ここは良いとこ魔法学園(アカデミア)!
目覚めて最初に見える天井が、いつもと違った。
「なっ!?」
ドガは咄嗟に布団から飛び起きた。
身を屈めていつでも動ける体勢を保ったまま、さっと周囲を確認する。
さっきまで寝ていたベッドは柔らかい。人間サイズで窮屈だが、ドガのねぐらにあったコチコチのせんべい布団とは柔らかさが段違いである。部屋の内装は落ち着いたグレーを基調としている。いい部屋だ。
「そうか……そうだったな……」
ドガは肩の力を抜いて、ベッドから降りた。
カーテンを開いて、朝日を浴びる。
「まさか、俺が魔法都市に住むとはな」
魔都エフェソス。
魔法学園中央支部。
魔法使いの総本山。
どれも同じ場所を指す。
都市の成り立ちは不明だが、遥か昔の大魔法戦争時代には既に存在していたらしい。
「そんな場所に来るとは、な」
地下水路に潜ってゴブリンたちを叩きのめしてから早三日。マリアによって話はあれよあれよと進められ、ドガは気付けば少女と共に馬車に乗っていた。どうやら、貴族の留学ともなると、護衛が必要になってくるらしい。
しかも、ローニィは魔法使いであり、高価な魔法具を身に着けている。
「おまけに、ドジでボンクラだ」
それがどれだけ危険かは、ポーチの一件で分かるだろう。カモがネギを背負いながら踊り狂っているようなものだ。危険極まりない。できるだけ強力で、そういった厄介ごとに慣れた護衛が必要となる。プロの護衛人材派遣会社《白銀の盾》に護衛を手配してもらう選択肢もあったが、ローニィが嫌がったらしい。
そこでドガに白帆の矢が立った。
『暴力はダメです。約束してください』
故郷を発つ前に、顔を合わせるなりローニィはそう言ってきた。
真剣な顔をしていたから、ドガはてっきり罵倒されるか殴られるものだと覚悟していたが、とんだ肩透かしであった。やはり少女の考えることはよく分からない。代わりに、少女の父親からは問答無用で一発殴られた。マリアには、「何かあったら帰ってきてください」と笑顔で送り出された。
「妙なことになったな」
ドガは窓から離れた。
顔を洗い、キッチンに入る。
下宿先のアパートには、豪勢なことに個人用のキッチンが各家に設置されている。
ドガはマッチ箱を掴んで、握りつぶした。
「む……」
別にストレスが溜まっていたわけではない。
ただ単に力加減を間違えたのだ。
寝起きはこれだから困る。
「安物で良かった」
グシャグシャに潰れた箱からマッチを取り出して、コンロに火をかけた。
種火を媒介として燃え続ける炎を眺めた。こうして簡単に火を扱えるなんて、便利な道具である。さすがは魔法都市だ。詳しい仕組みは分からないが、ローニィの話によれば、コンロには火を大きくするエンチャントと、火を固定するエンチャントが併用されていている優れものらしい。つくづく豪勢である。
「けっ」
ドガは喉を鳴らしてから、料理台に材料を並べた。
だいたいは吊るして保管されていた野菜類である。魔法学園のお高い寮には共同の冷凍保管庫なるものもあって、肉や魚も生のまま保存できるらしいが、あいにく、この下宿屋でもさすがにそこまでは用意できなかったらしい。
さっと目玉焼きとサラダを用意した。
指の感覚もだいぶ冴えてきた。
ついでにパンも火で炙る。
そうしないと、ローニィがあまり口を付けないのだ。何でも、温かいパンが好きだとか。面倒くさい娘である。三日ほど絶食して、冷え固まった黒いパンのありがたさを思い知れ。二人分の食事を皿に盛り付けて、ドガはリビングへ運んだ。
「……ちっ」
ローニィの姿が見えない。
どうやらまだ眠っているようだ。時間的に余裕がないわけでもないが、作った料理は冷めていく。そもそも二人で結んだ取り決めでは、もうとっくに起きているはずの時間である。ドガはテーブルの上に皿を置こうとして、一枚指で割ってしまった。
白状しよう。
ドガはイライラしていた。
大股でローニィの部屋の前まで進み、ぎりぎりのところで理性を取り戻して、コンコンコン、とドアが軽くノックするに留めた。引っ越してきて早々家を壊すわけにはいかない。それに、すべての元凶はあの娘にあるのだ。
ドガは扉越しに呼び掛けた。
「おい」
「……………」
返事がない。
きっと眠りこけているのだろう。つくづく能天気なやつだ。
ドガは躊躇なくドアを開いた。
「ぬおっ!?」
あまりの光景に、思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
ベッドの上には足しか残っていない。本体は仰向けに床の上に転がっており、栗毛色の髪は放射状に広がっている。掛け布団はなぜか少女の下に敷いてある。口は半開きで、パジャマのシャツがへそまで捲れあがっている。
こんな状態では風邪を引いてしまう。
少女に歩み寄ろうとしたところで、ふとドガは動きを止めた。
机の上はもっとヒドイありさまで、紙やらインク壺やら、ペン、杖、その他の魔法具らしくものがごちゃごちゃと散乱している。特にインク壺は蓋もされずに放置されていたため、インクが固まって使い物にならなくなっていた。
――だらしないと言えばだらしないが……
ドガは表紙がオレンジ色の本を手に取った。
細かい文字がびっしりと書かれており、ときおり意味不明な図が挿し込まれている。ドガも共通語なら何とか読めるが、これはさっぱり分からない。おそらく専門的な言語で書かれた魔導書か何かの写しだろう。
「……熱心だな」
おそらく、眠る直前まで机に向かっていたのだろう。
少女の手の甲についたインクがそれを証明していた。ほわほわした能天気なボンクラからは想像できない勤勉さである。ドジはドジでも、ただのドジのではないようだ。
まだ時間に余裕はある。
ドガは少女の横顔を眺めながら大きく欠伸した。