執念
「お風呂に入りたい」
ミヤコは当然の権利を主張した。
「湖がある」
「見張られて入れるわけないでしょ。それに湖はお風呂じゃない。私、宿に泊まりたい。そこならお風呂もあるから」
考えがあるミヤコは、努めてさりげなくヘリアスを誘導する。
「…わかった」
街で歌姫として評判になりだしたミヤコ。
目立ちすぎなのが気になっていたのだ。確かにそろそろ他へ移らなければならない。
一週間以上ミヤコは大人しく逃げようとはしなかったので、ヘリアスは気を緩めていた。
「この空き家で、小さかったあなたはどうやって暮らしていたの?」
家を後にする時、ミヤコは家を振り返って聞いた。
「…しばらくは一人でいた。だが、ある日人間の女が俺を見つけた。ちょくちょく来ては、食べ物をくれたりして優しくしてくれた」
「…………………」
遠い目をするヘリアスの表情にミヤコは驚いた。
「でも、街の人間に気付かれて、女は街から追い出された。石を投げられて…」
湖を眺めるヘリアスが冷たく笑った。
「あの当時は、魔法使いの風当たりは酷かったしな。助けたりすれば、それだけで人間を裏切る行為だったのだろう。別に女に同情はしない。ただの気紛れだろうし、あわよくば乗っ取りで利用してもよかったからな。その後、俺はアールラニに行ったが、散々人間共を利用してやった。清々したぞ、うっとうしい人間を…」
ミヤコがポロポロと涙をこぼした。
「…ヘリアス、馬鹿ね」
顔を覆う彼女を、ヘリアスは不思議そうに見つめた。
「…なぜ泣く?俺を憐れむのか?」
手を伸ばす彼に、ミヤコはそっと身をかわした。
ヘリアスの『消える力』には法則性が無かった。
短くて10分で効果が無くなることもあれば、丸一日力が続くこともあった。
彼が、消えるの力を行使する時に、一瞬だけ紅く瞳を光らすのを、ミヤコは観察して知った。
そして、その力は、影響を与える範囲が限られていることも気付いた。
宿には一階に、だいたい風呂場がある。
夜になってから女湯に入りに行った。出入口は一ヶ所。
消える力の範囲は、およそ500メートル。
見張られてるかもしれない。もし、そうなら最低だが油断させるために、ミヤコは髪を洗い、身体を洗って風呂に普通に入った。
見ていなくても自分の気配を感じているだろう。
友達同士か、年配の女性たちが何人か湯に浸かり、談笑している。
露天のない、簡易な室内浴場のみだが、換気のために天井に近い部分に窓がある。
じいっとそれを見ていたミヤコは、おもむろに風呂から出ると、服を着た。
それから、脱衣所の椅子を浴場に持って来て、その上に乗った。
「くうっ…」
ユキほど背が高くないので、四苦八苦して窓を開ける。
魔法が使えない不便さを久しぶりに感じた。
湯に浸かっていた女性たちが驚いて見ている。
「なにしてんの!?あんた?」
「……え、えっとあの…ち、ちょっと男から、逃げるん、です」
「え?あんた…可哀想に、大丈夫。黙っておくから早くお逃げ!」
同情した女性たちがミヤコを押し上げてくれる。
「あ、ありがとうございます」
どう考えても、妊婦の行動じゃない。
窓を抜けて、外側に掴まると、なるべく衝撃を受けないようにゆっくり下りる。
ドサッ
尻餅をついた。
「つっ…」
草むらをそっと抜けて、垣根を越えて、外の道に出た。
頭から顔を隠すように、布を巻き、夜の人混みに紛れる。
500メートル…そこから翔ぶ。
気が急く。
早く。
つい早足になる。
彼から遠ざかる。
帰る。
前から来る人々を掻き分けるように、進む。
心臓がドキンドキンと速い。
振り返ってみたが、ヘリアスは追いかけて来ない。
人々の喧騒に、少し安堵した。
自分の気配が、人混みで見つけにくくなることを願う。
幾つかの家の前を通り、宿からだいぶ離れた。
ここからなら。ミヤコは翔ぼうとした。
「…なぜ?」
翔べない。
何度か距離を取っては試したが、翔べない。
魔法も使えない。
「…っ」
目の前に馬車が見えた。
考えを纏める前に、バンッと扉を開けて、中に入る。
座っていた中年の男が驚いているが気にするヨユウハナイ。
「早く出して!」
ミヤコ、御者に叫んだ。
「そこまでだ」
開いた扉の前に、いつの間にかヘリアスが佇んでいた。
「………………っ」
悔しくて、ミヤコはきっと睨んだ。
「俺が逃がすわけないだろ」
腕を引っ張られるて抵抗する。
「おい君、嫌がってるじゃないか!」
居合わせた中年の男が止めようとした。
「邪魔だ」
ヘリアスが男に手を向けた。
それを見て考えるより早く、身体が動いた。
ミヤコは男を咄嗟に庇った。
酷い熱さだった。背中が焼ける。
「あああっ!!」
衝撃でうつ伏せに倒れ、悲鳴をあげた。




