引き返すなら、今
「すまない、分からない」
遺跡の最寄りの町、その隅に門を構えるアバルキナ古代研究所。其処の主である黒髪で長身の考古学者ジェニース・アバルキナは眉を顰めてこう告げた。
その言葉に古文書を読んでいた俺は顔を上げ、オウム返しに尋ねる。
「分からない?」
「あぁ、そうだ。『ガシャ』について記された古文書の模写本やら文献を片っ端から探ってみたが、肝心の起動方法が分からないんだ。特に小さな方、箱の方だよ」
彼は瓶底の様な分厚い眼鏡越しに『ガシャ』を睨んだ。
「大きな方が『武器庫』であれば、そちらは何なんだ? 武器庫に付随する物として、それはどういった意義を持つ? 凄まじく興味深いが……どうしたものか……」
「な、なぁアバルキナ。考え込んでる時に悪いが、確かそれの表面に文字が書かれてたよな? それの解読って出来たのか?」
「あぁ、所々掠れてはいるが何とかね」
アバルキナは脇に抱えていた分厚い書物を開くと、その紙面に目を落としながら言った。
「恐らくあれは古代文明で使われていたゲルガ文字だ。無論現在主流のクレル文字とは成り立ちが根本から異なっているから解読は難しいが……僕に掛かれば造作も無い事だ」
彫りが深い、というより痩せ過ぎて眼窩が沈んだ双眸がキラリと輝く。彼は有能な考古学者だ、だからこそ自分の腕力と知得に絶対的な信頼と誇りを持っている。その為か時々気障な発言する事もあり、癪に触るが仕事を依頼している為、苛立ちは出さない。いや、出せない。
「まぁ、いい。解読は大体終わったから読み上げるよ」
彼は一つの咳払いの後に、メモ用紙に走り書きで記した解読内容を声に出して読み始めた。
「『錬成……して資格を手に入れた、権利を有する者のみが……に……出来る。偶然に縋れ、天命に媚び伏せろ、さすれば…………は拓けん』……だってさ」
「何だその天命に媚び伏せろって……怪文書の類じゃねぇか。それか宗教家が書いた世界終末からの救済方法」
「馬鹿言え、こんな古代文明の産物にそんな得体の知れない文章を書く訳が無いだろう? きっとこれは鍵なんだ、謎を解く鍵……」
顎に手を置き、ひたすら思案の海に溺れるアバルキナ。俺は静かにその横顔を眺めていた。
研究に没頭する余り、運動も食事も滅多に無くなった反動から細くなった身体のライン、針金の様に尖った黒髪、標準程度の身長の俺が小柄に見えてしまう程高い身長、青白い肌。極め付けに襟の部分が微かに黄ばんだカッターシャツ。
奇抜な人物の多い考古学者の中でも特に変人である彼、アバルキナ。これでも大陸中の考古学者が知っている遺跡研究の第一人者なのだから驚きだ。
アバルキナは次にルーペを覗き込んで細かな部分まで観察し出していた。その真剣な表情に声を掛ける事を躊躇ったが、それでも勇気を振り絞った。
「……すまんな、こんな事頼んじまって。他の仕事とか論文で忙しいんだろ?」
「別に良いよ。好きでやってるし」
「でも、この前なんて王都から督促状来てて、助手さんからも急かされてたじゃねぇか。確か古代文明の産物を利用した兵器開発だろ? なんで無下にするんだよ。報酬も高いだろうに」
「無下になんかしてないよ。ただやる意味が薄いなって思ってるだけだよ」
俺は両端に書類や書籍が山の様に積み重なったアバルキナの書卓を横目で見た。
「何でだよ」
「だって僕らは『研究者』なんだよ? 新しい技術を発見して道を切り拓く、それが仕事だ。兵器開発だなんて同じ技術の使い回しで、味気無い。それに……」
「それに?」
「神具調査の方が兵器開発なんかよりも断然楽しい」
「……あぁ、お前最高だよ。やっぱり」
金や名声よりも自分の好奇心を取る、だから俺はコイツが好きなんだ。
「お褒めに預かり光栄だよ……まぁ、残ってる仕事は全部終わらせるつもりだけどね。何せ僕は有能だから」
「へっ、まーた言いやがったこのイキリ野郎。実力さえ伴ってなければ散々馬鹿に出来るのに」
「実力が無いのに自分を誇張するのはただの馬鹿がする事だよ」
軽口を叩き合っていると止まらなくなるのが雑談という物の道理。それから暫くの間当たり障りの無い会話を繰り返していた。
「で、最近研究の調子はどうよ」
「んーまぁ……それなりって所。今は古代文明に於ける農業を詳しく調査しているよ。遺跡に記されている壁画とか古文書にも情報は残されてはいるけど、やっぱり不明瞭な部分も多いからやり甲斐は充分にあるから毎日楽しいよ」
アバルキナはクックックッと押し殺す様に笑うと、片手を挙げて助手にお茶を淹れてくる様に頼んだ。程なくしてお盆に載せられて運ばれて来たカップを感謝の言葉と共に受け取り、その中に並々と注がれていたお茶を一口飲む。
香ばしい香りが鼻を透き通り、仄かな甘味とその中に紛れる微かな酸味が舌に踊る。茶葉は他国から取り寄せてる高級品らしく、それに相応しい味わい深さがある。俺はカップを机に置いて、細い息を時間を掛けてゆっくりと吐いた。
「うん、美味しい。いつもありがとうございます」
お茶を淹れてくれた助手に軽く頭を下げると、彼女は照れ臭そうに顔を背けてその場を後にした。
「……あの助手さんもかなり有能な人なんだろ? こんな辺鄙な所の奇人学者の下じゃなくても充分働けるだろうにな?」
「あぁ、充分にね。僕も不思議なんだ、どうして彼女は僕の助手をしてるんだろうって」
「テメェそれ自分でも解らないのか……雇い主だろ、しっかりしろ」
「でもねぇ……」
年が近い事もあり、まるで同郷の幼馴染みの様に砕けた口調で和気藹々と話す俺達だったが、三十分も経てば話題も無くなり、椅子の背凭れに体重を預けてウトウトし出した。
俺が夢と現実の中間を行き来している間にもアバルキナは顕微鏡や古文書などの仰々しい物を持ち出して依然として調査を進めていた。黙々と、一人で助手の手も借りずに。
助手が淹れてくれたお茶もとうの昔に冷め切り、二人の吐く息で研究室の空気が澱み始めたその時、眠っていた俺の肩が強引に揺さぶられた。
「おい、おいエドアルド! 起きてくれ!」
目を覚ますと、其処にはひどく興奮した様子のアバルキナの姿があった。
「どうしたんだ、アバルキナ。もしかして何か発見出来たか?」
「あぁ、そのまさかだよ!」
「マジかよ……」
俺は来客用の椅子から腰を上げて、アバルキナの机を囲った。彼は骸の様に青白い肌を紅潮させて【ガシャ】を手に取り、ある一部分を指差した。それは矢筒の縁の部分、全体を補強する網目の様に広がった隆起の隙間に細長い穴があるのが見えた。
「その穴は何だ?」
「これはきっと何かを入れる為の挿入口なんだ。初めは装飾の一部かそれとも単なる経年劣化による亀裂の類いだと思っていたがこんな部分に亀裂が入る訳無いし、それに一部分だけの装飾なんて明らかにおかしい。あぁクソッ、何で早く気付かなかったんだ畜生……」
「あー……つまりそれは挿入口って訳だな。で、その穴に入れる何かってのは? 特定出来たのか?」
「あ、うん。形から察するに硬貨を入れるんだろうけど……この通り入らないんだ」
アバルキナは机の隅に放られていた財布の中から1ゼリア鍮貨を取り出した。彼はそれを【ガシャ】の挿入口に差し込もうとしたが、穴に対して硬貨は小さ過ぎる。更に厚みが必要らしい。
俺はその行動、そして【ガシャ】の構造に言い知れぬ疑問を抱いた。
「おい待てよ、『伝説の武器庫』を使うのに金が要るのか!?」
「まぁまだ待ってよ、ミソはこれから。今度はこっちの小さい箱の方を説明するよ」
次にアバルキナが手を伸ばしたのは、先程まで存在意義が分からないと嘆いていた筈の石製の箱だった。彼はそれを鶏の脚の様に細い両腕で持ち上げると、その蓋を開ける。その中は空だった。
「この箱が何なのか分からなかったが、ついさっき偶然にもこれの使い方を発見してしまってね。これを見てくれよ」
そう言ってアバルキナは机の引き出しから麻袋を取り出した。口を縛る紐を緩めると、その中から青い錆に覆われた銅貨が何枚も転げ出てきた。その表に描かれていただろう運命の女神の横顔も錆び付いており、その表情は読み取れなくなっている。
「この国でずっと昔流通していた硬貨だ。今じゃこんな物何の価値も持たないし、使ってもいいでしょ」
「でも、古銭の類ならコレクター達がこぞって買い付けるんじゃねぇか? 取っておいた方がいいだろ」
「生憎小遣いには困ってないから別にそんな事しなくていいんだよ」
彼は微笑を浮かべながら袋から転げ出た銅貨を拾い集めると、それらを全て石の箱の中に詰め込んだ。最早通貨としての役割を持たない銅貨達は燻んだ金属音を立てて箱の底へと消えていく。見てろよ、と言わんばかりの目配せを向け、アバルキナは蓋を閉めた。
すると、その瞬間石製の箱が眩ゆく輝き出した。
「ッ、何だこれ!?」
「いいから見てろ!」
動揺する俺をアバルキナが制している間にやがて光は消え、再びそれは物言わぬ石の箱に戻った。まるで先程の発光が夢の出来事だった様に。
「おい、今のは何だったんだ? 確かに……光ったよな?」
「あぁ光ったよ。そして驚くのはこれから……」
アバルキナは石の箱の蓋に手を掛けると、ゆっくりと右側にスライドさせる。その中から現れたのは先程投入した筈の古ぼけた銅貨ではなく、鈍い金属光沢を放つ赤いコインだった。
「……え? さっきの銅貨は何処に行ったんだ?」
俺がそう尋ねると、アバルキナは眼鏡の奥の眼をギラギラと輝かせた。
「変換されたんだ。銅貨がこのコインに」
「ん、はっ、えっ……?」
混乱する俺を尻目に、彼は箱の中からコインを引き上げると、それを本体である【ガシャ】に空いている穴に当てた。厚さ、サイズもその長方形にピッタリと当て嵌まっている。
そして彼がコインをその穴の中に入れると、先程の箱の様に突如として【ガシャ】が発光し出した。鋼鉄と岩石を足して2で割った様な材質の表面に施されていた植物の蔦を模った彫刻が白い光と共に浮かび上がっている。そして口の部分は光り輝く閃光で埋め尽くされ、底が見えなくなっている。
その美しくも幻想的な光景に眼を奪われていると、アバルキナがふと俺と眼を合わせて叫んだ。
「光の中に手を入れるんだ、早く!」
「えっ、光の中に!?」
「勿論! さぁ、早く!」
突然の事に困惑しながらも、俺は決意を決めて眼前に突き出された【ガシャ】の口に手を伸ばした。白い光は眩しくも温かく、それでいて鮮烈で、まるで全身が引き込まれてしまいそうな錯覚を覚えた。
一瞬ゾワリと、背筋を撫でる様な悪寒を覚えたがそれでも怯まずに、手首から二の腕、肘と深く深く腕を突き刺していく。すると手の先に何かが当たる感触がした。俺は反射的にそれを掴み、勢い良く引っ張り出した。
白い光の中から引き上げた物の正体、それはムチだった。
「……ムチ、だって?」
黒く染色された革紐を何重にも束ね、先端には特に強固な部分を括り付けた何の変哲も無いムチ。だがよく見れば革紐には至る所に鋭利な棘が立っており、振るう度に棘が獲物の肉体に喰らい付き、肉を噛み千切るという凶悪な構造だ。言うなれば『鋭牙のムチ』か。
「成る程、ムチが出たのか……やはり不規則性があるのか……」
ボソボソと独り言を言いながら思案に耽るアバルキナに俺は尋ねる。
「……お前もやったのか?」
「あぁ、さっきね。僕が君と同じ様に箱……いや、【変換器】を通して手に入れたコインを投入して【ガシャ】から入手したのはこの短刀と中折れした直剣だった……」
うん間違い無い、とアバルキナは真っ直ぐな視線を俺に向けて言い放った。
「【ガシャ】の正体が分かった。【ガシャ】はコインを投じ、完全ランダムで武器を無限に手に入れる事の出来る運任せな武器庫だよ」
そんな物があって堪るか、俺は言葉を失いながら首を横に振った。
【レア】鋭牙のムチ
悪趣味な拷問師が開発したという殺傷能力に優れたムチ。
鋭牙という名前の通り至る所に鋭い棘が生えており、叩き付ける度に獲物の肉を喰い千切り、皮膚を斬り裂く。
本来拷問とは罪人や捕虜を痛め付ける為の行為。これを用いるという事は拷問ではなく、殺人行為に惹かれる殺人鬼に堕ちた事を意味している。