追跡2
「隙を見て、逃げようなんて考えんな」
そう言って、ヘリアスはミヤコを外に連れて出た。
思わず息を呑んだ。
すぐ目の前は美しい湖だった。その向こうに山々が連なり緑が眩しい。
高原なのか夏なのに涼しい。
空き家の周りには、森が広がっている。白樺の木々を眺めてヘリアスは言った。
「俺が、アールラニに住む前にいた所だ。家はその時から空き家だったが、まだ残っていたとはな」
「一人だったの?」
「しばらくは…」
その後を語ろうとしない。
「来い」
ミヤコの腕を強く引いて、ヘリアスが人の多い町まで翔んだ。
朝の市が軒を連ねて、にぎわっている。
朝食を出す所もあるようで、美味しそうな匂いが漂った。
ヘリアスがパンを並べる店の前で足を止めた。
何喰わぬ顔で、ぱっとパンを手で掴んだ。
そして、それをミヤコに渡す。
「え?お金…」
「欲しいものがあったら言え。なんでもやろう」
もう一つパンを取り、彼がかじる。
消えるの魔法で、店の者は盗られたことに気付かないのだ。
「ダメよ、盗ったりしたら」
「金がない」
ヘリアスの当然のような顔を、ミヤコがきっと睨む。
辺りをキョロキョロと見渡し、掴まれた腕を払うと、荷車の荷台に飛び乗った。
「ミヤコ?!」
「逃げたりしない」
簡単な魔法は使えるようで、髪を金髪に変えているミヤコが、市に行き交う人々に告げる。
「皆様、どうぞ私の拙い歌をお聴きください。そして、お気に召しましたらおいくらでも構いません。こちらにお金をお願い致します」
自分の足元を示すと、前を向いた。
目を閉じて、すうっと息を吸い込んだ。
賑わいに負けないように、腹から声を出す。違う世界の歌は、印象に残りやすいのを彼女は知っている。
最初は気づかなかった人々が、少しづつ集まり始めた。
ミヤコの唇から紡がれる歌声を、ヘリアスは立ち尽くして聴いていた。
「よしっ」
歌を歌って稼いだお金を買った財布に入れて、ミヤコはふふっ、と笑った。
そのお金で、食料を調達した。
それから、少しためらってから自分とヘリアスの着替えの服と毛布を買った。
「…はい」
彼に服を持たせて、ミヤコは怪訝そうにヘリアスを見た。
彼女が歌を歌ったのを見てから、ヘリアスはますます口数が少なくなって、ミヤコをぼうっと見ている。
空き家に戻っても静かだ。
「何?どうしたの?」
リンゴをかじって、ミヤコが彼を見た。
「…………………」
ふいにヘリアスがミヤコを抱きすくめた。
拍子で手からリンゴが床に転がる。
「あっ、リンゴが…」
「ミヤコ、歌うお前は綺麗だ」
ヘリアスがミヤコの唇に口づけしようとした。
バコッ!
再び彼女のパンチが、頬に繰り出した。
「…せめてパーで殴れよ」
頬をさすってヘリアスが言った。
「わからないわ。私の何がいいの?」
殴ってできた手の甲の傷を、ぺろっと舐めてミヤコは言った。
「………………」
「私には大きな子もいるし、夫もいる。そもそもあなたに優しくしたこともないのに…」
手の甲に唇をつけたまま上目遣いで話す。
うっとりと見つめるヘリアスに気付かず、ミヤコはふふっ、と自嘲気味に笑った。
「私、若くもないし」
そう言って、艶やかな黒髪を指で漉いてから、くるりとまとめた。
「…よく言うな。その姿で…」
「え?」
「自覚がないのか?」
訳がわからず、首を傾げる美しく若い女にヘリアスはそっと笑った。
「魔法使いを、人間共の基準にあわせてどうする?俺たちは若いままだし、子がいようがいまいが関係ない」
ああ、自分が元人間だからか。
どうも感覚が人寄りなようだ。自分の姿が若いままなのも未だに不思議なのだ。
リンゴを拾い、きれいに拭きながら彼を見た。
「…あなた、私をさらった後、どうする気だったの?お金もなく、住む家もこんなで…」
「何も…何も考えてなかった。」
壁にもたれてミヤコを見つめ、ヘリアスが答えた。
「お前のことしか、考えていなかった」
「っ……」
リンゴを拭く手を止め、ミヤコが顔を上げた。
苦しげに彼女を見つめたまま、ヘリアスがうめいた。
「…愛してる。愛してるんだ、ミヤコ。」
「…………………」
ミヤコは目を伏せ、ゆるく首を振る。
「ずっと一緒にいてくれ」
「…それは無理よ。私の心は、変わらないから」
「俺の消すの力で、お前の記憶を消してもか?」
「……………」
顔をこわばらせ、ミヤコは無言で立ち上がった。
「そんなことをしたら、絶対に許さない。あなたを憎むわ」
いたたまれずに部屋を出ていく。
会話に耐えられない。
精神をすり減らしそうだ。
試しに玄関の戸を押してみた。
思いがけず、外に出られた。
「ミヤコ、俺はお前を見張っている。逃げようとしたらわかるからな」
背後の声に、ムッとして日本語で言ってやった。
『プライバシーの侵害!変態!』
「ヘン?何?」




