*10 邂逅 (前編)
ーーその日。
シュレミナは倒れる様に眠っていった。
クリスの無事を確認し、ホッとした事で気が抜けたのだろう。辛い現実より、見る夢は楽しい夢だった。
昔過ごした懐かしい夢。父や母……兄やクリスがいて、とても楽しかった頃の夢である。懐かしくて儚かった日々。
ーーふと、花の匂いが鼻を擽った。
いつもの部屋のカビ臭い匂いではなく。花の匂いだ。
そして、いつも気だるい身体は、この日はやけに軽かった。
熱が下がったおかげなのかもしれない。
そんなシュレミナの身体を、優しく擦る手の感触を頬に感じた。
「……ん」
誰かが中に入って来る事など、ほとんどない地下牢に、人の気配がしたのだ。
シュレミナは不思議に思いながらも、ゆっくりゆっくりと目を覚ました。だが、そこはいつもの天井はではなかった。
木の香りもする、何処か懐かしい匂いに包まれていたのだ。
地下室ではない。それは確かだった。ならば何処なのかと、辺りに視界を向けると安心する声が耳を擽る。
「シュレミナ?」
彼女の頬を心配そうに、とても優しい手が触れていた。
「……ん」
シュレミナはゆっくりと、まだ重い瞼を上げ声のする方向を見た。その声の主の姿を見て、改めて目を瞬かせる。
そこには……いるハズのない、彼の姿があった。
「ク……リス?」
シュレミナは目を疑った。いつもは鉄格子越しか会っていなかった。なのに今は、何故か目の前にいるのだ。
夢なのかと、何度も何度も目を擦って見たが、間違いなく大好きな彼だった。嬉しいというよりも、どういう事なのかが理解出来ない。
「そんなに目を擦ったら、目が真っ赤になっちゃうよ?」
くすくすと笑う優しい笑顔は、やはり彼……クリスだった。だが、笑っているのに、何故か泣いている様に見えるのは気のせいだろうか。
「どうして……?」
「それはね。シュレミナーー」
ーーその時、ガサリと音がした。
「話は後で……動ける?」
クリスはシュレミナの手を優しく握った。
「……うん」
ずっと、外にでもいたのか、彼の手はひどく冷たかった。その手に引き上げられる様に、シュレミナはゆっくりと立ち上がった。
不思議なくらい身体が軽い。熱が冷めたおかげなのかもしれない。
「あっ」
身体な変化に気付いた瞬間、こんなに近付いたらお風呂に入っていない自分は、臭わないかと無性に気になってしまった。
だが、シュレミナは自分の身の周りや服を見て気付いた。
新しくて綺麗な洋服だったのだ。いつものボロボロで臭う服ではなく、質素ではあるが可愛い洋服だった。
「……あぁ。洋服は……ちょっとね?」
シュレミナが何を気にしているのかが分かり、クリスは苦笑いしていた。
「クリス?」
どういう事だろう? とシュレミナは首を傾げた。
この屋敷の使用人がこんな洋服を、自分に用意してくれるなんてあり得ない。まさか……クリスが何処からか手に入れ、着がえさせてくれたのだろうか。だとしたら……恥ずかしくてそれ以上、強く訊けなかった。
それに髪の毛も、いつものゴワゴワした感じではなく、洗髪された様な感じがした。身体もザラザラしてはいなかった。黒ずんでいた肌も少しばかりキレイに見える。
まさか、身体まで拭いてくれたのだろうか?
シュレミナが顔を少し赤らめながら、不思議そうにしていると、クリスが人指し指を立てた。
「しっ……ごめん。後で説明するから俺に付いてーー」
ーークリスがそう言い掛けた時、男の野太い声がした。
「こんな所にいたのか、嬢ちゃん」
ーーそれが、2人が意識を失う前に聞いた言葉だった。
*・*・*・*・*
次に意識を戻した時には、ポカポカと暖かい部屋の中だった。
「おい。どういう事だよ。小僧も連れて来るなんてよ」
「仕方がなかったんだよ。マリアと一緒にいたんだから!」
「……ったく。大将が聞いたら怒るぜ?」
シュレミナの耳には、そんな男の人のやり取りが聞こえた。
その声にゆっくり目を覚ますと、隣にはクリスがいた。同じベッドに寝かされている様だった。先に目が覚めていたのか目が合った。何かを言おうとした彼女の口に、人指し指をあて静かに……と合図をしてきた。
シュレミナは分からないまま、小さく頷いてみせた。クリスに従っておいた方が賢明だと判断したのだ。
「……っ」
しばらくすると、ガンガンと階段を上がる音と震動が聞こえた。近付いて来たと肌で感じた瞬間、扉がバタンと乱暴に開いた。
「拐って来れたのか?」
「はい。しかし……その……」
手下と思われる自分達を拐った男は、言いずらそうに口を濁した。
そして、言いにくそうに視線を動かし、ベッドに寝かされているシュレミナ、クリスに目をやった。
「……は? これがマリア? マリアじゃねぇぞ!! 誰を拐って来やがった!」
横たわる少女を見た瞬間、リーダーらしき男の怒号が、地鳴りの様に部屋に響いた。
そうなのだ。マリアの髪は赤茶色の髪。シュレミナは輝く様な金髪。見た目にも全く違うのである。
「え!? 大将が言った、アザラン侯……ゾットの娘はこの娘でしょう!?」
話を聞いている限りだと、どうやらゾット侯爵の娘マリアを拐おうとしていた様だった。
あの屋敷で、少女といえばマリアしかいなかった。だから、ゾット侯爵の娘を拐えと言われ、この娘だと勘違いしてしまった様だった。
まさか、もう1人娘がいるとは思ってもみなかったのだ。
クリスはたまたま一緒にいたのと、騒がれては面倒なので拐われた様であった。
「違う! あの男の娘の髪は赤茶色だとーー」
あれ程言っただろう……とリーダーらしき男は言いながら、シュレミナに近付き目を見張った。赤茶色ではなかったが、どこか懐かしい髪色だと……。
「……まさ……か、シュレ……ミナ? ……シュレミナ姫か!?」
震える声で男は言った。目の前にいる彼女が、信じられない様子であった。
赤茶ではなく、輝く様な金色の髪。そして……こちらを見据える父親似の蒼い瞳。
そこに居るのは、夢でも良いから何度逢いたいと願っていた少女、愛おしいと想っていた大切な姫だった。
「大将?」
そのただならぬ様子に、手下、部下達が眉をひそめていた。
こんな大将は見たことがなかったのだ。
「シュレミナ姫!」
大将は目を覚ましていたシュレミナを、愛おしそうにゆっくり優しく、壊れない様にと抱き起こした。
逢いたいと願い、ずっと逢えなかった少女が自分の触れられる所にいる。
昂る気持ちが抑えられず、震える手でそっとその顔を改めて確認すると……
やっぱり……と呟き、気付けば目には涙が溢れていた。
「ガ……イド? ガイドなの?」
シュレミナは、聞き覚えのある声に目を見張った。
髪型こそ違うが、彼の少ししゃがれた声と厳つい顔、そして酷く目立つ右目の傷に見覚えがあった。彼は警備隊の隊長だった、あのガイドだったのである。
右目の傷は、以前盗賊から女性を助けた時の傷。治りが悪く、傷が残ってしまったと聞いていた。
「姫……姫っ……良くぞ……良くぞご無事で……」
優しく抱き締め、尚も歓喜に震え泣いていた。
何度逢いたいと願った事か、そのたびゾット侯爵家に追い出され、一目見る事すらままならなかったのだ。もう死んだのではとさえ思い始めていた。
その大切な少女が、今 目の前にいる。心と魂が歓喜に震えていたのだ。
「ガイド隊長。姫が潰れるよ」
すでに目が覚めていたクリスが、隣で困った様に笑っていた。
あれから年月が幾分か経ったとはいえ、彼女はまだまだ幼い少女。加減をしていたとしても、潰れそうな勢いでいたからだ。
「お前はクリスか! 良く生きていたな!」
「ぐえっ」
歓喜に震えるガイドに、クリスまで力強く抱き締められてしまったのであった。
*・*・*・*・*
しばらくして、落ち着いたガイド元隊長は涙を袖でゴシゴシ乱暴に擦り、再会を心から喜んでいた。
2度と会えないとさえ、思い始めていた矢先の事である。嬉しくて拭く傍から再び涙が溢れていた。
ガイド元隊長はあの事件の後、弟のゾット侯爵から解雇されていた。同じ様に、川の決壊に駆け付け助かった人達もまた……ゾット侯爵に再雇用される事もなく、皆チリジリになってしまっていたのだった。
村人達は、親戚がある者は親戚を頼り、ツテない者は自分の知り合いに懇願して雇用させて貰った……とガイド元隊長は言った。
「……良かった」
それを聞いたシュレミナは、心からホッとした様に微笑んだ。
心配していたのだ。川の決壊に行っていたため助かったと、話は聞いてはいたがあの後どうしたのか、どうなったのかなんて誰も教えてくれなかった。
クリスでさえ、元隊長のガイドがどうしたのか、耳にする事はなかなか出来なかったのである。
「……色々あって……な」
ガイド元隊長は辛そうにそう言うと、まずは食事だ……と2人を部屋のテーブルに促したのであった。




