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アザランの花  作者: 神山 りお


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35/38

*35 罪



 そんな和やかな会話をしながらも、そろそろ別れの時が近付いている事に、皆は薄々気付き始めていた。




 そして、アザラン侯爵がふわりと動いた時ーー

「お、伯父様!! 私は何も、何もしていないのだから助けて!!」

 ゾットの娘マリアが、怯えながら助けを求めて叫んだ。

 今、開いている大広間の扉が、閉まってしまったら終わりの様な気がしてならなかった。

 だから、助けを求める好機は今しかないと感じ取ったのだ。



『……』

 アザラン侯爵はゆっくりと振り返った。

 怒る訳でもなく、笑いかける訳でもなく、ただただ無表情にである。

 マリアは、初めて見たアザラン侯爵の表情に凍り付いていた。無表情がこんなにも恐ろしいと、思った事がなかったのだ。

「お、義兄様。私も、私も助けて下さい!! 夫が勝手にやっただけで私は何もしてはいません!!」

 マリアが何に怯えているかも分からない母アマンダは、同じ様にアザラン侯爵に助けを求めたのである。

「……」

 ゾットは何も言わずに、下を向いてただ笑っていた。

 自分にすべてを擦り付ける妻に、呆れているのかもしれない。



「お、俺だって何もしてねぇ!!」

 ハッと我に返ったジャックも、妹達に追随する。

 確かにアザラン侯爵達は実体のない人間かもしれない。だが、意志疎通が出来る事に気付いたジャックは、優しかった彼なら話せば分かってくれると思った様だった。

「私達もゾットに頼まれて仕方なく!」

「本当は助けたかったのに!」

「私は何もしていません!」

 それを皮切りに使用人達も、自分だけはと口々に助けを求めたのである。

 誰一人として、謝罪や贖罪の言葉はなかった。

 ただ、自分だけが助かりたいと最期まですがる姿が、そこにはあったのだ。




『リリース』

 アザラン侯爵は、そんな姪達の言葉を無視し妻を呼んだ。

『はい。あなた』

『もし、私が姪っ子達を地下室に監禁していたら、お前はどうしたかな?』

 アザラン侯爵は、妻のリリースに問う。

 自分が弟ゾット達の様な事をしていたとしたら、どうしていたのかと。

『それは勿論、諌めましたわ』

 しない事は分かっている。だが、する訳がないという答えは求めていないと知っている。

『私は主なのにか?』

『主である前に私の夫。悪事を諌めるのも、妻である私の役目ですわ』

 リリースはニコリと微笑んだ。

 ただ、寄り添って生きていくだけが、妻ではない。夫が悪い事をしていたら、1番に諌めるのもまた妻の仕事だとリリースは言った。



『だそうだ、アマンダ』

 アザラン侯爵は冷笑し、アマンダをチラリと見た。

 侯爵の妻の在り方を問いたのだ。豪遊するために存在する訳ではないのだと。

「……わ……私は……夫が恐ろしくて、出来なかったのよ!」

 仕打ちが怖くて諌める事が出来なかったと、涙ながらに訴えたアマンダ。ここまで言っても彼女は決して、自分が悪いとは認めなかった。そもそもが悪いとは思っていないのかもしれない。

『ほぉ。恐ろしくて……か』

「は、はい」

『ならば、聞こう。アマンダが夫に怯えた姿を見た事がある者は?』

 アザラン侯爵は、顔面蒼白で膝を折る使用人達に問いた。

 日々、夫に怯えていたというのなら、同じ屋敷に住んでいる使用人の誰かが、1度くらいは見ていたハズである。



「「「……」」」

 皆、下を向いたまま無言であった。

 例え偽りだったとしても、ゾットに怯えていたと言ってもいいものである。そうすれば、アマンダを助ける事にもなるかもしれないのだから。

 なのに、皆はアザラン侯爵から顔を背け、真実も伝える事も嘘も伝えるつもりはなかった。関わりたくない様子が、ありありと出ていた。

「お前達っ!!」

 アマンダは使用人達を振り返り睨んだ。何故庇わないのだと。

 こんなにしてやったのに、何て仕打ちだとものすごい形相で睨んでいた。



「お義兄様、違うのです! この者達も怯えて」

 使用人達は使えないと見切りをつけたアマンダは、アザラン侯爵に慌てて命乞いをする。

 ゾットや侯爵の姿に怯えて何も言えないのだと、切々と訴えたのだ。

『夫に怯える様な貞淑な妻が、毎夜の様に夜会を開き、宝飾品で着飾るものかね?』

 アマンダの姿をわざとらしく、上から下まで見てやった。

 夫同様に、ポテリと出た腹に贅を尽くした様な姿。何処をどう見ても、夫に逆らえない様な容貌ではなかった。

『諌めない迄にしても、同じ様に着飾る必要が何処にある?』

「そっ、それは」

『贅を尽くした姿で命乞いをされても、興醒めだとは思わんか?』

「……っ」

 アマンダは唇を噛み、押し黙った。さすがに分が悪いと感じた様だった。

 身分相応として、この格好をしている。そう言い訳もしたい処だが、同じ身分のリリースが質素な服装をしていて言い訳が出来ない。

 使用人なら金を積めばどうにかなる。しかし、元はと云えばすべて彼等の物である。そして、生きてもいない彼等と、何で交渉すればいいのか。



『それに、先程から、お前達は口々に私達は "何もしていない" と言うが、それは本当なのか?』

 そう主張する皆を、目を細めてアザラン侯爵は見ていた。

 自分は悪くない。何もしていない。その主張が事実なのかを皆に問うのだ。

 本当に "何もしていない" のかと。



「ほ、本当です!! 私は地下室になんて、行った事もありません!!」

「お、俺だって行ってねぇぞ!!」

「「「私達も、地下室になんて行った事もありませんし、何もやっていません!!」」」

 マリアとジャックがここぞとばかりに、強く主張し始めると使用人達もそれに続いた。

 甥と姪は自分は本当に何もしていないのだと、やっていたのは使用人達であって自身は何も関わっていないのだと主張する。

 関わりを持たなかった数名の使用人達も、大袈裟に泣いてみせ、自分達はこの人達と違って何もしていないと口々に騒ぎ立てていた。

 事実マリアやジャック、主張した使用人数名も何もしてはいなかった。だから、嘘や偽りもない。

 だから、自分達は助かると安堵さえ感じていたのだ。



『行った事もない?』

「そうです」

「そうだよ」

『……という事は、助けようとした素振りもない……という事だね?』

 マリアやジャック達が安堵したのも束の間。その言葉にアザラン侯爵は目を細め、冷ややかに言った。

 地下室に一切行った事がないという事。それは、助けの手を差し伸べた事もないという事の証明だった。



「そっ、それはっ……ち、違います」

『違う?』

「お父様が怖くて、近付けなかったのです!!」

 このままでは命が危ないと、マリアは震え涙ながらに語った。父ゾットに地下室に行った事がバレたら折檻される。それが怖くて近付かなかったのだと。何度となく助けようとはしたと。

『だから何もしなかった?』

「そうです!!」

 アザラン侯爵が、自分は無実だと分かってくれたと、再びマリアは安堵した。

 だが、それは間違いだったと気付くべきだった。


『マリア』

「はい」

『ジャック』

「はい」

『何もしない事もまた、罪だと知りなさい』

 アザラン侯爵は、酷く冷たい声を放つ。

 何もしない事が良い訳ではない。何もしない罪もあるのだ。

「「え?」」

『お前達が何もしなかったから、幼き子が2人死んだのだよ』

 そう言ってアザラン侯爵は、愛娘シュレミナとクリスの頭を優しく撫でていた。

 しかし、マリアやジャックは目を見張り言葉を失っていた。

 その言葉の重さにやっと、理解出来た……とは思えなかった。だが、何もしない事でシュレミナが亡くなったと、今頃になって考え始めた事だけは確かだった。

 何もしなかったのだから、自分は悪くない加害者ではないと本気で思っていたのだろう。

 知っていて助けなかったのもまた "罪" なのである。それを、知るべきだったのだ。



「「「……」」」

 あれだけ助けを求め、騒いでいた者達が一斉に口をつぐんでいた。

 さすがの厚顔無恥の皆も、ここでまた "何もしていない" と言えば、どうなるかなど考えるまでもなかった。

 何かをしていた者達は、すでに諦め心が壊れていた。

 何もしていなかった者達は、何もしなかった事で亡くなったという言葉に、反論が出来なかった。

 自分達はクリスやシュレミナとは違い、街に出る事が出来た。シュレミナを助けられないとしても、誰かに知らせる事は出来たのだ。

 だからこそ、アザラン侯爵はシュレミナとクリスのために、動いた者がいるかと問いているのである。何もしていない、それは助けようとしなかったと同義なのだ。

 見て見ぬふりもまた、同じだとアザラン侯爵は告げていた。

 それに気付いた者達は、言い訳をすればする程に、状況が悪化すると口を閉ざしたのである。



『ここには、シュレミナやクリスのために、動いた者がいないと良く理解した』

 アザラン侯爵は目を瞑り、息を吐く。

 こんなにも、誰も何もしなかったのかと憤りを感じていた。それと同様に、もっと早くに動ければと心が痛んだのだ。

 謝罪も贖罪の言葉もない彼等に、アザラン侯爵は深く深く息を吐いた。少しは何かを聞けると、期待した自分が愚かだったのだ……と。




『終わりの始まりだ』




 アザラン侯爵は、誰も聞いた事のない声で独り呟いた。




 その瞬間ーー




 ゾット達の身体がビクリと硬直し、身体を動かす事も言葉を発する事も一切出来なくなっていた。

 助けてと声も上げられず、震える事も出来ない。ただ動かす事の出来た目だけが、これから起きるだろう絶望と恐怖に震えるしか、なかったのであった。






 

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