第1章 「起ー 2010年四月」 8
八 大道 栄作
一
沼田は源太の指示通りに車を動かし、三人は大道邸前に到着した。
塀の長さと立派さからも想像出来る圧倒的な敷地の大きさと威厳の高さに驚く沼田。
それもそのはずで、ここは日本有数の巨大企業の創設者であり会長でもある大道栄作の豪邸、日本の豪邸の中でも有数の物である。
源太の指示の通りに門の前に車を止めると、源太が一人車を降りインターホンに向かって何かを言っている。
しばらくすると門が開き、車に戻る源太。
車は邸内に侵入すると玄関に周り、そこで源太と遠藤が荷物を持って降りた。
沼田はその後、係員の誘導に従って車を駐車場へ。
「昔来た時と感じが変わってる。改築したのかな?」
「ああ、もう五年になるかな? お前が来たのはいつだっけ?」
「八年前かな? あそこの建物はあの時には無くて、確か池が有ったよな」
「ああ、よく覚えてるな」
大道夫人である和服姿の香が玄関の扉を開け、自ら源太達を出迎える。
その直ぐ後ろには数名の洋服姿の家政婦。
その家政婦達が頭を下げる中、源太達が頭を下げながら中に入った。
香の容姿は見るからに上品で、この人が着る服はどんな服でも高そうに見える。
線は細いが、貴子に負けないか、それ以上の美人でも有る。
「いらっしゃい。お待ちしてました」
思っていたよりも接しやすい明るい感じで出迎える香。
二人は少し照れながら軽く頭を下げた。
「あら、今日は渉さんも一緒なんですね。それにスーツ姿……」
「お久しぶりです。
ええ、今日は少しお話が有りまして……」
何かを悟ったのだろう。
ただ、それを隠すように直ぐに笑顔を見せ、
「どうぞ、中に入ってください。主人も待ちくたびれてます」
冗談っぽくそう言って中に自ら案内する。
「お邪魔します」
応接間に通された源太と遠藤はそのままソファーに座るが、あまりの立派さに圧倒される遠藤。
多分この部屋に通されるのは初めてなのだろう。
一番目立つ処に源太のあの桜の写真が全倍サイズで非常に高価な額装がされて飾られている。
居心地が悪いのか、遠藤は少し落ち着きが無い様子だった。
そんな中、奥から和服姿の大道が入って来た。
立ち上がる源太と、それに連れて立ち上がる遠藤。
「いや、お久しぶり」
大道の表情は最高に明るい。
「お久しぶりです」
軽く頭を下げる源太だったが、少し表情が硬い。
「昨日の今日で済まなかった。今日しか空いてなかったもんでな」
誰が見ても機嫌が良いのがわかる。
風格が邪魔をしているが鎧を外した大道の姿はかえって無邪気に見えるのは不思議な話だ。
「渉君も久しぶりだな。
どうぞ、どうぞ、座って、座って」
大道の言葉も有って、ソファーに座る二人。
香がコーヒーを持って部屋に入ってくる。
「いつでも気軽に来てくださいね。
こっちは源さんや渉さんが来るの、大歓迎だから」
そう言って、笑顔で三人にコーヒーを出す香。
「源さんが来ると、いつもこの人、機嫌が良いの。
娘は『毎日来てくれたらいいのに』なんて言うんですよ」
「有り難うございます」
源太が言葉少なげに感謝を伝える。
遠藤も源太の笑顔を見て少しは緊張が和らいだようだ。
頭を下げ、奥に引き込む香。
「その雰囲気からすると、何か話があるみたいだが、
ま、とりあえず、冷めないうちに……」
とお茶を勧める大道。
「今日はお仕事は?」
「たまたま、休みを取っていたんでな。明日からは又、忙しくなる」
「いつまでも現役ですね」
「そうでもないよ、再発が怖くてな……」
その後、二人での若干の世間話のアドリブが続く。
話が一段落したのか、
「じゃ、話の前に、写真を見せてもらおうか」
「ええ、では……」
源太は三十年以上の間、大道の肖像画を撮り続けている。
これは公式な物で、ホームページは勿論、各種資料、印刷物などオフィシャルに使う大道の肖像画は全て源太が撮った物だと思って良い。
既にデジタルデータと社長室等で飾る物に関しては納品済みだったが、自宅で飾る物は未だだった為、この日に持ち込んだのである。
納品が終わるとしばらく雑談をした後、香がお茶をもって部屋に入って来たが、空気を読んだのか、お茶を配ると何も言わずに部屋を出た。
「じゃ、本題に入るか……。あまり聞きたい話じゃないみたいだが」
「ええ、非常に申し上げにくい話ですが……」
言葉を濁し、少し間を置く。お茶に手を伸ばし、一口飲むと、
「私事ですが……、
今年いっぱいで事務所をたたむ事になりまして、そのご挨拶に……」
「引退ですか……」
さみしそうな表情を見せる。
「ええ、私ももう歳ですし……」
「そうか……」
「大道さんには非常に良くしてもらって……。
本当に感謝しております。お世話になりました」
「ほんと、寂しくなるな。楽しかったよ」
息を大きく一つ飲む大道。
「な、源さん……、
こんな事を言うのも何だが、
写真は引退しても、たまに遊びに来てくれんか?
わしの話し相手になって欲しい」
大道の優しさがそのまま言葉になる。
少し考えた後、大きく肯く源太。
「ありがとう」
その言葉の重さを感じ取り、少し余韻に浸った後、
「こんな時に言うのもなんですが……」
「どうぞ……」
大道には源太が今から言う事の大半は想像がついていた。
「こいつ、まだ半人前なんですけど、
ご存じの通り、事務所を構えてるんですよ、私のより大きな事務所を……。
言い難いんですが、こいつに何かあった時、
相談相手になってもらいたいんですが……」
頭を深々と下げる源太と、その姿を見て真似るように頭を下げる遠藤。
やはり大道の予想通りだったようだが、源太のその言葉の裏の意味を考える。
単に引退するだけならこんなセリフはいらないはずで、その台詞に隠された物が何かを感じ取ろうとしていた。
「まるで源さんより、わしの方が長生きするような言い回しだな?」
「……」
「わかった。源さんの頼みは断れないな……。 渉君……」
「は、はい」
「何かあったら、いつでも遠慮なく言ってきなさい。
和夫君が亡くなった時、何もする事が出来なかった。
わしはそれが悔しいと思っている。
遠慮はいらない。何かあったら、親のように頼ってくれ」
「は、ありがとうございます」
ようやく頭を上げる源太。
遠藤はまだ頭を下げ続けている。
「最初からそのつもりで渉君を連れてきたんだろ?」
大道が源太に微笑みかける。
「はい」
源太は表情を変えない。
「渉君も頭を上げて……。
源さんも今まで通りに来てほしい、今まで通りに……」
大きく肯く源太。
優しさと寂しさ、そして悲しさが溢れる眼で大道が二人を見つめる。
二
帰るために玄関で靴を履く源太と遠藤の二人。
それを見送るために玄関まで送る大道。
香が奥から何かを持って急ぎ足で向かって来た。
「どうぞ、これ、持って帰ってください」
香が源太に何かを渡す。
「どうも、いつもありがとうございます。
渉も覚えてるだろ? あのおはぎだ」
香が渡した荷物の包み紙は遠藤の記憶にあり、大きく頷き最高の笑顔を見せた。
「あ、有り難うございます。
子供の頃から、いつも美味しく頂いていました。
実は、このおはぎ、親父が何処でもらってくるのか知らなかったんですよ。
大人になっても、この味が忘れなくて、
どこで売ってるのか、探し回ったんですけど……
ありがとうございます」
遠藤がこの日一番の表情を見せ、その言葉に微笑む香。
その姿を見てさらに微笑む大道。
「そうか……。そう言ってもらえるとお前も嬉しいだろ?」
「ええ」
大きくうなずく香。
「では、ここで……」
源太が頭を下げる。
「また来てくださいね……、必ず」
香の台詞に対して大きくうなずく源太と遠藤。
そのまま玄関を出る。
寂しさを隠す為か、少し複雑な笑顔で大道と香は見送った。。