表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仮称「四季」  作者: 赤原 藤尾
開戦
5/17

第1章 「起ー 2010年四月」 4

四    沼田


              一

その翌日、雨の中、白のアルファードは京都のシティホテルに向かっていた。

改装中のホテルからホームページ更新用の撮影の依頼があったからで、沼田がハンドルを握り、洋子が助手席、源太が後部座席と言う日常的な移動時の光景だったが、普段のような会話は成立していなかった。

洋子が昨日から気持ちの切り替えが出来ていない事が直接的な原因で、普段なら会話の途切れない車内のはずだったが、この日はまるでお通夜のような雰囲気だった。


「なんか変ですよ」


沼田が運転をしながらボヤいたが、意図的に少しトボけた声を使うのは洋子の表情が凍り付いている事を気にしてだった。

洋子と源太はお構いなしに窓の景色を見たまま黙っている。

恐らく源太はノーリアクションだが洋子の様子を気にしているのだろう。


「今日の香川さん、絶対変ですよ……」

トボけた口調を繰り返すが、洋子は全くリアクションがない。


「こんなに静かな香川さんって有り得ない。

 と言うか、暗いのか機嫌が悪いのか体調が悪いのか、どっちなんです?

 いつもなら煩いくらいなのに、何か気持ち悪いなあ……」

「……」

「洋子さん、何か有ったんですか?」

あえてここで沼田は初めて「洋子さん」と呼んだ。

意図的に距離感を詰める効果を考えたのだろう。

「……」


「おまけに今日、化粧濃いし……、

と言うか、濃すぎるでしょ」


と、さらに戯けて見せる沼田。

次の瞬間、「パシッ」と言う音と同時に洋子の右手は沼田の太ももに手が伸びていた。

引っ叩いたのである。


「えっ?」

痛さより驚きの方が先に来たようだ。

ただ洋子はひっぱたいた後、また何事も無かったように外を見ている。

少し笑う源太に対しやりきれない表情を見せる沼田だったが、


「だから昨日、『お前も気を付けろ』って言っただろう」

人懐っこい表情で沼田を見ながら呟く源太。

意図的に複雑そうな表情を見せる沼田だが無表情に遠くを見続ける洋子は、やはり思っていたよりも深刻な感じだった。


「信じられない。昨日までは普通だったのに……」

沼田がまたボヤくが洋子は話をしようとしない。


「何、ふてくされているのか……」

沼田を無視してそれぞれ考え事をする二人。

以下、沼田が大きな声で独り言を繰り返す。

「これだから女の人は……」

沼田が話の流れでこのような台詞を吐いた時、

「パシッ!」

その台詞が気に障ったのか、洋子がまた沼田の太ももをひっぱたいた。

驚く沼田。

洋子の顔を見た後、


「暴力反対!」


やっと自分の方を向いて少し微笑む洋子を見てホッとしたのか、沼田は微笑み返したが、恐らく源太はそんな沼田の姿に少し頼もしさを感じていたのだろう。


              二

 現地に到着後、洋子と源太が打ち合わせの為に別室に移った為、沼田はひとり、未だ保護シートによって覆われた椅子に座ってそれが終わるのを待っていた。

何かの手違いが有ったのか、本来、撮影するはずだった部屋や施設の多くはまだ保護シートに覆われていて撮影できる状況にはなっていない。

周りには施工業者や関係者が所狭しと忙しく作業をしているが思ったように作業が進んでいないのか、怒号に近い声だけは聞こえていた。


普段ならこんな時、自分のカメラを使ってライティングの勉強をしながら時間を潰すのが沼田のスタイルだが今日は違っていた。


どうやら「答えの無い考え事」をしているようだ。


人はひとりになって無駄に時間を弄ぶようになると「要らない事」を考えてしまう物である。

やはり今朝の洋子の様子が気になるのだろう。本人の前では「無神経な沼田」を演じていたが、昨日の源太と洋子のやり取りを知らない沼田にとって洋子の今朝の変貌は予想外だったと同時にかなりショックだったようだ。


――一体、何が有ったんだ…――


貴子だけではなく洋子まで動揺していると言う事はこの会社に「深刻な何か」が起こっている事は明確で、恐らくこれから自分にも大きな影響を与える物と覚悟はしていたが、この時、可能性の一つとして「会社の倒産」を考えていた。

二人が動揺を隠せないと言う事は「余程の事」で、自分に対して状況の説明は避けているのは明らかに「言いにくい」事なのだろうと予想したのだ。

ただ、それ以外にも可能性は有る上、「深刻な何か」が解らない以上、対策も打てない事も有って不安だけが膨らんでいた。

唯一救われるのは、現場入りし、クライアントに接している時の洋子は普段通りの仕事ぶりだった事で、まだ理性は失われていない事だった。


――やはり、社長に直接聞くべきかな?――


グダグダ悩んでいても何も始まらない……。

元々理系の頭を持つ沼田はこんな時は大抵、迷走を嫌う癖がある。物事をはっきりさせたがるのだ。

ただ、この時だけはそれが正しいのかどうかも悩んでいた。

と言うのは自分がまだここに来て2か月の「新人」で口出しの出来る立場ではない事を自覚していたからである。


暫くすると遠くの方から源太が呆れた顔をしながら沼田に近づいてきた。


「まだ時間、掛かりそうですか?」


それ程近づいていない状態で声を掛けたのは沼田の焦りが理由なのかも知れない。

この時の沼田はまだ自分の次の行動を決めかねていたが「深刻な何か」を聞き出す方向に傾いていた。

だがその迷いが表面化したのか眼は泳いでいて精彩を欠いている。


「ああ、あの様子だと……」

「そうですか……」


この時の沼田は源太にとっては未だ「さわやかな好青年」だけが取り柄のはずだったが、彼の最大の長所はこの日に限って影を潜めている。


源太はそれを感じ、

「多分、今日は無理だな。

 料理を撮るにも皿も揃っていないらしいし、壁もこの様子だ。

 撮れるモノが無い……。

 洋子が戻ってきたら引き上げよう」

と言って意図的に少し人間臭い表情を見せた。

多分、源太なりのやさしさなのだろう。


「そうですね。とても撮影が出来る気がしなかったです」

「ま、こう言う日も有るさ。こんな時は割り切って考えた方が良い…」


源太はもう一度沼田の不安そうな顔を確認すると、何か思いついたのか、

「それ(機材一式)持って付いてこい」

と声を掛け、沼田は

「あ、はい。わかりました」

と返したが殆ど顔にリアクションが無い。

「ここでボーとしていても意味がないだろ?」

「あ、はい」

沼田はまだ乗り気では無さそうだ。

「ま、良い。付いてこい」

恐らく源太は沼田の心境を正しく理解しているのであろう。


――何をするつもりなのだろう?――

沼田はついていく以外に選択肢はない様子だった。


             三

源太達はシートで保護された大きな扉を開けると大きな部屋に入っていった。

中は窓もなく真っ暗でどんな部屋か全く解らないが、源太が手探りで照明のスイッチを探し当てると最低限、中の様子が解る程度の明るさになった。


「ここは結婚式場だ…。

 と言ってもこの状態だと絵にはならないがな」


この部屋は内装の仕上げがほぼ終わり保護シートを外せばいつでも開業が可能な状態で、いかにも「今時の結婚式場」と言う創りだ。

恐らく源太は改装前のこの部屋に入った事が有る様子で、じっくり部屋を眺めていた。


「ほぼ出来上がってる状態ですね」


「ああ、ただ大体の雰囲気は見当つくだろ?

 今からこう言う部屋の撮り方、教えてやる…。

 よく見ておけ!」


「あ、はい…」

やはり気持ちが集中できないのか覇気の無い返事をしたが、直ぐに源太はポケットからレーザー距離計を取り出し、部屋の中を歩きながら室内の寸法を測り始める。

恐らくこの部屋のセンターにカメラを置きたいのであろう。


「良いか。撮る時の基本はシンメトリーにデザインされてる物はシンメトリーに撮る……。

勿論、他のカットも撮るが、一番最初に抑えておくところだ」


「あ、はい……」

源太は距離を測りながらそう言ったがまだ沼田の頭の中は整理されていないのか、教えてもらう準備が出来ていない。

だが源太はそんな様子を理解しながらも、

「ここにカメラをセットしてくれ、正面に向けて……」

「あ、はい」

沼田は源太が指示した場所に三脚を立てると源太が使うニコンD3をセットしようとしたが、


「お前のカメラで良い…。

 レンズは取り合えず24mm。」

と言葉を付け足したが、この時、沼田は源太の変化に気が付いた。


――お前――


普通に考えると「お前」と呼ばれるとイヤな印象を持つかも知れないが、この時の沼田は逆に親しみを感じた。

と言うのもこれまでは「沼田」と呼ばれていたが何処かよそよそしく距離の遠さを感じていたが、この時の「お前」は親しみを感じさせるニュアンスと感じさせるものだった。

考えてみれば源太は昨日から沼田に対して「お前」と使い始めているが、その時はそれ程気にはしていなかったのだろう。

その事に気が付いた沼田は言われたとおりに自分のニコンD700を三脚にセットすると水平を出した後、正面の壁がシンメトリーに写るように構図を調整し、源太の顔を見た。

そのカメラのファインダーを覗き込む源太。


少し構図を弄った後、

「もう一度覗いてみろ……」

と言って2、3歩下がった後、沼田の顔を見る。


黙って覗き込む沼田。


――確かに違う……。何が変わったんだ?――


確かにこちらの方が間違いなく「絵」になっている。

ただ、源太が触ったのは三脚のエレベーターとパーン棒だけだ。


――たったそれだけで、これだけ変わるのか?――


この瞬間、沼田は自分の目が覚めた事を実感した。


「普通、こんな絵は誰にでも撮れるって思っているだろ?

 だが実際は腕の差が一番出やすい構図でな。

 上手い奴はここで差をつける……。

 言ってしまえば『王道の構図』だからな……」


その言葉に黙って源太の眼を見ながら頷く沼田。

沼田が普段の「眼」を取り戻した事を確信した源太は話を続けた。


「まず、そのカット、一枚撮っておけ。

 後で何度でも見れるように……。

 そして撮り終わったら、前の壁を肉眼に焼き付けろ……」


「はい」

「慣れるまでは自分で距離を測ってこのポイントを押さえるんだ。

 自分のモノになったら測らなくても眼で解るようになる……。

 自分の『モノ』にするんだ」


「は、はい。解りました」


沼田はそう返事をすると言われたとおりに1カット撮影した後、源太からレーザー距離計を借りて真似をするように測りだし、最後に正面の壁を暫くの間、見つめ続けた。


どうやら完全に沼田はふっ切れたようだ。

と言うより今、自分がするべき事、しなければいけない事を悟ったようにも見える。

源太はその後、この構図のポイントを事細かに説明を始めたが、沼田は時にメモを取りながら真剣な眼差しで聞き入っていた。


「次にな……、こう言うモンを撮る時は、

『デザイナーの意図』を読み解く事から考えろ」

「……」

「ああ、『デザイナーの意図』だ。ここをデザインする人間が何を考えてデザインしたか?」

「……」


「例えば、狭い部屋を広く見せようとしてるのか、天井の高さを見せたいのか……

 その意図をしっかり汲み取って撮る……。

 ゴージャスに見せたいのならゴージャスに見えるように撮るし、

 シックに見せたいのならシックに見えるように撮る。

 デザインで魅せたいのか、質感で勝負するのか……。

『デザイナーの意図』に逆らって撮ってもロクな絵にならない。

 だからキッチリそのどおりに撮ってやるんだ」


 この時、沼田は源太のもう一つの大きな変化に気が付いていた。

と言うのはこれまでとは教え方が根本的に変わっている事だ。

これまでは「教える」と言うより「指図する」と言った感じで、そこに「根拠」とか「理論」の説明は無く、「自分で考えろ!」と言うスタンスだったが、今日の源太の説明は単に「技術」と言うよりは「物の考え方」を教えている。

事実、会話の内容の中で技術的な事はレーザー距離計の使い方ぐらいで、その大半は「理屈」だった。


「助手」としてではなく「カメラマン」としての考え方を教わった沼田は、この時、子供の頃にキャッチボールの仕方を教えてくれた父親の姿と重ね合わせ、何か懐かしい物を感じ取っていた。


             四

「話は一段落した?」


二人が部屋の真ん中で「写真談義」をしていると洋子がその部屋の入り口付近で声を掛けた。

どうやら話が途切れるのを待っていたようだ。


「なんだ、終わってたのか?」

「ええ、ついさっき……」

「そうか。良くここに居るのが解ったな……」

「ええ、前を通りかかったら中からおじさんの声が聞こえたから……。

 ここ(ドアが)、少し開いてたし……」

洋子の様子は普段と変わらないようにも見える。

仕事で少し気がまぎれたのだろう。


「そうか、悪かったな」

「どう?帰る?」

「ああ、そうしよう。

 沼田、帰る支度をしたらそのまま車で待っててくれ。

 話の続きは来週だ。どうせ来週、ここを撮る事になる。

 その時にきっちり教えてやるから……。

俺は専務に挨拶してくる」


「は、はい」

「ついでにちょっと小言を言ってくるわ。

 半日、棒に振ったんだ。それぐらいは言っておかないと……」

源太はそう言って沼田から離れると洋子の方に向かって歩き出し、洋子の方を軽く叩くと部屋を出て行った。


 洋子は沼田の方に歩き出すと、

「写真の写し方、教えてもらっていたの?」

と声を掛けた。

この日、洋子が初めて沼田に掛けたセリフだ。


「はい、今日はかなり熱の入った感じだった」

 この時、沼田はカメラをバックにしまいながら答えたが、これまで通り「敬語」を使うべきか「ため口」を使うべきか迷ったのか中途半端な「ため口」になったが、洋子は気にせず、


「やっぱりそうなの……。

 おじさんが「写真の撮り方」教えてるの初めて見た……」

「そうなんですか?」

 どうやら「敬語」に戻したらしい。

やはり気を使っているのだろう。


「ええ、沼田君が来る前にいた人、殆ど誰も教えてもらっていない……。

『助手』としての仕事は教えてたけど、『カメラマン』としては扱ってなかった……」

「……」


恐らくこの時、洋子は源太が自分の余命を知った事を確信したのだろう。

沼田は洋子の表情から心の痛みを感じ取り、暫く言葉を掛ける事を躊躇っていたが、


「俺にも昨日まではそうだった……」

この時、沼田は洋子に向かって自分の事を初めて「俺」と言っているが、洋子との距離感を詰める為に意図的に変えたのか、それとも自然と出てしまったのか……。

沼田の帰り支度が出来たのか、二人は部屋を出ると駐車場に止めている車に向かって歩き始めた。


「これまで何処行っても、ずっと「派遣」扱いだったからね……。

 ま、正直、そんな扱いは慣れっこです」

沼田はバブル崩壊の波を直撃した世代で、特に「就職氷河期」の中でも一番厳しい「仕打ち」を受けた世代である。

大学を卒業する時には一般的な企業はバブル崩壊で大ダメージを受けており、その多くは正規雇用をせず「派遣」とか「契約社員」と言う雇用に逃げていた為、沼田もここに来るまでは「派遣社員」と言う立場に甘んじてきた。


「……」

「何処に行っても『数年限り』……。

『使い捨て』感覚の採用しかされて来なかったからね。

誰も『育てる』と言う感覚では接してくれなかった……」

「……」

「とりあえず出来る事だけをやらせておいて、時期が来たら「さようなら」……。

そんな感じかな?

いつか『正社員に』……って思っていたら、

リーマンショックでいきなり『派遣切り』……」

「……」

「もう『派遣』はイヤだと思ってね。

何でも良いから『正社員』扱いしてくれる求人を探したら、

ここだった……って感じ。

だから今日の『社長の講義』……、すごく嬉しかった……。

俺はこれを求めてたのかな?って感じで……」

「……」


「今日教えてもらった事は忘れるかも知れないけど、

今日、こんな事が有った事は忘れないと思う……」

「……」

「嬉しかった……。本当に嬉しかった……」


ここは沼田に散って初めて安堵できる「居場所」になると思ったのかもしれない。


 



 






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ