第二十八話
探偵社というものがある。
世の中の探偵たちに依頼人からの仕事を斡旋する業者であり、フェアファクス探偵事務所もまた探偵社からの仕事を受けている。
失せ物探しや浮気調査などの理由で探偵を頼りたい者にとっても、仕事を求める探偵にとっても、探偵社の存在は色々と都合が良い。探偵社は探偵たちの適正というものを資料として持っているため、大抵探偵社を通じてマッチングをすれば全く合わないで失敗するということはない。勿論、全てが成功する保証があるわけではないけれども、探偵社は積みあげてきた実績によって市民権を得ている。全世界に支部があり、レイファン王国での活動は全体のうちのほんの僅か一角のことでしかない。
いわゆるところの巨大企業であるわけだが、その資本の出処はというと、キャスト財団というさらに巨大な組織の名が出てくる。その歴史は魔族の感覚で言うならば特別長くはないけれど決して浅いものでもなく、キャスト財閥の初代によって設立されて以来三百年以上続いている。現在の総帥はキャスト家の後裔たる女性キャンディが務めており、彼女の主導のもと今なお様々な事業を展開し、その勢力を拡大している。
◆◆◆
エストレ商会が多大な資金提供をしている人形展は、一定の期間ごとに出し物を変えるという試みをしている。人形技師たちの用意した傑作の他に、最初の一週間は貴重な骨董品の人形を、次の一週間には人形の内部構造の展示、といった具合だ。
今の展示は自動人形の歴史についてだ。アウルとしては歴史も知ってみれば面白いというところだが、あまり混み合っていないのは、そろそろ人形展の熱気が落ち着いてきているからなのか、単純に歴史について誰も興味を持っていないからなのか。
より便利な道具を求めて発明された自動人形。高価なそれはやがて華美な装飾に彩られた芸術品へと変わっていく。その過程を知ることができるというのは、きっと恵まれたことなのだろうとアウルは思う。これもある種の学問である。
「私はあまり飾り物であるつもりはないのですが」
そう言うのは、ナイトオウルである。現在彼はクラフトのもとを離れてアウルのところに――正確にはフェアファクス探偵事務所の屋根裏部屋に、というべきかもしれないが――ともかく、預けられている状態だ。
クラフトは軍の任務のために、しばらく王都を離れるという。その間ナイトオウルを連れ歩くわけにもいかないからと、アウルが管理を頼まれたのだ。専門の知識などまるでないけれど、基本的にはナイトオウル自身が自分のメンテナンスくらいは知識を持っているし、クラフトから点検のマニュアルも渡されたので大した問題でもない。
しばらくの間預かっているだけのことだ。何やら以前より機能が増えているらしいが、アウルはよくわからない。わかるのは、ナイトオウルが自信を取り戻しているということだけである。
「今は芸術性の高い人形と実用性の高い人形で需要が分かれているし、ナイトオウルはどちらかというと後者ってことだよね。大丈夫、僕はわかってるよ」
「使われてこその人形ですから」
ナイトオウルはそう言って胸を張った。アウルに従うようクラフトに言いつけられているようだ。要するに彼の主の代理というわけだから、せめてナイトオウルにとって悪い指揮官にはなりたくないところである。彼を預かる者として、彼の友人として。
「そうだ、言い忘れていたんだけど、僕も一つ成長したんだよ」
「おや、そうなのですか」
「うん、ほんのちょっとだけど、飛べるようになった。きみが背中の翼とエンジンを使って飛ぶってほどには速くはないけど、こう、この腕の羽を使ってさ。魔力を使えば走るよりは速いさ」
少し動かすだけでも、ばさばさと音を立てる。アウルの外見が人らしからぬ原因を作っている羽だけれど、これも全く無意味というわけではなかった。
魔族の外見が変質する理由は、有り余る魔力を留めておける器を作るためだ。つまり変化した部分は魔力そのものといっても過言ではないほど、濃密な魔力を帯びた器官となる。かねてよりひっそりと飛行の練習はしていたが、この羽の魔力を使っていよいよ飛べるようになったのだ。
「僕のは飛ぶっていうか浮くって感じもするけどさ。距離だってせいぜいスキップして二十歩ってところだし」
「それでも充分な進歩ではありませんか。素晴らしい。我々はお互いに前へ進んでいる」
「……ナイトオウルって具体的にどう変わったの?」
アウルが問いかけると、ナイトオウルは赤色の目をゆっくりとこちらへ向けた。そこにはアウルの姿だけが映っている。
「少々体を頑丈に。それと、疑似的な魔術を行うための機能を一つ、増やしていただいたのですよ」
相変わらず無機質な硝子だけれども自信に満ちた表情があるように見えるのは、慣れからくる錯覚だ。
ところで、アウルの保護者であるところのアーロンは、学びの機会があれば積極的に見てこいと送りだしてくれる。今回も警備の合間に見ておけるものはしっかり目に焼き付けたらいいと言ってくれた。
仕事を疎かにしているわけではない。人が少ないのをいいことに人形等の展示物を盗もうとしたり、あるいは少ないとはいっても十分に人混みであるからとスリを働こうとする不届き者を見つけては警察に突き出している。ナルシスイセンさえ来なければ後の連中は大したことがない。アウルも慣れたものである。
ただ、アウルが一つだけ気がかりなのは、ここのところアーロンが妙に不機嫌なように感じられることだった。
別に、いつも愛想よく笑っているような男ではない。けれど、今の彼はいつもより落ち着きがないというか、苛立っているというのか、何かが違っているのだ。
ナルシスイセンにしてやられたことを悔いているとか、そういうことではない。失敗など一度だけの話ではないし、それで心が折れてしまうような性格をしているわけでもない。雇い主のアントニオや他の誰かから何かを言われたとしても、逆に相手を上手くやりこめてしまうくらいの男なのだ。今はナルシスイセンへのリベンジに向けて色々と考えを練っているくらいだから、少なくとも違和感の原因はそれではない。だからといって思い当たることもなく、アウルも居心地が悪かった。
最近では魔術薬の実験に失敗して鍋を爆発させたり、いつもどおりに作ろうとしたスープに塩と間違えて砂糖を入れたりといった失敗もある。いつも冷静なアーロンのやらかす失敗にしてはいよいよおかしい。本格的におかしい。
こうなってしまえば仕方がない。わからないなら本人に聞くだけのことである。
探偵たちの役目は予告状でもない限りは昼間だけのことで、閉館後は専門の警備員たちが監視をしているため、アウルたちは事務所からユーウェル館に通っている。一日が終われば事務所へ帰って、今日の出来事を振り返りつつ、また明日の準備をする。預かり物のナイトオウルの点検もして、明日に備えて寝る前に、アウルはアーロンに質問した。
「何があったんですか」
何もなくておかしな態度を取るなどありえない。今更隠すこともないだろうとアウルが説明を求めると、アーロンはしばし逡巡して、それから舌打ちをした。
「せ、先生……?」
聞いてはいけないことだっただろうか。機嫌が悪いのをわかっていてつついた自覚はあるけれど、それにしても荒れた態度に怯える。アーロンは「きみが悪いわけじゃない」とアウルの髪をぐしゃぐしゃと乱すように撫でた。
表情は相変わらず苦々しいもので、あまり打ち明けたくないというのが目に見えてわかるような顔だった。それならば無理に聞きださなければならないということもないのだが、アーロンはずいと紙切れを差し出してきた。
手紙である。探偵社で使われているもので、そういったものがフェアファクス探偵事務所に届くのは日常の一幕に過ぎない。アーロンに憂いを与えているのは、その内容であった。
文面としては、近々キャンディ・キャストが訪ねてくる、ということが書いてあるだけだ。さらに詳細を言うなら、土産を持っていくともある。
「キャンディ・キャストって、探偵社の偉い人の……?」
「というか、キャスト財閥の総帥だな。歳は今年で確か百九十いくつだったか。人間と魔族のハーフだが、それにしてはまだ老いの兆しも見えていないというからそれなりに魔力持ちではあるんだろう。元々巨大だったキャスト財閥をさらに成長させているやり手だ」
「はあ……わざわざフェアファクス探偵事務所に来るって書いてありますけど、これって……」
探偵社はキャスト財閥の支配下にある組織だ。そのキャスト財閥のトップに立つ人物が、わざわざしがない一探偵を訪ねてくるというのは、一体どういうわけだろう。キャストの名を知らぬ者は世界に誰もいないだろうというほどの巨大な組織である――それこそレイファンで幅を利かせているエストレ商会ですら比ではなく、世界経済の一割以上を動かすとも言われるほどだ。
アウルが此処へ来てからの三年のうちに、かのキャンディ・キャストの顔など写真でしか見たことはないが、アーロンの表情を見る限りただならぬ様子である。
「……不本意ながら結びついてしまった縁が切れなくてな」
「不本意なんですか……」
「私に探偵をやるよう勧めた女だ」
それはつまり、今のアーロンがあるきっかけではあるまいか。
アウルとしては興味深い話だったが、これ以上アーロンが突っ込んだ話をしてくれそうもなく、夜も遅いからと自室に戻る。決して特別広くはない屋根裏部屋にナイトオウルが待機していると、少々狭苦しくもあったが、それを気にするようなアウルではなかった。
「……本当に寝てら」
窓際で星明りを浴びながら座っている彼の硝子の目に光はない。
人形も睡眠を必要とする。正確には睡眠ではなく、活動に回している分の魔力を一日中垂れ流すのを防ぐべく、一時的に活動を休止して周囲の自然の魔力を取り込んでいる――らしい。全てクラフトから聞いた話だが、寝ているように見えるだけで、叩き起こせば起きるという。
勿論今はその必要もないので、アウルはナイトオウルの眠りを妨げないよう、足音を立てないようにしながらベッドへ潜り込んだ。部屋が狭くなってもベッドの広さは同じだ。
◆◆◆
近々、という手紙。それが届いたのはいつだったか。その封筒の日付をきちんと見ていなかったのがいけなかったのだが、アウルが気にしていたキャンディ・キャストとの邂逅は、予想以上に早かった。
というのも、手紙を見た翌日のことである。いつもどおりにアーロンと、そして預かっているナイトオウルと共にユーウェル館を訪れたアウルは、蒸気機関の自動車が停まっているのを見つけた。黒っぽい車体に、黄色のタイヤが目立っている。人形に興味を示してやってくるような金持ちなら、こういったものは個人的に所有しているということは多いので、決してそれ自体は見慣れないものではない――けれど、その車から降りてきた人物に思わず目をやってしまった。
黒い縁の眼鏡の下は緑色の瞳で、決して特別な美人というほどではないけれど、肩ほどの長さで揃えられた癖の強い金髪が目を引く女性だった。何故か服は男物の黒いコートを着込んでいて、どこか物々しい雰囲気がある。
彼女はぐっと背伸びをしてから辺りを見回し、アーロンの姿を見つけて大きく手を振る。いっそ子供っぽさすら感じさせるような仕草と笑顔だ。尤も、その笑みに強かさが滲み出ているのも確かだったが。
「よう、ハシバミ! 行くって言ったんやし事務所におるとか何かないんか」
「探偵社の仕事のほうが優先順位が高いと判断しましたので」
「あー、そういえばそんなことになってたっけ? それは客商売やししゃーないか……我も急に言ったとこあるし。うん、まあよい。何気に十年ぶりくらいになるっけ? 元気してた?」
「……七年四か月ぶりです。あなたはお変わりないようですね」
「我に悩みが一つもないみたいな言い方すんな。ところでそこの薄幸面したハネミミボーイはハシバミの隠し子とかそういうやつ?」
「弟子です」
ハシバミと呼ばれたアーロンは苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、彼女は全くもって明るい。その様子に困惑して、ナイトオウルと顔を見合わせるが、ナイトオウルもまた状況を的確に判断しづらいようで首を傾げた。
(なんていうか、偉そうな人だ……いや実際偉いんだけど……)
キャスト財閥の総帥。世界中のさまざまな事業に関わる巨大組織のトップに立つ女。
いつか写真で見たままの、キャンディ・キャストがそこにいた。思っていたのとは、何かが違う気もしたが。




