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きみの黄泉路に花はない  作者: 味醂味林檎
第七幕 エコール・ナルシスイセン

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第三十六話

 実験内容は、魔宝石に魔力を人為的に注ぎ、その変質の様子を観察するというものである。目的は魔力による変質を調べるためとあるが、それが数ページに渡って続き、状態の変化が事細かに書き込まれている。最後のページに小さな紙切れが挟まっていて、それには「紅い月がナルシスイセンの力の源である可能性あり」とあった。


「ああ、これだわ。どうにも私、ナルシスイセンのことは追っかけなきゃいけないようになってるみたい」


 メグが呟くように言った。彼女の髪が陰になって表情は見えないが、どこか熱のこもった言い方だった。


 横から覗き込んでいるナイトオウルも興味深そうである。尤もアウルと同様魔術に関しては特別に詳しいわけではないため、完全に理解ができているわけではなかったが。


「ナルシスイセンはここに載っているものに関わっている、ということでしょうか。少なくとも我が主……いえ、亡きクラフト様は、そう考えていたと」

「だろうけど、それにしても紅い月、って何のことだろう。モノルカも紅い月のこと何か言っていたみたいだけど……」


 聞き慣れない単語に首を傾げていると、メグが「魔宝石よ。とびっきりのね」と言った。


「メグ知ってるの?」

「直接見たことがあるわけじゃないけど、記録なら見たわ……私が生まれるより前に、パパが陛下に献上したものよ」


 もう数十年は前のことになるという。メグの父アントニオが、部下たちを引き連れてエストレが所有する宝石の鉱山を訪れた際、その石は見つかった。


 強い魔力を内包する魔宝石。それは自然発生した魔術式によって、周囲の物質を魔力に変換する強力な炉であり、溢れ出した魔力によって自らの姿を変質させていく――周りのものを食らって力をつける、言わば生きた宝石だった。


 ほんのりと赤い光を放つ美しいそれを、月が満ちるように成長していく麗しいそれを、人は紅い月と呼んだ。


「そんなものが……」

「魔宝石はどれも魔力炉としての機能を持っているけれど、それだけ強い魔力をもって、自らの形さえも変質させるほどのものはとても珍しいわ。だから王家に献上するには相応しい宝石だった。でもそれって結局、欲に目が眩んだ人にとってはお金にしか見えないのよ」

「……盗まれたのかい?」

「王城で働いてる使用人が悪さしたそうよ。宝物庫の管理を任せておいたら、くすねてどこか質に入れてしまったんですって。それから色々な人の手に渡って、終ぞその行方は知れないまま……」

「ナルシスイセンがどこかで手に入れている可能性があるということですね」

「そうよ。クラフトがどうやってその情報にいきついたか知らないけど、過程は重要じゃないわ。彼がそういう結論に至った、それを私に伝えてきた。私なら食いつくと思ったんでしょうね、そのとおりだわ」


 小さな紙切れのメモを裏返すと、ナルシスイセンに関する情報を箇条書きにしていた。


 一つ、ナルシスイセンは既に魔力による変質が起こった状態である可能性が高い。

 二つ、強い魔力の反応があった場所に潜伏している可能性が高い。

 三つ、紅い月を封じなければ手強い。


 以上がその紙切れに書かれた内容であり、もう一度ノートを見返すと、紅い月の再現実験の次はそれを抑え込む方法についての記述があった。


 具体的な理論などはアウルには難しかったが、結論だけを見ると、ものさえ揃えば誰でも可能なことでもあるとわかった。要するに、宝石の内部に発生した凶悪な魔術式を破壊する手段さえあればよいのだ。厳密に言えば、封印するというよりは、その魔力炉としての機能を破壊してしまうということである。実際、実験ノートには再現した赤い月を破壊したことが書かれていた。その際に使ったのは幾つかの薬草と、竜の鱗と魔宝石を粉状にしたものを合わせて使ったようだ。


「これ、アーロン先生なら作れる薬なのかなあ」

「あの人、魔術師でもあるものね。ぜひとも協力していただきたいものね。私、どうにかしてナルシスイセンのやつを捕まえたいもの……そうしなきゃいけないもの。モノルカの事情聴取がどうなったかって話はしたかしら?」


 まだ聞いていない。何かしら進展が合ったらしいと噂程度にはアウルの耳にも入ってきていたが、それ以上詳しいことはまだ知らなかった。


 メグは――というより、エストレ商会はモノルカの販売元であり、人形展の出資者でもあった。そしてレイファンで消費される魔宝石の多くをエストレ商会が調達している現状で、政府との繋がりも深いため、それなりに介入ができるものであるらしい。


「モノルカから聞いた話から、港の近くにナルシスイセンの隠れ家があるらしいということがわかったの。でも、強力な結界があってね――それを破らないと、正しい入り口に辿り着けないようになっているみたいで、警察のほうもちょっと手間取っているみたい。うちの雇った連中も結界破りに必死になってる。でもナルシスイセンの力の源が紅い月なのだとしたら、その結界もきっとそう――突破口が見えたってものよ」


 努めて明るく――というような言い方をするが、それは虚勢のように聞こえた。悲しみを別の用事で塗り潰そうとしている。けれどそれは、消せるものではない。


「……メグ、無理していない?」


 アウルは、気丈に振る舞う彼女を案じた。彼女が感情的に泣いている姿を、まだ見ていなかった。メグはゆっくりとした動作でアウルに寄りかかった。そのまま表情を見せないようにしながら、彼女はその細く白い指先でアウルのシャツの袖を掴み、体重を預けてくる。


「腐れ縁って言ったって、それでも、大事じゃないわけじゃなかったの」

「うん」

「でも置いていかれちゃった。魔術の才能から考えたら、私のほうがずっと早く老いて死ぬんだろうなって……思ってたのに……」


 魔術師の家系であれば、より優れた子孫を求めて豊かな魔力を持つ者同士が結ばれるということもある――そんな話を、アウルはアーロンから聞いたことがある。クラフト・クレーという男は、アウルほどの魔力は持たなかったが、代々魔術を伝える家系の出身であり、少なからず一般の魔族よりは優れていたに違いなかった。


「どうしてかしらね……早すぎて、気持ちが全然、追い付いてくれない」


 豊かな魔力を持つ優れた魔族は、長生きする。メグはそれを信じていたが、クラフトは寿命を迎える前に殺されてしまった。殺されたなら、長生きできる才能など関係ない話だ。


「ふたりとも、泣き顔は見ないでね。かわいくないの」


 メグの声が震えていた。アウルは目線を合わせないようにしたまま、彼女の華奢な肩を抱いた。やがてすすり泣く声がして、アウルはただ静かに寄り添うことに徹した。ナイトオウルはそもそも振り返ることをしなかった。先程から静かに、クラフトのノートを見つめている。それが場の空気を読んでのことなのか、それとも別の考えが彼の中にあるのか、アウルには判別できない。だが、間違いなく、悲しみは共有している。




◆◆◆




 メグが落ち着いてから、しばらく整理を続けたが、到底今日一日で終わるようなものでもなく、また後日ということで一旦帰宅することとなった。


 帰り際、バーレット中佐が声をかけてきた。


「クラフトのことを悼み覚えている者は少ないから、忘れないでやってくれ」

「……あなた、いい人ですね。このご時世、戦場で死んでいくのはクラフトだけじゃないでしょう」


 アウルが言うと、バーレット中佐は「ああそうだ、軍人なんて運が悪いやつから死んでいく。我々はそういう、殉死する英雄たちをいちいち気にしていられない」と答えをくれた。


「恋人や家族を遺していくやつは、遺した相手が悲しんでくれるからそれでいい。だがクラフトのために泣いてくれるようなやつは、お前たちしかいないようだからな」


 クラフトの葬儀を思い出す。遺族の誰も悲しむ素振りすらなく、親も参加していないという有様で、手向けの花さえ僅かであった。死霊術の研究はその功績より不気味さのほうが目立つもので、クラフト自身が表情豊かでないこともあって、多くの人にとって親しみを感じにくかったのもあるだろう。


「ちゃんと私たちは覚えていますわ、ずっと」

「ええ、友達なので」


 アウルたちがそう答えると、バーレットは安心したような顔をした。


「そうか。ところで、きみたちもナルシスイセンを調査しているのだろう。こちらとしてももっと協力したいところだが、いかんせん頭の固い連中もいてな。なかなか結果が出ていないせいもあるが……もっと大々的に行動したいのだが、なかなか難しくてね」

「お気持ちだけでもありがたいことですわ。我がエストレにとっても、きっと他の多くの方々にとってもナルシスイセンは止めなくてはならないものです。もしかしたら、クラフトの研究が何かヒントになるかもしれませんわ」

「そうか。何かわかったらすぐ連絡してくれ。可能な限りは手を尽くそう――尤も、現状で役に立てるほど動けるかはわからんが。上の許可が下りるのを待っているところでね」


 そう言って、バーレットは苦笑しながらアウルたちを送りだしてくれた。やはりバーレットは『いい人』であるのだろう。わざわざ子供のアウルたちに対して誤魔化すようなことを言わないで、真摯に事件に向き合おうとしている。


(アーロン先生にとっては数少ない友達だけど、いい人だから友達なんだろうな)


 いい人の友人はいい人だ。何となく、そういう感じがした。アウルの友となってくれたメグもいい人だし、ナイトオウルもいいやつだ。クラフトも根はいいやつだった。アウルは、師や友に恥じない程度には、悪くない人でいたいと思う。




 少女のメグを一人で帰すわけにはいかない。この娘ときたら、自分の弱い姿を見せないために、あえて供を連れずに出歩くのだから、アウルはそれが心配だ。先日知り合ったキャンディもそういった傾向があったが、金持ちの娘とは得てして単独行動を好むのだろうか。


 ともかく、メグをエストレ邸まで送り届ける。それがアウルとナイトオウルの役目というものだった。屋敷に辿り着くころには、メグは、赤く泣き腫らした目がまだ完全に元通りとはいかなかったが、それでも少しだけすっきりとしたような表情をしていた。


「ごめんなさいね。カッコワルイところばかり見せてしまって」

「無理にかっこつける必要なんかないと思うけどね。メグはそのままでいるのが一番良い」

「ありがと。でも、悲しいのは私だけみたいな顔をしてしまって、ちょっと反省だわ。アウルくんだって、ナイトオウルだって、クラフトのこと大事だったはずだものね」

「……まあ、僕は、それなりにね」

「クラフト様もお二人にそれだけ想っていただけること、きっと喜んでおられます。あの方には生きた人の友人が少なかったから」

「彼らしいわ」

「もっと長く過ごせればよかったのですが、思いもよらぬことが起こるものですね。次の誕生日を祝うと約束していたのですが、果たせぬ約束となってしまいました」


 ナイトオウルが言った。ナイトオウルにとっては、クラフトは持ち主であり、作り手であった。人の身をもたぬ人形にとっての、唯一の親だ。


 きっとアウルは、メグやナイトオウルに比べれば、悲しみは薄いのだろう――付き合いがそこまで深かったわけでもなく、友人と自覚したことさえつい最近の話だった。ただ胸に穴が開いたような感覚が拭いきれないだけで。


(僕ってほんとに友達がいのないやつだな……)


 どうにも、身近な誰かの死というものに、慣れすぎているようだ。ただ素直に悲しめるならよかったけれど、アウルはそうではなかった。友の死を悲しんで泣けるメグや、家族とも呼べる主を喪った、泣くことができないだけで悲しんでいるナイトオウルとは、何かが違っているような感覚。彼らだけではない、部下の死を悼むバーレット中佐の顔だって知っている。


 クラフトの遺産を受けとることについて、それをいらぬとは言えない欲深な自分が、メグたちと混ざって涙を流す権利があるかといわれたら、即答はできないだろう。メグもナイトオウルも優しいから、アウルのそんな醜さには目を瞑ってくれるけれど。


 せめてクラフトが手紙に書いたことくらいは、実行せねばなるまい。メグの支えになること、ナイトオウルを見守ること。彼の遺産を受け取るのだから、そのくらいはしなければ嘘だ。


「改めて魔術品の依頼、それとナルシスイセン捜索のお願いをしに行くわ。ナルシスイセンへの対策を取りたい。クラフトが遺してくれたもの、せいぜい活用しなくちゃ……バーレット中佐のこと頼りにしたいけど、どんなものかしらね。期待しすぎないほうがいいのかしら」

「戦争の後始末とかもあるだろうし、中佐も難しい顔をしてたしね」

「警察だってナルシスイセンだけを追ってるわけじゃないし……勿論、魔宝石専門の怪盗なんて存在を放置しておくわけもないし、きっかけがあれば動かせるはずだわ。そのきっかけを私たちで作れればいいんだけど」


 アウルが待っている、と返事をしようとしたその時だった。


 どこからか、何かの破裂音がした。耳に刺さるような大きな音に思わず怯んでいると、さらに破裂音がいくつか続き、音がする空を見上げると色の付いた火花が散り、カラフルな煙が漂っている。その煙の中から、ばらばらと何か四角く断裁された白い紙が何枚も降ってきた。


 下まで落ちてきたそれをアウルが拾い上げると、そこにはタイプライターを使ったかのような整った文字が連なっている。


「か弱き花卉かきが眠りにつく第七曜日の夜闇、花弁の奥に隠された種子を戴きに参る」


 小難しい言葉を並べたてた――すっかり馴染み深くなってしまった、ナルシスイセンの犯行予告。わざわざエストレ邸の前でばら撒かれたそれ。か弱き花卉とは、つまり世間でいうところの深窓の令嬢であるマーガレット・エストレのことを言いたいのだろう。か弱く、力のない存在だと煽っているのだ。


「サイアク」


 メグには、狙われているものについて、心当りがあるらしかった。細い手指で胸元の何かを掴むような仕草をしながら、彼女は小さく吐息を漏らす。


「――売られた喧嘩は高く買ってさしあげないといけないわよね」

「ナルシスイセンに仕掛けようとした矢先にこれですか。ですがある意味でちょうどいいのかもしれませんね。わざわざ相手の方から出向いてくるのですから」

「これ以上誇り高きエストレを侮辱されて、黙ってなんかいられるもんですか。私一人でできることは少ないけど――でも、何もできないわけじゃないってこと、やつに教えてあげなくちゃいけないようね」


 いつもよりも苛烈な言い方をする、とアウルは思った。だが、それを咎めるつもりはさらさらない。何故ならアウルもまた、ナルシスイセンを無視できないと思っているからだ。これまで苦しめられてきたものたちのために、そしてナルシスイセンを放置した場合にこれから被害を受けるかもしれない誰かのために。そして何より、彼に打ち勝たなければ、アウルは永遠に過去の薄汚く弱々しい小鳥から変われないのだ。

挿絵(By みてみん)

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