*1 アザランの花 (前編)
その昔【アスタール】という王国の南の地に【ファクタール】という領地があったという。
その領地は、国王陛下の従弟の従弟、いわゆる再従兄弟が治めていた。
彼の名は【ファイル=アザラン】。すでに王籍からは抜け、侯爵の爵位を持つ人物であった。
この地は他の領地との物流も盛んであり、食材や衣類等、様々な物が街に溢れていた。色とりどりの花は咲き誇り、街を華やかにさせている。
この街はとにかく豊かで、繁栄していて賑やかだった。なのに納める税金は他の領地より少ない。それは、領地を治める侯爵のお陰であり、それを知っている人々は主にとても感謝していた。
近隣の領地は、盗賊などの凶悪な犯罪が多かった。だが、ファクタールは自警団を数多く配置され、そんな悪党共が自領地に入らぬ様、しっかりと管理され統治されていた。そのため、犯罪率も格段に低く、穏やかで住みやすい領地であった。
そんな住みやすい街にしたのが、この領地を治めているファイル=アザラン侯爵。
彼はとにかく穏やかで優しく温かい、まるで太陽の様な人であった。
アザラン侯爵は他の貴族とは違い、進んで政権には携わる事はなく、自分の領地を護るためだけに力を注いでいた。貴族としては珍しいくらいに、領地の民に寄り添い市民のために、心血を注いでくれた人だった。
そのため、領民にも愛され絶大な支持を得ていた。国王よりも支持があり、謀叛の疑いが懸からぬ様、政権に携わらないのではとの噂もあったくらいである。
すでに王家と除籍をしていたとしても、影ながらに支え、王族達にはとても厚い信頼を得ていた。
それを気に入らない周りの貴族達は、1度排除しようと目論んだ事もあったという。
どうにかして失脚させようと、何度となく調査したが、侯爵自身に謀叛の疑いはない。ましてや、横領などもある訳もなかった。
それ処か、調査している事が国王陛下の耳に入ってしまった。有らぬ嫌疑や疑い、噂を流し、万が一にでもこの地の反発を買えば、それこそクーデターになり兼ねない……と、国王陛下を筆頭に王族達に叱責され、危うく失脚するところであった。
それからというもの、貴族達は何かをした方が痛手となると考え、侯爵が何らかのアクションを起こさない限りは、周りの貴族達は何も言わなくなったのであった。
むしろ、彼を利用して、この地の利と市民の支持を自分達にも取り込もうと思案し始めていた。
そんな領地から深く愛されている侯爵を、ファクタール領地の人達は親しみをこめて "御館様" と呼ぶ事もあったという。
そんなアザラン侯爵に、待望の第2子が産まれた。
跡継ぎはすでに、アレンという立派な男子が生まれていた。だが、兄弟がいた方が賑やかだろう……と夫婦がずっと願っていた子だった。
アザラン侯爵が45歳、夫人38歳の時に産まれた子である。
高齢出産ではあったものの、母子共に健康で無事に元気な産声を上げていた。
その子は男子ではなかったが、とても愛らしい赤ん坊であった。
その娘は【シュレミナ】と名付けられ、たちまちアザラン侯爵家達や領民を虜にしていたのであった。
*・*・*・*・*
――――それから、数年後。
スクスクと育ったシュレミナは5歳になっていた。その彼女は今、屋敷の庭を探索している。
これは、シュレミナの日課となっているのである。使用人達に1人1人挨拶するついでに、広い屋敷の庭や部屋の中を見て回っていたのだ。
小さい彼女からしたら、何を見てもまだまだ新しい発見で、楽しくて仕方がない様子だった。
ちょこちょこと走り回ったりするシュレミナは、皆にとても愛されていた。そして、その庭を歩く愛らしい姿を、皆は小さな警備隊長みたいだと、微笑ましく見守っていたのである。
「クリス~。このはなは、なんていうの?」
庭を歩けば、この間とは違った新しい発見する事が多く、シュレミナは近くにいた庭師クリスに声を掛けた。
このクリスと呼ばれた少年は、まだあどけなさが残る10歳程度と見られた。彼は幼い頃に親に捨てられたのか、路上で死にかけていたので本人も両親や年齢等、あまり覚えていなかった。
なんの縁があったのか、この屋敷の嫡男アレンに拾われ今がある。
身分を証明するモノも、出身地さえも分からない彼を、アレンや父のファイルは温かく迎え入れた。今では庭師として仕事と、この屋敷の一角に部屋を与えられ、心身共に安寧した生活を送れていたのだった。
そんな温かい侯爵家の人達や、その娘シュレミナを大切に思わない人はこの屋敷にはいない。両親に似た穏やかな性格おかげもあり、素直で可愛らしく育っていた。
彼もそんなシュレミナに、穂のかな恋心に似た情を抱いていた。
「何でしょうね? 異国の花らしくて名前は知らないんですよ」
シュレミナの指を指した花は、6枚のハート型をした花びらを持つ可愛らしい花だった。クローバーにも少し似た、背丈も小さい花。
その花は、庭師であるクリスにも、誰が埋めたのか種が飛んで根付いたのかは分からなかった。ただ、その花の6枚の花びらは、白い花びらと蒼い花びらを合わせも持つ、不思議な花だった。
だが、不思議で可愛らしい花は、シュレミナをすぐに虜にしていた。
「ふ~ん? でも、かわいいからすき」
名前は分からない。だが、可愛らしい花を一目で気に入ったシュレミナは、その花に似合った愛らしい笑顔を彼に見せた。
クリスは、そんな少女の笑顔が眩しくて、思わず目を細めていた。
「なら。たくさん育てて増やしましょうね?」
「うん!!」
クリスは、この花がいっぱい増えた時に、彼女がまた喜ぶだろう姿を想像し、自然と微笑みが漏れていた。
侯爵家の大きな庭一面を、シュレミナの好きな花畑にしてもイイかな……と考えていたのであった。
そんな慎ましく楽しいひとときを、2人で過ごしていると、遠くからシュレミナを呼ぶ声が聞こえた。
「あっ! こんな所にいたのか、うちのお姫様は!」
困った様に笑いながら、兄アレンが小走りにやって来た。
どうやら彼は、あちらこちらと妹を捜し回っていたらしい。
「おにいさま!」
シュレミナはパタパタと走り寄ると、兄の胸に飛び付いた。
いつも優しく歳が一回り近く離れた兄が、彼女はとても大好きだったのだ。
「学園はお休みですか?」
クリスが頭を下げながら訊いた。
アレンはこの家を継ぐべく、学園に通っている。屋敷から通う事も可能だが、行き来が面倒なのと、馬車代を節約するため寮に入っていた。
だから、彼がここにいると言う事は、必然的に休暇という事になるのである。
「あぁ。夏の休暇に入るからな……あっ、丁度いいからクリスには休み中に勉強を教えてやろう」
妹のシュレミナを抱き上げながら、アレンは言った。
「え?」
「中等部の時より遥かに難しくなったぞ? 付いてこれるかな?」
驚いているクリスの頭を、シュレミナを抱く反対側の手で乱暴に撫でた。
名目は使用人だとしても、友人であり弟の様なクリスは、アレンにとって家族同様に大切な存在だった。
「え……でも、良いのですか?」
以前もそう言って勉強を教えてくれたが、自分は所詮使用人だ。
そのたかが使用人が、次期侯爵の嫡男に再び勉強を教わるなんて烏滸がましくてならなかったのだ。
「いいに決まってるだろう? お前は頭がいい。庭師もいいが、いずれ俺のサポートとして雇いたいんだよ」
父の補佐役をそのまま使うにしても、彼は父同様に若くはない。
いつか来る世代交代のために、早めに次代を育てて置きたかったのだ。
「僕が……サポート」
そんな事を考えてもらっていただなんて、恐縮過ぎたのだ。
彼のおかげでここに居られる。それだけでも充分過ぎるのにサポート役など、自分に務まる……いや務めていいのだろうか。
「この家は他とは違って実力主義だ。侯爵家の名を使って伸し上がれ」
アレンは楽しそうに笑った。
自分の爵位を利用しろ……という、とんでもない申し出である。
「……」
クリスは押し黙っていた。是も非も言えなかった。
利用していい。はい、分かりましたとは即答出来ない。上がりたい気持ちがないとは言わない。だが、彼を利用する事だけはしたくはないのだ。
「あ~あ。そんな気概のないヤツに、妹はあげられないな。他のヤツにあげちまうぞ?」
迷いを見せているクリスに苦笑いし、アレンは踵を返して屋敷の本邸に向かった。
クリスがシュレミナに、少なからず好意を抱いているのは知っていた。自分がいるから父はたぶん、妹シュレミナには好きな男に嫁がせるに違いない。
下手な貴族に嫁がせるくらいなら、このクリスに……と思っていたのだ。父もきっと賛同してくれるに違いない。
「あげちまうぞ~」
アレンに抱っこされているシュレミナは、訳も分からないのに兄の言葉を楽しそうに繰り返した。
「……っ!!」
そのシュレミナの屈託のない笑顔に、クリスはハッとし拳を強く握った。
シュレミナが誰かに、取られてしまう危機感をやっと抱いた様だった。その可愛い笑顔が、自分以外に向けられるのは悔しかった。
「べ……勉強を教えて下さい!!」
今になってやっと、その淡い恋心に気付いたクリスは、アレンの背に力強く叫んでいた。
「時間を割ける様に、父上には言っといてやる。俺は甘くないから頑張れよ?」
「はい!!」
クリスは今度こそは力強く頷くのであった。
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【聖女じゃなかったので、王宮でご飯を作ることにしました】も連載中です。
シリアスに疲れたら、コメディのこちらにお越し下さいませ。
( ・∀・)っ旦 ドウゾ
リンク貼れたらイイのだけれども……アナログな作者には高度な技が出来ません。
お手数ですが、上の小説情報からトンデ見て下さい。
(´・ω・`)