*9 シュレミナとクリス
クリスもまた、恵まれた生活を送れていた訳ではなかった。
街に助けを求めに向かった時、アレンが殿になってくれた。そのお蔭で賊の剣から逃れ、1人だけ助かったのである。
だが、裏を返せば自分が殿になっていたら、彼が生きていたのかもしれない。クリスは何度何度も、あの時を後悔する。自分が殿を努めれば良かったと。
シュレミナが生きていたという心の支えと贖罪、それが僅ばかりの精神を奮い立たせていた。苦しくても死なずに生き長らえていたのだ。
クリスはあの時、街に向かう途中、走り疲れ雨のせいもあり疲弊し気を失ってしまった。目が覚め現状を理解するまで、かなり時間は掛かった。だが、シュレミナの事を思いだし、今はゾットの屋敷に住み込みで働かせて貰っていた。
両親を失い職がなく何でもするから……と懇願し、娘マリアに気に入られ雇われていたのだ。
「クリス。呼んだらすぐ来なさいよね?」
マリアの部屋に急いで向かうと、不機嫌そうに向かえた。
元シュレミナの部屋は、マリアのモノになっている。壁紙から絨毯、家具、装飾品、すべてに於いて跡形もなくなっていた。
来るたびにモノが増えたり変わったり、父親ゾットに似たキラビヤかな部屋になっている。
「大変申し訳ありませんでした。マリア様のために、花を摘んでいた途中でしたので」
クリスは笑いたくもない気持ちを胸に隠し、微笑んでみせた。
そして、差し出したのは……シュレミナの好きだったアノ花。マリアのためではない。シュレミナのために摘んでいたのだ。
「面白い花だけど、つまんないのよねコレ」
自分のためと摘んできた花を見て、マリアはため息さえついていた。
1つの花に2色の花びらは面白い。だが、薔薇の様な派手な花を好むマリアにとって、この小さい花はまったく魅力的には見えなかったのだ。
「派手さはなくとも、愛らしく可愛らしいこの花は、マリア様にはとてもお似合いだと思いますけど……捨てましょう」
「待ってよ。何も捨てる事はないわよ。そこに飾るくらい許すわ」
クリスが踵を返し捨てる仕草をみせれば、マリアは惜しくなったのか、端から捨てさせる気などなかったのか、そう言って飾る様に命じた。
「ありがとうございます」
「……っ」
クリスがそう微笑んでみせれば、マリアは少し恥じらう様に顔を赤らめた。美形の少年が慕うように自分に微笑めば、さすがのマリアも気分は悪くなかった。
「少し、私と話す許可を与えるわ」
マリアは満足そうに微笑むと、クリスを客間のソファに勧めた。
「ありがとうございます」
再びクリスは微笑むと、シュレミナのために、憎んでいる者達に頭を下げてみせたのであった。
*・*・*・*・*
環境こそは違うが、互いにそんな地獄の様な日々を過ごしていた。それは何ヵ月、何年か続き、二人は恋に落ちていた。
元から好きだったクリスは勿論のこと。シュレミナにとっても自然の事だった。
元から優しかった彼は、ここにいる間も変わらず優しかった。シュレミナが痩せ細り輝きを失っても、彼は変わる事なく大切にしてくれた。
兄としての好意が恋に変わるのも、自然の成り行きだったに違いない。
*・*・*・*・*
ある寒い日の朝、シュレミナは高熱にうなされていた。元より悪質な環境で監禁されていたのだ。身体を壊さない方が不思議である。
熱に浮かされ目が覚めると、窓の格子の外が俄に騒がしかった。朝はまだ明けてはおらず、辺りはまだ白みかけてもいない。
静かな庭に、ザクザクと何かを掘る音がした。ここは、シュレミナが閉じ込められている場所があり、人はあまり寄っては来ない。だからこそ、人の声が聞こえるのが珍しくシュレミナの耳にも、ボソボソとだが話し声が聞こえてきた。
「……ロ……お前……加減しねぇから……」
「仕方ねぇだろ。まさか、あんな……簡単に……とは思わなかったんだからよ」
「ったく。しょうが……外に捨てたい……お頭にバレると面倒くせぇ。この辺に埋めちまおうぜ」
「だな」
「どうせ、玩具が……つなくなった……お嬢様は、新しい……貰えるだろうしな」
「「「言えてる」」」
どうやら、使用人だか警護の人達が、娘マリアの玩具を壊してしまった様だった。
バレると何かされると考え、人気のないこの場所に埋めて隠す算段らしい。笑いながら、何かを埋めている。
シュレミナは熱で頭をボンヤリさせながらも、何を埋めているのか格子から目を凝らしていた。しかし、この暗さと生えている雑草に阻まれ、気配からしか読み取れなかった。
しばらくして、見ているのがバレれば自分にも、危害が及ぶだろうと、シュレミナは格子から手を離した。そして、ベッドの隅で丸くなり大人しく時が去るのを待つ事にした。
――――今、クリスがここに……私に会いに来ません様に……と祈って……。
―――祈りが通じたのか、クリスは来なかった。
―――だが、次の日も来なかった。
次の日も次の日も……来ない日が続いたのだ。
勿論今までも、毎日来る事もあれば、2、3日空く事もある。だが、今日で5日が経とうとしていた。
そこまで来ない日は、今まで考えてみてもなかったのだ。
シュレミナは不安に怯えていた。彼に何かあったのか……と。
日付の印を付けている壁の傷をなぞり、どうしたのかと心配になっていた。病気に掛かったなか、怪我でもしたのか……。
―――コンコン。
久々に聞いた音だった。待ちに待っていた嬉しい音がしたのだ。
5日振りの音に、シュレミナはこんなにもホッとした事はなかった。
バタバタと音がするのも構わず、シュレミナは椅子を運んで小窓を覗いた。
「――ゴメン。待たせたね」
窓から見えたのは、紛れもなく大好きで大切なクリスだった。
「心配してたんだから!!」
シュレミナは涙を溢していた。
自分のせいで何かあったのではないかと、心配していたのだ。
「……風邪を拗らせみたいで寝込んでた」
そう言ったクリスは、まだ治りきっていないのか、いつも以上に顔色が酷く悪く見えた。
「え? 大丈夫なの!? 寝てなきゃダメ! あっ、お医者様には看せて貰ったの? 熱は?」
「姫、大丈夫だから」
心配そうにオロオロするシュレミナに、クリスは笑った。
そんな姿が可愛いらしくて、仕方がなかったのだ。
「もぉ、笑い事ではないのよ! 熱は?」
こんなにも触れられないもどかしさは、今ほど味わった事はない。熱を計ろうにもおでこにも、頬にも触れないのだ。
「ないよ。あっ、ほら。人が来る前にグラス貸して」
完全ではないのか、まだ蒼白い顔をしているクリスは、急かす様に言った。
彼の事は心配だけど、時間がないのも事実だ。クリスが来た事が知られる前に……と、シュレミナは慌てた様にグラスを持って来た。
「今日はお詫びに、シュレミナの好きな桃をいっぱい入れて来たよ」
このやり取りも、久々で嬉しく思うから不思議だ。
鉄格子越しの……不自然で温かいやり取りが、今は素直に嬉しかった。
「ありがとう、クリス」
痩せ細ったシュレミナは、それでも美しかった。
何も着飾ってなくても、どんな姿になろうとも、彼女は美しかったのだ。
「……は……に……」
誰かの来る声が聞こえた。
「また必ず来るから。迎えに来るから待っててね」
「……うん」
シュレミナとクリスの、短くとも愛おしい時間が過ぎてしまった。だけど、シュレミナはクリスの言葉を糧に生きていける。
―――幼いながら、2人は恋心を大切に育てていたのだった。