第二十七話
予言されたとおり、アストロロジックは砕かれた。体も、魔宝石さえも。
砕けた石は魔力を吸い取られてただの宝石の欠片となってしまっていた。以前、ハーピストルを助けたときと同じように、欠片に魔力を注ぎ込んだが、だからといって石が元通りになるわけではない。
かつての面影もない宝石を見た天文台の研究者たちや、親しくしていたメグは言葉を失った。あまりに悲惨だ。解体される予定が立てられていたとはいえ、これが人類の科学の発展に尽くしてきた人形の成れの果てだとは。
結局、ナルシスイセンの襲撃に遭って破壊されたという真実は、隠されたままだ。様々な利権が絡んでいて、公表すれば人形展が中止になってしまい大変な損害が出るからだという話だ。今は二号機だけが展示され、一号機は密かに解体されたのだということになった。
そして、破壊された一号機の代わりに、展示スペースには小さなミニチュアのアストロロジックが置かれるようになった。掌に乗せられるほど小さい。
それは形だけを模したもので、中には小さな欠片となった魔宝石が入れられているが、それだけだ。複雑な機構などは一切盛り込まれておらず、簡単な挨拶などの会話をするだけのものだ。当然というべきか、元のアストロロジックの記憶などは残っていない。
「魔宝石が小さくて記録できる容量がないから、今日話したことも一週間もすれば忘れてしまうのよ、新しい彼」
メグは小さなアストロロジックを見つめて、肩を震わせた。口許は笑顔を作ろうとしているけれど、上手くいっていない。
「その……魔宝石を取り返せなくて、ごめんよ。アーロン先生からも魔術薬をもらったのに、僕が未熟なせいだ」
アウルは正直に、自分の見てきたことを彼女に話した。彼女の代わりに危険な場所へ行って、けれど何をできたわけでもない、その事実としてあったことを話す。それが誠実であることだとアウルは信じていたし、メグも溜息は吐いたけれど受け入れてもくれた。
「欠片でも戻ってきただけマシよ。砕かれるってことは、予言にも言われていたんだし……」
「それはそうだけど、きみの友達をちゃんと助けられなかったから」
「……あなたのせいじゃないわ。ナルシスイセンが一枚上手だっただけのことよ。でも、我がエストレはもう二度もやつにはしてやられているのね」
一度目は、飛空船の動力を盗まれた。そして今度は、アストロロジックだ。いずれもフェアファクス探偵事務所に依頼がきていたのだから、ナルシスイセンに宝石を奪われ逃げられてしまったことは、アーロン並びにその助手であるアウルの落ち度でもある。
「僕がもっと強かったら、ナイトオウルに加勢して戦えたかもしれない」
「起きてしまったことは取り返しがつかないし、次を考えなくちゃいけないわね。本当に悔しいけれど――今回は私たちの負けだわ。でもいつかやつと決着をつけなくては。エストレの娘として、セイジュローの雇い主として」
「メグ……」
「私のことはいいから、ナイトオウルの様子を見てくれる? 彼、クラフトがいないし、今回のこともあってちょっと不安定みたいだから……私より、あなたが話をするほうが向いてると思うの」
アウルは一つ頷いて、彼女のもとを離れる。メグはアウルを見送ってから、小さなアストロロジックを一瞥した。形だけが同じの、小さな、最早以前の彼ではない人形だった。
「いつかアストロロジックに世界の真実を教えてあげたかったけど、そのうち教えてあげることができたって、彼は忘れてしまうのでしょうね」
それより機能停止が先かしら、とメグが呟いたのは、誰にも聞こえぬまま空気に溶けていった。
◆◆◆
ナイトオウルは、アーロンとセイジュローと共にいた。今回のナルシスイセンとの戦闘について、彼らに情報を渡していたようだ。今後の対策のためには確かに必要なことだ。
「もう俺が知っているナルシスイセンでもないようです。俺がつけてやった機能も、恐らくは色々改造をしている。俺の手から離れて、俺の作品ではなくなってしまったみたいだ」
「手放してからそれなりに経っているなら、変わっていてもおかしくはない。それより、ナルシスイセンが宝石をどうしているのかわかったし、やつの能力も改めて身を持って体感した。芳しい結果とは言えんが、少しは進展はした。ようやくまともな知恵比べの段階だ」
「知恵比べ……ですか?」
アーロンは頷いた。
「少し整理しよう。ナルシスイセンは魔力を補うために魔宝石を奪っている。予想はついていたとはいえ、明確になった。今までの事件で宝石ばかり狙っていたのは食いつなぐためであり、自分の力を高めるためだ。他の人形を勧誘する辺り、より効率よく魔宝石を回収する手段を模索しているという風に見える」
「はい……そして都合が悪くなればその人形から魔宝石を奪おうとする」
アウルが知っているだけでも既に何度も同じように人形から魔宝石を奪おうとしている。ナルシスイセンが他の人形を利用するためのものとしか思っていないのは、感覚的にわかる。
「仲間の勧誘も魔宝石を確保しているに過ぎない、というところか。そしてやつの音の攻撃は人にも人形にもそれなりに有効だ。以前より強力になっているのを感じたが、これまで盗んだ宝石の魔力によるものだろう。尤も、ナイトオウルの話を聞く限り純粋な馬力ではやつはそこまででもなさそうだが」
「――しかし私は、やつに負けました」
ナイトオウルが言った。
「不覚を取りました。これでは、私が何故ここにきたのか……」
メグの言ったとおり、ナイトオウルは動揺しているらしかった。気持ちはわからないではない。純粋な力比べであればナイトオウルのほうが有利だが、ナルシスイセンにはいつも逃げられてしまう。今日に至っては目の前で守るべき品を破壊されている――アストロロジックの体も魔宝石も。
そもそもナイトオウルは軍の所属であるクラフトの人形であり、軍の管理下にある人形たちが襲われたためにナルシスイセンを見つければ追わなければならない理由を持っている。実直なナイトオウルは、そうした自らに与えられた役割をこなせなかったことを――自らの失敗を恥じている。
「全く無意味ということはないさ」と言ったのはアーロンだった。
「ナイトオウルが戦ったおかげで、ナルシスイセンがどの程度の能力を持っているかが量れた。何もなかったわけではない」
「アーロン殿……」
「我々の不甲斐なさに比べれば、きみは充分に活躍しているほうだよ。戦闘に関するデータというのは対策のために重要な情報の一つだ」
「やつを止めるために……」
アウルはナルシスイセンのことを思い浮かべる。彼は美しい顔をしていながら酷薄さを滲ませ、他者を蹴落とすばかりであるのに他者の注目を浴びたがっているかのような派手な行動を好む。生きるための魔力を狩り、そのために数多くの宝石が盗まれ、自動人形たちが傷つけられてきた。そして、このまま放っておけば、また新たな被害が増えるだけなのだ。
「これまで使ってきたナルシスイセンの魔術は、簡単に言えば催眠と爆音による攻撃との二種類に限られている。それに加えて剣による物理的な接触だ。ナルシスイセンを確保するためにはその辺りを解決すればいいわけだ」
恐らくやつはまた来るだろうから、とアーロンは言った。
人形展が始まる前から襲撃を繰り返しているナルシスイセンが、そう簡単に諦めるわけがないのだ。まだ人形展は終わらない。その間にまた何か起こらないとは限らず、人形展でなくとも彼が魔力を求める限りどこかで事件は発生する――必ずだ。
「事件が起こる前に見つけて捕まえられれば一番良いんだろうがな。やつには聞きたいことも多いからどうにか確保する手を考えなければ。さて、どうしたものか」
「……ナルシスイセンのことは、壊してしまっても問題ないんですよ、本当は」
セイジュローが言った。
「俺は人形技師ですからねえ。人形の中の記録なんて、簡単に取りだせてしまう。魔宝石さえ壊れていなければ、人形が話せないくらいに壊されたっていい」
これまでナルシスイセンが起こしてきた事件の事情聴取をしたいのなら、別に体はそれでなくともよい。セイジュローはそう語る。曰く、元々解体する手筈だったナルシスイセンを壊すことに躊躇いは必要なく、むしろ積極的に終わらせなければならないことだ――と。
「ナルシスイセンを止めなければ。やつが来るのを待つのではなく、探すくらいのつもりでいなければならない」
――そして捕まえるのではなく、破壊するつもりで。セイジュローの目は深くかぶった帽子で見えなかったが、その喋り方はあまりにも冷徹であった。そのように作っている、そういう声だった。
◆◆◆
「私はもっと上手く行動できるようになる必要がありそうです。我が主に調整していただかなくては……」
ナイトオウルはアウルにだけ、そう告げた。アーロンや他の誰に言うでもなくアウルに話したのは、同じくナルシスイセンと対峙したからかもしれないし、他に理由があるかもしれないが、その辺りは些末なことだ。
「ナイトオウル、きみだけが気負うことじゃないんだよ」
むしろ、アウルのほうこそ、精進が必要だ。このままではただナイトオウルの足を引っ張ってしまうだけだという焦燥がある。
けれどナイトオウルは自分の不徳であると言うだけ言って、アウルのもとから去っていった。メグに話をしろと言われたけれど、どうもアウルからも何を言っていいものかわからない。
アーロンと共にフェアファクス探偵事務所に戻ってからも、心にかかった靄が晴れない。自室となっている屋根裏部屋に籠ってベッドに横たわると、疲労が噴出するような気分がした。
――ナルシスイセンはまた現れる。
アウルの心を占めるのは、あの水仙人形のことだった。これまでもあの水仙には迷惑をかけられてきたけれど、今回のアストロロジックの件は少しばかり衝撃が大きかった。
(アストロロジックに何も残らなかったわけじゃない、けど……)
残っていないも同然と言われてしまえばそれまでだ。元々のアストロロジックが持っていた能力など一つも機能しないし、今では感情らしい感情も見せない――というより、感情を持つだけの思考回路を魔宝石の中に持っていない。石が小さすぎて、最低限の魔術式しか書きつけられていないからだ。
他者から奪ってでも、ナルシスイセンは魔力を欲する。危険な人形だ。人の都合で作られて、けれど生まれた時から欠陥があったからと人の都合で廃棄される――そのことが憐れましいのは確かだけれど、だからといってナルシスイセンの凶行を許すわけにはいかない。
「僕も、もっと、魔術を覚えないと……」
今のアウルにできることといったら、動物たちや人形の心に触れることくらいだ。ナルシスイセンの本当の心も、いつか触れられればいい。けれどそれだけでは、ナルシスイセンとは戦っていけない。やつとは戦わなければならない――何故なら既に、縁ができてしまっている。
アウルのことを小鳥と呼んで嘲笑い、魔宝石を集めるためには他者の命などどうでもよく、平気な顔をしてえげつない行動をする。アウルが関わった事件に度々顔を出してきて、アウルの関わった人たちを苦しめてきた存在。明確に敵対している。このまま彼に負け続けるようであれば、それは過去の惨めな生活よりもずっと底辺の負け犬そのものではないか。
ナイトオウルや、他の誰かの足手まといになるだけでは、アウルがそこにいる意味などないに等しい。アウルは自らの有り余る魔力を、有効活用できるようにならなければならない。




