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きみの黄泉路に花はない  作者: 味醂味林檎
第一幕 ハーピィ・ハーピストル
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第五話

 ――魔宝石に魔力を補充する。


 通常、一般的な、特に外見に変化も起こらない程度の魔族では、莫大な魔力を消費するそのような魔術を行使することはできない。


 だがアーロン曰く、アウルには人並み以上の豊かな魔力があるという。それだけの魔力があれば、ハーピストルにわけてやることができるというのだ。


「魔宝石に魔力を注ぎ込むようにイメージしろ。魔力はあらゆるものの命の源――体の中を循環する力を、少しずつハーピストルに流してやるんだ」


 アーロンの指示に従って、アウルはハーピストルの胸に鎮座する宝石に触れた。消えかけた輝きから、彼女の心が伝わってくる――子供たちの歌を聞きたかったという願いが。それを諦めさせるわけにはいかない。


 ハーピストルという個性を知ってしまったアウルの意地だ。これほど人らしいところを見せておいて、目の前で停止されては、まるで人を見殺しにしたかのような気分になってしまう。


「ハーピストルの魔宝石はかなり摩耗していて脆くなっている。魔力の流れを細くしろ。多すぎる魔力は魔宝石を壊してしまうだけじゃなく、きみの命も削る原因になる」


 注意深く、細く、少しずつ。繊細なハーピストルの魔宝石に、アウルは時間をかけて命を分け与えていく。時計の針がどれだけ進んだか確認もできないほど集中していた。



(頼む――まだ止まらないでくれ)



 ハーピストルがこの世界を愛していることを知っている。世界を素晴らしいものだと信じているのを知っている。アウルを守ってくれたのを、目の前で見ている。


 ゆっくりと息をして、魔力を彼女に渡す。やがて今にも消えそうだった彼女の宝石に、ゆっくりと輝きが戻っていく――まさにそれは、アウルが分けてやった命そのものの煌めきだった。


 窓から光が差し込んだ。いつの間にか、朝になっていたようだ。何時間もハーピストルだけを見ていたので気が付かなかった。だが、これは希望の日差しだ。


「……目を覚ましてくれ、ハーピストル。きみの願いを、聴きにいかなきゃ」


 アウルが語りかけると、彼女の、瞼のない硝子でできた目に光が宿る。ゆるりと頭を動かしてアウルのほうを見たハーピストルは、アウルに手を伸ばして、その頬に触れた。アウルが動物たちを撫でるときと同じような優しい手つきで、彼女は言った。


「あなたが無事でいて、よかった……」




◆◆◆




 カリタス神父は、ハーピストルの訪れを快く迎えてくれた。それについていったアウルとアーロンは、彼女と一緒に子供たちが歌う讃美歌を聴いた。それから、カリタス神父の説法も。ハーピストルがあまりに熱心なので、神父は「きみのように熱心な子がいてくれると嬉しいよ」と朗らかに笑った。もうすぐ解体される予定なのだとは、口が裂けても言えなかった。


 それから軍基地へ行き、バーレットとクラフトにハーピストルを引き渡した。ことの顛末を聞かれ、アウルは全て話した。ハーピストルが音楽を聞きたがっていたことも、この国を本当に愛していることも――それにナルシスイセン相手に勇敢に戦ったことも。


「だが、何故すぐ連れてこなかった。見つけたならすぐに……」


 バーレットから言われて、アウルは返事に窮した。依頼人のことよりもハーピストルを優先したのは、完全にアウルの個人的な感情のためだ。


 何も言えないアウルの代わりに、返事をしたのはアーロンだった。


「いやいやよく考えてみろ、バーレット」

「何だ」

「ハーピストルは武器を持つ人形だぞ。穏やかな顔をしていても、無理矢理連れていこうとして抵抗されたらどうする。それよりはハーピストルの要望を聞く態度を見せてやったほうが、彼女の警戒も解けてよりスムーズにことが運ぶだろう。違うかな?」

「それはそうかもしれないが……」


 アーロンがアウルにしかわからないように目配せした。上手く丸め込んでくれるようなので、この場はアーロンに全部任せてしまう。


 彼らの様子を窺っていると、隣に控えてハーピストルの確認をしていたクラフトと目が合った。


「アウルくんお疲れ」

「ど、どうも。ハーピストルは……」

「……ハーピストルの魔宝石に魔力を入れたのってアウルくん?」


 彼女の解体について聞こうと思ったところへ質問を受けて出鼻を挫かれる。とりあえず、アウルは素直に肯定した。クラフトはそれを聞くとアーロンとまだ話しているバーレットを捕まえて何か耳打ちした。


「はあ!? 何を言っているんだ、いきなり!」


 バーレットがいきなり声を荒げるので、アーロンも様子を窺う。アウルとアーロンの視線に気が付いたのか、バーレットはごほんと咳払いをした。


「……あー、えー、ハーピストルについてなんだがな……フェアファクス、お前、中身を確認したんだったか」

「ああ、必要になったからな。武器のギミックはもう壊れてしまっていたが、素体はよくできている。作った技師の腕が良かったんだろう。こんなによくできているのに解体とはもったいないことだ……折角アウルが魔力を分けたというのに」

「ああ……そういうことか、そうだな。あー……ハーピストルだがな、解体した後はその武器の部分を再利用する手筈だったんだ。素体のほうは後継機のほうが丈夫で軽いから、あえてこれを使う理由もない。替えのパーツもないからな」


 ハーピストルはナルシスイセンとの戦闘で大きなダメージを受けた。その際に兵器としての機能が死んでしまったのだろう。それを語るバーレットは、何やら難しい顔をしており、どこか歯切れが悪い。


「こいつのことを、容易には解体するのは惜しい。魔宝石の再利用が可能だとわかったからな……」

「それじゃあ……!」


 ハーピストルはまだ解体されないということか。彼女は自分の意思で、まだこの世界を生きていけるということか。だが、それを喜ぶにはバーレットの様子が引っかかる。彼は腕を組み、アウルを諭すように語る。


「それなんだがな、アウル・アシュレイ。最早兵器ですらないハーピストルを維持するというのは……色々と不都合があるのだ」

「不都合ってなんです?」

「世間では能力のない人形は飾り物としか見られない。軍に道楽の一環と思われるようなものを置いてはおけないんだよ」


 自動人形は世間では高級品として扱われる。専門の技師が作り上げ、定期的にメンテナンスを必要とする飾り物。それを所有することは一種のステータスであり、特別な理由があって仕事の助手をさせるのでなければ、本当にアクセサリーと変わらないものなのだ。


「こちらとしては技術研究のためにも壊すには惜しい品だが、煩い連中が上にいてな。ここには置いておけない。我々も名残惜しい――いや、きみのほうが名残惜しく思っているのかな」

「……名残惜しいというか、僕はハーピストルに彼女自身の意思でやりたいことをやってほしいと思うだけです。彼女はこの国をとても大事に想っていて、壊してしまうには……」


 アウルがハーピストルを見つめると、彼女は迷うようにたじろいだが、それでもはっきりと「わたくしにまだ時があるのなら」と言った。


 作り物の瞳は、けれど人と同じように、強い意思を宿している――生きている目だ。


「……処分する、というなら僕に任せてくださいませんか、バーレット中佐」

「どうするつもりだ?」

「ハーピストルが生きていける場所を見つけます」


 アウルが言うと、バーレットはにやりと笑ったような気がした。良いように利用されているのだろうという予想は、恐らく当たっているのだろうが、それでもハーピストルをここで失ってしまうよりはましだった。




◆◆◆




 結局、アウルがハーピストルのことを引き受けるにあたって、条件がつけられた。アウルが今後も軍に協力すること、そしてハーピストルは軍から要望があれば実験に協力すること。彼女という人形を生かすために、それは甘んじて受け入れた。


 尤も、協力といってもそう難しいことを要求されるわけではなかった。実質的にはクラフトが探偵事務所を訪ねてきて、あれこれ問診をしたり、魔術式を試したりするだけだ。奇妙な縁ができてしまったが、これでハーピストルの終わりを先延ばしにできるなら、耐えられないというほどではない。


 ハーピストルはしばらくフェアファクス探偵事務所で過ごした後、あのカリタス神父の教会に引き取られることが決まった。


 軍の機密が漏れないよう、あらゆる武器は彼女から取り外され、前と同じなのは見た目と心だけだ。カリタス神父は「娘ができたような気分だよ」と言って彼女を受け入れた。ハーピストルは熱心に聖典を学び、聖歌のときは体格の関係上オルガンは弾きにくいらしく、代わりにハープを弾いている。


 一度様子を見に行ったときは、ハーピストルは活き活きとした顔をしていて、本当の生き甲斐を見つけたという様子だった。教会へ通う近所の住民からも受け入れられたようで、概ね平和であるらしい。楽器に触れている彼女は元々破壊のための兵器だったとは思えぬほど、それが自然だった。まるで、元からそのために作られたかのように、それが似合っていた。


 彼女はアウルの姿を見つけると、作られた目的に反して穏やかな顔でアウルに礼を言った。


「ありがとう、アウルくん」

「僕は別に何も……ナルシスイセンから助けてもらってるし」

「でも、あなたのおかげで、わたくしはまだこうして世界と繋がっていられる。音楽にこういう形で触れられるなんて、夢のようだ。わたくしの世界を、閉じさせないでくれて、ありがとう」


 間もなくカリタス神父から手伝いがほしいと呼ばれて行ってしまったが、その足取りは軽やかで、心から今を楽しんで生活しているようだった。そのために、アウルが与えた命を燃やしているらしい。


「でも、ハーピストルはいつ壊れるかわからない状態、か……」


 アウルが魔力を分けたことでハーピストルの命は繋がれたが、彼女の耐用年数をほんの僅か伸ばしただけに過ぎない。魔宝石自体の摩耗や、ハーピストルの機体の替えになる部品がないことはどうしようもなく、今度壊れることがあればハーピストルの命はそれまでということだ。


 一体あとどれだけの時間が、ハーピストルに残されているのか――今一つ判断が難しいところだ。折角なら、もっとずっと長く稼働して、思う存分楽しんでほしいのだけれど。


 気になることはもう一つある――そう、エコール・ナルシスイセンだ。

 ハーピストルの脱走に関与した彼は未だ見つかっておらず、また怪盗予告を出しては世間を賑わせている。軍のほうでも調査が入っているという話だが、なかなか進展はないようだ。


「あまり考えすぎるなよ、どうせ手がかりがないんだから考えるだけ無駄だ」

「先生」

「また探偵社からの依頼もある。やれることからやっていく、それが探偵というものさ」


 アーロンがこれとこれはアウルの分だよと書類の束から一部何かを抜きだして手渡してくる。恋人の素行調査や迷子のペット探しがほとんどで、アウルにとっては親しみ深い日常である。派手な事件などそうそうあるものではないし、ないほうが平和で良い。アウルには手に余る話だ、深く関わるべきではないのかもしれない。


 アーロンは魔術品の制作や薬の調合なども色々とやることが多いようで、カレンダーには細々と予定が書き込まれている。探偵と魔術師の兼業というが、アウルがやる以外にも探偵としての依頼があるはずで、多忙を極めているのだった。調べものをしなければと机の上に資料を広げ始めたのを見て、アウルは邪魔をしないよう、そっと探偵事務所を出発した。アウルにも与えられた仕事がある。


 依頼主の話を聞きに行くために、バスに乗って目的地へ向かう。その道中、金持ちそうな男に連れられている自動人形を見かけて、アウルは思わずそちらに意識を向けてしまった。


(人形にも、意思がある――)


 恐らく、その人形の目が、ハーピストルに似ていたのがいけなかった。じっと見てしまって、所有者であろう隣の男に気づかれそうになり、慌てて目を逸らす。


 飾り物としか扱われないような人形たちにも、ハーピストルと同じように、心を持っているのだろうか。そしていつか修理もできなくなって滅びていく時を、ただ静かに待っているのだろうか。一体この国で稼働する人形たちのうち、どれだけの人形が望むように動けるのだろう。


「ハーピストルに恥ずかしくないよう、僕も頑張らないといけないよな……」


 今を全力で生きようとする彼女を思い出して、アウルは気を引き締めるように軽く両の頬をぱんっと叩く。


 空は雲が多かったが、その隙間から、太陽の光が差し込んでいた。遠いので決して聞こえるはずはないが、アウルは、教会のハープの音が聞こえたような気がした。


 ――ハーピストルが弾いている、あの美しいハープの音色が。

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