開戦
「母さん、元の世界にいたら…普通に暮らせたのかもね。」
どこか悲しげな母の寝顔。
まとめた長い髪を、指で軽く梳いてあげた。
「ここにいることを後悔してたら、自分で戻るだろう?今こんな大変な仕事を自分から引き受けたのは、ここにいたいからじゃないのかい?この世界で、君のお父さんといたいからじゃないのかい?」
ヒカルはいつも的を得た答えを引き出す。
「うん、うん…そうだね。」
ユキは母の顔を見ていたが、ふとヒカルに向き直った。
「そうだ、あなたの名前って母が付けたんだってね。」
「変わった名前だって自分で思っていたけど、もしかして向こうの世界の言葉かい?」
「意味聞いてない?」
ヒカルは首を振って、代わりに聞いた。
「君の名前の意味は?」
ユキは少し笑った。
意味を聞いてから、この名前が好きだった。
「ユキは、幸せの意味。私が長く生きる魔法使いだから、辛いことがたくさんあっても、最後には幸せになれるようにって願いがこもってるの。」
「いい名じゃないか。」
ヒカルが感心したように言った。
今はその願い、国中で叶えばいい。
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レオの作ったピストル型の道具を、斥候が空に向けて打った。進軍が確認されたのだ。
肉眼では何も見えない。
空気を振動させる魔法が発動した。
王宮内にいた魔法使いたちが、一斉に気付く。
「アールラニが、進軍を開始しました。」
リュカから伝えられたローレンが、グラディア王の名の元、開戦を宣言した。
手はず通りに兵が動き出す。
「ユキ、わかるか?」
レオに言われ、ユキが感知の力を使う。
地図を前に集中する。
南のアールラニはグラディアとの間に2つほど他国を挟んだ距離にある。
その2つの国は、グラディアの友好国だが、アールラニと対立することを恐れ、兵が通ることを黙認するだろう。
グラディアとルルカの北は海。
船で遠回りしたら2週間はかかるから、疲弊せずに短距離で進軍するなら、陸を行くだろう。
ユキがつっと指を動かす。
「ここと、ここ。数は両方でおよそ3万。」
「3万!」
軍の隊長たちが、動揺する。
こちらは正規の兵士で6千人ほどだ。
「……………」
ローレンが地図を見つめて考える。
戦いは、数ではない。
だが、戦いの経験の無い者たちには、数の多さだけでも不利を感じて動揺するだろう。
「……………」
ミヤコが、周りをちらりと見てから、再びユキの指先を追う。
軍が一つめの国に入ったところだ。
街道沿いを真っ直ぐ次の国まで進むルートを通る軍と、迂回して山道を進む軍の2つがあるようだ。
「予想通りのルートですね。」
今までのアールラニの他国への侵略の記録では、下手に遠回りをしたりなどの、面倒なことは一切していない。
強力な武器とおそらく魔法に物を言わせて、真っ向勝負を仕掛けてきている。
ヘリアスが3万もの兵を一気に翔ばすのは、記録からするとやはり無理なようだ。
基本的に馬に頼って進んできている。
問題は、彼がどちらのルートにいるかだ。
「ユキ、ヘリアスがどちらにいるかはっきり分かる?」
「多分、こっちの2万の軍のほうね。」
地図の街道沿いのルートを指差しユキが言った。
「そう。」
ミヤコがふっ、と笑った。
「ミヤコ、この状況が笑えるのかい?」
ローレンがいぶかしんで聞いた。
「いえ、良かったと思って。ヘリアスは姑息な真似をしないようだから。」
これなら、私たちのすることが通用するかもしれない。
ユキは冷たい笑みを浮かべるミヤコに驚いた。
氷のように、美しくも恐い笑み。
ルシウスといる時は、こんな顔したことなどないのに。
このまま変わってしまうのではと、不安になった。




