逃亡7
早く言えばよかったかな。
一人先に夕御飯を食べながら、ミヤコは思った。 気持ちがそわそわして落ち着かない。
告げたら、どんな顔をするだろう?なんせ20年以上授からなかった子ができたのだ。
諦めていたのに、だから自分でもまさかと思った。
嬉しくて嬉しくて…
「早く帰ってこないかなあ」
食器を片付けて、ミヤコは呟いた。
それから、まとめていた髪をおろして、お風呂に入りに行った。
そろそろお腹を締め付けないゆったりした服に替えなきゃ、と服を脱いで思った。
そういう事を考えるだけで幸せだ。
グラディアの雨は上がっただろうか。
湯煙漂う露天風呂に身を沈め、ミヤコはほっと息をついた。
こちらは星空が出ている。
そっと裸のお腹に触れてみる。
意識して触ってみたら、なんとなくわかる程度に膨らんでいる。
早く気づかなくてごめんね、赤ちゃん。
ふふ、と一人で微笑んだ。
男の子かな、女の子かな…
ポタリ、と水滴の音がした。
彼女のすぐ後ろで少しして、またポタリと音がした。
石造りの浴槽の壁に身体を預けていたミヤコは、水滴の音のする横のあたりに顔を向けた。
ポタリ
透明な水面に、紅い水滴が跳ねた。
ポタリ
水滴の垂れる先を目で追い、顔を上げた。
全く気配がしなかった。
湯煙に紛れて、彼女のすぐ真後ろの岩にヘリアスが座っていた。
全身に傷を負い、湯船に垂らした指の先から、血がポタリポタリと流れていたのだ。
ぞっとした。
驚きより、戦慄が走り、声が出なかった。
すぐには、身体が動けなかった。
血に染まるヘリアスの手が、ミヤコの濡れた長い髪をすくった。
上半身を屈ませ、そっとその髪に唇をつけた。
「…ミヤコ」
微笑む彼に、はっとした。ミヤコは魔法を使おうとした。
「え!?」
おかしい。発動しない。
「魔法は使えない。一時的に消した」
「…っ」
彼から遠ざかろうと、立ち上がったミヤコは胸元を手で隠し、湯の中を後ずさった。
ヘリアスは、嬉しそうにミヤコを見つめている。
「綺麗だ」
「…どうやって、逃げたの?」
「…魔法が使えないのが、道具のせいだと気付いた」
床の、魔法を封じていた道具を探しあてた。
手で掘り出し破壊した。
天井の道具は取り出せなかったので、わずかな魔法しか使えなかった。
三重の魔法が巡る鉄格子を掴み、魔法で破壊した。
身体の傷はその時負った。 魔法で気配を消しながらしたこと。
「み、見張りは?!」
ユキがいたはずだ。
「……………」
**********
床一面に血が飛び散っていた。
鉄格子がぐにゃりと曲がり、時おりパチッと魔法の残骸が弾ける。
ユキとレオは、地下牢の前で呆然とした。
油断した。
ほんの少しユキは席を離れた。レオが呼び掛けても起きないので、翔んで起こしに行った。
わずか数分の間のことだった。
「やばい」
青ざめてレオが呟いた。ユキは、口元を両手で覆った。
「母さん」
ヘリアスは、ミヤコから目を離さない。
傷が癒えてきている。
ゆっくりと立ち上がり、濡れるのも構わず、湯の中に足をつけ、歩いてミヤコに近づいた。
パシャパシャと水が揺れる。
「来ないで」
手探りで置いていたタオルを取って体を隠したと同時に、ヘリアスが、すっと裸のミヤコを抱き締めた。
目を閉じて、名を唱える。
「ミヤコ…、ミヤコ」
ヘリアスの胸の鼓動を聴き、ミヤコは目を見開いて身体をこわらばせた。
「やっと逢えた、ミヤコ!」
以前の絞め殺されるかと思うほどの力ではない。
そうっと加減した力で、ヘリアスはミヤコを抱いている。
怖い…
それが、ミヤコを余計に不安にさせた。
恐らく、彼は本気なのだ。
「は、放して、やめて!」
ミヤコが抗うと、素直にヘリアスは手を離した。
苦しげに顔を歪ませて…
考える。どうしたらいい?
「…ルーが帰って来るわ。もう行って」
ヘリアスを刺激しないように、ミヤコは言葉を選んで静かに言った。
しばらくヘリアスは黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「…俺は、どうしてしまったんだろ」
「え?」
苦しそうに胸のあたりをを押さえ、ヘリアスはミヤコをじっと見ている。
「今まで、俺は一人でも平気だったのに…」
早く帰って来て、ルー。
ミヤコは不安で、タオルを持つ手にぐっと力を込めた。
「ミヤコ。俺はもう、お前がいないと生きられない」
この人は…何を言っているの。
ルーと私の家にまで来て。
「俺と来てくれよ。俺を見てほしい」
ヘリアスの言葉が、悲しく響く。
ミヤコは、強く首を振った。
「それは、できない。私は…」
言いかけて、口をつぐんだ。
ダメだ。
言ってしまったら、どうなるかわからない。
「俺を愛してくれよ…」
ヘリアスが呟くと同時に、ミヤコに拘束を放った。
結界が使えない彼女は、動きがとれなくなり、為す術なくヘリアスに抱きかかえられた。
精一杯彼を睨む。
それなのに、彼女の怒りなど気にも止めず、ヘリアスは愛しげにミヤコの額に口づけた。
悔し、い
強制的に眠らされる。
「俺のものだ。やっと…」
眠る裸の彼女を抱えて、ヘリアスは翔び去った。
遠く、ずっと遠くへ。
気配を消して…




