第七話
パーティの開催にあたってアントニオ・エストレが壇上で挨拶をするのを、アウルは大人しく聞いていた。エストレ商会の会長というだけのことはあって、恰幅のいい体格で、着ているものも上等なスーツなのだと一目見ればわかった。口許には豊かな髭を蓄えており、上品な細い銀のフレームの眼鏡をかけていて、穏やかそうに見える表情は人好きしそうな愛嬌があった。商売の手を広げていくには、とても都合の良い人相だ。
落ち着いて周囲を見回してみると、宝石を買いに来たであろう上流階級の人々だけでなく、アウルたちと同じように依頼を受けた探偵や用心棒と思しき人物もちらほらと見受けられた。それだけナルシスイセンへの警戒が強いのだ。
パーティの後で、宝石のオークションが始まるという。アントニオは使用人に何か言って、ケースに入った宝石を持ってこさせた。
「今回の目玉となるのはこのスターライト・ブラッドルビーでございます。星彩効果を持つ四十五カラット、血のように深く濃い赤が美しい一品です。ああ、皆さま慌てずに、後の楽しみにとっておきましょう」
客たちがざわつくのも無理はない、その石は本当に美しい色をしていた。血のような赤というのは本当で、吸い込まれるような煌めきを持っている大粒のルビーだ。此処に集まった金持ちたちは、それを目当てにやってきたのだ。
「今回はあの世間を騒がすエコール・ナルシスイセンとやらがこのルビーを狙って犯行予告を出してきましたが、ご安心ください。宝石を守るため、多くの協力者を呼んでおりますからね。まずはパーティをお楽しみください」
それでは、とアントニオが壇上から去る。暫く客たちの拍手があって、それからは皆会話に花を咲かせた。
アーロンは、アウルに「自由に行動してくれて構わないよ」と言った。
「自由に、ですか」
「ああ――調べものをしながら、だけどね。気になることがある、船の構造を調べられるだけ調べておいてほしい。私はここにいる連中から聞けるだけ話を聞いておきたい」
「わかりました」
パーティの華々しい空気は、アウルにとっても苦手なものだったため、アーロンの指示はありがたい。アウルは苦手な社交場からそっと抜け出して、船の廊下へ出た。
飛空船の内部は、いわゆる豪華客船というべきなのか、廊下には赤い絨毯が敷かれ、凝った装飾がされていた。小窓から外が見えるが、王都が遠く――というより、随分下に見えた。それから、広い海を見下ろせることに、アウルはちょっとした感動を覚えた。
船の内部を調べるといっても、果たしてどうするべきか。階段の傍に案内図があるのを見つけて、頭に叩き込む。どうやらこの船は三層構造であるらしい。先程のホールは二階部分であった。客室は二階と三階に分かれており、下を見下ろせるように一階部分に展望室があるのがわかった。荷物の積み下ろしのため展望室の後ろに貨物室があり、その近くには機関室があるようだ。これが船の動力を生んでいる、と考えてよさそうだ。
階段から下へ降りて、展望室へ行くと、人がいないため静かだったが、他の階と違って広く大きな窓があり、下の様子がよく見えた。手すりに体重をかけながら見る景色は、先程小窓から見たものよりずっと視界が広く、つい見惚れてしまう。
「空の旅は楽しんでいただけているかしら?」
鈴を転がすような声で話しかけられてアウルが振り向くと、そこには豊かな金の髪を持つ少女が立っていた。色白で、少し釣り目だ。その顔には見覚えがある。離陸する前、どこかの貴族たちと話していた、エストレの令嬢――マーガレットその人だ。
「私のことを知ってくれているのね。嬉しいわ」
「知り合いからあなたのことを聞きました、マーガレットさん」
「ふふ、そう畏まらないで。堅苦しいのは嫌いなの。もしよければメグって呼んで」
親しい人はみんなそう呼ぶのよ、とマーガレット――メグは言った。その言い方が、少しだけクラフトと似ているような感じがして、アウルは不思議な気持ちがした。メグは彼と違って表情豊かで、笑うと目尻が下がって愛嬌があり、クラフトとはまるで違うはずなのだが。
「私もあなたのこと知ってるわ。オルタンス夫人が信頼の置ける探偵といえば、って紹介してくださったのよ」
「それは、ええと、アーロン先生のことでは」
「勿論、フェアファクス先生のこともそうだけど、彼女は助手の男の子のことも随分褒めていたのよ。翼のある夕陽の目をした坊や。それってあなたのことよね――アウルくん」
そう言われるとこそばゆいが、オルタンス夫人の猫探しをよくやっているのは間違いなく、その褒められているという助手が自分であるのだと否定することもできない。アウルがそうだと頷くと、メグは「やっぱり、目立つからすぐにわかったわ」と笑った。
「ねえ、よかったら私と少しお話ししない? オークションまでまだ時間があるし、きっと私たち、良いお友達になれると思うの。ね?」
メグのエメラルドのような瞳で見つめられると、アウルは否とは言えなかった。パーティのほうにはアーロンがいて、アウルの役割は船を調べることだが、エストレ商会の会長の娘であれば船のことも何か聞けるかもしれない。
そして彼女はアウルの期待どおり「折角だから船を案内してあげる」と言ってくれた。アウルは彼女に手を引かれ、展望室を後にした。
◆◆◆
メグは「どうせなら他の人が来ない場所にしましょ」と言った。「ゆっくりお話ししたかったら、邪魔はないほうがいいわ」
他の乗客たちは皆ホールにいることもあって、船の廊下は静かだった。メグの案内で遊戯室を見たり、食堂に立ち寄ってアップルパイをつまんだり――たった二人で船の中を歩くのは、ちょっとした冒険のような気分がした。
「この船、クイーン・カッサンドラは魔宝石の魔力で浮遊しているの。蒸気機関だけだと大量の水が必要になるから、その重さが空を飛ぶうえで足枷になってしまう。でも、蒸気機関を使ったエンジンの推進力は捨てがたい――だから気嚢と魔宝石を浮遊のために合わせて使うことでこの問題を解決しているのよ」
そのようなことを、クラフトも言っていたと思いだす。船の原理はアウルにはいまひとつ理解できないところだが、とにかく、魔術と科学を組み合わせてこの船を作ったのだということはわかった。
船自体の技術も素晴らしいもののようだが、万が一のときに備えてホールの近くに避難用の転移魔術装置もあるという。それは一方通行で、エストレ商会の所有する土地に繋がっているらしい。それを通じて外から船に入ってくることはできないらしく、それで誰かが潜り込んでくることはないのだという話だった。
「へえ、そういうのしっかりしてるんだ」
「あんまり複雑なものでもないけどね。できればこういうのは使わずに済むのが一番だけど、そういうのがあるって思うと安心でしょ」
「確かに」
空を飛んでいるというのはつまり逃げ場がないということでもある。万が一のときの脱出方法が確保されているというのは重要だ。
「ふふ――この船の技術があれば、これまでよりずっと速く、そして効率的に物資の輸送ができるようになる。エストレ商会がただの宝石屋じゃないって宣伝にもなるわ。そういう意味では今日のパーティも大事なものなんだけど」
私はああいうのあまり好きじゃないのよね、とメグは言った。何でも、父であるアントニオがこのパーティをやりたがったそうで、メグはそれに付き合わされているだけなのだという。
「商学の勉強は楽しいんだけどね。楽しいだけじゃいけないって、世の中は厳しいわ」
「……なんか、意外だな。メグみたいな人はそういうの慣れてると思ったのに。パーティは楽しくないんだ?」
「そうね、慣れてないとは言わないわよ。ちやほやされるのだって嫌いじゃないわ。でも疲れるのも本当なのよ。ああいうところでは好きじゃない人とも上手にお付き合いしないといけないし、アントニオ・エストレの娘っていう目でしか見てこない人も多いのよ。どうせお飾りってこと」
「色々気苦労があるんだね」
「そうよ、だから私、友達が少ないの」
「クラフトは?」
「彼は数少ない例外。って言っても、ただの腐れ縁のような気もするけどね」
親同士付き合いが深いとそうなるのよ、とメグは言った。ただ、彼女自身はそれを嫌だとは思っていないようで、表情は明るかった。クラフトは良い付き合いをしていると言っていたが、嘘ではないらしい。
「歳の近い子とこうしてゆっくりお喋りするのって楽しいわ。もう戻りたくないくらい」
「でも、オークションのときには戻らないといけないんだろ?」
「そうなの、一応エストレの顔だから。ホントに嫌だわ。怪盗も来るって言うし、どうして無理してそんなのやらなきゃいけないんだか……」
メグはその点は本当に不満のようで、父親が見栄を張っているのだと零した。メグは乗り気でないどころか、どちらかといえば反対をしていたようだ。
「あのエコール・ナルシスイセンにルビーが狙われているって聞いたけど、一体どういう犯行予告だったの?」
アウルが問うと、メグは「手紙だったのよ、白い封筒でね」と話してくれた。飛空船でのオークションをすると発表して間もなく、それは届いたという。
「タイプライターみたいな文字で、輝く一等星をいただきに参る、って」
あなたたちのことを信じてないというわけじゃないんだけど、とメグは目を逸らした。何せ相手は数々の事件を起こしたエコール・ナルシスイセンである。不安を抱くのは当然のことだ、それを気にするようなアウルではない。
気にかかるのは、予告状の内容である。
(一等星――か……)
オークションの目玉商品であるあのルビーは、星彩効果があるとアントニオが言っていたとおり、まさに星のような輝きが見える石だった。確かに狙われるのも当然と思えるような美しい石だ。
一通り船の中を見て回って、オークションの時間も近づいてきた。小さな冒険ももうおしまいだ。メグは残念そうにしながらも、アウルに軽く挨拶をして、アントニオのもとへ戻っていった。
アウルもアーロンのもとへ戻る。とりあえずわかったことを報告だ。船の構造のことは、メグに色々と教わった。
「ということは、離陸してから入りこむことは難しいんだな。逆に飛ぶ前なら、荷物や乗客に紛れ込むことも不可能ではない、と」
「そういうことになるんでしょうか。ナルシスイセンは人の目から隠れるのが上手みたいだし、もうここにいるのかも」
それから、ナルシスイセンの予告状のことも話す。アーロンもその話は聞きだしていたようで、顎の辺りに触れながら眉間に皺を作っていた。
「スターライト・ブラッドルビーだと直接言われていないのが気になる。ナルシスイセンから見ると、別の宝石が一等星かもしれないからな。人形が人と同じ価値観を持っているとは限らない」
「オークションの他の宝石も狙われるかもしれないってことですか?」
「一応注意はしておいたほうがいいだろう。ナルシスイセンの被害に遭ったことがあるというご婦人が奪われたのは、マジック・オパールの首飾りだったそうだ。小さくても宝石の数が多いようなアクセサリーも怪しい」
たとえばああいうやつだ、とアーロンが指したのは、純白に輝く大粒の真珠をいくつも繋げた首飾りとイヤリングがセットになっているものだった。進行役が海の魔物から採取した真珠だと宣伝し、いかにも金のありそうな者たちが値段を吊り上げていくのが聞こえてきた。
他にも、色々な宝石が次々と現れる。その中で大粒のガーネットをクラフトが競り落としているのに気がついた。恐らくあれを自動人形に使うのだろうと思っていると、会場の隅へ行って荷物を広げ始めたのを見てアウルは目を逸らした。本当にこの場で組み立てる気なのだ、あの男は。常識というものが欠落しているのだろうか。知り合いと思われたくない。
ナルシスイセンは、まだ来ない。