*3 アザランの花 (後編)
執事長ナザックによる語学の勉強が終わると、シュレミナは暇をもて余し始めた。窓に駆け寄り少し高い位置にある窓から、背伸びをして庭を見る。
「2人とも休憩にしましょう。シュレミナの勉強は捗ってるのかしら?」
ちょうど勉強が終わった頃、母リリースが侍女を1人伴ってやって来た。
侍女サリーの持つトレーには、紅茶とクッキーが乗っている。勉強を終えた2人のために、差し入れを持って来たのである。
「姫様は覚えが宜しいですよ。今は計算も教えています」
ナザックはニコリと微笑み、外を見るシュレミナを見ながら言った。
語学だけではつまらないかもと、最近は計算も教えていたのだ。シュレミナは面白いのか、楽しみながらドンドンと覚えていった。ナザックも教えて甲斐があるのであった。
「まぁ。計算まで? シュレミナ姫は覚えが早いですわね? リリース様」
テーフルに紅茶を置きながら、侍女サリーが嬉しそうに言った。
自分の仕えている屋敷の可愛いお嬢様の成長が、自分の事の様に嬉しくて仕方がないのだ。
「そうね。シュレミナは、婿でも迎えてアレンのサポートをしてくれたらいいわね」
夫同様に、大事な愛娘を嫁に出す気はなかった。
侯爵家の一人娘。産まれた瞬間から婚約の話は数多くある。だが、アザラン夫妻は一切遮断していた。
貴族にとって、婚姻が相手やその周りとの繋がりに必要なのは、重々承知している。しかし、家督を継ぐアレンにしても、家の繋がりよりも先に少しでも、相手に好印象を持てるかを重視させていた。
なので、貴族としては異例だが、15になるアレンにしても候補止まりで、婚約者はまだいなかった。
息子アレンでさえそうなのだ。愛娘のシュレミナに特に、相手を吟味するに違いない。
侯爵家に暮らす皆も、嫁がせて苦労させるくらいなら、婿養子を迎えて一緒に暮らして欲しいと願っていたのである。
母リリース、執事長ナザック、侍女サリーとシュレミナは、皆でテーブルを囲み紅茶とクッキーを食べていた。
普通とは少し……いや大分違うアザラン侯爵家では、使用人も混じってテーブルに付く事も多い。給仕係を侯爵家自らやる事さえある。
侯爵家ともなれば、厳しいのは当たり前。奴隷紛いの扱いさえも普通なのだ。だから、初めの頃はサリー達も、覚悟を決めて来たものだった。
だが、蓋を開けてみれば、しっかりと厳しい処もあるが、使用人達も家族と認めてくれた。その温かさに涙が出る程であったのである。
「おかあしゃま」
「しゃま?」
時おり舌ったらずになるシュレミナに、思わず笑みが零れる。
「あれ? ちゃま? しょま?」
シュレミナは自分で言って、何が言いたかったのか忘れ、首を傾げていた。
「 "さま" ですよ。姫」
執事長ナザックが、紅茶を飲みながらクスリと笑った。
「さま。"さま" あとでかごがほしいです」
シュレミナは両手でティーカップを掴み、ゆっくりと紅茶を飲んでいた。砂糖もミルクもたっぷりのミルクティーである。
「「……ぷっ」」
執事長ナザックも、侍女サリーも思わず吹き出しそうだった。
"様" ですよとは言ったが、様だけではないのだ。"おかあ" さまである。
「……さま……"お母" 様でしょ?」
リリースは苦笑いしながら、訂正した。
略すにも程がある。我が子ながら、可笑しくて仕方がない。
「うん。おかあ……さま。」
確認しながら言うシュレミナには、笑みが溢れる。
「なぁに?」
「あとでおはなをとりたいので、なにかいれものをください」
先程、窓から庭を見たら、あの蒼と白の花びらを持つキレイな花が、あちらこちらにたくさん咲いていた。だから、摘みたかったのだ。
「花。えぇ、いいわよシュレミナ。だけど、お花は "とる" ではなくて "つむ" って言うのよ?」
母リリースは、優しく言葉を教えた。
「 "つむ" 」
シュレミナは確認する様に呟いた。
「そう "摘む" 色々な言い方があるから、お勉強していきましょうね?」
隣に座る愛娘シュレミナの頭を、優しく優しく撫でた。
シュレミナは「うん!」と、可愛らしい笑顔で返すのであった。
*・*・*・*・*
名も知らない、蒼と白の花びらを持つ小さな花は、庭にたくさん咲いていた。背丈は10センチ程と低く、可愛いらしい花がシュレミナは大好きだった。
母リリースから、小さな藤の籠を貸して貰った彼女は、その花を一生懸命摘んでいた。
「おはなをどうぞ」
シュレミナは籠がいっぱいになると、使用人達に1輪1輪手渡していた。さながら花売りの少女の様であった。
「ありがとうございます!!」
使用人達は、可愛らしい花売りに皆笑顔を浮かべていた。
わざわざ来て手渡してくれる姫様に、心が温まるのである。だから、配っていると噂を聞いた皆は、そわそわし仕事の合間にシュレミナを探したりしていた。
そして、シュレミナが来てくれれば仕事の手を止め、ついつい集まり花を受け取りに行っていたのであった。
幸せを運ぶ可愛い妖精の様だと、使用人達は口々に言ったのであった。
「うちの姫は何をしているのかな?」
兄アレンは勉強の合間に、2階の窓から妹の様子を見ていた。花を摘んでは配る妹の姿に小さく笑う。
何をしても可愛いと思うくらい兄バカだけれども、ちょこまかして皆を笑顔にする妹は、尊敬もするし構いたくなって仕方がない。
「花を配っているんですかね?」
勉強を学ぶクリスは、隣で同じく見ていて笑っていた。
なんだか一生懸命なシュレミナに、顔が緩んでしまう。
「う~ん。良く見えないな。ここにも来るかな?」
「来るのではないですか?」
「来なかったらどうする?」
というか、皆に配っている様子なのに、ここにだけ来ないなんて寂し過ぎる。
勉強中なのに、ついつい待ちわびてしまう2人だったのだった。
*・*・*・*・*
「たいちょ~。おはなをどうぞ!!」
シュレミナは、警備にあたっていたガイド隊長を見つけ花を渡した。勿論、他の警備隊にも渡して来ていた。
「ありがとうございます。姫様」
ガイド隊長はその花を大事に受け取ると、胸ポケットに挿した。
後で花瓶に挿すか、押し花にでもしようと考えていたのだ。
「ふくたいちょ~もどうぞ」
「ありがとうございます」
リスト副隊長も同じく大事に受け取った。
可愛い姫様からの花である。大切に取っておこうと思ったのだ。
「可愛い花売りさん。お花を下さいな」
花を配っていると、後ろから優しい声が聞こえた。
父アザランが返って来た様である。娘の前に屈んで訊いていた。
「あっ。おとうさま、おかえりなさい」
父に気付くと、途端に花の様な笑顔を見せた。
「可愛い花売りさん。1つお花を下さい」
父は花籠を抱えるシュレミナに、もう1度優しく声を掛け右手を出した。
花売りの真似事をしている娘に、客として乗っかったのだ。
「ん~と」
「おいくらですか?」
アザラン侯爵が財布を出して尋ねれば、シュレミナはう~んとしばらく悩んでこう答えた。
「きんか1まいです!!」
「「高っ!!」」
「高いな」
元気良くいい笑顔で言ったシュレミナに、ガイド隊長達も父アザランも、目を丸くし思わずツッコんでしまった。
その辺に生えていた花1輪に、金貨は高すぎる。とんだボッタクリである。物の価値を少しづつ、教えていかなければならないと思った瞬間であった。
「ん?」
そんな父達をよそに、何事か全然分からない彼女は、可愛いらしく首を傾げていたのであった。
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