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アザランの花  作者: 神山 りお


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10/38

*10 邂逅 (前編)



 ーーその日。

 シュレミナは倒れる様に眠っていった。




 クリスの無事を確認し、ホッとした事で気が抜けたのだろう。辛い現実より、見る夢は楽しい夢だった。

 昔過ごした懐かしい夢。父や母……兄やクリスがいて、とても楽しかった頃の夢である。懐かしくて儚かった日々。




 ーーふと、花の匂いが鼻を擽った。




 いつもの部屋のカビ臭い匂いではなく。花の匂いだ。

 そして、いつも気だるい身体は、この日はやけに軽かった。

 熱が下がったおかげなのかもしれない。

 そんなシュレミナの身体を、優しく擦る手の感触を頬に感じた。



「……ん」

 誰かが中に入って来る事など、ほとんどない地下牢に、人の気配がしたのだ。

 シュレミナは不思議に思いながらも、ゆっくりゆっくりと目を覚ました。だが、そこはいつもの天井はではなかった。

 木の香りもする、何処か懐かしい匂いに包まれていたのだ。

 地下室ではない。それは確かだった。ならば何処なのかと、辺りに視界を向けると安心する声が耳を擽る。



「シュレミナ?」

 彼女の頬を心配そうに、とても優しい手が触れていた。

「……ん」

 シュレミナはゆっくりと、まだ重い瞼を上げ声のする方向を見た。その声の主の姿を見て、改めて目を瞬かせる。




 そこには……いるハズのない、彼の姿があった。




「ク……リス?」

 シュレミナは目を疑った。いつもは鉄格子越しか会っていなかった。なのに今は、何故か目の前にいるのだ。

 夢なのかと、何度も何度も目を擦って見たが、間違いなく大好きな彼だった。嬉しいというよりも、どういう事なのかが理解出来ない。

「そんなに目を擦ったら、目が真っ赤になっちゃうよ?」

 くすくすと笑う優しい笑顔は、やはり彼……クリスだった。だが、笑っているのに、何故か泣いている様に見えるのは気のせいだろうか。

「どうして……?」

「それはね。シュレミナーー」

 



 ーーその時、ガサリと音がした。




「話は後で……動ける?」

 クリスはシュレミナの手を優しく握った。

「……うん」

 ずっと、外にでもいたのか、彼の手はひどく冷たかった。その手に引き上げられる様に、シュレミナはゆっくりと立ち上がった。

 不思議なくらい身体が軽い。熱が冷めたおかげなのかもしれない。

「あっ」

 身体な変化に気付いた瞬間、こんなに近付いたらお風呂に入っていない自分は、臭わないかと無性に気になってしまった。

 だが、シュレミナは自分の身の周りや服を見て気付いた。

 新しくて綺麗な洋服だったのだ。いつものボロボロで臭う服ではなく、質素ではあるが可愛い洋服だった。



「……あぁ。洋服は……ちょっとね?」

 シュレミナが何を気にしているのかが分かり、クリスは苦笑いしていた。

「クリス?」

 どういう事だろう? とシュレミナは首を傾げた。

 この屋敷の使用人がこんな洋服を、自分に用意してくれるなんてあり得ない。まさか……クリスが何処からか手に入れ、着がえさせてくれたのだろうか。だとしたら……恥ずかしくてそれ以上、強く訊けなかった。



 それに髪の毛も、いつものゴワゴワした感じではなく、洗髪された様な感じがした。身体もザラザラしてはいなかった。黒ずんでいた肌も少しばかりキレイに見える。

 まさか、身体まで拭いてくれたのだろうか?

 シュレミナが顔を少し赤らめながら、不思議そうにしていると、クリスが人指し指を立てた。

「しっ……ごめん。後で説明するから俺に付いてーー」

 



 ーークリスがそう言い掛けた時、男の野太い声がした。




「こんな所にいたのか、嬢ちゃん」




 ーーそれが、2人が意識を失う前に聞いた言葉だった。





 *・*・*・*・*




 次に意識を戻した時には、ポカポカと暖かい部屋の中だった。



「おい。どういう事だよ。小僧も連れて来るなんてよ」

「仕方がなかったんだよ。マリアと一緒にいたんだから!」

「……ったく。大将が聞いたら怒るぜ?」



 シュレミナの耳には、そんな男の人のやり取りが聞こえた。

 その声にゆっくり目を覚ますと、隣にはクリスがいた。同じベッドに寝かされている様だった。先に目が覚めていたのか目が合った。何かを言おうとした彼女の口に、人指し指をあて静かに……と合図をしてきた。

 シュレミナは分からないまま、小さく頷いてみせた。クリスに従っておいた方が賢明だと判断したのだ。



「……っ」

 しばらくすると、ガンガンと階段を上がる音と震動が聞こえた。近付いて来たと肌で感じた瞬間、扉がバタンと乱暴に開いた。

「拐って来れたのか?」

「はい。しかし……その……」

 手下と思われる自分達を拐った男は、言いずらそうに口を濁した。

 そして、言いにくそうに視線を動かし、ベッドに寝かされているシュレミナ、クリスに目をやった。


「……は? これがマリア? マリアじゃねぇぞ!! 誰を拐って来やがった!」

 横たわる少女を見た瞬間、リーダーらしき男の怒号が、地鳴りの様に部屋に響いた。

 そうなのだ。マリアの髪は赤茶色の髪。シュレミナは輝く様な金髪。見た目にも全く違うのである。

「え!? 大将が言った、アザラン侯……ゾットの娘はこの娘でしょう!?」

 話を聞いている限りだと、どうやらゾット侯爵の娘マリアを拐おうとしていた様だった。

 あの屋敷で、少女といえばマリアしかいなかった。だから、ゾット侯爵の娘を拐えと言われ、この娘だと勘違いしてしまった様だった。

 まさか、もう1人娘がいるとは思ってもみなかったのだ。

 

 クリスはたまたま一緒にいたのと、騒がれては面倒なので拐われた様であった。



「違う! あの男の娘の髪は赤茶色だとーー」

 あれ程言っただろう……とリーダーらしき男は言いながら、シュレミナに近付き目を見張った。赤茶色ではなかったが、どこか懐かしい髪色だと……。


「……まさ……か、シュレ……ミナ? ……シュレミナ姫か!?」

 震える声で男は言った。目の前にいる彼女が、信じられない様子であった。

 赤茶ではなく、輝く様な金色の髪。そして……こちらを見据える父親似の蒼い瞳。

 そこに居るのは、夢でも良いから何度逢いたいと願っていた少女、愛おしいと想っていた大切な姫だった。



「大将?」

 そのただならぬ様子に、手下、部下達が眉をひそめていた。

 こんな大将は見たことがなかったのだ。


「シュレミナ姫!」

 大将は目を覚ましていたシュレミナを、愛おしそうにゆっくり優しく、壊れない様にと抱き起こした。

 逢いたいと願い、ずっと逢えなかった少女が自分の触れられる所にいる。

 昂る気持ちが抑えられず、震える手でそっとその顔を改めて確認すると……

 やっぱり……と呟き、気付けば目には涙が溢れていた。



「ガ……イド? ガイドなの?」

 シュレミナは、聞き覚えのある声に目を見張った。

 髪型こそ違うが、彼の少ししゃがれた声と厳つい顔、そして酷く目立つ右目の傷に見覚えがあった。彼は警備隊の隊長だった、あのガイドだったのである。

 右目の傷は、以前盗賊から女性を助けた時の傷。治りが悪く、傷が残ってしまったと聞いていた。

「姫……姫っ……良くぞ……良くぞご無事で……」

 優しく抱き締め、尚も歓喜に震え泣いていた。

 何度逢いたいと願った事か、そのたびゾット侯爵家に追い出され、一目見る事すらままならなかったのだ。もう死んだのではとさえ思い始めていた。

 その大切な少女が、今 目の前にいる。心と魂が歓喜に震えていたのだ。



「ガイド隊長。姫が潰れるよ」

 すでに目が覚めていたクリスが、隣で困った様に笑っていた。

 あれから年月が幾分か経ったとはいえ、彼女はまだまだ幼い少女。加減をしていたとしても、潰れそうな勢いでいたからだ。



「お前はクリスか! 良く生きていたな!」

「ぐえっ」

 歓喜に震えるガイドに、クリスまで力強く抱き締められてしまったのであった。





 *・*・*・*・*





 しばらくして、落ち着いたガイド元隊長は涙を袖でゴシゴシ乱暴に擦り、再会を心から喜んでいた。

 2度と会えないとさえ、思い始めていた矢先の事である。嬉しくて拭く傍から再び涙が溢れていた。



 ガイド元隊長はあの事件の後、弟のゾット侯爵から解雇されていた。同じ様に、川の決壊に駆け付け助かった人達もまた……ゾット侯爵に再雇用される事もなく、皆チリジリになってしまっていたのだった。


 村人達は、親戚がある者は親戚を頼り、ツテない者は自分の知り合いに懇願して雇用させて貰った……とガイド元隊長は言った。



「……良かった」

 それを聞いたシュレミナは、心からホッとした様に微笑んだ。

 心配していたのだ。川の決壊に行っていたため助かったと、話は聞いてはいたがあの後どうしたのか、どうなったのかなんて誰も教えてくれなかった。

 クリスでさえ、元隊長のガイドがどうしたのか、耳にする事はなかなか出来なかったのである。


「……色々あって……な」

 ガイド元隊長は辛そうにそう言うと、まずは食事だ……と2人を部屋のテーブルに促したのであった。





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