第三十二話
アウルが頼むと、ナイトオウルは快くモノルカ捜索の手伝いを引き受けてくれた。その理由について、ナイトオウルは「彼には物申したい気持ちがあります」と言った。
「それに、ナルシスイセンが何かよからぬ企みをしているかもしれないというなら見過ごせません。私にも意地というものがありますから」
「よろしく頼むよ」
人に対する聞き込みはアーロンがやるので、アウルはまた動物たちが何か見ていないか、パン屑を持って路地裏へ行くことになる。ナイトオウルは空からの捜索だ。
モノルカのことを案ずるキャンディは、アウルについていきたがった。曰く待っているだけでは暇だと。
「でも待っている間にモノルカがあなたのところへ戻ってくるかもしれない。僕たちが大騒ぎしてるだけで、モノルカは本当に散歩のつもりかも。モノルカが帰ってきたとき、ちゃんと迎えてくれる人が必要だと思いますけど……」
「それはそうかもしれんけど。でもじっとしているのもちょっと……せめて金の力で人海戦術やりたいんやけど今都合つくやつ少ないんだよな。金があっても人が足りんがや」
「……ミス・キャンディはモノルカをほんとに大事に思っているんですね」
露骨に金の力をひけらかしながらも、キャンディの根底にあるのはあくどさではない。出会ったばかりでも往年の友人のように楽しく笑い合ったモノルカという人形を、彼女はきちんと気にかけている。
「気に入ったものは長く使いたいげんて。それに……何かを取りこぼすってのは、あんまり好きくないし」
最後のほうはほとんど独り言のような呟きだったが、アウルは確かに聞き取った。一見無茶苦茶な金持ちのようなキャンディにも、誇り高い信念はある。若い女の姿をしているとはいえアウルの何倍も生きている相手なのだから、そうした強さがないはずもなかった。
「しゃーない、我はユーウェル館に行くかな……ホテルにいるよりは気分が紛れる。それにモノルカの技師とかと話せるかもしれんし、ただ待つよりはいいや。ほんとに何もやることなくなったらホテルに戻るよ」
そう言って、黒ずくめの女はフェアファクス探偵事務所を後にした。彼女のためにもモノルカ自身のためにも、早く見つけなければ。
キャンディに続いてアウルも探偵事務所を出る。範囲が広くて難しい問題には、いつもの手を使うのが一番だ。適当な路地裏へ入り、パン屑をばら撒いて動物の友を集める。今日は何やら鼠たちが多いが、暇なのか、それとも餌につられているだけか。
「誰かマインダイバー・モノルカって人形を知らないかい」
人形の名前なんか知らない、という動物たちに、アウルは覚えている限りモノルカの特徴を説明する。色は白と黒で、しなやかな体つきをしている機械だ。人のように歩いているが、魚に似たヒレも持っている。
すると、鼠の一匹が反応した。なんでも、真夜中にそれらしき影を見かけたという。
「詳しく教えてくれるかい」
だが鼠はそれ以上のことはよく見ていなかったので答えられないらしかった。代わりに、傍にいた蝙蝠たちのことを教えてくれた。夜の世界でも蝙蝠ならばものの姿を把握できる。誰かじっくり見ていたやつがいるかもしれないと言われて、アウルは鼠たちに礼を言って去った。目指す先は港だ。賑やかな港も、陽の当たらない場所がないわけではない。そこに蝙蝠が数多くいるのを、かつて路地裏で暮らしていたアウルは知っている。
蒸気機関のバスに乗って、港へ向かう。今日も人で大賑わいの市場を無視して、自分がかつて暮らしていたような裏道へ入っていく。波の音がすぐ傍に聞こえる路地をいくつか抜けて、この辺り一帯の蒸気を賄っているボイラーの横をすり抜ける。こういう場所は夜眠るとき温かいが、近づきすぎて火傷をする子供が多くいる――というのを、アウルは何とはなしに思い出した。つくづく、アーロンに拾われた自分は恵まれているほうだ。
果たして、蝙蝠たちは港近くの倉庫街の、一番薄暗い錆びたトタン屋根の空き家に隠れていた。昼間だから皆あまり外へ出たがらないようだったが、アウルは彼らから情報を聞きださねばならない。外に出てきてくれないのなら、アウルが中へ入るしかなかった。
最近は新しい倉庫も沢山建ったが、ここはまだ古いままだ。蝙蝠たちが棲みついているせいか、動物の臭いが染みついていた。ここももうしばらくもすれば建て替えされて、蝙蝠たちは棲家を移さなければならなくなるだろう――が、今はまだ彼らがこの倉庫を牛耳っている。
アウルが鼠たちに紹介されてきたのだと告げ、モノルカを探していることを話すと、蝙蝠たちは色々と話をしてくれた。外へ出るのは嫌でも、話をするのは嫌いではないようだ。
蝙蝠に色の判別はさせられないので、モノルカの造形についてアウルは可能な限り言葉を尽くした。一匹は、それらしい人形が海へ飛び込んでいたと言った。他の一匹は、それらしい人形が別の人形と共に地下から這い上がってきたと言った。
「地下から這い上がる……? この辺りって、地下に何かあるの?」
蝙蝠たちは翼をはためかせてざわつきながらも、昔は誰も寄り付かなかった場所に、半年ほど前から人形が現れるようになったと主張した。まだ明るいので外へは出たくないという彼らは、しかしアウルにその場所の入り口を口頭で教えてくれた。
折角教えてもらったことなので、アウルはその場所を目指したが、口頭で聞いただけだったのがよくなかったのか、単に薄暗くて見落としてしまっているのか、地下への入り口というのは見つけることができなかった。
仕方なく、アウルが別の情報を探ろうとバス停を目指していたとき、何やら騒がしい雰囲気を感じた。それはいつもの港の賑わいとは別のものだった。
人の波が、ある方向へ向かっているような、そんな感覚がある。いつもの市場と、何かが違う。
アウルが注意深く耳を澄ませていると、移動する人々の会話を聞き取ることができた。
「王都銀行に宝石泥棒が現れたらしいぞ」
「あの新聞に出てるやつだろ――エコール・ナルシスイセン! 見に行こう!」
それを聞いて、アウルは野次馬たちに混ざって、王都銀行へ急ぐ。
◆◆◆
さて、アウルがそのように動物たちに聞き込みをしていた一方で、アーロンは人の情報をあたった。モノルカは派手ではないが、素晴らしい造形をしているから、一度見れば印象に残ることだろう。
そうして聞き込みを続けてわかったのは、キャンディがモノルカとアウルをやたらと連れまわしていたということくらいだった。話してくれた人たちの言い方だと、概ね皆で楽しんでいたようだが。
だが、何人目かの目撃者である少年の話は、少しだけ違っていた。
「白黒の人形なら見たよ。他の人形と一緒にいるところ」
「他の人形?」
「うん、あの路地のところで何かお話してたよ」
「その、相手の人形はどんなだったか、教えてくれるかい坊や」
「ええと……暗がりでよくわからなかったけど、確かお花みたいな感じの飾りがついてたと思う。お話っていってもほんの何分かくらいで、白黒の子はすぐ黒い服のお姉さんのところへ行っちゃったよ」
黒い服のお姉さん、というのは間違いなくキャンディ・キャストのことだろう。喪服でもないのに全身黒ずくめの怪しい女は彼女くらいのものだ。
そして花のような飾りのついた人形。何者かがモノルカに接触している。このことはキャンディから聞いていないので、恐らくは彼女も把握していない。
花の人形と言うと、今のアーロンが思い浮かぶのは、かの宝石泥棒エコール・ナルシスイセンだけだった。あれは水仙を想起させるデザインなのだ。本当にナルシスイセンだという確証はないが、宝石を盗むという犯行予告があることと、モノルカの透視能力はもしやと思わせるものがあった。モノルカの能力を使えば、数多くの金庫が並んでいようと、どこになにがあるのか手に取るようにわかるではないか。
情報を教えてくれた子供に礼として飴玉を一つ持たせて、アーロンはモノルカの挙動について思考しながら、新たな目撃者が現れないかと街を練り歩いた。
それから年若い娘とその母親から、アーロンは驚くべき言葉を聞くことになる。
「その人形……もしかしたら、さっきそこを歩いていたやつじゃない? ほら、もう一機別の人形と一緒にいた」
「ああ、そういえばそうだったかもしれないわね。さっき花みたいな人形と一緒に――そういえば、あの人形って……どんな姿だったかしらね。もしかして、新聞に出てた宝石泥棒と似ていたかしら?」
「そう? 気のせいじゃない? ちょっと不思議な音楽が近くで鳴ってたみたいだから、そういう風に見える気分だったのよ。じっくり見ていたわけでもないじゃない」
母娘の会話を、アーロンはいやに冷静に聞いていた。彼女らの話は、まるで正しい認識ができなくなる暗示でもかかっているかのようだ。モノルカはともかく、その傍にいる者をきちんと認識できていない。その時鳴っていたという音楽は今はどこからも聞こえてこない。辺りに蓄音機を置いた喫茶店でもあるかと思いきや、それらしい店もない。
となれば、その音を奏でていたのは、その人形自身ではあるまいか。音によって人に干渉する人形のことを、アーロンはとうの昔から知っている。
それこそまさに、エコール・ナルシスイセンに違いない――そうとしか考えられない。他の人形である可能性が僅かもないとは言い切れないが、ナルシスイセンであると考えれば納得がいく要素が多すぎる。
今アーロンが歩いている道を真っ直ぐ行った先には、王都銀行がある。二機の人形たちもまた、この道を行った。追いかけなければ。それはアーロンの、探偵としての直感、そして義務感である。
◆◆◆
マインダイバー・モノルカの手にかかれば、開かない鍵はなく、切り抜けられない罠もなかった。元々機械修理のために作られたモノルカは、その本来の役割と同じような感覚で、道具に傷をつけないように分解するだとか、解体するというのも得意だった。
ナルシスイセンに誘われてやってきたアトラクションは、モノルカを興奮させた。謎解きは大好きだ。壊れたものを修理するのだって、どこがどのように壊れているのか解き明かさなければ直せない。謎を解き明かす喜びは何にも代えがたい。ここに仕掛けられた多くの罠や鍵は素晴らしい謎に満ちている。今まで世に出される前に受けたあらゆる試験でだって、これほど難解なパズルはなかった!
そうして一番最後の扉を開けると、そこには数えきれないほどの金庫が、ぎっしりと詰めるように並べられていた。ナルシスイセンは「さあ、最後の謎解きだよ。宝物はどこにあるのかな?」と囁いた。モノルカは透視能力を使って、金庫の中を探っていく。
金庫の鍵を開けるのも、モノルカには当然容易い。金庫の中には、大粒のアクアマリンがあった。
「さあ、勲章を手に入れたら外へ出ないといけないね。こちらへおいで、モノルカ」
「どこへいくの、ナルシスイセン」
「きみを称えてあげよう」
ナルシスイセンが手招きするのに、モノルカは戸惑いながらもついていく。
何か煩いベルが鳴っていた。ナルシスイセンは「扉の謎が解かれたからさ」と言った。どこか頼りない足場の非常階段を上る。自分たちの足音だけがいやに響いている。
一番上は建物の屋上に繋がっていた。見下ろすと、建物の傍に沢山の人が集まっているのがわかった。モノルカは違和感を抱く。
――何故、人がこんなにも集まっているのだろう? あの写真機はなんだ。あの制服を着ているのは、警察官というものではなかったか。
モノルカが答えを出すより先に、ナルシスイセンが背後から忍び寄るようにして近づいてきた。そのままモノルカの腕を絡めとるように掴み、するりと指先を這わせて――気が付けば、モノルカの手の中にあったアクアマリンはナルシスイセンの左手に移っていた。
「ありがとうモノルカ、きみはとても優秀なパートナーだったよ。私が見込んだとおり、素晴らしい仕事だ」
「アトラクション……だよね……?」
「ああ、そうだとも。だってきみは楽しんでいただろう? 謎解き、鍵開け、宝探しまで完璧に。銀行の金庫破りなんて大犯罪、なかなか体験する機会はないよ。ああ、これだけの魔力を秘めた石なら、紅い月に喰わせるのにはぴったり」
うっとりとして、ナルシスイセンは手の中の爽やかな青さの石に口づける。モノルカはそれをただ見つめているしかできなかった。
恐ろしい気分がしていた。もしかすると自分は、いけないことをしたのではないか。素晴らしいものを見られるからと、そのために、何か恐ろしいことをしでかしたのではないか。
その答えは、ナルシスイセンの目を見ればわかる話だった。彼の目は、モノルカを映していない。
「モノルカを、騙したの……? きみは、嘘をついていたんだね……?」
「嘘だなんて、人聞きが悪いね。私は本当のことしか言わなかったよ。言っていないこともあったけれど」
くすくすとナルシスイセンが笑っている。それはモノルカを最初に誘ったときと同じような、優しげな笑い方と同じようで違った。これは笑っているというより、モノルカが笑われているというのだ。
「世間知らずの坊や。私の助手として最後まで使ってあげようかと思っていたけど、やっぱり駄目だ。きみはものを知らなすぎるし、能力に反してあまり賢くないようだから――でも安心したまえよ。きみはやはりくだらない人形ではあったが、その命は紅い月のために捧げられ、永劫の美となれる」
ナルシスイセンのもつホーンから、音楽が鳴る。どこか痛々しく、明るさに欠ける音が鳴る。身動きがまともにとれない。一歩一歩近づいてくるのに怯えて、モノルカはじりじりと後ろへ下がろうとする。だが、数歩下がったところで、屋上の転落防止の柵に体がぶつかった。逃げられない。飛び降りるのは恐ろしい、ここから落ちればただではすまない。しかし目の前にも、自分の魔宝石を奪おうとする、剣を装備した腕が迫ってきている。
「い、いや――いやだ……いやあああーっ!」
剣に切り裂かれる恐怖に叫び声をあげながら目を逸らす――しかし、斬撃は襲ってこなかった。恐る恐る視線を戻すと、目の前に白銀の甲冑を纏う、騎士のような人形が立っていた。ナルシスイセンの剣を力強く押さえつけている、その人形。
キャンディに買われた日、アウルと共にいたから少しだけ姿を見た、機械の騎士。その名を、ナルシスイセンは忌々しそうに呼ぶ。
「おやおや、こんなところまでご足労だね……ナイトオウル!」
吐き捨てられた名前など気にもせず、彼は――ナイトオウルは静かに眼前のナルシスイセンを睨んだ。それは、戦闘能力を持たないモノルカとは違う、戦士の目というものであった。




