3
アナスタシアの後ろにいたメイドに日傘をさしかけられ、王宮内にいくつかある庭園の内、緑を多く配した一角に向かう。
ガゼボではすでに、エリアナがお茶の支度を整えて待っていた。
傍らには、二人のメイドも控えている。
この短時間で、手の空いた者を探して用意を済ませるのは、なかなかの手腕だろう。
「まあっ! お菓子はこれだけ?」
テーブルには、三種類のケーキが載っていた。
予定外にしては、悪くない数だが、アナスタシアはそれを不出来だと責めた。
いつものようにそれを聞き流していたクラウディアだが、ふと、この侍女頭により偏った思想を植え付けられたというエリアナの主張を思い出し、そっと目線を上げてみた。
アナスタシアは笑っていた。
いや、その口元は扇に隠れ、叱られているエリアナからは見えない。
だが、足元──身長差からそう表現するのが的確である──にいたクラウディアからは、表情がよく見える。
彼女の口は、ニヤニヤと歪んでいた。
実に楽しそうだと思う。
「さあ姫様、お座りくださいな! 何をお食べになりますの?」
いつの間にかエリアナは去り、クラウディアは椅子に座らされた。
子ども用の座面が高い椅子なので、自分で選ぶこともできたが、何を食べるかと聞いたくせにアナスタシアは勝手にひとつを皿に載せた。
横から紅茶が出され、クラウディアは何も考えずにその菓子を口に入れる。
酸味の強い果物が中に挟んであった。
思わず顔をしかめると、
「お口に合いませんでしたのね? とんでもないことですわ。
厨房にはよく言って聞かせておきます、お許しくださいませ姫様!
さあ、それはもう下げて、こちらのタルトを召し上がってはいかが?」
いかが、と聞きながらやはり、彼女は勝手にタルトを取る。
「それにしても、姫様は本当に、お母様である王妃様にそっくりにお育ちですわ。
王妃様は、姫様に自分のようになってほしいとお望みです。
もちろん、顔ばかりではなく、その優秀さもですけれどね!
優秀であれば、王妃様も姫様を愛し、離宮に顔を出してくださるはずですからね、頑張りましょうね!」
良く通る声で、彼女はぺらぺらと話した。
「ならばなぜ歴史の授業に行かせぬのだ?」
クラウディアは、心底不思議に思い、そう言った。
その途端、彼女は目を見開いて動きを止めた。
扇で隠すことさえ忘れ、口元が薄く開いている。
驚愕という言葉がよく似合う顔だった。
「まあ」
彼女はすぐに立ち直り、それから、素早く周囲に目を走らせる。
メイドが四人、周囲にいることを確認すると、みるみる目が吊り上がった。
「姫様……そのようなことを、おっしゃるなど。どうなさったのです」
ようやく、彼女はばさりと扇を開いた。
そして、さきほどの目つきをあっという間に普段通りに変えると、口元を隠したまま身を乗り出した。
「お怒りなのですね、姫様、申し訳ありませんでした、どうか、どうかお慈悲を」
扇を取り去る。
その下には、悲壮な顔つきがあった。
「私に罰をお与えにならないでくださいまし、どうか、後生でございますわ!」
大きな声は、メイドはもちろん、どうやら通りかかった者たちにも聞こえたようだった。
見えない庭園の隅、あるいは隔てられた通路の方から、ひそひそとした声が聞こえてくる。
急なお茶会は、人払いを徹底することが難しかったらしい。
黙り込んだクラウディアを見て、アナスタシアは再び扇で口元を隠した。
自分はもう、知っている。
隠したその下の口元は、きっと、ニヤニヤと微笑んでいる。
「ええ、何もお答えにならなかったのは、正解でしたね」
部屋に戻り、暖かい布で手のひらを拭かれながら、クラウディアは首を傾げた。
「そうか?」
「ええ。その場で姫様が何をどう弁明しようと、侍女頭はより泣き叫び、哀れな被害者を装い続けるだけです。
何もいいことはありませんわね」
そうかもしれない。
「……厨房の、菓子を用意したメイドが一人、馘首されました。姫様を不快にさせたとして、侍女頭が人事係にねじこんだものです」
「ふむ」
指示などしていないが、そのように弁明する先も、機会もない。
どこかでまた、残酷姫という呼び名が囁かれているのだろう。
「困ったな」
「ちっとも困っているように見えないお顔でございますが、ご安心下さいませ。
侍女頭の暴走に関しては元々想定内でした。
手は打ちます。私にお任せください」
エリアナはそう言って、頼もし気に微笑んだ。
それから一カ月以上、侍女頭はますます増長する有様だった。
クラウディアを好き勝手に連れまわし、予定を取りやめさせたり、予定外に外商を呼んでねじ込んだり、好き放題だ。
少しでも咎めれば、大声を上げて泣き、哀れに許しを乞う。
外からやってきた人間たちが同席しているときは、より巧妙だった。
当然、彼らの口から、『クラウディアの所業』は市井へと流れていく。
あのように穏やかな王から、なぜあのような我儘娘が生まれたのか、と、大いに評判である。
その噂自体は、エリアナが仕入れてきた。
『侍女に買い与えた宝石を、態度が悪いからって取り上げたらしいよ! なんとまあ、我慢の利かない娘っ子だ』
『侍女の不手際を、大勢の前でわざと叱りつけるんですって! 恥をかかせて冷ややかに笑ってるらしいわよ、末恐ろしいわ、まだ6歳なのに』
『目ん玉が飛び出るような品をほいほい買うらしい、金遣いの荒さは誰に似たんだか!』
「ボロクソですわね!」
「う、うむ」
中には、外部の者には知りようがない内容もあったそうだ。
誰か身内がわざと噂を流しているとしか考えられない。
クラウディアの周りには、常に4,5人の人間がついている。
メイドや護衛である。
その中の誰かだろうか。
そっと、自室の入り口をうかがってみる。
革鎧を着込んだ護衛が、金ぴかの剣を腰に佩いて立っていた。
メイドはすでに下がっており、近くにいるのはエリアナのみだ。
二人きりで話ができるのは、この寝る前の時間くらい。
まだ6歳のクラウディアは、ベッドに入るとすぐに眠くなってしまうこともあり、なんとかする、と言い切ったエリアナを問い詰めたかったが、なかなかそんな機会もないわけだ。
今夜はがんばって目を開けながら聞いてみれば、『残酷姫エピソード』ばかりときた。
「わらわが聞きたかったのはそういうことではない」
「分かっておりますわ、姫様。ただ、時間が必要なのです。なにしろ、私がこちらに来てまだ日が浅いですからね。
成果が出るまで、もう少しお待ちくださいな」
エリアナの手がほわりと光る。
魔法だ。
おやと思う間もなく、その手がクラウディアのお腹に当てられる。
とても心地よい暖かさが、寝間着ごしに伝わって来た。
じんわりとみぞおちがぬくもり、それが全身に広がっていく。
もう少し進捗を尋ねたかったが、その心地よさに負け、クラウディアはあっという間に眠りに落ちてしまった。
それからさらに数日後、さて歴史の授業へ行こう、というクラウディアの元へ、訪ねてくる人があった。
「やあ、私の可愛い娘よ、王宮の薔薇、今日も可愛らしいな」
父であり、この国の王である、ウィーリス・ヴィス・ダリウスだ。
扉を開いた従者を押しのける勢いで入ってくると、クラウディアの前に跪き、そんなことを恥ずかしげもなく大声で語りかけてくる。
「陛下」
「おや、どこかへ行く予定だったかな?」
「歴史の授業です」
「そうかそうか、我が娘は勤勉で感心してしまうよ、なあ?」
背後に付き従っている大勢の部下や護衛を振り向き、同意を求める始末だ。
彼らは薄く笑いながら、まったくでございます、と口々に呟く。
「ところでクラウディア、侍女頭を困らせているらしいね?」
ぴくり、と肩が跳ねてしまった。
それをどう捉えたのか、父は、いや王は、ますます快活に笑う。
「構わん構わん、女の子は少しくらい我儘なほうが可愛がられるものだ!
侍女頭は私が叱っておいたよ、余計なことを言わずクラウディアの願いはなんでも叶えてやれとな!
おお、さて、どうやらお父様は仕事の時間らしい、せっかくの親子の会話なのに、なんとも邪魔な部下たちであることよ」
「陛下、あの」
「ではな、クラウディア、私の可愛い子よ。楽しくのびのびと暮らすがいい!」
嵐のように去っていく。
部下たちも、王の専属騎士たちもその後をぞろぞろとついていき、部屋はあっという間に静けさを取り戻す。
思わずため息をつきそうになったが、不敬だと思い直して飲み込む。
壁際に立っていたエリアナと目を合わせると、向こうも同じように、口元がむぐむぐと動いていた。
「……授業に遅れてしまうな」
「仕方ありません。もっとも、教師の方はそうは思わないでしょうが……」
クラウディアにしか聞こえない声でそう呟くと、エリアナは騎士に合図をして扉を開けさせた。
少し足早に廊下を歩く。
途中、間の悪いことに、正面から侍女頭のアナスタシアがやって来た。
今日も無理やり授業をさぼらせられるのではないかと身構えたが、彼女はすっと脇によけ、臣下の礼をとった。
わずかに頭を下げたその横を通り過ぎる。
王に叱られて、考え直したのだろうか。
ちらりと横目で顔を見る。
ひどく憎々し気にクラウディアを睨みつけるアナスタシアと、ぴたりと視線が合った。