ドジとオーガ(4)
久しぶりの酒場は、異様な雰囲気に包まれていた。
木のテーブルと、木の椅子。どちらも吹けば飛ぶような軽さの安物である。個室を区切る壁代わりの布は全部天井まで上げられており、酒場に居る全員がカウンターを見ながら呑めるように配置されていた。
それらは次の一点に比べれば、些細な違いである。
人相の悪い連中に囲まれながら、小さな少女がちょこんとカウンター席に座っていた。
掃き溜めに鶴。糞山に宝石。
少女の歳は十から十五くらいか。
ドガにはそれくらいの大雑把な見当しかつけられなかったが、子供であることには違いない。それも、空き地で不良どもを束ねているような子供とは違う。ただの子供ではない。肌に汚れは見えず、身に着けている洋服も良い生地を使っている。
おそらく、少女は上流階級の人間だろう。
酔っ払いたちの注目を一身に集めながら、どこかぼんやりとした顔をしている。路地裏の湿気を知っているガキなら、怖くてこんな油断しきった真似はできない。明るく無邪気で可愛らしいと言えば聞こえは良いが、要するにただの世間知らずのボンクラだ。それでも少女の話が面白いのか、赤ら顔の酔っ払いたちは身を寄せ合って少女の話に耳を傾けている。
少女はふらふらと頭を振りながら、熱っぽく語らった。
「だから、私はこの街が大好きなんです!」
ブン!
言葉とともに掲げられたコップから中身が飛び散る。すでに何度か飛び散らせたらしく、少女のブラウスとカーディガンには紫色の水玉がいくつも染みついていた。少女の近くに陣取っている酔っ払いたちは顔に降りかかる飛沫も気にせず、笑顔で合いの手を入れた。
「ええぞええぞー!」
「がんばれ嬢ちゃーん!」
バカばっかりだ。
ここは本当に俺の知っている酒場なのか?
ドガが店の入り口で戸惑っている間にも、少女は少しトーンを落として話をつづけた。
「でも、魔法にも興味があって、お父さんが魔法を学ぶ機会を用意してくれて……。私がぼんやりしているうちに、お父さんはどんどん話を進めて行っちゃうし、私にどれだけ魔法の才能があるのかもまだよく分からないのに、出発の日は近づいてきて……」
震えた声がしんみり酒場に染み渡った。
俯いて目元を拭う少女の様子は、それなりに絵になる。
しかし、そんなことはどうでもいい。
給仕は何をやっているんだ。早く俺に気づけ。そして仕事しろ。席を案内するのも給仕の仕事だろうが。俺は客だぞ。ドガの心の叫びもむなしく、酒場は一団となって、少女に同情の声をかけた。
「うんうん。分かるぞ」
「つらいよなぁ……大変だよなぁ……」
「不安だよなぁ……」
「俺も若いころは苦しんだよ……」
「そうかー? お前ら、この町から外に出たことないだろ?」
野暮なツッコミを入れた酔っ払いが、数人がかりでさらっと床に沈められた。
床に視線を落とすと、似たような酔っ払いが何人も転がっていた。たぶん、彼らの人数は、酒場で放たれた野暮なツッコミの数とぴったり同じだろう。バカバカしい。こんなバカどもと係り合いになってたまるか。ドガは音もなく店に入ろうとして、思い切り鴨居に額をぶつけてしまった。
「むっ!」
ゴキッ、と嫌な音が鳴った。
鴨居のほうから。
「あっ……」
音に振り返った何人かが、ドガの姿に気づいて声を漏らした。
おかげで、酒場全体がシーンと静まり返った。「殴り屋の鬼」の異名を知っている者もいただろう。あるいは、返り血のついたシャツを着ているオーガの姿の衝撃が強すぎて絶句したか……。火山から流れ出た溶岩から逃れるように、さっと酔っ払いたちが空間を作った。しかし、給仕はやって来ない。
ドガが恐ろしいのだ。
不本意な頭突きで内側に凹んだ鴨居を腕力で直そうとしてみたが、レンガが砕け、金属のフレームがグシャグシャに変形してしまった。これでは修理どころか更なる破壊だ。もう大人しくしておこう。早々に応急処置を諦めたドガは力任せにドアを閉めた。
そしてつい力加減を間違えてしまった。
ドアノブがドアから取れた。
不運は重なるものである。
もちろんドガが捩じり取ってしまったのだ。
「……おい。見たか、アレ」
「……ああ。トンでもねぇな」
「……コロッとぶっ壊したぞ。コロッと」
「シッ! あんまり騒ぐとコロッと沈められるぞ!」
本当に沈めてやろうか。
ドガがほんの少し殺気を込めて睨み付けてやると、また静かになった。手の中にあるドアノブを無意味に握りつぶす。
場の空気がさらに冷え切った。
しかし、事態を把握できていないボンクラが一人だけ存在した。
「あっ! オニさんだ!」
能天気な一声に、ドガはずっこけそうになった。
何が「オニさん」だ。
犬や猫みたいに呼ぶな!
馴れ馴れしい上にとてつもなく失礼なガキだ。
黙れ人間のガキ。そう言い返してやろうかとも考えたが、子供相手に本気になるのもバカバカしい。じろりと一瞥してから、ドアノブを投げ捨てた。お前もこうなりたいのか? 目でそう伝えて、空いているテーブル席に腰を下ろした。人間用に作られた椅子がミシミシと音を立てている。まあ、一晩くらいなら持ちそうだ。壁に貼られた品書きを眺めていると、さらに声をかけられた。
「オニさんオーニさーんっ! 一緒にお話ししましょうよー!」
バカだ。
さっきの警告を理解できなかったようだ。
ドガは酒場にいる全員の視線を浴びて、迷惑そうに舌打ちした。
「勝手にやってろ」
「わーい!」
「なぜ喜ぶッ!?」
「ふぇ? だって、いま、一緒にお話ししてくれるって……」
「言ってない!」
きっぱり否定してから、ドガは改めてお品書きを眺めた。
スノゥ・イーグルの焼き鳥や、ヒポクリフの馬刺しなど、品揃えは悪くない。
問題は量だ。
人間とオーガは胃袋の大きさからして違う。働き盛りのドガは特に大食らいだ。満足するまで食べるとすれば、一品一品の値段をあらかじめ計算しておく必要がある。いくら一仕事終えて懐が温かいとはいえ――
「オーニーさーん!」
無視だ無視。
仕事上がりに、気晴らしに飲みに来ているのだ。わけのわからんちんちくりんに絡まれて台無しにされてはたまらない。しかし、少女はドガのささやかな願いなど気にすることなく、性懲りもなく話しかけてきた。
「もーぅ! どうして離れて座るんですかー?」
しつこいガキだ。
怖いもの知らずというよりも、単に世間知らずなだけだろうが、何事にも限度というものがある。ドガは無知な少女にも分かるように、テーブルの端をつかんで、力任せに圧し折った。メキメキメキッとテーブルの悲鳴が酒場に響き渡る。
近くの席に座っていた客たちが、青い顔をしてドガからさっと距離を空けた。
ドガは思い切りドスを利かせた低い声で吐き捨てた。
「黙れ」
ここまでやれば、バカでも理解できるはずだ。
竜をも怯ませるような鋭い眼光を周囲に振りまいてから、ドガは少女に背を向けた。
「おい」
近くのテーブルをそそくさと通り過ぎようとした給仕を呼び止める。
給仕の女は感電したように飛び上がった。
別に取って食うつもりはない。
「注文だ」
ドガはカエルの山盛りから揚げとツァイスの赤を注文してから、哀れな子羊を解放してやった。ツァイスはぶどうで有名な西の地方の名前である。ドガはツァイスの地に一度だけ足を踏み入れたことがあり、その影響でワインはツァイスと決めていた。
料理を待っている間も、少女と酔っ払いたちが何やら騒いでいた。
「ふぇぇぇ~」
「な、泣かないで!」
「そうそう! せっかくの楽しい時間なんだからさ!」
内容は聞かなくとも想像できる。
どうせドガの悪口で盛り上がっているのだろう。この距離で陰口を叩くとは、どれだけ能天気なのやら……椅子を蹴り飛ばして制圧してやってもいいが、今日のところは見逃してやろう。ついさっき、仕事でひと暴れしてきたばかりだ。
――仕事いえば……
ドガはズボンのポケットから、小さなガラス玉を取り出した。
透き通った透明のガラス球にヒモ状の金属が絡み付いている。よく目を凝らせば、ガラス球の表面には細かな凹凸があり、幾何学的な模様を形成している。見るからに手の込んだ高級品である。
蹴散らしたゴブリンたちを締め上げていたら、手打ち金代わりにこれを差し出してきた。
おそらく盗品だろう。
ゴブリンたちも用途を知らなかった。
このガラス玉にどれだけの価値があるのか見当も付かないが、少なくとも装飾品としては高値で売れるだろう。となれば、明日は宝石商と金細工師あたりに話を持ち掛けて、だいたいの相場を確かめて、明後日あたりには手早く換金してしまおう。
テーブルの上でガラス玉と見つめあっていたドガの背中に思わぬ一言が突き刺さった。
「あっ! それ! 私の!」
もちろん、あのボンクラ少女の声である。
ドガも流石にこの一言は無視できなかった。ここできっちり所有権を主張しておかなければ、後々面倒くさい事態につながりかねない。ドガは振り返り、口を開こうとした。
しかし、少女はドガの想像の斜め下を突き抜けていた。
「私の魔法具と一緒ですね! すごい奇遇です!」
「……そうか」
この娘はどこまで世間知らずなんだ。
この街に、こんな高級品を持っている人間はそういない。自分と同じものを持っていたとしたら、まず自分の物が盗まれたと疑うべきである。しかも、どうやら、ガラス玉は魔法具だったらしい。魔法とは相性の悪いオーガが魔法具など持ってどうする! 少なくとも何かしらの違和感くらい覚えろちんちくりん!
ドガは苦い顔で口を閉じた。
言いたいことは山ほどあるが、どれも自分のためにならない。黙っていたほうが得である。
おかげで勘違いした少女の暴走は止まらない。
同志を見つけた喜びにキラキラと目を輝かせ、ふっくらと柔らかそうな頬に満面の笑みを浮かべ、息を弾ませて喋り始めた。
「あっ、オニさんオニさん。他の魔法具とかも持っていますか?」
「いや」
「あぁー、魔法具って高いですよねー。私も一式揃えるのに、けっこう時間が掛かっちゃいました。全部まとめては高くて買えなかったので、都市に行くたびにちょこちょこ買い足していって、ようやく一通り揃えられましたー!」
「そうか」
「えへへー。あ、そうだそうだ!」
少女はポンと手を打とうとして、手を滑らせた。
テーブルの皿がくるりと宙に舞う。
皿の上に乗っていた料理は、よりにもよってスープか何かの汁物だったらしく、高そうなスカートに盛大に降りかかり、上質な生地にシミを作っていく。先ほど、ブドウジュースをこぼしたこともあり、ヴィジュアル的にかなりマズイ感じになっている。
さらに凄まじいことに、打ち上げられた皿はそのままきれいにまっすぐ落ちてきて、少女の脳天に墜落した。
「あいたっ!」
こーん、ころころ。
間の抜けた音とともに、皿が跳ね、奇跡的に割れることなくテーブルの上に戻ってきた。
ここまでドジなヤツも珍しい。
陰ながらドガが感心していると、少女は少し涙目になりながら喋った。
「せっ、折角だから! 私のコレクションを見てください!」
「ほぅ……」
ほんの少しだけ、ドガも興味を引かれた。
魔法具は美しい。
自分には絶対に扱えない魔法そのものは、イカサマみたいで大嫌いだ。しかし、宝石や貴金属は高値で売れる。本物を見る機会があるなら、しっかり確認しておきたい。いつか誰かに騙されて、偽物を掴ませられないために。
「見せろ」
「はいっ!」
少女は後ろを振り返り、何やらごそごそと探し始めた。
「あっれー? おかしいなぁー? 私のポーチ、椅子の後ろに置いたはずなんですけどねー……。あれあれ? ほんとにどこ行っちゃったんだろう? 私のコレクションの入った大事な大事なポーチさーん! 隠れてないで出ておいでー!」
ボンクラここに極まれり。
ドガは運ばれてきた酒とつまみを受け取りながら、ひょこひょこ動く少女の背中を眺めた。常識的に考えて、ドガの手中にあるガラス玉は、まず間違いなく少女のコレクションのひとつだろう。こんな高価で限定的で、しかも他所の街で売っているような品物が、この街にどれだけ存在することか。
となれば、話は簡単だ。
ガラス玉の出処であるゴブリンたちが、ポーチを盗んだ。
これだけ隙だらけであれば、ゴブリンだって簡単に盗めただろう。
ドガは赤ワインで唇を湿らせた。
しばらく少女は諦めずに何もない椅子の上をペタペタと触ったり、椅子の下を覗き込んできょろきょろ見回していたが、ドガが追加の注文を頼み終わってから、ようやく現実を受け入れて、ふるふると肩を震わせながら大声で嘆いた。
「ご、ごめんなさいぃぃぃ! どっ、どっ、どっ、どうしよう! わ、わた、わた、わ、私のポーチが、ポーチがなくなっちゃいましたぁぁぁああああ!!!」
だだん、と椅子から転げ落ちる。
テーブルに鼻をぶつけて「ふぎゃっ」と声をあげ、再び顔を上げたときには両目から涙をポロポロこぼしていた。
しかし、ドジは止まらない。
顔を上げるときに勢いをつけすぎたのだろう。椅子が傾き、「えっ、あっ、えっ!」と困惑する少女の奮闘もむなしく、盛大に後ろにひっくり返った。椅子から投げ出された少女はでんぐり返しの要領で2回転がり、他の客の椅子に衝突して動きを止めた。
いろいろ、限界だったのだろう。
髪はグシャグシャ。服はドロドロ。貴重品はなし。
正視に堪えない大惨事になっている。
「うぇぇぇえええんん! わたっ、わたっ、わたひのポーチぃぃいいいい!」
清潔とは言えない床の上にぺたりと座り込み、泣き顔を手で覆うことすらせずにわんわん泣き声をあげた。
まあ、気持ちは分からんでもない。
人生最悪の気分だろう。
しかし、泣いているだけでは事件は解決してくれない。いや、どうだろう。この少女の場合、今まではこうして泣いていれば、召使いか奴隷が飛んできて、瞬く間に問題を解決していた可能性もある。正直、どうでもいい。
ドガはカエルの唐揚げを口に投げ込みながら、少女の泣き声を聞き流した。
「だ、大丈夫だよ。きっとすぐ見つかるって!」
酔っぱらいAが少女を励ます。
その言葉の根拠はどこにある。お前が見つけてくるのか?
「……誰かが……何か手がかりとか……もしくは、コレクションの一部とか、もしくは、ずばりポーチそのものを……持っていたり持っていなかったり……? あははは! いやー、独り言だからね! 独り言!」
酔っぱらいBが何かを期待するようにドガに目をやる。
ええい。ちらちら見るな。うっとうしい。
ガラス玉はあっても、ポーチは持っていない。
「……………」
ドガは何となく居心地の悪さを感じた。
周囲の人間から遠巻きに嫌悪されることには慣れっこである。剥き出しの敵意には圧倒的な腕力で捻じ伏せればいいだけだ。しかし、こうも中途半端な期待と疑惑と誤解をごちゃ混ぜにしたような目を向けられると、対応に困る。
それに加えて、ボンクラ全開の馬鹿が盛大に泣き続けているから手に負えない。
酒とつまみが不味くなる。
こんなワケの分からない状況は生まれて初めてであった。
「ひぐっ、ひっぐ! オ、オニさーん! 私のポーチ、私のポーチを……ひっく……み、見ませんでしたか? ……ピンクで……かわいいお花のアップリケが付いている……ひっく……大事な大事なポーチなんですけど……ど、どこかで見かけませんでしたかー?」
泣きじゃくる少女。
何とかしてやれよと目で訴える酔っ払い連合。
ドガは思わず顔をしかめた。まるでみんなで一団となってドガを嵌める演技をしているのでは、と疑いたくなってくる。何だこの気色悪い一体感は! 魔法具なんて拾わなきゃ良かった。ドガはテーブルの上に出していたガラス玉をポケットにしまった。
「勘定を頼む」
「わ、私の、ポーチは……?」
「知らないな」
「ううぅぅぅ……そう、ですよね……ひっぐ……」
酒とつまみの料金をテーブルの上に置き、椅子から立ち上がる。
そのまま酒場から退散しようとした瞬間、ドガの脳裏に電流が走った。
「…………ふむ」
この話、ひょっとして、かなりおいしいのではなかろうか?
少女のポーチとやらの在り処はだいたい分かっている。ゴブリンを締め上げればいい。回収したポーチの処分にも困らない。このボンクラ娘の父親から、たんまり謝礼を受け取ればいい。ついでに、上流階級にツテができるかもしれない。
考えられるリスクは限りなく低い。
ただし、問題がひとつある。
この少女とアレコレ話し合わなければならないことだ。
ドガは静かに瞑想した。
心の中の天秤にメリットとデメリットを乗っけて比べあう。もしも、ここで大金を手に入れられれば、退屈な街からおさらばできるかも知れない。少なくとも、後味の悪い面倒な仕事を当分引き受けずに暮らせるはずだ。
秤はストンと落ちた。
踵を返し、ドガは少女に向き合った。
泣きじゃくり、目を赤くして、頬に涙の線を引いた顔がこちらを見上げる。正直、こちらのほうがドガ好みであった。最初に見たときより真剣で凛々しい表情をしている。一歩一歩足音を踏み鳴らして少女の目の前に立つ。
ドガの巨大な影が少女の体をすっぽり覆い隠した。
「俺を雇え」
極力、単刀直入に提案した。
これならバカでも理解できるはずだ。しかし、少女は小首を傾げた。
「……ふぇ?」
「ポーチを回収してやる。アテはある」
「ふぇ? ええ?」
少女はドガを見つめた。
困惑しきっている。こんな状態では自分の名前すら言えないんじゃなかろうか。こうなったら、少女をここに置き去りにしてしまおう。ここでグズグズ泣いているうちに、ポーチを回収してきてやる。
「きゃっ! あ、あのっ!」
「暴れるな」
ドガは少女を肩に担いだ。
そして、そのまま振り返ると――予想外の光景が広がっていた。
小さく拍手する者。
笑顔で鼻の下を擦る者。
グラス同士をぶつけて音を鳴らす者。
「う、うわぁー……」
「な、なんだこれは……」
ドガは思わず半歩後ずさった。
これでは、まるで冒険者の送別会のような光景ではないか。とても少女を預けられる雰囲気ではない。よくぞ決心した! その子のことはお前に任せた! やってこい! そんな心の声が聞こえてきた。
「ん、ぎ、ぎ、ぎぎぃー!」
「ふぇっ!? 今度はなにっ?」
後方でうなり声が聞こえた。
振り返って後ろを見ると、給仕が顔を真っ赤にして立て付けの悪くなったドアをこじ開けようとしていた。そういえば、この店のドアとテーブルの分も稼いでこなければならない。
「あのー、手伝ってあげましょうよー」
「…………」
ドガは頭を掻いてから、給仕の後ろからドアに手を添えた。
「ふっ!」
一息でドアが開いた。
ついでに鴨井の金属レールが外に吹き飛んだ。
ガシャンとグラスの割れる音が聞こえた。どうやら店長が手を滑らせたらしい。
ごく自然に店を破壊されれば、肝っ玉が冷え切ってしまうだろう。
「いってらっしゃいませーっ!」
「あ、はいっ! いってきまーす!」
ボンクラな少女は反射的に答えていた。
どうせロクに事態を理解していないくせに。
しかし、ここまで来てしまってはもう戻るに戻れない。船は港を離れてしまったのだ。
ドガは鋭い舌打ちで給仕を無駄に振るいあがらせた。余計なことをやりやがったな。後で覚えておけよ。それとドアとテーブルはこの仕事の報酬で弁償してやる。ちゃんと覚えておくからな。
「がんばってくださいね!」
「……」
ドガは釈然としない表情を浮かべて外に出た。
少女を肩に担いだまま。