逃亡
自室で、ヒカルはぼやっとしていた。
「朝か…」
雨の音が微かにする。
昨日からユキは、地下にいるらしい。
大丈夫か?
あんな奴の監視なんて。
怖くないのか?
本当は、様子を見に行きたいのだが…
「あー、ダメだな」
気まずい。
ユキは、僕のこと好きだなんて一言も言ってないんだ。
つまり、嫌いってことなのかな?
言われて、ショックだった。自分は空回りしていたらしい、なんて恥ずかしい。
「殿下、お目覚めですか?」
扉の外からの声に、どきっとした。
「は、はいっ!」
「朝食を持って参りますので、召し上がったら、今日から王子としての教育を受けていただきます。歴史や地理、礼儀作法に…」
マジか?!
「まだ日程は決まっていませんが、後日殿下の御披露目と戦勝記念の式典を予定していますので、それにも…」
「そうだった、僕、王子だったんだ」
勉強は苦手だ。窮屈なのも嫌い。
ただ王宮は面白い人がたくさんいて、興味深かった。
でも、今日は…
天気のせいか、彼女とのせいか、憂鬱。
さぼるかな。
窓から外を覗いて考えて、簡素な服に着替える。
一応、護身用に短刀を懐に隠した。
町に行こう。気が紛れるならいいのだが。
**********
一日雨だなあ。
地下には窓がない、雨音がしているだけ。
薄暗いここに、よくレオは何日もいられるものだ。
開発中の道具に触って、設計図と照らし合わせたりしてユキは暇を潰している。
話しかけられたら嫌だなと思っていたけど、ヘリアスは寝ているか、少し歩くか、天井や床を見て考え事をしているかで、とても静かだった。
最初は緊張していたユキだが、次第に彼のことが気にならなくなってきた。
朝、ヒカルが王宮から出ていった。
その後を、闇の手たちがそっと付いて行くのも感知でわかっていた。
帰ってくるよね?
置いていかれたような不安がわく。
「ユキ…、交替だ」
レオの声に顔を上げた。
ユキのいる部屋の戸口にレオがいて、その後ろからミヤコの顔が覗いた。
戸口は、牢からは死角になっていて見えないのだ。
無言で、両手に一つずつ包んだお弁当を持ち上げている。
呼びそうになった口を閉じ、ユキはヘリアスをちらっと確認してから、レオと替わった。
「雨だね」
「涼しくなっていいね」
中庭の屋根のある休み処で、ユキとミヤコは座ってお弁当を広げた。
「今日は、私のお手製」
ふふっとミヤコがはにかむのが、我が母ながら可愛い。
一口食べて、あ、父の味と違うと思った。
不味くはない、味付けが足りないのだ。
「父さんは?」
「今日は、休み。家に置いてきちゃった」
「ふうん」
珍しい。きっと置いていかれてご機嫌斜めだろうな。
母がじっとこちらを見つめてきて気付いた。もしかして、私と二人で話をするために母さん来てるのかもしれない。
「ユキ、ヒカルと仲直りしたの?」
やっぱり。
「ううん。謝りたいけど…」
箸に挟んだ卵焼きを見つめる。
「早く仲直りしないと、後悔するよ」
ミヤコが、寂しそうにユキを見た。
「あなたが、迷って決断できない内に、ヒカルと二度と会えなくなる日が来るかもしれない。それは、すごく辛いよ」
「…そうだね」
急に、ユキの目から涙が落ちた。
母は、自分の経験と重ねているのだろう。
かつて父と母が世界を隔て、二度と会えないと思った時。
そうなる前に、どうして共に生きようと言えなかったのか。
母は、今でも後悔しているのだ。
「ヒカル、いい子だよ。名前の通りにね」
ユキの頭を、小さい子のように撫でて、ミヤコは言った。
「あ…名前」
そうだ、意味は…
「ヒカルは光。周りを照らす明るい光になりますようにって、つけた名前」
サラサラと降る雨を見やり、ミヤコが静かに話す。
「光…」
「ルーは、よく私のことを光だと言ってくれるけど、ユキには、ヒカルが光になればいいのにね」
ごめん、親がそこまで言うことじゃなかったね、とミヤコは困ったように笑った。
ユキも少し笑った。
ふっ、と気持ちが楽になった。彼が帰ってきたら、ちゃんと話さなきゃ。
あんなに優しい人を、傷つけたままじゃいけない。
ユキのすっきりした顔を見て、ミヤコはほっとした。食べ終わった弁当箱を包み直して、ユキが食べ終わるのを待った。
「母さん、お茶」
ユキが、カップにお茶を注いで母に渡した。
「うん…」
手に持ってから、飲まずに横にお茶を置く。
「ユキ…あのね…」
一口お茶を飲んで、ユキがミヤコを見た。
なんだか急にそわそわしてる。
「何?何か言いにくいことがあるんでしょ?」
母は、たまに少女のように恥じらったりする。
頬を赤らめて手元を見て、もじもじと落ち着かない様子だったミヤコは、だいぶ経ってからぽつりと告げた。
「あのね…あ、赤ちゃんできたの」
「ぶはあっ!!」
ユキは、お茶を吹き出した。




