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きみの黄泉路に花はない  作者: 味醂味林檎
第一幕 ハーピィ・ハーピストル
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第四話

「やはり軍はわたくしを探していたか……あなたにも迷惑をかけたようだ」


 すまない、と謝られて、アウルは曖昧な笑みを返すしかできなかった。軍から脱走したというわりには、アウルを拒絶することもなく、教会の長椅子で隣に座って話をしてくれるとは思っていなかったからだ。


 彼女はアウルの話を聞いて、自分の状況を噛み砕いているようだった。その仕草が本当の人と変わらないように見えて、アウルは不思議な感覚を覚えた。外見は間違いなく人形で、当然中身もそうだ。自分で思考するというだけで道具には違いないが、ただの道具というふうに見ることはできそうもない。


「……ハーピストルはどうしてここに来たの?」


 何か理由があるのだろう、と彼女の目を見つめると、ハーピストルは「美しい音楽を知りたかったのだ」と言った。


「美しい、音楽?」

「そう――わたくしはそういうものがあると、ずっと知らないままでいた。わたくしの聞く音といったら、作戦を命令する軍人たちの言葉、剣で肉が切れる音、銃や大砲の音、炎でものが焼けていくときの音……それだけが、わたくしの世界。そのはずだった。だが、三か月前のある日、わたくしは音楽というものを知ったのだ」


 ――三か月前の、北方遠征。その戦いから帰還し基地で眠りにつこうとしていたハーピストルは、そのとき初めて音楽を聴いた。美しい調べに惹かれて耳を傾けていると、不意に倉庫の鍵が開けられた。

 そこにいたのは、蓄音機のようなホーンが首に巻きつくような形でついている一機の自動人形だった。


「彼はエコール・ナルシスイセンと名乗り、音楽を知らないわたくしを憐れんで、幾つかのレコードをかけてくれた」

「ちょっと待って、エコール・ナルシスイセンだって? あの世間を騒がす宝石泥棒のナルシスイセン!?」


 聞き捨てならない名を聞いて、アウルは思わず声を上げた。エコール・ナルシスイセン――新聞の一面に取り上げられ、街中で話題に上がる怪盗。それがハーピストルと接触していたという。

 ハーピストルはそのことを知らなかったのか、首を傾げるような仕草をした。本当に人と変わらないように見える。アウルはハーピストルの話を止めてしまったと気が付いて謝った。


「あ……ごめん、話を続けてくれるかな。レコードをかけたって、周りの人が気づかなかったの? だって、軍の人形じゃないだろ」

「ナルシスイセンは、音を操る能力があると言っていた。他の誰かに聞こえないようにすることもできるのだと……そのときは、新型の自動人形の試験運用かと思っていたんだ」

「ああ……なるほど」


 世間を騒がす怪盗のナルシスイセンだが、上手く宝石を盗みだすということはそれだけ追手から隠れることが上手いということでもある。そのために誰かを騙したり、自分を偽るということくらい造作もないのだろう。

 ハーピストルは「そこまでの悪党とは知らなかったよ」と苦笑するように言った。

「話を続けよう……わたくしはナルシスイセンに、外にはもっと色々な、美しい音楽があるのだと教えられた。外のことは歴代の技術班から多少は教えてもらっていたが、そんな当たり前にあるようなもののことを、当たり前なのだとは知らなかった」

「それで、外の音楽を知りたくなった?」

「ナルシスイセンが言ったのだ――最期の一時ひとときでさえ自分のものではないなら、一体何のために意思を持っているのだと」


 外に興味を示すハーピストルに、ナルシスイセンは囁いた――外に行きたくはないのかと。その誘惑はさぞ魅力的だったことだろう。ずっと知らなかった場所へ出ていけるとしたら、知りたいと思っていたのなら、どうしたって惹かれるものだ。


 そしてよく話を聞いてみると、最初こそ断ったハーピストルだったが、ナルシスイセンは度々基地内でハーピストルの前に現れたという。そして外への誘惑を繰り返し、ついにハーピストルの手を引いて外へ連れ出したのだという――魔力を補うための魔宝石のくず石をかき集めて。


(そこがハーピストルの思考制御の抜け穴だったのか)


 兵器として作られたハーピストルには恐怖がなく、そして真面目に任務に取り組むよう、思考を調整されている。だがその制限に引っかからなければ、ハーピストルの心は自由なのだ。ハーピストルは彼女自身の敵と戦うという一点に反しないことから、脱走することを考えることができたのだ。


「基地を出た後、追ってくる軍人たちから隠れるために二手に分かれて以来、ナルシスイセンとは会っていない。元々、わたくしも彼のことは利用したに過ぎない……一人になったわたくしは、解体される前に、美しい音楽に出会いたいと街を彷徨っていた」

「そして、教会に辿り着いた……?」

「あの日は音楽会だった。オルガンやハープ、笛の音が響いて、とても素晴らしかった――隠密ステルス能力を忘れるほどに。そして、音楽会が終わった後で、外の掃除をしに来たカリタス神父がわたくしに気が付いて、以来ここへ通わせてもらっている」

「匿われているというわけではなく……?」

「神父はそういったわたくしの事情はご存知ないのだ。聞かずにいてくれている」

 ハーピストルは言った。


「ほんのわずかでいい、わたくしは時が欲しかった。ここへきて、本当に素晴らしい音楽を聴けた。人の血が流れることもなく、何かを壊さずとも、美しい音がある。世界が素晴らしいものなのだと実感したよ。わたくしの任務は、こうした素晴らしい場所を傷つけさせないことだったのだと、よく理解できた」


 そう語るハーピストルは、純粋に、そう感じているようだった。


「それが、きみの心――なんだね。それじゃあ、軍に帰る気はある?」

「ああ――だが、あと一日だけ待ってほしい。明日、子供たちが讃美歌を歌ってくれる。それを聴いたら、わたくしはあるべき場所へ戻る」


 ハーピストルが微笑んだ。造り物の美しさで、けれどその笑みは、作り笑いには見えなかった。




◆◆◆




 夜も遅くなり、ハーピストルはアウルを案じた。せめて送っていこう、と隠密能力によって姿を隠し、彼女はアウルを抱えて空を飛んだ。残りわずかな魔力を、どうせ明日で最後なのだからと、もう惜しまないつもりらしかった。


「問題ない、わたくしとあなたの姿を隠して少し飛ぶくらい。いつも潜んでいる路地に隠れて眠るだけの魔力はまだ温存しているよ」


(本当なら、すぐにでも無理矢理連れていくべきなんだろうけど)

 元々、そのつもりだったが、ハーピストルと実際に話してしまった今はそれはできない。いくら魔術的な調整を受けているとはいえ、人と同じような心を持っているものだと理解できてしまった――真面目な人形ハーピストル。彼女の最後の願いを踏み躙るのは、アウルには憚られた。


 ――それに。


「飛空船と同じ高さを飛ぶ気分はどうかな、恐ろしいかい」

「全然! すごい、綺麗だ……」


 ハーピストルに抱えられて上空から見下ろす王都は、とても美しい景色だった。

 家々の灯が鮮やかで幻想的だ。アウルにも腕から羽は生えているが、それで容易く飛べるはずもなく、飛行する魔術は勉強中だ。初めて空の風を感じる体験は、予想を超えて爽快だった。


「本当に――素晴らしい世界だ。わたくしの存在はこのために……」


 そう呟くハーピストルが、嘘を言っているとも思えなかった。彼女にとっても、脱走してから初めて見る景色だったのかもしれない。何もかもが目新しいのだ――自動人形としての最期を迎えるまでに、せめてその音楽を聴きたいという望みくらいは、叶えてやりたい。


 月明かりの中を暫く飛んで、エルド大通りの端に着くと、ハーピストルはそっとアウルを下ろしてくれた。そこで別れようとしたのだが、その時何か音楽が聞こえ始めた。どこか物悲しい旋律は次第に大きくなり、こちらへと近づいてくる。


 アウルが音の方向へ目を向けると、足音もなく、歩いてくる影がある。夜の暗さの中ではわかりにくかったが、ガス灯の明るさがその姿を映しだした。


 ――例えるならば、それは水仙に似ていた。細く鋭い手の指は茎のようで、両腕に取り付けられた剣は葉だ。体の中心は蓄音機になっているようで、首に巻きつくようにホーンが生えているのは花のように見える。音楽の正体はこの自動人形がかけていたレコードだったのだ。


「おや、効きが悪いみたいだな。魔力の弱い連中はこれを聞いたらすぐに眠ってしまうのに――そこの子供、耐性だけはあるらしい」

「エコール・ナルシスイセン……!」


 ハーピストルが呼んだ名は、アウルも知っているものだ。

 目の前にいる自動人形が、あの宝石泥棒のエコール・ナルシスイセンだというのか――アウルはごくりと唾を呑む。ナルシスイセンはアウルのことを認識しながらも、あまりこちらには興味を持っていないようだった。


「なんだい、ハーピストル。まさか、きみときたらまだ人に従うつもりなのかい。運命を握られるだけの生き方なんて何が楽しいんだか」

「黙れ、ナルシスイセン。わたくしは最初から目的を果たせば戻るつもりだったのだ」

「そう――残念だな、私ときみは良い友達になれると思っていたのだけど。ああ、それともそこの子供に誑かされたかな?」


 ナルシスイセンの硝子の目がアウルを捉える。彼の剣がガス灯の光を反射してぎらりと煌めく。ハーピストルはアウルを庇うように前に立った。


「この子には手を出させない。わたくしの任務は民を守り、敵と戦うこと――この子はわたくしが守るべき対象だ。人を傷つけるなら許さないぞ」

「わかりあえそうもないな。きみの心が手に入らないなら、心の宿った魔宝石でもいただこうかな――!」


 ナルシスイセンの剣がハーピストルの体を貫こうと、真っ直ぐ突きだされる――ハーピストルはアウルを抱えてそれを避け、大きく口を開いた。口の中には銃口らしきものが見え、次の瞬間そこから濃く魔力を凝縮した弾丸が連続で撃ち出される。ナルシスイセンはそれらの弾丸を素早く剣で弾き、やれやれといった様子で肩をすくめた。


「魔力の無駄撃ちをするんじゃないよ、ハーピストル。きみの魔力は私が食べてあげるのだから」

「誰がお前などにわたくしをくれてやるものか。わたくしの身は最初から最後まで、この国のためにある。だがどうしても欲しいというのなら、考えてあげなくもないよ」


 ハーピストルがアウルを置いて一歩踏み出す。アウルはこの場で足手まといになるのは自分だとわかっていたから、すぐに近くの物陰に隠れ、注意深く様子を窺う。

 ハーピストルが腕を上げると、そこからワイヤーが飛び出して、ナルシスイセンの体を捕らえた。そのままワイヤーを引っ張ってナルシスイセンの体勢を崩させると、ハーピストルは彼に馬乗りになり、胸の装甲を外して中の素体に張り付いた魔宝石を剥き出しにする。


「何をする、ハーピストル!」

「ふふふ……わたくしの熱だよ、ナルシスイセン――!」


 胸の魔宝石が一際輝くと、瞬時にその場に炎が生まれた。魔力によって生まれた炎が二人を包む。

(そんなの、ハーピストルも危ないじゃないか!)

 残り僅かな魔力を使って、ハーピストルはナルシスイセンを壊そうとしている。自分が壊れることを厭わない、彼女はそういう風にできている。


 ナルシスイセンを追い詰めたように見えたが、しかし彼はその腕の剣でワイヤーを斬り、ハーピストルの拘束を抜け出した。状況を悪く見たのか、ナルシスイセンが逃げ出す――追いかければ追いつくだろうが、アウルはハーピストルを放ってはおけなかった。


「ハーピストル、もうやめてよ! きみが止まっちゃう、讃美歌聴くんだろ!」


 元々魔力のない状態で生まれた炎は、間もなくして消え、ハーピストルはぐったりと倒れていた。魔宝石の魔力の輝きは消えていないから、まだ完全に停止したわけではないのだろう。

 アウルが機体に触れると熱はあったが、火傷するほど熱くは感じなかった。恐らくは魔法の炎が焼きたかったのがナルシスイセンだけだったからだ。これなら、アウルにも彼女を運ぶことができる。

 外見以上にずっしりと重たい彼女の体を、それでも懸命に背負って、アウルは駆けた。



「先生、ハーピストルを助けてください!」



 アウルはハーピストルを背負って、探偵事務所へと戻った。真夜中に似つかわしくない騒がしさにアーロンは眉を顰めたが、アウルたちの尋常ならざる雰囲気を悟ってくれたのか、彼は「後でゆっくり話してくれ」と言ってハーピストルをソファに寝かせるよう指示した。


「先生……」

「今見てやる。まったく、人形は専門外だというのに」


 そう言いながらも、アーロンは彼女の機体を確認していく。慣れた様子で手際はよい。すぐ傍の引き出しから何か工具を取りだして、ハーピストルの装甲の繋ぎ目を外したり戻したりしながら、異常を探す。

 それからしばらくして、アーロンは首を横に振った。


「元通りとはいかないな」

「ハーピストルは助からないんですか……!?」

「素体には大きな問題はないが、もう魔力が尽きかけているんだ。これではあと数時間もすれば完全に停止する」

「魔力を補充する方法はないんですか? くず石を持っていったのも、魔力を補うためですよね?」


 アウルが言うと、アーロンはむうと唸った。眉間に皺が寄っている。


「方法がないわけじゃないが、私にはできない。宝石というのは、非常に莫大な魔力を溜めこむもので、私の魔力では彼女の命を繋いでやることはできない」

「そんな……」

「だが――アウル、きみならできるかもしれないぞ。危険ではあるが」


 渋々、といった様子でアーロンがアウルを見た。

 方法があるというのなら、それを試さない手はない。


「僕にできることなら何でもやります。ハーピストルに明日を生きてほしいんです」


 アーロンは溜息をつきながらも「魔術の勉強の時間だな」と言った。

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