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仮称「四季」  作者: 赤原 藤尾
開戦
14/19

第2章 「承ー2010年5月」 1 琵琶湖

 第二話          五月


 

 第二章   承


  五月


 一             琵琶湖


               一


 澄み渡る青空。名神高速を降りて瀬田川沿いを北上すると、その辺りでは横断幕の文字から察するにレガッタの大会が開かれているらしく、湖岸の歩道は人で埋まり、ざわめきが普段とは違う景色と雰囲気を醸し出していた。

 ゴールデンウイークのこの時期、それでなくても混雑する湖岸道路を黒のヴェルファイアが北へと走っていく。運転席には遠藤、助手席には源太だが、二人はシマノのキャップに偏光サングラス、メッシュの多機能ベスト――普段の姿からは想像もつかない“釣り仕様”で、まるでトーナメントの選手のような格好だ。


「あと30分ぐらいかな」


 渋滞を抜けたところで遠藤がハンドルを握りながらつぶやいた。助手席側の窓の外には朝の光を受けてきらめく琵琶湖。すでに多くバスボートが浮かんでいる。


「少し遅かったかな? もうこんなに船が出ているとは……」

「ゴールデンウイークだからな」


 源太は落ち着かない。船着き場まで待てない子供のように、そわそわと湖を見つめている。


「船はちゃんと予約してるのか?」

「当たり前だ。俺を信用しろ」


遠藤が鼻で笑う。


「お前が船舶の免許を取っていたとはな……」


 これまで二人が釣りに行くときは必ず和夫が船の手配から操船まで全部やっていた為、遠藤はただ乗っていればよかった。だが和夫がいなくなった今、その役はおれがやらなければいけないという自覚があった。


「和夫がいない今、誰かが船を出さないといけないからな。雄介にバス釣りを教えるためにも……」


濃い色のサングラスが遠藤の表情を隠している。


「お前、船の操縦、大丈夫なのかよ?」

「任しとけ。すでに十回くらいは乗っている」

「何だ、お前、俺に黙ってここに来てたのか?」

「ああ、松下ともよく来ている。松下の息子……隼人君って言うんだけど、かなり筋が良いよ。

 松下より釣っている」


 本来、遠藤は釣りにそこまで興味が無く、いつも源太と和夫に連れられて、ただ付き合っているだけだったが、今は違う。和夫の代わりを務めると同時に源太の“最後の一年”を支えるという覚悟が、遠藤を少しずつ変えていた。


 遠藤は少し間を置き、ふと源太に問いかけた。


「で、なんで雄介は明日からなの?」

「今日はサッカーの試合があるらしい」

「今日みたいな日に?」

「ああ。連休中でレギュラーの多くが旅行に行って休んでいるから大変だって言ってた。合流は夜になる」

「……」

「それに今日は船だろ?あの年頃の子が船に乗ったら、酔って釣りどころじゃなくなるだろう」


源太はやっと遠藤の方を向いた。


「隼人君は雄介と同じくらいの歳だが、船、まったく問題ないけど……」

「それに今日はお前と二人きりで白黒はっきりさせたいと思ってな……」


――二人っきり………何か、別の意図があるのか?――


「どっちがバス釣りが上手いか?」


あえて遠藤は茶化した。


「ああ、それもある。和夫がいた時は、あいつがいつも一番だったからな。

 あいつは写真よりバス釣りの方が上手かった……」


「あいつは写真家にならずに、バス釣りのプロになったら死なずに済んだのにな」


 遠藤はあえて軽い口調で言ったが、その言葉には重い。


――だが何故だろう……今日の二人は、親子というより“気心の知れた友人”に見える――


 源太が若く見えるからかもしれない。だが残された時間を前にして、この世に対する未練の裏返しでもあった。


「サシで勝負だ。どっちが大きいのを釣るか……数は関係ない。今日の晩飯を賭けよう」


 源太が遠藤の顔を覗き込む。


「大きさだな……。分かった。勝負だ」



               二


 貸しボート屋に到着すると二人は受付を済ませ、すぐに道具の積み替えに取りかかった。遠藤がヴェルファイアから降ろしたタックルボックスは四つ、竿は15本以上。しかも二人は迷いなくベイトタックルだけを選んでボートに積み込んでいて、スピニングは一切使う気がないようだ。


「今日は大物狙いですか?」


 普段とは違う遠藤の姿を見て、貸しボート屋の店主はニヤけながら声をかけた。遠藤のことは何度か利用しているから知っているはずだが、普段はここまで“大会仕様”ではない。


「いや、その気では無かったんですがね……晩飯代が賭かっていますんで……」


 照れくさいのか、トボけた返事を返す遠藤だったが、横にいる源太は完全に勇み足だ。


「昨日は橋の下で結構大きいのが釣れたそうですよ……」


店主が釣れるポイントを教えると、


「橋の下ですね?」


 源太が食い気味に聞き返した。ここで言う“橋”とは、おそらく琵琶湖大橋のことだろう。その目つきは完全に本気で、店主は思わず一歩下がって頷いた。


――完全に二人は戦闘モードに入っている――


「具体的には?」


 遠藤も負けていない。父親譲りの負けず嫌いが顔を出している。準備を終えると、二人はすぐに出発した。


バスボートは猛スピードで湖面を滑り、目的地へ向かう。普通なら“親子水入らずでバス釣りを楽しむ”と書きたいところだが、この二人に限っては違う。ここでは、”二人の戦いが始まった”と書くのが相応しい。


 激しく響くエンジン音と風を切る音……

 その中で源太は少年のように目を輝かせ、遠藤は静かに笑みを浮かべていた……





               三


 あれからどれほど時間が経ったのだろう……


きっと風が無いのか、夕暮れ時特有の琥珀色の空が穏やかな湖面に映り込み、傾いた陽が逆光気味に照らす為、全てがノスタルジックなモノトーンに見え、黄昏時の情緒を感じさせる。ある意味、琵琶湖が一番綺麗な時間帯なのかも知れない。


――黄昏の琵琶湖は、こんなにも美しいのか――


 そんな感慨が自然と胸に浮かぶほど、湖は静かで、優しく、どこか切なかった。やがて、遠くの水面にゆっくりと一隻のボートが現れた。

 その船が描く波紋は、琥珀色の薄い紙をそっと切り裂くように、まっすぐで、静かで、どこか儚い。逆光のためにシルエットしか見えないが、ボートの上に立つ二つの影は、間違いなく源太と遠藤だった。


 釣りを終え、ただ夕暮れの中を帰ってくる二人。その動きはゆったりとしていて、まるで時間そのものが彼らの周りだけ遅く流れているようだった。


――今日という一日が、二人にとってどれほど特別だったのか――


言葉にしなくても、そのシルエットがすべてを物語っていた。


 

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