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きみの黄泉路に花はない  作者: 味醂味林檎
第七幕 エコール・ナルシスイセン

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第三十五話

 辺境の地で、王国軍が敵を倒して平和を勝ち取ったのだと、数日前から新聞が報道していた。派遣された聖火師団が王都に帰還するのは、今日の予定だった。


 凱旋である。先日人形展が終わったこともあって、街は新たな話題で熱気に包まれていた。王都を守る城壁には、兵たちを出迎えるために多くの人が集まっているというが、アウルもアーロンも探偵事務所から出る気はなかった。人混みの中へ行くのは大変だし、帰ってきたのなら挨拶はいつでもできることだ。それなら、翌日でも充分だ。今日は街中大騒ぎで、きっと落ち着いた話もできないだろうから。


 翌日、アウルたちが挨拶にいくより先に、探偵事務所を訪れた者がある。オリヴァー・バーレット中佐、その人であった。アウルにとっては以前、ハーピストルの件で縁ができた相手だ。


「邪魔するぞ、フェアファクス」

「おう、生きていたか、バーレット。しぶといな」


 その姿を見てアーロンが漏らした吐息には安堵の色があった。旧い友人だというし、たとえ顔見知り程度の仲であっても知った相手ならば、生きているほうが嬉しいものだ。


 だが、アーロンもアウルもすぐに違和感に気が付くこととなった。バーレットがここに来たというのに、クラフトの姿が見えない。バーレットよりもクラフトのほうがよほどフェアファクス探偵事務所に顔を出しているというのに、その彼が来ないなどと。


 アウルがバーレットの顔を見上げると、彼は気まずそうに目線を逸らしながら、絞りだすような声を出した。


「……クレー技術大尉のことだが」

「大尉? クラフトは少尉だったはずじゃ……昇進したんです?」

「あいつは二階級特進した」


 ――戦死したのだ。言いづらそうに、けれどはっきりと口にしたバーレットを、アウルは信じられない思いで見た。


 それから、バーレットが何を言っていたのか、よくわからない。現実感というものがなかった。ただ、真っ直ぐ立っているのもつらいくらいで、いつの間にか屋根裏部屋から降りてきたナイトオウルに支えられていた。そして気が付いたら話は終わっていて、アウルはクラフトの手紙を手渡されていた。


 自分の財産をアウルに譲るという内容の、遺書だった。何か目の奥が熱くなって、腹の底からこみ上げるような怒りを感じて手紙をくしゃくしゃに握りつぶしてしまったが、それでもアウルはそれを破り捨てることはできなかった。アウルに金がないのは覆らぬ事実で、クラフトの遺産のほとんどはアウルが喉から手が出るほど望んでいたものだった――彼の研究資料の中には、学問の探求としての本も数多くあったのである。


 友人の死を悼みながら、その遺産に目が眩んでいるという事実に、自らの醜悪さを突きつけられるようでアウルは眩暈がした。




◆◆◆




 クラフトの葬儀はカリタス神父の教会でしめやかに行われた。


 アウルは知らなかったことだが、クレー家というのは貴族階級であったらしい。決して派手すぎるような葬儀ではないにせよ――むしろほとんど身内しかおらず地味すぎるくらいだったが――棺には金の装飾や精巧な彫刻が施されていて、少なくとも庶民とは違っていることは確かだった。宝石商のメグとの付き合いを思えば相応の地位を持っていて当然だし、ここぞというときには金を惜しみなく使うようなクラフトが、ただの軍属研究員であるはずがなかった。


 むしろ何故そういった想像をすることができないでいたのだろう。クラフトがそういうものを感じさせない性格だったというのはあるが、それにしたって、冷静に少し考えてみればわかることだったはずなのに。


 クラフトの親族たちは、あまり人数は多くなかった。クレー家の死霊術の研究は、親類からも異端と思われていたようだ。クラフトの両親の姿すらなく、参列していたクレー家の関係者に理由を聞けば「死霊術の実験台に息子を使うかもしれないから遠ざけた」との答えが返ってきた。


 息子の葬儀に仲が悪いわけでもない親が出ない。そんなことはありえない、とアウルは思った――が、彼らにとってみれば、悪い予感を信じてしまう要素が多いのだろう。ただクラフトの友人だっただけの部外者が口を挟める問題ではなかった。


 彼らは「せめて静かに眠らせてやるべきだ」と主張していたが、実際にはクレー家の跡取りという、彼らにとって厄介とも呼べる存在が亡くなったことについては悲しみなどないようだった。それどころか、死霊術によって怪物として蘇るのではないかと恐れを抱いていたようで、棺に鍵をかけているのを見てしまったアウルは、それもそれで異様な光景のように思えた。


 終ぞ遺体を見ることはできなかった。バーレットの話ではクラフトは死霊術に適した死体を探し求めて戦場に出ていたという。その中で、死体に紛れて隠れていた敵に襲われたのだと。クラフトは死霊術によって死体を奪い、敵の奇襲策を味方に報せて死んでいった。


 クラフトの行動によって、死体の中に生きた敵が潜んでいると知った王国軍は、敵の攻撃を用意に先読みすることができた。クラフトの活躍は英雄的だと評する兵士もいるそうだが、バーレット曰く、その遺体は見るも無残で、目を背けたくなるほどひどかったという話だ。


 現実味が、まるでなかった。友の死に顔を知らないのに、彼はもうこの世の人ではないという。埋葬された墓に、せめてもの弔いとして花を手向けながらも、死の実感がないのだった。不思議な気分だった。行ってきますと言っていた、ナイトオウルという傑作を預けていった友は、もう二度と、ナイトオウルを迎えに来ないだなんて。


 ナイトオウルには、表情がなかった。自分の作り手が、寿命ではなく、若くして死んでいったことについて彼がどう感じているのか、彼が語ってくれない限りはアウルに察する術はない。だが、彼はクラフトの遺書を忠実に守るつもりでいるのか、それとも他に想いがあるのか本心はともかく、静かにアウルの傍に寄り添ってくれた。


 埋葬が終わると、クラフトの親族たちは足早に去っていった。残ったのはクラフトの知り合いだった連中だけで、それも皆思い思いの別れを告げて散ってゆく。


 クラフトの検査を受けていたハーピストルは、とても丁寧に祈りを捧げてくれた。彼女の担当はまた別の軍人に代わるらしい。


「若い人がわたくしより先に逝ってしまうというのは、とても悲しいものだが……わたくしには涙を流すことができない」


 その分は、残された人々が泣けばいいことだったが、クラフトの遺族があまり悲しんでいるようではないというのが、余計に哀愁を誘うのだった。


 最後に残ったのは、アウルと、ナイトオウル、そして――クラフトの幼馴染であるメグだった。


「嫌ね、身近なひとを喪うことに慣れていくのは」


 声色に感情は乗っていなかった。黒い衣装に身を包んだメグは、去る前に言った。


「……アウルくん、私、クラフトから手紙を貰っているの」

「メグも……?」

「色んなもの、あなたに全部譲るんだってね。でも結構な量だわ。彼の遺品整理、付き合うわよ。私も思い出に浸りたいの」

「手伝ってくれるならありがたいよ」

「その代わり……といったら何だけど、彼の研究資料の中に、確認したいものがあるの。見てもいい?」


 駄目だというつもりはなかった。何のためかはわからなかったが、わざわざ彼女がそう言ってくるということは、きっと必要なことなのだろうから。


 メグは涙を見せなかったが、首元には真珠の首飾りが輝き、手向けの花束は誰のものより立派だった。それでもクラフトの墓に手向けられたのは、アウルたちが持ってきた以外は、とても少なかった。




◆◆◆




 遺書のこともあるので、ナイトオウルを連れてクラフトの遺品整理のために聖火師団を訪ねる。以前訪れたことのあるクラフトの研究室。そこには一足先に来客があった――後ろ姿でも、長い金糸の髪でわかる。マーガレット・エストレだった。


「メグ」


 声をかけると、彼女は振り返って「御機嫌よう」と言った。逆光で表情がよく見えなかった。


「先に来ていたんだね」

「ついさっき着いたばかりよ」


 努めて冷静であるように作っているかのような、淡々とした喋り方は、いつものメグらしいものとは言えなかった。彼女もまた失った者なのだ――むしろアウルよりずっとクラフトとの付き合いは長かったのだから、普段と違う様子であるのは当然とも言える。


「ここ、凄いわね。私は前に商品を納めに来て以来だけど……ほんとに、まだここでクラフトが息をしてるみたい」


 メグが部屋の隅の本棚に指先だけで触れる。薄らと埃が積もっていたようで、部屋の主が帰ってこないことを如実に示していた。そこにあるものだけは生前のまま。動力の繋がれていない人形や、その設計図、詳細はわからないが古い本など、クラフトらしい持ち物ばかりがそこにあった。


「全て掃除します」


 ナイトオウルは、いつもとあまり変わらないような態度で言った。


「そうね、そのために来てるんだもの。でもこれだけ色々あったら、何日かかかりそうかもしれないわね」

「いるものがあったらメグも持っていったらいいんじゃないかな。魔術の研究資料とか、どうせ僕は全部理解しきれそうにないし」


 互いに、淡々とした言い方になった。取り繕わなければならないほど知らぬ仲ではないが、そうでもしていなければ遺品整理という作業に集中できそうもないのだった。


 この遺品整理のために一週間は自由に出入りできる許可が下りているけれど、それを過ぎたらここには戻ってこられない。手早く整理を進めなければ。


「そういえば、メグが確かめたいものって何だい?」


 元々彼女がここへ来たのはそういう話があったからだ。メグは「私のところへ来た手紙には、本棚を見てってあったわ」と言った。


「本棚の一番上の段の、左から三番目に研究ノートが挟まっている。それを見ておけって書いてあったの」

「じゃあ先に探しておこう。間違って捨てたらいけないし」


 メグの言った本棚の一番上の段、には彼女の手は届かないようだった。それにナイトオウルが容易く手を伸ばして、彼女に手渡す。


「普段からこの高さの本は私が管理しておりました」

「あなたがいると整理整頓は捗りそうね」


 全くだ。思えばナイトオウルは本来クラフトの持ち物であった。彼が作り上げた疑似生命であり、いわば遺児だ。この部屋の勝手を一番わかっているのはこの面子では、当然ながらナイトオウルであった。この辺りの整理については、彼に任せたほうが良いかもしれない。


 本棚から取りだされたのは一冊のノートだった。アウルが興味本位で横から覗き込んでみると、表題には『魔力過剰による変質』とある。


「……これって、僕の羽みたいなもののことかな?」

「ええ、そうよ。器に見合わない膨大な魔力が引き起こす物質の変化について……私は魔術師としては未熟にも程があるから、この研究自体を理解できるとは思っていないわ。でもこのノートには、ナルシスイセンに関わることが書いてある……」

「なんだって?」


 思わずアウルは聞き返した。ナイトオウルも動揺したようで、整理の手が止まる。


「それ、例の手紙に書いてあったのかい?」

「ええ――クラフトはナイトオウルの記録から、ナルシスイセンの能力について何かヒントを得ていたようなの。その答えが、ここにあるかもしれない――私はそれを知らなければ。だってクラフトは、私にそれを知るべきだと伝えてきたんだから……」


 あなたも見ておく? とメグが囁いた。アウルは誘われるままに頷いて、ノートを見る。クラフトの研究のことはよく理解できないが、これが実験ノートの体裁であることは何とはなしにわかった。魔術実験の概要と、状況をスケッチした挿絵、それについての説明文が続く。魔力を注ぎ過ぎた物質は変質を起こす、あるいは崩壊する――そういった実験結果が、つらつらと書かれている。


 そして、ある頁に目が留まった。他と同じような実験のようだったが、よく見ればノートの端が折られており、いつでも開けるようにされていた。実験のタイトルはシンプルに『紅い月の再現』とあった。

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