6.婚約者は拗らしてる
リシャールは産まれた時から、『特別』だった。
一目見れば何でも理解したし、目に映るものの善悪がわかった。
リシャールは、誰にも言っていないが産まれてすぐからの記憶が、すべて残っている。
それが異常だということも、分かっていた。
リシャールは泣かない赤子であった。
赤子なのに、顔も非常に整っていてて、乳母達にとっては、異界の生物のように見えたかもしれない。
ただじっと、周りの人間たちを、観察する不気味な赤子だった。
リシャールは経験した全ての事を、覚えている。
リシャールには不思議だった。
言葉が通じていないはずなのに、たまに発する声に、大人たちは反応した。
リシャールは、自分の言動で一喜一憂する人間たちを愚かだと思った。
自分はなんのために産まれたのか。
ある時、父と敵対する貴族がやってきて、赤子の自分の前で呪詛の言葉を吐いた。
一言一句間違えずに繰り返した時の、彼の怯えにも似た驚愕の瞳を覚えている。
『化け物が!』
罵ったあの男は、父親の部下たちに処分されたようだ。
肉親がそれで対応が変わることが無かったが、周りは変わった。
口角をあげ、〝微笑む〟という仕草を体現出来るようになったからだろう。
そうしておけば、周りは笑ってくれていると勘違いしてくれる。
泣かない不気味な子供から、神童へと。
世界を救う?
面倒臭い。
何故、人の為に動く必要があるのか。
世界は無機と有機物で出来ていた。
リシャールとって、人に対して、表向きの感情の起伏は表現出来たけれど、全く心が動く事はなかった。
親は、リシャールのそんな様子に気付いていたようだが、親にさえ、リシャールは完璧な〝神童〟ぶりを示した。
なんて、この世はつまらない世界なのだろう。
大人たちは媚びへつらい、子供たちは畏怖と羨望を向ける。
きっと、私は、親より早く死ぬだろう。
3歳を過ぎた頃、リシャールは、漠然とそう思うようになった。
すでに達観した瞳をした我が子に、タジハールたちは、精一杯の愛情を注いでいたが。
そして、リシャールは世界を変える運命を見た。
産まれても死んでいたリシャールの心を変える〝運命〟だ。
『ねえ、あなた。お名前はなあに?わたしは、エイルよ。一緒に虫取りをしない?』
まるで、それは鮮やかなひまわりの花が目の前に現れたようだった。
今まで知っている貴族の淑女の子供ではなく、健康的に日焼けして、口を大きく開けて笑う女の子。
なんて、綺麗で鮮やかな。
太陽みたいなキラキラの髪、青い瞳が生命力に溢れ、リシャールを捕らえる。
・・・・・リシャール。
『リシャール?じゃあ、リーシャね。今、おっきな蝶々が飛んでいたのよ。一緒に、捕まえましょう』
読んでいた神学の本を取り上げ、エイルはリシャールの手を握り、走り出した。
投げ出された本を見ていた大人たちは、何故か咎めようとせず、微笑ましそうに自分達を見ている。
その時、初めて生きている虫を触った。
エイルが蝶々の羽根がきれいだと言ったから、むしって渡そうとしたら、可哀想だと止められた。
エイルが嫌ならやめる。
『リーシャはとってもきれいね。お花がとっても似合うわ』
よれよれの花冠を、エイルが頭に乗せてくれた。
そして、にっこりと笑う。
『おそろいね』
リシャールの身体に衝撃が走った。
ああ、神様、ありがとうございます。
この真っ暗な世界の中に、こんなに綺麗で鮮やかな生き物を、側に置いてくれて。
その後見た、空がなんと美しいことか。
色のない世界が、鮮やかに色づいたのだ。
エイルの側にいたい。
当時は、子供のように泣きわめいて、駄々をこねれば、エイルは側に居てくれた。
でも、未来は?
自分が大人になったら、エイルはあの蝶々みたいに翔んでいくかも知れない。
羽根をむしってしまわないと。
羽根が失くなってミノムシみたいになっても、エイルだったらとても可愛い。
それに醜くなったら、エイルを見るのは私だけだ。
なんて素敵な事だろう。
父に頼み込んで、書類を作って貰った。
口約束で子供の約束とエイルは思っているけれど、ちゃんと随時新しく書類を作成している。
エイルはずっと側にいるんだ。
今は父の仕事も手伝ってる。
手足になってくれる自分の信奉者を、城に増やしている。
将来エイルが公爵夫人になったときに、妨害しそうな貴族達を失脚させるように仕向けたりした。
エイルとの婚約契約が終わったら、すぐに提出出来るように結婚契約書類も全部用意して、後はエイルが署名するだけだ。
エイルの署名も偽造してもよかったけれど、エイルが自分の意思で書いてくれなくては意味がない。
エイルは、私を大好きでないと。
私がエイルを好きなくらいに好きになって欲しいけれど、そんな事になったら二人で死ぬしかなくなってしまうから。
私を一番に思ってくれるぐらいに好きになって欲しい。
エイルは自己評価がとても低いけれど、周りの貴族の子達にひけをとらない造形をしている。
だから、周りの人間を自分の信者にすげ替えた。
私がちゃんと言わなかったせいか、エイルを監視、排除しようとしたのは許されないけれど。
勝手に廻るようにしのはいいけれど、私の意思を曲げて受け取ってしまうのは、家畜以下だ。
自分の部屋の隣をエイルの部屋に改装している。
エイルが、恥ずかしがるかもしれないから秘密だ。
父は、先走りはと、あまりいい顔をしていなかったけれど、エイルは私のお嫁さんになるのだから、きっと喜んでくれる。
エイルの父親が亡くなった時、本当はそのまま自分の部屋に連れていきたかった。
悲しむエイルを、私がずっと慰めてあげたかった。
自分の腕の中で泣くエイルは、儚くてとても可愛かった。
でも、それから、エイルは、とてもよそよそしくなった。
誘っても、エイルは遊んでくれなくなった。
仕事をするのだと、市場や商会に出掛けてしまう。
タジハール家の間者を付けて、ずっと護ってるのをエイルは知らない。
エイルは私のお嫁さんになるんだ。
変な虫が付いたら駄目だし、年上の男に目移りしたら、そいつを消さなきゃいけないから。
学校も付けようとしたけれど、父に止められてしまった。
間者を付けていたのも知られて、犯罪だと慌てていたけれど、ちゃんとわからないようにしているから、犯罪ではないのに。
エイルが知ったら、悲しむと言われて、学校だけはつけなかった。
だから、シドを編入させて護らせた。
本当は、沢山話して、いつも一緒にいたいのに、外で話すのは駄目だとエイルが悲しそうに言った。
エイルの悲しい顔は見たくないから、『学校を卒業するまで』ちゃんと約束を守った。
エイルは、賢くて可愛くて勉強ばかりしているから、とても恋愛に鈍い女の子になってしまった。
でも、それでいい。
だって、エイルは私のお嫁さんになるのだから。
エイルの初めては、全部、私じゃなきゃ。
後2年待てば、エイルと結婚出来る。
飛び級して、早くに仕事を拡大して、エイル達を養える事をみせてる。
エイルの母親は、母上が面倒を見ているから別にいいだろう。
コンラッドたちは、騎士になると寄宿学校の手続きをしていたが、可愛い義弟たちだ。帰ってくる家も必要だろう。
エイルは、私の事を可愛い弟と思ってる。
だから、エイルの前では『僕』と自分の事を呼ぶ。
自分のあざとい仕草に、エイルが弱いことも分かっている。
可愛い弟の言うことを、エイルは嫌がらない事を知っている。
あまりに無関心を装ったせいで、周りが誤解して、エイルに酷い事をしてしまった。
あいつらは、もういらない。
エイルを虐めていた女たちの親は、処理した。
半年後には、辺境行きか没落だ。
父がくれた手足もすげ替えよう。
エイルが私の所に戻ってきたら、その時にどんな処分にするか聞かないと。
それまで消さないで、生かしておかないと。
エイル、喜んでくれるかな?
ああ・・・・
どうやって捕まえよう。
どうすれば、エイルは私の側から離れられなくなるだろう?
ああ、悩ましい。
エイルだけが、私の思い通りにならない。