第三話
軍といっても、王都にいる軍人には二種類いる。王都という街を守る者と、王の近辺警護を務めるいわゆるところの近衛である。国全体で見れば国境を守る兵もいるわけだが、そこは今は問題ではない。
依頼主であるバーレットの所属は、王都の警備を行うことを任務とする聖火師団である。王城から真北に少し離れた場所の基地に常駐しており、エルド大通りからはバスに乗ればすぐだった。
基地の門でアウルがバーレットの名を告げると、とうのバーレットは不在だという。どこへ行ったのかという問いには機密に関わるため答えられないと言われ、恐らく何らかの任務に就いているということだろうとアウルは察した。
しかし困った。ハーピストルのことを調べたくてここへ来たというのに、バーレットがいないのではアウルのことは怪しくないと保証してもらえない。
折角ここまで来たが無駄足だったか、とアウルが肩を落としていると、見知った顔が声をかけてきた。
「やあ、アウルくんじゃないか」
言葉こそ軽いけれど、抑揚のない声、そして表情のない顔――クラフトだ。
門の番をしていた兵士が、アウルとクラフトを見比べて、クラフトに話しかける。
「クレー技術少尉、お知合いですか」
「ええ、俺の研究の協力者ですよ。見てわかるでしょう、彼はこんなに怪物染みた見た目になるほどとても豊かな魔力を持っている。俺の魔術研究のためには、こういう協力者も必要になるんです。バーレット中佐から聞いていませんでした?」
(研究の協力者ってなんだ)
疑問には思うものの、クラフトから出された助け舟に乗らない手はない。何やらクラフトがすらすらと方便を並べたてるのに頷きながら、門番の様子を窺う。それからクラフトとの間に二、三やりとりがあって、アウルは中へ入ることを許可された。
「助かったよクラフト」
「折角来てくれたのに門前払いじゃあんまりだろ」
クラフトに案内されて、アウルが通されたのは白い壁の部屋だった。部屋の真ん中にある大きなテーブルには騎士の兜のようなものが置かれており、辺りを見回すとアーロンが魔術品制作のために使っているのと同じような実験器具がある。壁際の棚には何やら小難しそうな本や、瓶に入った石や薬草の資料らしきものが並んでいる。よく見ると隅のほうにあるのは資料ではなく飴玉を詰めた瓶であった。ベッドはないがブランケットや枕はあり、長くここで過ごす誰かがいるというのは明白だった。
「俺の研究室だよ。って言っても物置を改装しただけだから狭いけど」
「クラフト個人の研究室……!? すごいな……」
そう歳も変わらないであろうクラフトだが、技術少尉と呼ばれていたのを思い出す。兵士ではないが、尉官相当の地位を持っているということだ。バーレットに比べれば階級は下かもしれないが、軍という大きな組織の中で地位のある存在というのは、アウルから考えれば充分に別世界のものという感覚だ。
「空き部屋を貰っただけさ。大したことじゃない」
どうぞ座って、と余計な装飾が一切ないシンプルな椅子を持ってこられて、アウルはおずおずと着席した。クラフトは紅茶でも淹れようと言ったが、暫くして不穏なことを言いだした。
「来客用のカップがどこかにあったはずなんだけどどこへいったんだろ。ビーカーしかない」
「ど、どうぞお構いなく」
ビーカーに飲み物を淹れるのはアーロンもたまにやっているが、カップがあるのにそれを代用品として認めたくはなかった。
妙に落ち着かない気分がしてきょろきょろと目線が動いてしまうが、その拍子に机の上にあった兜と目が合った――ような感覚がした。一瞬、兜の空洞の中に、きらりと光るものがあったような気がしたのだ。
「そいつは制作中の自動人形だよ」
まだ思考回路の試験中なんだ、とクラフトが言った。彼が兜を持ち上げると、中からだらりと配線らしきものが零れた。角度を変えて見てみると、先程光ったと思ったのは、兜の中にあった自動人形の目となる硝子のレンズだったのだ。
「それって軍で使うもの?」
「いや、個人的な趣味だ。兵器として使うものは軍の機密に関わるから別の研究施設にある」
「……ハーピストルのことを詳しく聞きたいって言ったら、機密に引っかかる?」
作りかけの自動人形やこの部屋も好奇心が疼くけれど、アウルの本来の目的はそこではない。
「それを知って、何か調査に役に立つのかな」
「そう思うから聞いてる。ハーピストルのことを理解したいんだ」
「へえ」
クラフトは目を細めた――微笑んでいるのだろうか? それにしては表情に動きが少なく、本当に笑っているのか判別がつかないが、クラフトは「答えられる範囲でなら答えよう」と言った。その様子は少なからず奇妙なものに見え、理解できない恐ろしさもないことはなかったが、沈黙されるよりは随分と良い答えだ。
「じゃあハーピストルはどういう環境で管理されてたのか、いなくなる前何をしてたか」
「……ううん、難しい質問だ。どこまで答えていいものか」
「何でもいいから教えてくれないかな。僕だって何もわからないままじゃ動きようがない」
「探してくれって言ったのこっちだしなあ……」
クラフトがあまり抑揚のない声で「ううん」と唸るのを聞くと不安が煽られる。だが、結局彼は「内密にね」と言って話をしてくれた。
「ハーピィ・ハーピストルは意思を持つが、兵器は兵器だ。だから普段は武器庫で過ごしている。訓練のときや有事でなければ外へ出ることは基本的にないし、外部の誰かが接触するというのも難しい。それなりの警備はしているわけだから」
「ハーピストル自身はずっと閉じこもってたってこと? 外のことは何も知らない状態?」
「少なくとも前回の出動が三か月前。以降は基地から出ることはなかった。ただ、俺を含めた技術班の連中は自動人形の管理や開発をやっているから、誰かから外の話を聞いていた可能性はある」
「三か月前……って、新聞にも載った北方遠征? そのときハーピストルは外へ出ていたのか」
ここ、レイファン王国は国の安寧と秩序を守るためとして各地へ兵を派遣している。北方には魔宝石の鉱脈が眠る土地があり、その採掘を目的として侵攻するというのも、この豊かさという安寧を守りたいという意味では、国が掲げる正義に反してはいないのだろう。その遠征に、ハーピストルが参加していた。
「その時に何か変わった様子はなかった?」
「さあ……俺はずっと裏方だったからな。ハーピストルのメンテナンスには関わったけど、これといった異常は見つからなかった」
外へは出たが、それで何かハーピストルに影響があったかどうかはわからない。クラフトも心当りはないという。
「ただ、ハーピストルは俺が生まれるより前から稼働している旧式だから、知識だけはずっと前からあったのかもしれない。最近俺たちの知らないところで、何かきっかけがあっただけなのかも」
「ふうん……それじゃあ、あと一つ。ハーピストルは、解体されるのを嫌がったり、怖がったりとかするようなことはあった?」
「――まさか。あれは実直で、破壊に対して恐怖を感じないように思考を調整されている。王国への忠誠を植え付けられているハーピストルが、国の命令に逆らうはずがないよ」
◆◆◆
アウルはクラフトに礼を言って、聖火師団基地を後にした。アーロンも真面目な性格の人形だと言っていたが、今軍にいるクラフトも同じような感想を抱いている辺り、それは間違いないことなのだろう。
だが、解体されることが原因かと思えば、その点ではアーロンとクラフトの間では見解に違いがある。つい最近のハーピストルを知っているクラフトからすれば、ハーピストルが、解体を嫌がって逃げ出すというのは納得しがたいことらしい。となると、やはり別に理由があるのか。
移動のためにバス停へ向かっていると、ふと頭の上にずしりと重みを感じる――烏だった。昨日ハーピストル捜索の協力を頼んだうちの一羽だ。かあ、と一声鳴いてアウルの腕に跳び移った烏は、労えとでもいうように頭を突きだしてきて、アウルは空いた片手で撫でてやった。
「何かわかったのかい?」
アウルが問いかけると、烏はもう一度かあと鳴いた。どうやら、写真に映っていたのと同じ自動人形を見つけたらしい。よく話を聞きだしてみると、それはここからほど近い、人の歌が聞こえる場所だという。近くには民家が多く、人通りはそれなりにあるようだ。人の目から隠れるように、建物と建物の狭い隙間にいたようだ。
烏は用事は終わったと飛び立ち、アウルはそれを見送ってから再び歩き出した。
「歌か……」
この辺りはあまり土地勘がない。来たことがないわけではないが、どこに何があるかというのはまだ把握しきれていない。歌、というヒントがあるにしても、誰がどこで歌っているのかまでは予想がつかなかった。
烏から聞いたような場所を探してみると、確かに沢山というほどではないが、ちらほらと人影も見えた。その中で、広場になっているところで遊んでいる子供たちに声をかけると、始めこそアウルの容貌に驚かれたが、グループの中で一番年上と思われる少女が話をしてくれた。
「この辺りで歌が聞こえる場所?」
「そう、心当りはない? 僕はこの辺のことはよく知らなくて」
「そうねえ、歌といえば、やっぱり教会の聖歌じゃないかな。ほら、あの十字時計が見えるでしょう」
少女が指すほうを見る。
十字時計、と言われたのは、時計の針の交差が十字に見えるような、時間を知るには不便な針を使った時計のことだ。主神ベエルが時を司ることから時計は神聖視されており、針が十字なのはいつのことでも知っているという意味であるらしい――と、アウルは遠い昔、まだ家族と暮らしていた頃に聞いたことを思い出した。
「みんな、いつもあの教会で歌を歌うのよ。明日は第七曜日だから讃美歌だわ」
少女は、そこのカリタスという神父が優しい男で、よく子供たちの世話を焼いてくれると嬉しそうに語った。礼拝がないときは子供たちを相手に勉強を教えるようなこともしているという。どうやら随分と慕われている神父のようだ。
「そうなんだ。教えてくれてありがとう」
聞きたいことは聞いた。子供たちと別れて教会へ向かう。足元は鉄の板を継ぎ接ぎしたような場所もあり、足音がよく響く。周辺の路地も覗いたが、それらしい影はない。この近くにハーピストルが潜んでいるのなら、神父が何か目撃しているかもしれない――そう思い、教会の扉を叩く。
今となっては信仰から離れて久しいが、本当に幼い頃は、アウルも礼拝のために教会へ行った覚えがある。いつの間にか、それどころではなくなってしまって、足が遠のいた。まさかここへきて、教会を訪れることになろうとは。妙な緊張をしてしまう。
アウルにはあまり慣れない場所と思われたが、カリタス神父は噂のとおり優しげな顔をしていて、快くアウルを迎え入れてくれた。
そして、アウルは見た。
どこかなだらかな丸みを帯びた、女性的な印象を受ける鎧。背中には鋼鉄の翼。足は鳥に似た鉤爪――。
「ハーピィ・ハーピストル……」
その名を呼んで振り向いた彼女の硝子の目は、アウルと同じように夕陽の色をしていた。写真のとおりの姿。軍から脱走する前と、何ら変わらない人形の姿。
探していた自動人形は、ここにいた。