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仮称「四季」  作者: 赤原 藤尾
開戦
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第1章 「起ー 2010年四月」 3


三    宣告

              一

 二人が事務所に戻ると洋子が一人、黙々とパソコン相手に作業を進めていた。


洋子が言うには、貴子は「買い物に行った後、直帰」だそうだ。

ただ、源太は洋子の姿を見て彼女の異変にも気が付いていた。


まるで先ほどの貴子のようにも思える。


何故なら普段の洋子であれば、どんなに忙しくても沼田や源太が帰ってきた時に顔を見ない事はまず無いが、その一方で沼田はそれに全く気がついていない。

と言うより眠たくて余裕が無かったのだろう。


「じゃ、今日は上がらせていただきます」


現像済みのフィルムをファイルに綴じて日付と整理番号を記入した後、嬉しそうに外に出て行った。


「お疲れ……」


モニターから目を離さず黙々と作業を続ける洋子。


――やはりおかしい――


源太はしばらくその様子を眺めた後、ブルゾン姿のまま席に座り、


「どうした?」


と仕方なく声を掛けたが、おそらく貴子の異変と同じ理由と言う事は見当が付いていた。


「ちょっと風邪をひいたみたい……」

「今日はもう、帰ったらどうだ?」

「明日の準備が……」


洋子は鼻声で、まだ目を合わせようとはしないし、あえて言うならそれを避けているようにも見える。

やはり先ほどの貴子と同じような仕草だ。


「どうせ明日は(洋子も撮影に)付いてくるんだろ?」

「は、はい、そのつもりです」

「打ち合わせは車の中でも出来るだろ?」


洋子はようやく目を合わせたが、自分の心の中が読まれている事を確信すると、自然と目から涙が落ちた。


「そうさせてもらって良いですか?」


たまらず席を立つ洋子に対し、黙って肯く源太。


「すみません…… 帰ります」


上着を手に取るとそのまま部屋を出たが、それ以外の対応が彼女には出来なかったと言うのが正解なのだろう。


 一人残された源太。

多分、二人の異変の理由を確信したのだろう。

椅子の背もたれに身体を任せると暫く上を見上げ、やがてケータイを手に誰かに電話を始めた。


どうやら白黒はっきりさせたい事があるらしい。


              二

 外は強い雨。何時くらいなのだろうか、周りは完全に暗くなっている。


営業時間が終わった事を表すように、「中田医院」の看板の明かりが消えた。


看板には内科、小児科などと書かれている所を見ると、昔ながらの一般的な小さな町医者なのだろう。

暫くすると自転車に乗ってこの建物を離れる女性が数名。

恐らくここの看護師の人なのだろう。


更に暫くすると診察室から出てくる白衣姿の男。

白衣姿のその男の名札を見ると名前は「中田健二」と書かれてあり、多分、年齢は源太よりは少し若く細身で少し神経質な感じにも見える。

その手前に有る居間ではテレビの前で寝転がってゲームをしている子供の姿があった。


「雄介……、おじいちゃんがもうそろそろご飯ですよ。

ゲーム、そろそろ止めなさい」


少し離れた場所から声をかける貴子の台詞でその子の名前が雄介だと解る。

雄介は見るからに元気な小学生で多分、5年生か6年生くらいか? まさに今時の子供で暇な時は例外なくゲームをしている。


通常、夕方の診療がある町医者の夕食の時間は遅い。

貴子と雄介は時間的な問題があって既に夕食を済ませているが健二は今から夕食である。

普段、健二はテレビを見ながら夕食をするのでテレビを空けるように指示をしたのである。


有りふれた日常の会話で違和感は無いが、貴子の心中が穏やかで無い事はその表情から読めていた。

雄介は何も解らず言われたままゲームを止めると振り返り無表情に二人を見ていたが、やはり雄介も異変に気がついたのだろうか?


「お疲れ様……」

「そっちこそ、お疲れ様……。 今日は疲れただろ?」

「……」

「顔に疲れが出てるよ……。 無理も無い」

「……」

健二が貴子を気遣うが、彼女は首を横に振った。


「さっき、源さんから連絡があって、今日、飲みたいって言ってるんだ。

 行っていいかな?」


あえて立ったまま話を切り出すが、実は洋子から電話で昼間の様子を聞いていて、貴子が昼からおかしかった事は知っていた為、言い難そうだった。


「もっと早く言ってくださったら…… ご飯、作ってしまってますよ。

 ダメって言っても行くんでしょ?」

反対していれば断ったのかも知れない。


貴子は行かせたくない様子だが、行かなければ話が進まない事も解っていて、彼女の複雑な表情がそのジレンマを物語っていた。


「行くって返事しちゃったんだ。悪いけど……」

「男の人って、みんな身勝手ね……」

「すまない……」


健二は貴子が賢い女性だと十分に理解していると同時に、感情と理性のバランスが一時的にとれていない事も理解していた。


――普段の貴子であれば、行っても問題ないはず――


そんな事を考えながらお伺いを立てていた。


「ね、少し聞いていい? 」

「ああ、」

「『あの話』、今日するの?」

「そのつもりじゃなくても、そうなるだろうな……」

「……」


「私が言わなくても、源さんはもう、解っているよ」

彼女の眼を見る健二。


貴子は視線を外し、そのまま悲しい表情で健二の台詞に聞き入っていた。


「それでも聞かれるだろうな。言わない訳にはいかないし……」

「辛い?」


見つめ返す貴子。

その眼には再び涙が見える。


「ああ。ただ、君よりはマシなはずだ……」


健二は貴子を抱き締める事しかできずにいた。


              三

 源太は駅前の安い居酒屋のボックスで、健二が来るのを呑みながら待っていた。

店の奥では大学生がコンパをしているのか、当然ながら周りは騒がしい。


 どうやら健二が店に到着したみたいで、源太の目からも遠目にその姿が確認できた。

健二は暫くキョロキョロした後、源太を見つけると真っ直ぐこっちに向かって来る。


「お待たせ……」

「先にやらせてもらってるよ」

「お酒はダメって、前から言ってるでしょ?」

「ここで酒を飲まなかったら、何を飲むんだよ?」


健二は一応、医者として釘を刺しておく必要はある。


「……」

「解ってるよ。あんただって解ってたんだろ?

 待ち合わせ場所が居酒屋なんだ。呑まない筈が無い……。

 今日だけだ……」


「今日だけ?」

ただ、「今日だけ」と言う人間に、それを守る人間を見た事が無い。


「本当に今日だけですよ……」

笑顔で釘を刺す。


「それより、そっちの方がシラフでしゃべれるのかよ?」

確かに健二の気の弱さから考えれば、その心配は正解なのかも知れない。


 店員がすぐに席に来た。

「とりあえず、同じものを……」

軽く答えると復唱した後、端末でオーダーを通して店員は去っていく。


少しして、

「いきなりで悪かったな」

と無表情に言う源太に対し黙り込むが、その沈黙の時間を直ぐに店員が終わらせる。

健二の瓶ビールを持って来たのだ。

こんな時に限って店員の反応が早い。

とりあえず健二のコップにビールを注ぐと二人はグラスをぶつけ、一気にそれを飲み干した。

源太が直ぐにまた健二のグラスにビールを注ぐ。


「そう言えば、息子さん、(名前)なんて言ったかな?」

どうやら世間話で硬い表情を和らげようと思ったのだろう。


「隆弘って言います」

「そうそう、隆弘君だったな。家を継ぐって?」

「ええ、先月から、うちで診察してます。

 ただ、まだ何処か危なっかしいですけど……」

「親から見たら、息子って幾つになっても、そう見えるもんだ」

「もう少ししたら、週二(回)ぐらい任せようかなって思ってます」

「と言う事は、夢の隠居生活まで、後もう少しって感じかな?」

少しは場の雰囲気に慣れたか照れくさそうに笑う健二に対して、微笑み返す源太だった。


暫く和やかな会話が続いた後、そこで源太の表情を変える。

「それで本題だが……」

二人の箸が止まった……。


「今日、ここに呼んだのは、はっきりさせておきたい事があってな……」

[……」


「医者と患者としてじゃなく、

女房を寝取った男と寝取られた男としての話がしたいと思ってな……」


健二のグラスにビールを注ぐと彼の眼を見る源太。

間合いをジリジリと詰め始めているのが誰の目から見ても解り、それを感じ取った健二は腹をくくったのか、一気に飲み干す。

「その話になると思ってましたよ。検査結果の話ですね……」

と言うのは、数週間前に源太は体調不良を訴え、健二の所で血液検査を受けたがその結果が思わしくなかった為、健二の兄が勤める大学病院で精密検査を受けていた。


「今朝、貴子に『今年の桜は終わりかな』って言ったら、

あいつ、声を詰まらせながら『あんた……』って言いやがった……」

[……」

「あいつが『あんた』って言ったのは何年ぶりかな?

 とにかく別れて以来でな……」

「……」

「まさか、あんなに動揺するとは思っても見なかった……」

「……」


「で、要するに、俺には、もう春は来ないって事か?」


険しい表情が事の重大さを物語っているが、健二に対する優しさか非常に遠回しな言葉を選んでいる。

健二が口が開くのを待つ源太。


――今から死の宣告でもするんだろうか?――


しばらく沈黙の時間が続いていたが、健二は覚悟を決めたのか、自分のグラスにビールを注ぐとそれを飲み干し、口を開こうとしたが、その瞬間、源太が店員を呼ぶ為のブザーのボタンを押した。


「いや、ビールが切れたから……」

笑って言い訳をするが、心の準備が出来ていない状態のまま聞くのが怖くて少し間を置いたのだろう。

店員が来る間、また沈黙の時間が続く。

健二にとっては言葉を選ぶ時間的な猶予をもらった感じで、この間が無ければ源太を傷つける台詞を選んでいたかも知れない。

頭をフル回転して言葉を探すが、店員はその直後に来て追加オーダーを確認すると直ぐに去って行く。


追加のビールが届いたと同時に腹を決めたようだ。

健二は乾杯の後、あえて口を開く。


「そうと決まったわけじゃない……」


――あえて結論を伸ばす――

この短時間の間に選んだ最良のコメントなのだろう。


「とりあえず入院しよう。兄が言うには、手はまだまだ有る……」

「……」


「医学は日々進歩してるんだ。

 昔は死の病だった物も、今がそうとは限らない。

 今がダメでも、明日がそうとは限らない……。

 私を信じてほしい……、最善は尽くす」


健二はまたグラスを空けた。


「入院したら治るのか? と言うか、助かるのか?」

「進行を遅らせる事は可能だ。

 この病気はまだ解らない事が多すぎて……」

「助からんって事か?」

「いや、わからないが可能性はある……」


「もういいよ……」

話を切る源太。ここで冷静に戻る為にグラスにビールをつぎ直す。


―一体、今日は何杯呑んでいるのだろう――


元々、酒に強くない健二だが、今日は酔いたくても酔えないみたいだ。少し間を置いて口を開く源太。


「貴子や洋子の表情を見てたらわかる……。

 もし……、もし助かるなら貴子があんなに動揺するかな?

 あんた、嘘が下手だな。

『先生』失格だ」


「源さん……」

 落胆する健二。既に疲れ切っているのが表情からも解る。


「いかに上手く嘘がつけるか……。

『良い先生』と呼ばれる奴は大抵、嘘が上手い。

 医者も政治家も学校の先生も、そして写真家もな……」


呆然とする健二。少し酔いが回り始めたようだ。

だが、源太は少し沈黙していた。その沈黙の長さが源太の動揺の大きさ、いや、絶望の大きさを表しているのだろう。


源太は暫くして、

「で、俺は後、どれくらい(生きられる)?」

と下を向く健二に語り掛けた。


「余命という言い方は使いたくないが、あえて言えば1年……。

だが、正直、解らない……。

半年かも知れないし、来年の夏まで持つかも……」


その台詞の後、暫く呆然とする源太。

薄々気がついていたが、改めて自分の死を直接口にされ、リアルにその時期が提示されると、覚悟を決めていたとは言え動揺しない人間などいない。

手前に置かれたおしぼりを握りしめ、感情を隠せない源太だった。


どれ位の時間だろうか、長い沈黙の後、少し冷静になったのか、

「後、俺はどれ位動ける?」

と問いかけ直した。

意味が解っていない健二は困惑の表情を見せ、それを悟った源太は、


「俺は後、どれくらい普通の生活が出来るんだ?」

と言い換えた。


「それも解らない。薬の効果がどれ位まで効くか……。

 半年かも知れないし、一年か……。 来月までかも知れない」

と、言葉を選ぶ。


「冬まで持たないか?」

その言葉の意味の深さを感じ取る健二は少し考えた後、

「『和夫君の命日まで』ですか……」

源太の言葉をそう置き換えた。少し考えた後、黙って肯く源太。


「今は最善を尽くすとしか言えません。

 それなら、もう少し協力的になって欲しい」


その言葉の意味を感じ取った源太は少し考えた後

「悪いが明日の夕方、みんなを事務所に集めてくれないか。

 今後の話がしたい」


遠くを見つめながらそう呟いた。


「解りました。手配します」

少し表情を元に戻す健二。何か手応えがあったのだろうか? 源太も少し微笑む。


「ただ、頼みますから入院を考えてほしい。

 最善を尽くしたい、友人として……」


「そうやって俺から自由を奪うのか?

 死ぬのは怖いが、病院のベッドの上でじっとして死を待つ方がもっと怖い。

 確かに家族や周りの連中は少しでも長くって考えるだろう。

 だが、それは周りの連中を満足させるためだけで、

 俺の生き方じゃ無い」


すぐには言葉を返せない健二。少し考えた後、


「そうじゃない。和夫君の命日まで持たせるんでしょ?

 だったら、こっちの言う事も聞いて欲しい。

 それで無くても保証出来る状態じゃ無いんですから……。

 だから……、だから、今すぐ結論を出さないで欲しい」


と応戦する健二に対し、聞き入る源太。

健二は自分が興奮している事に気が付き、少し落ち着く為に間を置いて話を続ける。


「今日の結論が最善とは限らない。

 明日は明日で、別の手段が見つかる事もある。

 その時になってみないと、最良の結論って解らない……。

 だから一緒に明日を信じましょう。

 必ずもっと良い結論が見つかるはずだ」


悲しそうな表情でそう言い切ったが、源太は少し考えた後、冷静に、


「悪いが、俺は『籠の中のカナリア』にはなれない……」


と言って席を立つと伝票を持ち、健二の肩を一回叩いて去っていく。


健二はただ天井を見上げる事しか出来ないでいた。







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