいないんだ。
だからこそ、俺は証明しなければならない。CHARINの良心を。その未来には成功が待っていると。
俺は、腕を掴む祖母の手をなるべく優しく離した。
「……ごめん。会員は終わった後にミーティングがあるから」
「あら、そうなの? じゃあ……ここでさよならってことかしら?」
「うん……あの」
「ん?」
「……まだ、父さんと母さんには言わないでくれ。いろいろ、俺はやっているから」
「……そう。何かあったら、力になるからね」
「ごめん、おばあ。じゃあね」
祖母は寂しそうに会場を後にした。俺は彼女の老いた後姿をぼーっと眺めることしかできなかった。
そして祖母が会場を完全に離れた時、俺はノルマ達成の最後のチャンスを失った。
※ ※ ※ ※ ※
「あの、すいませんでした……勧誘……できなくて」
ミーティングや設備の片づけが終わった後、俺は帰り道で横を歩いている渡辺に言う。
彼女は俺が勧誘を成功させるために色々なアドバイスや励ましをくれた。そこにどんな意図があれど、それは事実だ。結果を出せなかった自分は、それを謝罪しなければならない。
「まーしょうがないよね。CHARINはそーゆーこと多いよ。だって他にないんだもん。こんな稼ぎ方!」
「ノルマも……結局達成できなかったっス……すいません」
「まあそうだね。でも、それってただの結果じゃん?」
「どういうこと……っすか?」
「結果なんて後からの実績で幾らでも塗り替えられるんだよ! 色々経験して、失敗したりもするけどさ、最後の最後で勝っちゃえばそれもいい思い出だったねになるんだよ! 須藤さんだってそうじゃん。最初給料低いところで就職失敗したけど、最後はCHARINに出会って成功しているわけじゃん? あきらめない限り負けたことにはならないんだよ! 一回成功しちゃえばその時点で勝ち! それってすごく出来そうじゃない?」
「――――ッ!」
「だからさ、バーベキュー会、出ようよ。いろんな人が来るからさ。いろんな話聞いてさ、仲間たちと騒いで、お肉食べて。絶対モチベ上がると思う!」
「で、でも俺はノルマ達成できなかったし……」
「全然! 一人も誘えていない子だっていっぱい来ているよ。騒ぐことが目的で参加しているだけの人もいるし! 堂々としようよ。まだ一か月、ここからがスタートだよ!」
その言葉を聞いて、俺は確信した。渡辺は金の為ではなく、善意で俺を誘ってくれたのだと。
彼女が前向きでいられる理由は、間違いなくCHARINにあるだろう。CHARINと出会い、須藤のような成功者と出会い、励ましとなる言葉を沢山貰ったのだろうか。それが彼女の心で彼女の言葉となり、俺に伝えられている。
そうだ、俺は何を疑っていたんだ。CHARINはこうやって人に勇気や希望を与えているじゃないか。少しやり方が特殊なだけで、確実に人を幸せに導くビジネスではないか。現に俺だって、今の渡辺の言葉で救われた。胸を張ってバーベキュー会に行っていいんだって思えた。
一般の仕事というものが労働力とお金によって成り立っているというのならば、CHARINはそこに心が加わる。人と人を繋げる心。それは登録料の三十万円よりもずっと、価値のあるものではないのだろうか?
俺は今一度、バーベキュー会に出ることを決意した。色々な人と出会い、刺激を貰おうと思う。そして必ず、たくさんの人を勧誘し、今度は俺が、渡辺からもらった言葉で人を励ませるようになりたいと思う。
別れた渡辺の影に、俺は感謝した。その感謝を、実績で還元せねばならない。俺は彼女の稼ぎ頭になる。俺の為にも、彼女の為にも。そして、今後入ってくる後輩たちの為にも。
俺が成功者となり、希望を繋いでいく。