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仮称「四季」  作者: 赤原 藤尾
開戦
13/19

第1章 「起ー 2010年四月」 12 菜の花

 十             菜の花


               一


 日曜の朝。雲ひとつない快晴の空の下、黒いヴェルファイアと白いアルファードが連なって走っていた。前を走る黒いヴェルファイアの運転席に沼田、助手席に遠藤。後ろの白いアルファードには線の細い男と源太、そして雄介が後部座席に乗っている。

 太陽の角度からして時刻は朝の十時前後だろう。車内にはエアコンの静かな風の音とタイヤがアスファルトを滑る低い響きだけが流れていた。


 遠藤は窓の外を見つめ、何か考え込んでいるようだった。


「ちょっといいですか?」


 ハンドルを握りながら沼田が遠藤に声をかけた。その声には以前のような緊張はもうない。一度、洋子を交えた三人で食事をした事で遠藤との距離がぐっと縮まったのだろう。


 遠藤もその声に肩の力を抜いたまま応じた。


「ん? どうした」


 視線はまだ前方の景色に向けたまま。だが声のトーンは柔らかい。


「今日のロケって、何か変な感じが……」

「ん?」

「ロケっていうより、何か”ピクニック”みたいな感じがして……」


 沼田の言葉に遠藤はゆっくりと視線を向けた。以前よりもずっと柔らかい表情で、あえてタメ口のまま首をかしげる。


「確かにそうだな。なかなか鋭いじゃないか。

 その通り、今日は”ピクニック”なんだ」


 ワザとらしく肩をすくめ、少しニヤけた顔で言ってみせる。


「やっぱ、そうですか……」


 沼田もつられて笑った。助手席と運転席の間に流れる空気は“気の合う先輩と後輩”に近い。


「最初からそのつもりだ。本気で写真を撮るつもりはない」


 遠藤の声は何処か晴れやかだった。昨日までの重さがほんの少しだけ薄れているように聞こえる。


「……」


 遠藤は短く息を吐き、フロントガラス越しに広がる青空を見上げた。



「今日の目的は雄介を楽しませる事でな……

 初めてだろ? 雄介」



 沼田は黙って頷いた。


「まずは、雄介に写真を撮る事の楽しさを教える……それが目的なんだ。

 だから今日は無理をしない。全部、雄介のペースに合わせる」


 遠藤の声はいつもの仕事モードの鋭さとは違い、どこか柔らかく温度があった。


「今回が日帰りなのも?」

「ああ、そうだ」


 この感じだったら何を聞いても良い様な気がした沼田は、


「それと、山崎さんって…… 山崎さん、初対面なんですが……」

 

と問いかけた。山崎とはもう一台の車のハンドルを握っている線の細そうな男の事である。見た感じ、年齢的には沼田に近い感じか?歳が近そうに見えるだけに気になるのはライバル心が理由なのか、それとも他に理由があるのか……


「そうだったな? あいつは普段、俺の助手をやってる子でな……」


 相変わらずトボけた口調だが少しトーンが変わった。


「長いんですか?」


「元々、和夫の所にいた子でな。和夫があんな事になってからは俺の所で面倒を見ている」


 その言葉に車内の空気が少しだけ沈む。


「……あ、そうか……、和夫の事も知らないもんな」


 遠藤は軽く笑ったが、その笑いはすぐに消えた。助手席の窓に映る自分の顔をちらりと見て、言葉を継ぐ。


「いえ、洋子さんから遠藤さんのお兄さんと言う話だけは聞いています。

 確か、亡くなられたとか……」

「洋子らしくないな」


 鼻で笑った後、言葉を吐き捨てた。多分、洋子と沼田の会話が想像出来たのか?


「亡くなられた事以外は何も聞いていません」


「そこが『洋子()()()()()』って……」


 先程までと違って少し表情が硬くなる沼田。あえて遠藤の顔を見ない。表情から何かを悟られる事を嫌ったか?


「……」

「そうか……。あいつは、親父とおかんの本当の子供でな。雄介の父親で、俺の兄貴……。俺と同じ歳の……。亡くなって、もう三年近くになる」


 言い終えた男の声は何処か遠くを見ているようだった。沼田は暫く黙ったまま、ゆっくりと頷いた。言葉を挟む余地などないと悟ったのだ。


「だから山崎は雄介との付き合いも長いし、扱いにも慣れてる。丁度いいと思って連れてきたんだ。雄介もアイツに懐いているしな……」


 淡々とした説明の裏に長い時間をかけて積み重ねられた信頼の重みが滲んでいた。


「そうなんですか……。それで、その……あまり詳しく知らないんですが、和夫さんって……」

「なんだ、洋子から本当に聞いてないのか? 

 洋子の事だから要らんことまで喋ってると思ってたが……」


 遠藤は半ば呆れたように眉を上げた。沼田は静かに首を振る。


「ええ。ただ、無理に聞くつもりはないです。何か……デリケートな話かもしれないし」

「そんな感じがする?」

「ええ」

 短い返事が落ちたあと、空気がわずかに張りつめた。


 遠藤はその気配を断ち切るように視線を落としながら、ぽつりと口を開く。


「……事故死でな。嫁さんと一緒に……」


 その言葉は、重く沈んでいく石のように静かに場の底へ落ちていった。沼田は息を呑む事すら躊躇われ、ただその余韻の中に立ち尽くした。


「確か奥さんの名前は京子さんだと聞いていますが…… 」

「ああ……」


 沼田の問いに遠藤は何かを確信した。


               二


 車は新緑が輝く山中の高速を抜け、いくつかのトンネルを潜った後、白色が美しい巨大な連絡橋に掛かっていた。雲一つ無い青空がこの白い橋の美しさをよりいっそう引き立てる。車がある程度速い速度で走っていても見える景色がゆっくりとしか変化しない事がこの橋の巨大さを物語っている。


「雄介、よく見ろ。ここは明石大橋と言って、世界で一番デカい橋だ。すごいだろう」


 源太がお爺ちゃん顔でうれしそうにそう言うと、多分雄介がこの橋を見るのは初めてだろう。フロントウインドウから見えるその巨大さに圧倒されていた。


「すごい、すごいよ!」


 やっぱり男の子だ。こう言った物に興味があるみたいで興奮している。


「ほんと、デカいですね」

「デカい、デカいよ!」


 山崎も同じように興奮しているように見え、雄介は通り過ぎた後も振り返りリアガラス越しに小さくなっていく橋を目で追いかけ続けていた。雄介のテンションが一気に上がったのが嬉しかったのか、源太も上機嫌だった。



 一行は淡路島に上陸すると少し山道を走って「あわじ花さじき」と呼ばれる観光施設の駐車場に到着した。

  雄介は上機嫌なのか源太の手を引っ張りながら入り口の方に急ぐが、遠藤達はそれを見ながら機材を下ろしていた。雄介のその姿に少し安堵する遠藤。やはり子供の扱いが慣れていないのか、少し不安なのだろう。


「雄介の感じ、どうだった?」


 横にいた山崎に念のために確認する遠藤。


「ええ、バッチリでしたよ。さすが松下さんですね、つかみOKです」


  笑顔で答える山崎だが、その話にはウラが有った。と言うのも独身の遠藤には当然ながら子供がおらず、しかも雄介が自分にあまり懐いていない事も分かっていた。だから今回のロケに関しては事前に松下へ何度も相談していたのである。

 特に今回は“初の試み”だった。子どもを主役に据えた撮影など遠藤にとって未知の領域だ。場所選びひとつにしても慎重にならざるを得ず、頭を悩ませていた。

 そんな遠藤に松下が勧めたのがこの”菜の花の丘”だった。松下は同僚である以前に“パパ”であり、子どもの扱いに慣れている。

 数年前、自分の子どもをここへ連れてきた事が有るらしく、そのときの反応を思い出して言ったのだ。


「ここなら絶対に食いつくぞ」


 その言葉には経験に裏打ちされた確信があった。実際、雄介は菜の花の海を前に目を輝かせ、風に揺れる黄色の丘を見てはしゃいでいる。


――松下の読みは、やっぱり当たっていた――


 遠藤はそんな雄介の姿を見ながら胸の奥でそっと安堵の息をついた。


「そうか、良かった」


 ニヤける遠藤。さい先は良さそうだ。


  一行がこの施設の中に入ると、そこは丘の上で見晴らしのいい景色が広がっていた。この施設は季節ごとにさまざまな花が植えられ、訪れる人々の目を楽しませてくれる。今の時期は菜の花が見ごろで、ピークを少し過ぎているとはいえ、黄色の海はまだ十分に力強く、丘一面を鮮やかに染め上げていた。

 丘の上に立てば瀬戸内海が一望できる。潮風が頬を撫で、遠くの水平線がゆるやかに揺れている。ただそこに立っているだけで胸の奥の曇りが晴れていくようだった。

 そして何より、青空の存在感が圧倒的だった。先ほどは明石大橋と美しいコントラストを描いていたが、今は菜の花の黄色とぶつかり合い、さらに鮮烈な景色をつくり出している。


 一行はしばらくその光景を堪能した。辺り一面、明るい黄色と淡い緑の世界。陽光を浴びて輝く菜の花は、まるで風に合わせて呼吸しているかのようだった。源太は雄介の手を取り、散歩するような足取りで撮影ポイントを探して歩く。残りの三人は機材を担ぎ、その後を追う形だ。もっとも、撮影ポイントを決めているのは源太ではなく、どうやら雄介の気まぐれらしい。


 雄介が立ち止まると源太がその場を見渡し、すぐに判断を下す。


「ここだ」


 短く指示を受けると遠藤が頷き、沼田と山崎は機材の入ったバッグを地面に下ろした。三脚を開き、レンズを取り出し、手際よくセッティングが始まる。


 菜の花の香りが風に乗って流れ、機材の金属音がその中に溶けていった。


 遠藤は雄介のために新しく用意した入門用のデジタル一眼を箱から出すと源太と雄介の目の前で組み立て、ストラップを取り付けると雄介の首に掛けた。


「雄介、こっちに来い」


 源太の顔は、すっかり“おじいちゃん”のそれだった。嬉しさを隠しきれず、雄介にカメラの簡単な使い方を説明しているのだが、肝心の源太自身が分かっていない部分も多い。結局、途中から遠藤が横から説明を引き取ることになった。

 もっとも、遠藤は昔から子どもの扱いが得意ではない。説明がやや堅苦しくなるたび、山崎が横から柔らかく補足を入れ、雄介の表情を和らげていた。そんな三人のやり取りが、菜の花の丘に穏やかな空気を広げていく。


 雄介も上機嫌で、時折、風に揺れる花のように笑っていた。


 やがて準備が一段落すると一同は撮影を開始した。沼田と山崎はそれぞれの持ち場で撮影を進め、源太と遠藤は雄介に付きっきりで指導を続ける。

 暫くして雄介がカメラを覗き込みながら首をかしげた。どうやら操作で分からないことが出てきたらしい。小さな足で”とととっ”と源太の元へ駆け寄り、袖を引っ張る。


「ねえ、これ……どうするの?」


 その声は、春の光に溶けるように柔らかかった。


「お前、何でこんなカメラ買ってきたんだ?」


 最近のカメラに疎い源太は雄介の質問に答えようとして言葉に詰まった。ボタンの位置も表示の意味も、どうにも腑に落ちない。その戸惑いをごまかすように、隣の遠藤へボソリと愚痴をこぼす。遠藤が呆れたように返すが、その声にはどこか笑いが混じっている。源太のカメラの持ち方も、どう見てもぎこちない。初心者用のデジタル一眼を触るのは初めてで手の中で落ち着かず泳いでいた。


 明るい雰囲気の中、二人のボケとツッコミが軽やかに弾む。雄介はそんな二人を見てクスクスと笑っていた。遠藤はようやくカメラを受け取り、モニター表示からファインダー表示へ切り替える。その瞬間、雄介の目がぱっと輝いた。


「わっ……見える!」


 ファインダー越しに広がる菜の花の海。その光景に雄介の小さな身体がわずかに震えた。


 源太がそのカメラを受け取ってファインダーを覗いてみると、


「中の表示、老眼で何て書いてあるか全く解んねいじゃないか……」


 と笑顔混じりに遠藤を責める源太。源太自身も楽しそうだ。それが解る遠藤も笑顔で説明しながら雄介に視度の合わせ方を説明し、とりあえず雄介に撮影をさせる二人。雄介がはしゃいでいるのか、子供の笑い声が響き渡る。


 雄介がとりあえずシャッターを切ると、背面モニターに映し出される絵を見て


「綺麗に撮れてるじゃないか」


 と煽てる源太と遠藤。とにかく雄介の笑顔が見られているだけで源太は満足なのだろう。遠藤は源太のその姿を見て安堵する。


 暫くして雄介が撮影に少し飽きたのを見計らって撮影を開始する遠藤と源太。その間、雄介の面倒は山崎が見ている。



 自分の撮影が一段落した遠藤は源太が撮影している姿を沼田の横で遠目に見ながら、


「親父のウエストレベル(腰の高さにカメラを構え、上からファインダーを覗く姿)、久しぶりだな……」


 と呟いた。

 確かに最近では珍しい姿でもある。源太に限らず、最近のデジタル主体の撮影現場では見る機会が減った光景で、以前はプロっぽい構え方として人気もあったが、左右逆像と言う事もあって初心者には取っつきにくい撮影スタイルでも有った。今後はさらに見る機会が減るだろう。


「え、そうなんですか?」


「ああ、親父は普段、デジタルかビューだろ?最近、親父は()()()(中判の一眼レフ)のカメラは使わない」


「確かに言われてみれば、銀塩の写真を撮る時は大判ばかりですね」


「実はあのカメラ、俺のなんだ。それを昨日、いきなり使いたいって……。

 蛇腹に穴が開いてないか、必死でチェックしたよ。

 ここ8年ぐらい、使って無かったから……」


「……」


「レンズが一本、シャッターに粘りが出ていてアウトだったけど、

 今使っている250mmは大丈夫だし、蛇腹も何とか使えそうだった」


「……」


「親父の本音は大判でじっくり撮りたいが、

『あまりチンタラしていると雄介がゴネるだろ』って……

 多分、写真を撮るのが目的じゃ無くて、

 撮ってる姿を見せるのが目的なんだろう。


 自分の姿を雄介の目に焼き付けたのかな?」


 黙って聞き入る沼田。遠藤は煙草に火をつけ、


「余程、雄介に後を継いで欲しいんだろうな……


 ただ、全てを教えるには雄介は余りに幼すぎ、

 一年は余りにも短すぎる…… 」


 と語ったが、その寂しい眼が沼田には印象的だった。




               三


 撮影が一段落し、車に戻る為に暫く歩いている途中、何かを思いついたのか、急に足を止め、遠藤を見る源太。


「渉……、悪いが、この辺で雄介とのツーショット撮ってくれ」


 周りは一面、菜の花特有の明るい黄色で埋め尽くされた、最高のバックだった。明るい表情の源太の声に


「わかった、わかった。ちょっと待ってくれ」


 と明るく答える遠藤。担いでいた三脚からカメラを外すと撮影の準備を始め、


「親父、そこに雄介と一緒に立って……

 山崎、24~70mm(にいよんななじゅう)と、フラッシュを…… 」


 と言って、レンズの交換を指示し、走って持ってくる山崎。

 レンズを交換し、フラッシュを取り付けるとカメラの設定を何か所か変えた後、


「とりあえず、テストショット、撮るから……

 親父、しゃがんで。そう、雄介の顔に近づいて」


 と笑顔で指示し、手持ちで何カットか撮影をした後、テストショットを背面モニターで確認し、微調整を繰り返した。


「そしたら撮るよ。笑って」


 そう言って本番のカットを数枚撮影した後、カットの確認をして源太にそれを見せるために近づく。背面モニターでカットを確認する源太。


「上手く撮れてるじゃないか」

「誰に向かって言ってんだよ。当たり前じゃないか」


 笑う一同。一応、遠藤もプロカメラマンだ。下手では話にならない立場の人間でもある。


「じゃ、ついでに俺のアップも撮ってくれ」


 そのままの表情で軽く言う源太。


「OK、OK!」


 そのままの勢いで軽く答える遠藤。カメラを構え、アップを撮る為にズームアップする。デジタル一眼屈指の光学性能を誇るEOS―1DSのファインダーと、同じく標準ズーム屈指の描写性能を誇るこのレンズとの組み合わせが情報量豊かなファインダー像を見せる。

 構図を縦位置にする為にカメラを構え直す遠藤。遠藤は左目でファインダーを覗くが、右目を有効に使う為に、あえて縦位置専用のレリーズボタンは使わず、右手の親指で横位置用のレリーズボタンを押すスタイルで構える。


 その時、ファインダーから見える絵に何かを感じた……。


 黄色と黄緑が溶け合うようにボケて、その中に立体的に浮かび上がる源太の優しい表情……。出来上がる絵は当然ながら想像出来る。


 だが、その絵を想像した時に一つの疑問を感じた。


 ――この写真を撮る目的は何なのか?――


 それを考えた時、遠藤は一つの仮説を立てたと同時に表情を変え、一度カメラから顔を離す。少しの間、源太の顔を見る遠藤。頭の中には源太の葬儀会場に飾られている一枚の遺影の姿が思い浮かばれていた……。


 ――親父はここで俺に葬式用の写真を撮れと言っているのか――


 少なくても遠藤にはそう思えたが、あえてそう考えないように努力を試みる。だが、そのつもりで無くてもそうなる可能性は否定出来ない。


 頭の中がすっきりしないのか、あえて、


「まさか、俺に葬式用の写真を撮れって言うんじゃないだろうな?」


 と冗談っぽく言って確認する遠藤。源太のリアクションがどうで有れ、そうなる事は流れ的に大いにあり得る事で、それを想定しなければ行けない事を自覚はしているが、心の何処かで割り切れていないのも事実である。


「それも良いかも知れんな。その気で撮ってくれ」


 ――やはり源太は確信犯だった――


 そう思えたが遠藤は逃げたい気分だった。


 ――本来なら、この絵を撮るのは俺じゃ無い。和夫、お前の役割だろ――


 死んだ和夫に対して心でそう思いながらも自分に言い聞かせる遠藤。確かに和夫が生きていれば、遠藤は次男扱いだったし和夫は血も繋がっていた。そんな言い訳も考えていたが頭を切り換え、急に態度を変える遠藤。

 先程までの和やかな雰囲気が一変し、研ぎ澄まされたような目付きに変わる。


「山崎、135mm(いちさんご)135mm(いちさんご)持って来い。

 それと金レフ…… 金レフ、車に積んでるか?」


「いえ、持ってきてません」

 慌ててレンズを届ける山崎だったが、明らかに先程までの表情と違う遠藤に動揺を隠せないでいた。遠藤はレンズを交換しながら、


「馬鹿野郎! まあいい。そこにもう一発フラッシュを置け。

 ワイヤレスでたくから……。親父の顔に向けて!」


 そこに、遠藤の笑顔はなかった。菜の花の光に包まれた穏やかな空気の中で、ただ一人、彼だけが別の世界に立っているようだった。ストイックとは違う、むしろ、何かに追い詰められ、逃げ場を失った男の表情――そんな緊張が遠藤の横顔に張りついていた。先ほどまで雄介にぎこちなく笑いかけ、山崎にフォローされながら説明していた遠藤とは、まるで別人だ。

横で見ていた沼田も洋子が「ひょっとして二重人格……」と言っていた事を思い出して、思わず息を呑んだ。


「お前、何、焦ってんだ?」


 場を読んだのか、ワンテンポ間を置く為に笑い飛ばす源太。遠藤がこれ程動揺すると思っていなかったのか。少し驚いた表情も見せるが、ある意味、反省もしているのだろう。それに対して遠藤は巨大な壁と思えるくらいのプレッシャーを感じていた。


 ――これが父の遺影になる――


 そう思って撮る時のプレッシャーは半端な物では無い。たとえ赤の他人の写真でも、その人の生き様やその周りの人の心情を考えると、遺影と解っていて撮る写真は他のポートレートとは格別の「重さ」を感じる。それが自分の親、いや、それ以上の存在の人間の写真となれば尚更だろう。

 

 ただ、源太の少し態とらしい戯けた姿を見て少し冷静さを取り戻す遠藤。じっとその姿を見つめる沼田と山崎。


「親父、じゃ、テストカット、撮るから…… 」


 背面のモニターで確認をしながら何カットか撮る遠藤。見た感じでは冷静に見える。プロ意識か?


「じゃ、今から撮るよ…… 」


 そう言ってカメラを構えるが、ファインダー越しに見える源太のこれまでに見た事の無い穏やかな表情がそれの邪魔をする。今、源太が見せている表情が無邪気に思え、その表情に心を揺り動かされる遠藤。

 

 その中で遠藤は源太の眼を見て、あの時の眼を思い出していた……。





 あの時の事は今でも胸の奥にざらりと残っている。

 遠藤がまだ小学生だった頃――遠足の帰り、教室に呼び出され、担任と施設の係員に囲まれて問い詰められていた場面だ。


 事の発端は遠足の途中だった。和夫が持ってきたカメラを遠藤が取り上げ、そのまま地面に叩きつけた。乾いた破壊音が響いた瞬間、自分でも取り返しのつかない事をしたと分かった。怒られて当然で、言い返す言葉などひとつもなかった。


 ――器物損壊――


 その被害者の父親として学校に駆けつけて来たのが源太だった。遠藤少年は源太と和夫に無理矢理頭を下げさせられた。

 その時、源太が静かに問いかけた。


「坊主、なんでそんな事をしたんだ?」


 その声は怒鳴り声ではなく、ただ理由を知りたいという大人の声音だった。だからこそ遠藤は嘘をつけなかった。


「悔しかった……。コイツ、えらそうに『写真、撮ってやる』って……」


 その言葉の裏には、幼い心が抱えていた深い影があった…


 当時、遠藤は両親に捨てられ、施設で暮らしていたが、その施設の経営は苦しく、写真一枚の値段も当時は高かった。だからその施設の子どもたちの写真はほとんど残らない。あっても大勢で写った集合写真ばかりだ。


 友達の家にある、家族と並んだ写真や誕生日の笑顔が詰まった立派なアルバム……


 それらと比べるたびに、自分の薄っぺらいアルバムが胸に突き刺さった。


 ――自分には写してくれる人もいなければ、

   一緒に写ってくれる家族もいない――


 そんな遠藤にとってカメラを持つ事は夢のまた夢だった。施設の係員が十二枚撮りのフィルムを大切に一枚ずつ使っているのを知っていたからこそ、和夫が湯水のようにフィルムを浪費する姿に驚き、そして――嫉妬した。


「写真、撮ってやる」


 その上から目線の一言が、幼い心の堰を切った。


「……」


 しばらく沈黙が落ちたあと、遠藤は絞り出すように言った。


「おれも……写真を撮りたい……」


 その叫びに近い声に優しく応えたのが源太だった。


「おお、そうか。坊主、写真、撮りたいか?」


 怒るどころか笑みを浮かべ、優しい目で遠藤を見つめていた。その目は、遠藤が生まれて初めて見る“大人の優しさ”だった。


「うん」


 大きく頷く遠藤を見て、源太は嬉しそうに言った。


「分かった。写真を撮りたいんだな? 撮らしてやる。うちに来い!」


 その瞬間、遠藤少年の世界に、初めて光が差した。


  その2日後、源太は施設に足を運び、遠藤を養子として受け入れる手続きを始め、遠藤は源太と貴子に育てられる事になる――


 その時のことを思い出しながら、遠藤は感情の高ぶりを誤魔化そうと何度も角度を変えてシャッターを切った。だが、誤魔化しきれるはずもない。気づけば自然に涙が頬を伝い落ちていた。

 鼻をすする音が菜の花の丘の静けさに紛れながらも、確かに周囲へ漏れ始める。


「……親父、笑えよ……」


 その声はファインダーの奥に沈んだまま震えていた。何かが心の奥のツボに深く刺さったのだろう。涙で真っ赤になった目をカメラで隠しながら鼻声で語りかける遠藤。それは源太に向けた言葉であると同時に、どこか自分自身へ向けた“命令”のようでもあった。

 源太は少し照れくさそうに、しかしどこか誇らしげに微笑んだ。静かな中、連写特有の断続的なシャッター音が響き続ける。


 その音に重なるように源太の目は――あの時と変わらない、あの優しい目のままだった。

その優しさが遠藤の動揺を決定的なものにした。胸の奥で押し込めていた何かが、もう支えきれなくなって溢れ出す。

 源太もまた、そんな遠藤の姿に何かを感じ取ったのだろう。人一倍、人なつっこい表情を浮かべ、まるで「大丈夫だ」と言うように微笑んだ。


「……親父……」


 その一言が、遠藤の限界を越えさせた。目から涙が溢れ、ついに前が見えなくなる。ファインダーの向こうが霞み、視界が完全に滲んだ瞬間――遠藤は、そっと撮影の手を止めた。


 菜の花の丘に、風の音と、遠藤の静かな嗚咽だけが残った。


 手が止まった遠藤の姿を見て源太は、


「お前、よりにもよって、俺の葬式の写真をデジタルで撮る奴がいるか!

 俺がデジタル嫌いだって事ぐらい知ってるだろ!そこのRZを使え」


 と言い放つがその表情は優しい物だった。涙を腕で拭きながら作り笑いをする遠藤。声が出ず、肯くだけで精一杯だったのだろう。


「昔から言ってるだろう?『デジタルは写真じゃ無い』って……」


 周りを笑わせたいのだろう。源太の精一杯の冗談だった。


「悪い、悪い。そうだったな」


 遠藤は微笑みながら山崎にカメラを手渡し、足早にそのカメラを取りに走った。




               四


 ロケが終わり、帰路につく為に車に乗り込む一同。源太は遠藤と一緒に沼田の車の後部座席に乗り込み、もう一台は山崎と雄介の二人きりになっている。


 走り出してすぐに、


「お前、いつもあんな感じで山崎を顎で使ってるのか?」


 冗談交じりに遠藤をイジる源太。ある意味、優しさが滲み出ているが、父親として遠藤をまだ子供扱いしているのかも知れない。


「そんな事ないよ。今日はどうかしてた……」


 ニヤける遠藤。久しぶりに聞く親の説教に何処か懐かしさを感じたのかも知れない。この歳で聞く親の説教は身に染みると同時に有り難さも格別で有る。


「お前、さっき撮ったカット、ここで見れるんだろ?見せろよ」

「解った。少し待って…… 今用意するから」


 遠藤はそう答えるとバックからノートパソコンを取り出し、その準備をした。

 暫くして起動が終わった後、メモリーカードを読み込ませると遠藤は源太に見せるファイルをチェックしながら、


「親父……、とりあえず、こんな感じかな?」


 と言ってパソコンの画面を源太の方に向ける。それをチェックする源太。穏やかな表情でそれを見る源太に対して、照れくさそうに源太を見る遠藤。やはりこの二人は何歳になっても親子なのだろう。沼田はバックミラー越しに遠藤の表情を見てそう感じていた。


「なあ、親父……、悪いがもう一度撮らせてくれないか?今日は機材の準備ができていなかった」


「心の準備だろ?」


 何も答えられない遠藤。言い方は優しいが、まだ親として子供に教えないと行けない事が残っているのか、少し厳しい感じに沼田には聞こえていた。

 苦笑いをする遠藤は返す言葉が見つからないのか?……源太はそんな遠藤の姿を見た後、少し間を置いて、


「なかなか上手く撮れてるじゃないか。これを使え。これでいい…… 」


 と、冗談交じりに撮り直しを断った。










                           第一話 終わり

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