*20 指輪
シュレミナは庭で、ただただ空を仰いでいた。
先程まで、夜空には星が瞬いていたのだが、夜更けになるにつれ雲行きが怪しくなり始めると、同時に雨がポツポツと降ってきた。
冷たい雨はシュレミナの頬をかすめ、涙の様に濡らしていく。それは、彼女の辛く悲しい過去を抉り、まるで泣いている様だった。
ーーあの惨劇の日。
毛布に包まれ隠されていたシュレミナは、運よく難を逃れた。だが、惨劇は終わっていても、それは新たな悲劇の始まりに過ぎなかった。
彼女は、ガイド隊長達の手によって発見された。その後すぐに、面識もほぼない叔父のゾットに引き取られた。
家族に起きた惨劇を、ゾットに面倒くさそうに聞かされ、泣いても質問してもすべて「うるさい」と一蹴された。
あの惨劇を生き抜いた彼女に、温かい愛情は誰一人として向けてはくれなかったのだ。
「生き残っていたのか」それが、叔父に引き会わされた時に舌打ち混じりにボソリと呟かれた言葉だ。「無事で良かった」「生きていて良かった」そんな言葉は叔父からも、その妻や使用人からも聞かなかった。
従兄妹からにはものスゴく驚いた顔で「うそ。生きてたの?」だった。
シュレミナは深い深い悲しみを胸に押し込め、唇を噛み堪えるしかなかった。家族が突然いなくなった痛みは、心と身体を深かく抉り、感情を破壊していったのだった。
あの時、叔父達が温かく優しく迎えてくれたのであれば、少しは違ったのかもしれない。
傷口に塩を塗りつける処か、さらに抉る言動に、シュレミナは心を閉ざしてしまっていた。
それから、まもなくして地下室に押し込まれ監禁。泣き叫ぶ事も恐怖で忘れてしまっていた。
クリスが支えてくれなかったら、自分は自分を保てなかっただろう。それが良かったのか悪かったのか、シュレミナには分からない。壊れた方が何も考えずに済んだからである。
「姫。雨に濡れてしまいます。お部屋に」
シュレミナの肩に、ふわりと温かいブランケットが掛けられた。
「ありがとう」
"姫" と呼んだ彼女はライナという名で、とても優しく温かい女性だった。
新参者で、もう姫でもなんでもない自分に、心から優しくしてくれる。あの屋敷ではなかった事である。
「……お腹に子供がいるの?」
シュレミナは、ブランケットを掛けてくれた彼女の右手。小指に小さな指輪をしているのが目についた。
この地方では赤ん坊がお腹に出来ると、夫が妻に指輪を贈る風習があった。そして、それを貰った妻は右手の小指に指輪を付け、無事に産まれる事を願うのだ。
母リリースも付けていたらしい。母親が付けていた指輪は赤ん坊が産まれると、今度はチェーンを付けてネックレスにして掛けてあげるのだ。
シュレミナは無意識に、首元に手を伸ばした。ゾット達に何もかも取り上げられたが、これだけは取り上げられずに、今もシュレミナの首に下げてられていたのである。
「……いません」
彼女は……顔を背け、その右手の小指を優しく優しく撫でた。
愛おしくも悲しそうに、優しく撫でていた。
「……」
泣いている様な彼女に何も言わず、シュレミナは自分が掛けてもらったブランケットを掛けてあげた。
今の自分より、彼女の方が辛そうに見えたからだ。
「生まれていれば……5歳になっていました」
何処か悲しそうに笑い、空を仰いでいた。
「名前は?」
彼女の身体を抱き締めながら、シュレミナは訊いた。
話を逸らす事も出来たかもしれない。だけど、何故か無性に訊きたかった。思い出させ、彼女を悲しませる事になるだろう。
しかし、お腹の中で必死に生きていた、幼き女の子を知っておきたかったのだ。
「……レミ」
「……え?」
「姫の名前から頂いて、レミと名付ける予定でした」
それは、シュレミナの愛称だった。それだけで、お腹の子の父親が、自分を特別に想ってくれていたのが伝わった。
どんな人なのだろうか。自分の知っている人なのだろうか。シュレミナは複雑な表情をしながら、自分の指輪を触っていた。
指輪は赤ん坊がいた証。自分もこの指輪を捨てられない様に、彼女もまた、捨てる事なんて出来ないのだろう。
「男の子か女の子かも、まだ分からないのに……ガイドは……」
そう言うと再び愛おしそうに、赤ん坊がいたハズのお腹を撫でた。あの頃の楽しい想い出を、懐かしんでいたのだ。
「ガイド……の?」
シュレミナは目を見開いていた。
あれだけ一緒にいたのに……全くガイド隊長の事を知らなかったからだ。彼と一緒に遊んだ記憶は、ハッキリとある。だが、彼に家族や恋人がいた事をまるで知らなかったのだ。
「婚約した時にアザラン侯爵にお話して……赤ん坊が産まれた後、私も屋敷に住み込みで働く予定でした」
「……そう」
父の事だから、本邸か別邸で1番良い部屋を与えたに違いない。
もしも、もっと早くに赤ん坊が産まれていたら、確実にあの惨劇に巻き込まれただろう。しかし、惨劇に巻き込まれなかったとしても、結局赤ん坊は産まれなかった。
シュレミナは、どちらだとしても悲しい事実に胸を痛めていた。
「いつか……会おうね? 小さなレミちゃん」
シュレミナはライナの右手の指輪に、優しくキスを落とした。
シュレミナが今言える言葉はそれだけだった。
……今は会えない。だけど、生があれば死がある。いつか必ず会えるだろう。
「姫様……ありがとう……ありがとう」
ライナは、いない赤ん坊の存在を大切に想ってくれるシュレミナを、そっと優しく抱き締めた。どんな慰めよりも嬉しかった。
いないのにも関わらず、その存在を認め1人の人間として、尊重してくれた事が何より嬉しかったのだ。
ライナは、赤ん坊の名を "レミ" にした事は間違いではなかったと……ただ涙を流していたのであった。
*・*・*・*・*
「姫。どこへ行ってたの?」
部屋に戻ると、クリスが心配そうに待っていた。
「庭に……ライナさんに会ってた」
「ライナ……ガイドさんの恋人の?」
「……クリスは知っていたの?」
また、自分だけが何も知らない。シュレミナは自分の無知さを嘆く。
「たまたま。お館様……ファイル様にライナさんとの事を話しているのを見たんだ」
アレンに勉強を教わった帰りに、部屋に戻る途中耳にした。
あの時のガイドは忘れられない。恥ずかしそうに頭をガシガシと掻いて、恋人との結婚報告をしていた。
惨劇がなければアザラン侯爵は、あの屋敷で盛大にパーティを開いてくれたに違いない。
「……赤ちゃんがいたって」
「あの夜の事がショックで、流産してしまったらしいよ」
「……そ……う」
シュレミナは唇を噛んで俯いた。あの夜、家族みたいに思っていた屋敷の人達だけでなく、まだ産まれてもいない赤ん坊まで殺されたのだ。
あの夜……何も知らず、何も出来ず、ただ眠っていた自分が酷く憎い。
「姫、シュレミナが嘆く事はないよ。悪いのはゾット達だ」
自分を責める様なシュレミナの肩を優しく抱いた。
彼女があの夜の事で責める事など、何一つない。悪いのは叔父のゾットであり、加担した仲間なのだ。
「……私が出来る事は……」
「皆に笑顔を……それだけで元気になる」
クリスはシュレミナの頭を優しく撫でた。
助かった今も、何故こんなにも心を痛めなくてはいけないのか。悪の権化は……あのゾットなのに……。
クリスは、シュレミナを優しく慰めながらも、心は復讐の炎で燃え盛っていたのであった。




