毒舌メイドと星空
「お粗末様でした」
藤花と2人で夕食を食べた。今日の朝一緒に食べて欲しいと言ったからか、特に文句も無く一緒に食べてくれた。横の席に座っていたが、普通に距離は離れていたので、朝のあれはやっぱり夢だったのだろう。
一応、その事も聞いてみたりしたのだが、「何言ってるんですか? 私とご主人様のパーソナルスペースは半径2万kmです」と言われてしまった。どうやら僕の居場所は地球内に無いらしい。
「皿洗い? いえ、手伝わなくて結構です。愚鈍なご主人様は、リビングでテレビでも見ててください」
「そうは言っても何か手伝いくらい……」
「ご主人様はメイドを何だと思ってるんですか? 」
「君だけには言われたくない」
メイドさんとはもっと従順なものだと僕は思っていたのに、君に崩されたんだ! 全国の淡い希望と理想を持った男子高校生を裏切った罪は重いぞ。
「兎に角、そこに居られても邪魔です。お風呂でも入っていてください」
これ以上言っても仕事をくれそうには無かったので、僕は諦めて風呂に入った。入ってみて初めて気付いたけど、お風呂はいつも以上にピカピカに磨かれていて、浴槽には良い香りの入浴剤が入れられていた。一番驚いたのは、お気に入りのシャンプーやリンスの中身が全部補充されていた事だ。
……仕事は出来るんだな。
それからお風呂に入った後、脱衣場に寝巻きとタオルが準備されていた。
……全く気づかなかった。後で聞いたら、「足音は消してますから」と言われた。アサシンかよ。
「服用意してくれて、ありがとうね」
着替えた後、キッチンで作業していた藤花に言った。
「いちいち感謝されると私が困ります。まさかご主人様は私を困らせたくてやってるんですか? 迷惑なのでやめてください」
「被害妄想だ! 」
どうしてありがとうって言っただけで、ここまで言われなくちゃいけないんだ。額面通り受け取って欲しい。
「では、私もお風呂に入ります。……覗いたら殺しますから」
怖!
「それも生易しい殺し方じゃありません。足つぼの上に正座させて、岩を膝の上に少しづつ置いていきます」
「江戸時代の拷問! 」
石抱きの刑ってやつじゃんそれ。神経が切れて途中から痛みが感じなくなるとか。兎も角、気をつける事にしよう。理性を保って。
◆ ◆
「……様」
覗いた先は暗闇しか見えなかった。久しぶりにやったからかな、昔はもう少し上手かったと思うんだけど。
「……ご……様」
ネジも若干緩んでる。後でちゃんと治しておかなくちゃ。まぁ、これくらいの緩みなら調整に問題は無い。
「……ご主人様、聴こえてますか? (囁き)」
「ひゃっ!? 」
いきなり耳元で囁かれて、変な声が出た。
「気持ち悪い声出さないでください。耳元で呼んだだけじゃないですか」
藤花はそう言った。風呂上がりで頬が少し赤く染まっている。メイド服を着ているけど、寝巻きじゃないのか。
「……何ですか、ジロジロ見て」
「いや、着替えてもメイド服なんだなって」
「別に寝る時はちゃんと寝巻きにしますが、まだ仕事中なので。パニエだけは脱ぎましたけど」
「パニエ? 」
「スカートの下に履く物で、スカートをふわっとさせるアンダースカートです。あれがあると動きづらいんです」
「へぇ、初めて知った」
確かにさっきまでのスカートをふわっとしてた。ウェディングドレスとかもそういうのなのか。
「……ご主人様こそ、何をしてたんですか? いえ、目の前の物を見れば多少分かりますけど」
リビングの窓を開けて、僕達は今縁側に並んで座っている。
「星を見てたんだ」
目の前には1台の天体望遠鏡が鎮座していた。
「……星好きなんですか? 」
「昔、そういう部活に入ってたんだ」
「辞めちゃったんですか」
「うん」
「えっと、どうしてですか? 」
「方向性の違い……いや、方向性の間違いかな」
あんまり良い思い出じゃないけどね、と僕は誤魔化すように笑った。
「でもその時の知識だけは残ってるから、たまにこうして星を見てるんだ」
「ご主人様にしては、悪くない趣味ですね」
「珍しく褒めてくれるんだ」
「ええ、ご主人様に罪はありますが星に罪はありませんからね」
「つまり僕は罪な男って事か」
「うるさいです」
意味は同じでニュアンスは違うって感じ。
僕は望遠鏡の鏡筒に確かめるように触れながら、真上を見上げた。
「今日は……木星くらいしか見えないか」
「どれですか? 」
「そこのビルの上をずっと辿っていった所の明るい星」
僕は空に指を向けて、木星を差す。
望遠鏡に付いてる小型の望遠鏡みたいなやつが付いていて、ファインダーと呼ぶ。
まずはファインダーを覗いて、大まかに木星に合わせていく。
「……面白いですか」
藤花は隣までやってきて腰掛けた。ファインダーなレンズを覗いてるから姿は見えないけど、シャンプーの甘い香りが鼻を過ぎった。
「よし」
ファインダーを合わせたので、一旦ストッパーを止めて鏡筒の大きなレンズを覗き込む。
そして、出来るだけ真ん中に木星を合わせていく。慣れればそんなに難しくない。
「よし、出来た」
ストッパーを止めて、レンズから目を離す。
「見てもいいですか? 」
「うん」
藤花は僕の身体に若干覆いかぶさって、レンズを覗いた。さっきよりも距離が近くなってしまった。
「……何か明るい点があります」
藤花はレンズから目を離して、元の位置に戻った。まぁ、点にしか見えないのは仕方ない。運が良ければ縞模様が若干見えたりもするんだけど。
「都会じゃ厳しい」
「田舎の方がよく見えるんですか」
「街の灯りが少ないからね」
僕は座っているのを後ろに倒れて、寝転んだ。今度一緒に行こうねってナチュラルに言ったら怒られるかななんて考えてみたりする。
夜空を見ると、疎らにだけど幾らか見える。望遠鏡で写せるくらいの明るい星は特に無いけど。
「……そこ、掃除はしてますけど半分庭ですから寝転がると砂とか付きますよ。折角お風呂に入ったのに、ご主人様は愚かですね」
「い、言われてみればそうかも」
僕は両手を使って、身体を起こした。すると、今度は何も言わずに藤花が僕の方まで寄ってきた。そして、ほぼ密着する距離まで来た瞬間。頭を優しく掴まれて、後ろに一気に引っ張られた。
「うわっ!? 」
僕はまた、さっきまで寝転んで居たような体勢に戻る……が、後頭部の感触が違う。なんて言うかさっきよりも柔らかい。例えるなら抱き枕に抱き着いた感覚。
「……膝枕? 」
そう僕の頭は今、藤花の膝の上に置かれていた。
「勘違いしないで下さい。ここの床は硬いですから、その衝撃でご主人様の頭がもっと馬鹿になったら困ると思っただけです。他意も鱸もありません」
そうは言われましても……。試しに身体を起こそうと動かしてみたら、凄い勢いでまた膝に戻された。
しょうがない、今はこの体勢のままゆっくり星でも見ていよう。
「あれがリゲル シリウス プロキオン ポルックス カペラ アルデバラン」
独り言の様に呟きながら空を指でなぞる。
「順番に繋げて、冬のダイヤモンド」
それから、僕が色んな星を指さして正座を象っていくのを、藤花は目で追いながら、黙って聞いていた。