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仮称「四季」  作者: 赤原 藤尾
開戦
7/17

第1章 「起ー 2010年四月」 6

六    遠藤 渉



 外に出た四人。雨は完全に上がっていて場所によっては星すら見える。


「後一年って信じられないな。見た感じが余りにも普通で……」


そんな中、遠藤が貴子の横に立って声を掛けた。


「そうね。私も全然、気が付かなかった」

「で、中田さんはどう言ってるんだ?」

「薬が効いてる間は大丈夫みたい。問題はいつ位まで効いてくれるか? って言ってた」


具体的に言えば、今の段階で有れば肝臓の負担を考えながら薬の量を調整する事が出来るが、その内その量では効かなくなり、効き目を維持しようとすると肝臓の負担が大きくなる。

そのバランスがいつまで取れるかが問題らしい。


「また連絡する。これからはマメに顔を出すよ。親父の事で色々相談しないとね」

「ええ、父さんを頼むわね」


貴子の肩を軽く叩くと背中を見せ、サヨナラの意味で手を上げたまま駐車場に向かう遠藤。

貴子はしばらくその姿を見ていたが、やがて振り返り自宅に足を向けた。


「タル兄!」


この様子を見ていた洋子が、遠藤を引き留めた。


実は洋子はこの時、二人の会話に感慨深い物を感じていた。

と言うのは、これまでこの二人は、お互いを避け気味で、最近、真面に話をしている姿を見なかったからである。

そのきっかけは源太との離婚であり、それを決定的にしたのは和夫の死だった。

洋子はずっと、この二人の関係の修復は不可能と思っていただけに、今の二人の会話を見て安堵する一面もあった。

ある意味、思っていた以上に遠藤が大人に見えたに違いない。


「この後、何かあるの?」

「ああ、人を待たしてる」

「誰? 女?」


洋子が引っかかってくる。

少し苦笑いをし、


「松下だよ。事務所で待たしている。今後の話をしないとな……」


と返事をした時に、


「僕はここで(失礼します)……」


沼田がここぞとばかりに逃げの手を打った。


「沼田君も待って!」


洋子の強い口調に驚き、思わず遠藤と沼田は二人揃って苦笑い……。


「タル兄、おなかすいた……。 何処か連れてってよ。

 沼田君も行くでしょ?」


――やっぱりな――


遠藤が沼田の顔を見ると、沼田もまた遠藤と同じ表情をしていた。


「だから、松下を待たしてるって……」

「松下さんも誘えば?」

「悪いが今日は勘弁してくれないか? 近いうちに必ず機会は作るから……」

「松下さんと私、どっちが大事?」

「松下かな?」


冗談で返す遠藤。


「ひどいわね。辛いのはタル兄だけじゃないのよ」

「確かにそうだな。 悪かった。

 必ず時間を作るから……」

「必ずよ、必ず」

「わかった。 必ず良い店に連れてってやる」


そう答えた遠藤は、そのまま直ぐに沼田を見て、


「その時は君も来てくれ。必ず……」


と語りかけた。


「え、僕は……」


まさか自分にまで火の粉が降りかかってくると想像していなかった沼田が話す途中で、


「そうね、沼田君も……。タル兄と沼田君、初めてだもんね」


洋子が割り込んでくる。


「良いんですか?」

「いや、君も来てくれ。俺一人では手に余る……」


その「手に余る」と言う台詞に妙に納得する沼田。


「じゃ、喜んで……。 その時には宜しくお願いします」

「じゃ、楽しみにしてるよ」


と言って遠藤は二人に背中を見せると車に向かい、黒いマークXに乗り込むとすぐに車を発進させ、それを少しの間見送って反対側に歩き出す二人だった。


              二

 遠藤を見送った後、歩く洋子に合わせて自転車を押す沼田。

どうやら帰る方向が途中までは同じなのだろう。

そこは雨が上がり暗くなった国道沿いだった。



「今日は色々な事が有り過ぎましたね」

「ええ、沼田君は今日だけかも知れないけど、私は昨日から……」


――何故だろう?――


考えてみれば、二人でこうやって帰るのは初めてのはずなのに違和感がない。

まるで何度も同じ経験をしているかのように次の流れが読める事に沼田は驚いていた。


「疲れたでしょう?」

「ホント、二ヶ月分仕事をしたみたい」

「ホント、そうですよね。俺も何か、疲れた感じがする」

「だけど何でだろ? 今日、話が聞けて良かったと思う。

 今、何が起こってて、みんなが何を考えてるのか解っただけでも……」


多分、沼田の本音だろう。

この二日間、表面上の変化への対応ばかりに追われて、周りの人間のリアクションの理由が解っていなかったが、自分なりにその理由が解り、その行動に対する整合性が取れた事が彼を納得させていた。


「そうね、何も知らなかったもんね」

「ま、明日からも大変だろうけどね」


笑って自分の途惑いを誤魔化す沼田。


「私たち、明日から、どうなるんだろうね?」



――「私たち」――



 洋子は話の流れで自然に「私たち」という言葉を使ったが、沼田にとっては、その「私たち」と言う台詞がヤケに引っかかった。

「私たち」と言う台詞が微妙に彼女との距離感を狂わせる。


――仕事の同僚としてなのか、それとももっと深い意味が有るのか――


思わせぶりな女性が使えば、こんな時の「私たち」と言う台詞は、何か意味深な気にさせる。

事実、この時、沼田は洋子との距離を測りかねていた。

と言うか、自分が感じる洋子との距離と、洋子が思っているそれとが想像以上に違いがある事に気が付いていたからである。

沼田自身、洋子に対しては好印象を持っていた。間違いなく美しい女性であり、それと同時に人としても魅力は以前から十分に感じていたが、この二ヶ月間は仕事を覚える事に必死で彼女とそれ程、個人的な接し方が出来ていなかったのも事実だ。

だが、この二日間で彼女との距離が非常に近くなった事は自分自身が一番強く感じていて、それと同時にこの距離感が一時的な物なのか、それとも今後もっと近くなるのかは解らないでいた。

それが彼女に対して敬語を使い続ける理由でも有る。


「俺、ここ、右に曲がりますので……」


――深入りしない――


そう考えたのだろうか?

いや、本当の事を言えば沼田の家へはもっと手前で曲がるはずで、それを言いそびれていたが、沼田が言いそびれた理由は何なのか? 

逆に言えば、何故ここで曲がると言ったのか? その答えは沼田自身にも解っていないのだろう。


ひょっとしたら、何かを期待していたのかも知れない。


「ダメ! そこのファミレスで晩メシ付き合え!」


洋子が微笑みながらダメ出しをし、苦笑いをする沼田だったが、満更でも無いのが表情でも解る。

沼田が距離感を探る為に試したのだろう。


有る意味、沼田の想定内の結果だが、それと同時に今から彼女にどう対応すれば良いのか迷っていた。



              三

 その頃、大阪市内にある遠藤の事務所では必要最小限の明かりしか点いていない部屋の中で残業をしている松下がいた。

誰もいない事務室の隣にある「編集室」と書かれた小さな部屋の中で一人、モニタータイプのヘッドフォンをしながらプロモーションビデオの納品前の最終チェックをしていたと言うのが正確な表現になる。


眼が疲れたのか時折目頭を押さえ、少し休憩するつもりなのかヘッドフォンを外してパソコンから離れ、時計を見る松下。

予想していた時間を大幅に過ぎているのだろうか、携帯を取り出し着信履歴を確認しようとするとその時に遠藤が少し疲れた表情で入ってきた。


「悪い、悪い。遅くなったな」


苦笑いをしながら自分の席に座ったが、先ほどまでの固い表情とは明らかに違う。

多分、こちらの表情が素の遠藤なんだろう。


「お疲れ様です、『大先生』。生きて帰ってきましたか」


色々な意味で嫌味を込めて、あえて「大先生」と言う松下に対し、遠藤はその意味を理解しているのか苦笑いをした。

松下は遠藤よりは少し年下に見えるが、それでも落ち着いて見え、男臭い。

ある意味「ナイスガイ」と言う感じか。


「どういう意味だ?」

「そう言う意味です」


遠藤の目を見て少しイヤミっぽく微笑む松下。

言葉は敬語だが殆ど遠慮は無い感じで、それ程、距離感は近いのか?


「話って何です?」

「いや、頼み事があってな……」


「頼み事? もったいぶりますね……。

 ただ、その話を聞く前に返事をすると、答えはNOです。

 ロクな話じゃない事は聞く前から解ってますから……」


と松下がニヤけた目で茶化すと、苦笑いの遠藤が部屋を出て事務所の奥にある冷蔵庫に向かった。

松下もそれを追うように席を立つと、編集室から隣の部屋に移る。


「私が見るに、『大先生』はまともな精神状態にない……。

 少なくても私にはそう見えます」


「そうか?」


「ほかの連中も言ってますよ。事務方の女連中なんかは、『あれ、絶対女にフラれたよ』って」


「社長が『アレ』扱いで、オマケに『女にフラれた』か……。

 俺も酷い言われようだな。社員教育、間違えたかな?」


「普段の数倍吸ってるでしょ、煙草……。

 それも、普段ならケチ臭いくらい根元まで吸うのに、

 この二日間は先っぽだけしか吸わない。

 明らかに変ですよ、落ち着きが無い」


「そうかな?」

松下の眼を見て、あえてトボける遠藤。


「こんなに落ち着きの無い遠藤さん、あの時以来で……」

「あの時以来?」


「ええ、あの人が亡くなった日……」


と少しイヤミ気味に言うと、苦笑いする遠藤。松下の机の上にビールを一本置くと自分のビールの蓋を開け、口をつけた。


「ま、飲め」

「いえ、私、車ですから……」

「今日はタクシーで帰れ。明日もタクで来たら良い。俺もそのつもりだ」


「やっぱりおかしいですよ、『タクで帰れ』って……。

 あのケチ臭い『大先生』のお言葉とは思えない」


松下がビールの栓を開ける。一口、呑むと、


「酒が無いと話せないような話なんですか?」

「……」

「とりあえず、聞くだけは聞きましょうか、『大先生の頼み事』を……」


松下は自分の席に着くと、遠藤も同じようにそのすぐ近くにある自分の席に着いた。


「聞く気になったか?」

「話を聞くだけですよ。どの道、答えはNOですから……」


松下の答えに少し微笑んだ後、持っていたビールを一気に飲み干す遠藤。

覚悟を決めた上で、


「実はな、お前にこの事務所、一年ほど預かってほしいと思ってな」


言っている意味を理解できない松下は、もう一度遠藤の目を見た。


「いや、正確にいうと、1年くらい仕事から距離を置きたいと思ってな。

 事務所には出来るだけ顔を出すつもりだが……」


「ご冗談を……、冗談は顔だけにして下さい」

「冗談じゃない、本気だ。

一年ほど現場を預かってくれないか?」


「バカな事を……、そんな事、出来るはず無いでしょ!」


松下がそう言うには大きな理由があった。

と言うのは、リーマンショックによる経済の混乱がまだ収まらず、経営者としては会社のかじ取りが非常に難しい時期でもあったが、それ以上に、この業界にとっても別の意味で「激変の時代」だったので有る。

2003年ぐらいからフルデジタル化の波が押し寄せ、2007年くらいからはプロの世界でも完全に過渡期に入った。

少し前まではデジタルカメラは便利だが画質が追いついていない時代が続いたが、ここ数年はそう言った印象が逆転し、逆にデジタルの波に乗り遅れる事が場合によっては致命傷になりかねないような時期に来ていたのである。

既に報道やスポーツのジャンルでは既に過渡期を通り越し、成熟期にさしかかっていて、実際、遠藤は非常にデジタル化に関するのノウハウに明るく、ある意味業界の中でも率先してフルデジタル化を進めてきた人間だが、この時期に遠藤に抜けられる事は、その点で遅れを取る原因になりかねない。

何しろ、松下はその分野に関しては大きく遠藤に差を付けられているからだ。

 

ちなみにあの歳の源太がデジタル一眼で仕事が出来るのは遠藤のサポートがあるからで、実際、普段源太のそばにいる事が出来ない遠藤は、その対策として洋子を徹底的に鍛え、デジタル特有の特性やカメラの操作方法一つまで教え込んでいる。

その関係上、デジタル系を使って行う案件に関しては洋子が必ず同行し、洋子でも不明な点があれば直ぐに遠藤に電話をしてサポートを受けていた。

遠藤が仕事の時は主にキヤノンを使うが、あえてプライベートではニコンを使って撮影する事を心がけているのは、源太が主にニコンを使っていると言うのが理由だ。


「お前なら出来るさ。お前、いつも俺のやり方が『ヌルい』って言ってるだろ?

 現場の全部をお前に任せるから、一度、自分で試してみろよ」


「……」


「お前がここに来た時、『俺はここに長居をするつもりは無い。

 デジタルのノウハウだけ盗めたら、すぐに独立する』って、

 確かそう言ってたよな……。

 お前、ここに来て何年になる?

 いい加減、独立を考えろ。良いな!」


松下を見つめる遠藤。

松下はそれを避けるようにビールを空けると冷蔵庫に向かい、中にあったビールを全て持ってくる。

その中の一本を遠藤に渡すと自分も二本目のビールの栓を開け、


「『大先生、ご乱心』ですね。

他の仕事はともかく、立川さんの仕事はどうするんです?

あれは他の人間では出来ないでしょ?」


「あれは来年まで延ばしてもらおうかなと……」


「それは無茶な話でしょ。出来るはずが無い……。

 そんな事、立川さんに言ったら終わりですよ」


「解ってる」


少し追い詰められたのか、目線をそらす遠藤。


「いや、解ってないでしょ! 解ってたら、そんな事言えるはずが無い……。

 やっと掴みかけたチャンス、棒に振るんですか?

 確実に干されますよ、立川さんに……。

 二度とあの人から仕事はまわってこない。それでも良いんですか?」


「それでも……、それでも仕方ないと思ってる」


歯切れの悪い遠藤に対して痺れを切らす松下。


「解るように説明して頂けますか?

 遠藤さんらしくないというか、納得できない」


「……」


「何故なんですか? いや、何があったんですか?」


その問いに暫く間を置いた遠藤は目を開くと、何かを誤魔化すため三本目のビールに手を伸ばした。

そのビールを一気に飲み干した後、口を割る。



「実は親父がダメでな……」



「……」


「親父の体が後一年しか持たないって……。

 まさかな……」


遠藤もまた、ここで「死」と言う言葉を使わない。

多分、その遠回しな表現が松下がこの意味を正確に理解するのに時間が掛かった理由だろう。

未だに言葉の意味が理解出来ないと言うか、それを思考回路が拒絶していると思える松下は、そのままの流れに任せる。


「その親父がこの一年、ロケに出たいってさ。雄介を連れて……。

 そのロケに付き合うつもりだ……」


「あの人が?」


「ああ、あの人がな……。

 お前も親父の事は知ってるだろ、あの人がどんな人かは……」


松下が黙って下を向く。

ようやく事の重大さと遠藤のこの二日間の奇妙な行動の理由を理解したようだ。


「今日、その話があってな……。

 お前、思ってるだろ。

 こんな時に会社をほったらかしにして、

『経営者が何、脳天気な事言ってんだ』って……」


「……」


「ただ、お前らには解らないだろうな。

 『親の愛』が当たり前と思ってる人間には解る筈が無い」


四本目のビールに手を伸ばす遠藤。

吊られて松下も手を伸ばす。


「続けて良いか?」


黙って肯く松下。


「お前も知っての通り、俺はあの人の実の子じゃない……。

 言ってしまえば『赤の他人』だからな」


「……」


「赤の他人なのによ……、

 実の子を捨てる奴もいれば、赤の他人を育ててくれる人もいる……。

 その恩に応えたい。

 今しか無いんだ、それが出来るのは……。

 それが出来ないと、経営者とか男とかの以前の話、

 人として失格じゃ無いかと……」

「……」


「バカバカしいか?」


黙って首を横に振る松下。


少し間を置いた後、

「俺をそんなに簡単に信用して良いんですか? 『赤の他人』の俺を……」

と話を切り出した。


自分の意図が正確に松下に伝わった事を確信した遠藤は「お前を信用する以外に手段が無いからな」とニヤけた。

また鼻で笑う松下。


「どうなっても知りませんよ。後で文句を言わないでくださいね。

 ま、会社の件は最善を尽くしますが……。

 どうなるか解りませんが、とりあえず何とかします。ただ……」


「ただ? 」


「ただ、立川さんの件だけは遠藤さんの方でお願いします。

 あの件だけは、俺では……。 それ以外は何とかなるでしょう」


少しフザケながら眼を見て話す松下。

黙って肯く遠藤。


「後で腐るほど愚痴を聞いてやる。とにかく、事務所を頼む」


遠藤は安堵の表情を見せ、もう一度乾杯をした。


少し冷静になった松下は、現実に戻り、


「写真教室はどうするんです?」

「ああ、あれも……、あれもお前に頼む」

「あれは無理ですよ。俺が口下手なのは重々承知でしょ?」


「口下手を何とかするのも勉強だ。

 独立したら、そうも言ってられないだろ?

 クライアント相手にどうするんだ?」


「独立? まだ考えてませんよ。

 もう少し、ここにいるつもりです」


「おい?」


「ま、そんな顔をせずに……、居ないと困るでしょ?」


あきれる遠藤。

笑ってビールを飲み干す松下。


「とりあえず写真教室の件、何とかしてくれ。頼むぞ」


「その代わり、立川さんの件は……」


「ああ、解ってる。明日の朝、詫びを入れてくる。

 怒られるだけでは済まないだろうな……。仕方ない」


「親父さんの事は?」


「口が裂けても言わないつもりだ。干されるのは覚悟の上で……」

笑顔で答える遠藤。

納得した表情で次のビールの栓を開け、口にする松下。



「悪いが会社とスタッフを頼む」


遠藤はこの日、最高の表情を見せ、松下は大きく頷いた。


 一方、沼田は完全に洋子に捕まったようだ。


捕まったと言う表現が正しいのかどうかは別として、二人はファミレスの席で向かいあっている。

多分、今後、二人の関係や自分の立場がどうなるか読めない沼田は、洋子にその行方を任したのかも知れない。


「後、何注文する?」


洋子が殆ど独断で注文を済ました後、沼田に念の為に確認する。

洋子はご機嫌な様子だ。


「ま、とりあえずそんな感じで……」


沼田は店員にそう伝えると店員は注文の品を確認した後、席の前から去って行った。



 沼田は今でも迷っていた。

その迷いは先ほどの洋子の「私たち」という台詞が原因なのは確かだが、仮に彼女が沼田に対して異性としての好意を持っていたとしたら、それはそれで彼にとって難しい問題になる。

彼女と上手く行けばともかく、上手く行かなかった時には事務所内での自分の立場すら危うくなるからである。

かと言って必要以上に彼女に対して距離を置く事も今となっては難しい。

それを想定出来る沼田は有る意味、非常に冷静な男なのかも知れない。


「そう言えば、沼田君、タル兄、どうだった?」


「思っていたより、話し易い感じかな? ただ……」


「ただ?」


「以前に、あの人の撮った写真を見た事があって……。

あの人の名前が書いてあるファイルが事務所にあるから……。

 その時の印象と全く真逆な感じ……、そんな印象かな?」


洋子の顔から笑みが消え、その代わりに「予想外」と書いてある。

確かに別れ際の沼田と遠藤との会話は、初対面とは思えないほど自然で、気心が知れた昔からの知人か友人のようにも見えていた。

それだけに「想定外」のコメントだったのだろう。

洋子の動揺を察した沼田は、


「いや、悪い意味じゃ無いから安心して」

優しくなだめる。

洋子の表情が少し和らいだのを見て話を続ける沼田。


「いや、もっと固い人かなって思っていた。

 嫌な言い方をすれば、神経質な人かな? 」


「神経質?」


「ああ、ただ今日の印象じゃ、そんな感じには見えなかった……」


「何でそう思ったの?」


「あの人の写真、あまりにもストイックで、スキが無かった。

 観る人間を追い詰めるような写真……。観てて息が詰まった」


黙って肯く洋子。

納得のいく答えを的確な表現で聞けたのか、洋子の表情は少し元に戻っていた。


「昨日、あの写真を観て、あの絵を撮った遠藤さんって、

 どんな人なんだろう?って思っていた……。

 正直、あの絵だけで遠藤さんの人物像を想像して、

 それが先入観になっていたみたいだ」


「それって、ハズレじゃないかも……。

 タル兄って有る意味、二重人格なのかな? って……」


黙る沼田。


「人に接する時は割と大ざっぱなフリをするけど、

結構ストイックな所、有る感じ…… 」


「具体的には?」


それを話そうとした時に店員がビールを二つ持ってきて、とりあえず乾杯をする二人。

その間が少し洋子を冷静にさせたのか、


「ま、いずれ解るでしょうね」


――今は言わない方が良いかも――


洋子はそう感じたのかも知れない。

ただ、端から見れば思わせぶりな表現だ。


「洋子さんらしいな」

「……」

「少し気になったんだけど、洋子さんと遠藤さんって従姉妹なんですよね?」

「ええ」

「歳、離れてません?」


沼田が少し前のめりになる。

その頃、店員が料理をどんどん運んで来て、それを摘まみながら聞く沼田がビールを追加した。


「そうね……。十五ぐらい離れてるもんね。

 でも貴子おばさんとお母さん、八つ離れてるし、私と姉も五つ離れてるから……」


「洋子さんのお母さんも末っ子で、洋子さんもまた、その末っ子なんだ」


何となく解ったような気がした沼田。

洋子に甘え癖が有るのには、そう言った理由が有るのだろう。


「ただ遠藤さん、何で『遠藤』さんなの? 婿養子?」

続けて軽い気持ちで聞く沼田。

聴いた瞬間、洋子の表情の変化から地雷を踏んだ感覚を覚え、少しデリカシーが無かったかと後悔したが、ここでその問いを引っ込める事が良いのか悪いのかが解らない為、トボけるように出てきた料理を遠慮無くガツガツ食べ始めた。


「んんん……、少しデリケートな話なんだけど……」


「別に言い難かったら言わなくて良いよ。

 と言うか、洋子さんに聞くより遠藤さんに聞くべきだったかな?」


沼田は意図的に食べる事に集中しているそぶりを見せながらそう答えた。

彼なりの気の使い方なのだろう。

こう言った時は下手にリアクションするよりも、デリカシーの無い男を演じ続けた方が話を流し易い。


「タル兄……、養子なの。

 元々孤児で、小学校三年の時におじさんに引き取られて……」


「ごめん。やっぱり聞かない方が良かったかな?」


「どの道、直ぐに解る事だから……」


「いや、何となく解っていた……。多分、そうじゃ無いかなって?」


「……」


「だって遠藤さん、社長と専務のどちらにも似てないし、

 それにあの下手な関西弁……。

 専務も社長も関西弁は使わないし……。

 ま、聞かなかった事にするよ、その方が良い」


沼田の言葉に肯く洋子。


「ただ、これ以外でもデリケートな話があるの。

 聴く人と質問の内容、気をつけてね」


「具体的には?」


沼田の目は真剣だ。

洋子は明らかに何かを迷っているようだが、沼田の目を見つめた後、少し考えて、


「和兄の事…… 」


「和兄? 和夫さんって言う人の事?」


「ええ、タル兄の兄さん……。同じ歳の兄弟。

 あの二人の本当の子供だった人……」


「だった人……。確か、その人、亡くなったんだよね。

 今日の中田さんと遠藤さんの会話の中で『三回忌』がどうとか言っていた」


「ええ」

「何か問題でも?」

「……」


洋子の表情にまた地雷を踏んだ事を悟った沼田は


「ま、聴かない方が良いだろう。他には無い?」

と話を切り替える。


「ええ、とりあえずはそれだけ……」

「解った。約束する」


沼田はそう言って洋子の目を見て頷いた後、雰囲気を変える為に話を完全に切り替え、前の会社での失敗談を事おかしく話し始めた。

それに微笑む洋子。


それ以降、沼田は三島家の話を話題にする事は無かった。














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