7.就職するよ
エイルは、ジフリエル侯爵家の侍女として働くことになった。
最後まで、タジハール公爵の紹介にはならないと言っていたが、全敗してしまった。
なんて、自分は要領が悪いのだろうと、エイルは落ち込んだが、すぐに切り替えた。
エイルは素直に、タジハールの紹介してくれたジフリエル屋敷に行った。
何故か、タジハール公爵はほっとしているように見えたが、世話をかけてしまったエイルは申し訳ない気持ちで一杯だった。
ジフリエル家は、女性侯爵が当主になっている。
タジハール公爵の古くからの友人と言っていたが、ジフリエル侯爵家は、貴族社会に疎いエイルも知っていた。
酷い男嫌いで、執事でさえ女性を置いている女傑と聞いた。
案内してくれた執事長は、茶色の長い髪を一本に束ね、切れ長の黒い瞳で微笑みを絶やさない、黒服を着た女性だった。
学校でよくちょっかいをかけてきた令嬢たちがきゃあきゃあ言いそうと、エイルは後ろ姿を見ながら思っていた。
ジフリエルは、タジハール公爵と同じくらいの年齢と聞いていたが、若々しく、見事な金髪と緑の瞳をしていた。
髪を無造作に一つにまとめ、他の成人女性より背が高く、肩幅もあり、男物の服を着こなすジフリエル侯爵当主は、エイルの瞳にはとても優美に写った。
「久しいな、ジフリエル」
親しげに言うタジハールに、まるで少年のような笑みを浮かべ、ジフリエルは不遜に言った。
「全くだ。全然、便りを寄越さないくせに、頼みごとだけをするなんて。なんて、薄情なんだ、君は」
軽く笑いながらいうジフリエルに、タジハールは苦笑する。
「仕方がないだろう。曲がりなりにも、独身の淑女に妻子持ちの宰相が声かけるなんて」
「淑女?そう見えるか?」
男装した姿に、タジハールは真面目な顔で頷く。
「勿論だ」
「お前は相変わらず、息を吐くように嘘をつくな」
「誉め言葉だね。今日はお願いに来たんだ。いいかな?」
「ふん、面倒ごとだな、本当に」
「そう言わないで。見返りはするよ」
「当たり前だ」
男装の麗人とはこういう事を言うのかと、感心しながらジフリエル侯爵をエイルは見ていた。
「貴方、名は?」
「エイルです」
「・・・・アラベスタの子供か」
少し目を細め、懐かしそうに呟いた。
「父をご存知なんですか?」
「ああ、あいつは、いつもタジハールと馬鹿をやっていた。いい奴だった」
学生の頃の話だろう。
母から、二人でつるんで遊んでいたと、よく聞いていた。
「・・・・はい」
少し、しんみりした。
タジハール公爵も無言になる。
「ここで働く気はあるか?皆厳しいぞ?」
「はいっ。働けるなら、何でもしますっ」
「・・・・ほう」
ジフリエルは、初見で物怖じしないエイルを気に入った。
それに姿形は、母親似のようだが、目の輝きはアラベスタにそっくりだ。
嘲りも卑下もない真っ直ぐな瞳。
男装をしている自分を見て、若い娘は特に顔を真っ赤にしたり、あらぬ事を口走る事が多いが、エイルは真っ直ぐに見ている。
美男美女は、タジハール家の面々をいつも見慣れているので、美しいものには免疫があるエイルだった。
「エイルは、とってもいい子なんだよ」
タジハール公爵は、溺愛を込めてにっこりと笑った。
エイルは、あっという間に侍女見習いとして働かせてくれる事になった。
当日からの住み込み迄、了承してくれた。
さすが、タジハール公爵の後ろ楯があると違うわとエイルは思った。
おじ様の顔に泥を塗らないように、ちゃんと勤めあげないと。
エイルは浮かれながら、そう決心した。
タジハール公爵は、名残惜しそうに何度も何度も、エイルに家に戻る事を聞いていたが、エイルは気付かずにながしていた。
タジハールと門で別れ、意気揚々と執事長の後ろを付いていく。
エイルは、働いてお金を貯めるぞ!と侍女部屋の一室で、手を握りしめた。
支給された服は、紺色のワンピースとパンツの二種類。
膝下程の長さのスカートの下には、タイツ必至で、白カラーには蔦の透かしがはいりとても可愛い。
パンツスタイルは、とても動きやすい。
どちらでも着用してもいいと言われたので、スカートにした。
ひらひらのレースに実は憧れていた。
似合わないかも知れないけれど、仕事着だから仕方がないもの。
そんな言い訳しながら、嬉しそうに袖を通す。
「元気ね。今日からよろしくね。わたし、アシェトルよ。アシャと呼んでね」
教え役になる先輩侍女のアシャがくすくす笑いながら、エイルを見ている。
「アシャさん、よろしくお願いします。エイルです」
少し顔を赤らめ、エイルが挨拶すると、おっとりと微笑む。
「やだ、呼び捨てにして、エイル。同じ年でしょう」
一年先に入ったがアシャは、エイルと同じ年だ。
アシャは男爵家の次女になるそうだ。
平民に多い茶色の髪をしていたが、白い肌に綺麗な切れ長の黒目をしていた。
おっとりとした雰囲気は、まるでぬるま湯のような心地よさを与えてくれる。
やっぱり侯爵家の侍女になると、身元がはっきりした人が選ばれるのね。
エイルは、他人事のようにアシャを見ながら思った。
「わたしと同じ年の子が入ってきたと噂になっていたの。一生懸命教えるから、わからない事があったら、すぐに聞いてね、エイル」
「はい、アシャ」
うまくやっていけそう。
エイルは、そう思った。
「エイル、貴方とても覚えがいいわ」
「ありがとうございます」
エイルは嬉しそうに、シーツを畳んでいる。
アシャは感心する。
見習いとして、一通りの仕事をさせているのだが、お嬢様と聞いていたのに、妙に手慣れているのだ。
窓拭きや掃除も、普通にエイルは雑巾を握る。
今まで貴族として生きて来た娘が、こんなに簡単に出来る訳がない。
アシャは自分が来た時を思いだし、すぐ騒いだ自分の新人時代で赤面しそうになったが、ぐっと唇を噛んだ。
そして、思い当たる。
「エイルはタジハール公爵家で、お嬢様をしていのではないの?」
執事長から、公爵家が保護している貴族の娘が平民落ちしてやって来ると聞いていたのだが。
「はい。タジハール公爵家でお世話になっていました。お嬢様ではなかったですが」
照れりとエイルは恥ずかしそうに言う。
「え、元々貴族なんでしょ?お嬢様は当たり前じゃない」
もしかして、エイルは公爵家で虐められていたのかもしれない。
アシャは貴族の淑女らしからぬ動きで、真面目に掃除するエイルを見つめた。
こんなに、働きたいとか、制服を嬉しがるとか、妙に手慣れてるとか。
きっと、嫌な貴族連中に虐められていたから、メイドみたいな事をさせられていたんだわ。
アシャは、そう結論付けた。
「いいえ。居候です。タジハール公爵は甘やかしてくれましたが、平民にもなるとこは分かっていたから。あ、弟たちは、貴族のままだからお坊っちゃんですよ」
エイルは生真面目に答えた。
「居候?貴方だけ、平民なの」
「はい、家を継ぐのは弟たちだから」
怪訝そうにアシャは、エイルを見た。
「・・・・タジハール公爵様は、何もしてくれなかったの?」
「いいえ!おじ、タジハール公爵は、屋敷や何でも用意してくれました」
その言葉に、自分の考えの確信を深めるアシャは、エイルに憐憫の情を深める。
「うちの弟、今は大きくなったけど、すごく可愛いんですよ」
姉馬鹿の台詞を吐くエイルの指先は、短く爪が切られており、今まで貴族だったと思えない位手入れがされていない。
虐められてたから、早く働きたかったのね。
アシャの心は決まった。
「・・・・エイル。ここの皆は全員いい人ばかりよ。だから、何でも頼っていいわ。皆、優しいから」
「・・・・はい?ありがとうございます?」
きょとんとしながら、エイルは頷いた。
「わたし、エイルが立派に働けるように、教えるからっ」
その夜、寮でエイルの為にささやかな歓迎会が開かれたが、エイルが部屋に帰った後、アシャが涙ながらに皆にエイルの辛い境遇を訴え、エイルを大切に同僚として育てようと話が決まった。
エイルはアシャたちに誤解されたことを気付いていなかった。
ただ、皆が優しくて、休みもちゃんとある、なんて、いい職場なんだろうと感激していた。
当初、エイルは、平民落ちした何も出来ない没落令嬢と思われていた。
本人からも、様々に職種に就こうも思ったが、全て落ちたと申告されたせいもある。
だから、皆、居候していた公爵家から、持て余され、お払い箱になったのだと認識していた。
雇い主が急かされるように、就職を決めたせいもある。
だが、執事達がエイルの素性を調べて、周りが驚いた。
卒業した学園では首席で、難関な特殊行商の資格も数個所持している。苦学生でバイトしていた職場での評判は、真面目で人間関係も良好と報告された。
タジハール家とも良好。弟を溺愛している。周りの大人たちから、好意的な意見しか聞かない。
何故、そんな子が、ここにしか就職出来なかったのか不思議であったが、嫡男の虫除けとして婚約者になっていたと聞き、嫡男がなにか関係しているのだろうと、家人たちは眉ねを寄せた。
報告を聞いたジフリエル侯爵は、友人であるタジハールに、エイルを働かせて欲しいと無理をいわれたのだがと、にんまり笑い、いい買い物をしたなと呟いた。
少し不憫に思った家人たちは、エイルをさらに優しい眼差しで見るようになった。
勿論、エイルは気付いて居なかった。