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きみの黄泉路に花はない  作者: 味醂味林檎
第五幕 アストロット・アストロロジック

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第二十六話

 ナルシスイセンによってアストロロジックが砕かれた。ユーウェル館の壁も破壊されたことで騒ぎは一層大きくなる中、メグは気丈にも涙も見せず、新たな宝石を取りだして「追え」と唱える。すると宝石が光輝き、その光はナルシスイセンが出ていった壁の穴の向こうを指していた。


「やつは私の矢を触ったわ。だから私の魔力の残滓がまとわりついている。それを追えば居場所を見つけられるはず……アストロロジックの宝石を取り返さないと」

「メグ、凄く魔術師らしいね」

「宝石を準備してなきゃ何もできないけどね。あなたと違って私は魔力持ちじゃないし、フェアファクス先生のように修練を積んだわけでもないから」


 メグはいつものように笑って言ったが、それは無理をしているのだとアウルにはすぐにわかった。言った言葉に偽りなどなく全て本心であるだろう。けれど、目の前で慕っていたアストロロジックが破壊されるという衝撃は相当なものだ。


「私が追います」

「ナイトオウル、でもきみは……」


 元々、彼とアストロロジックの間には、これといった深い縁があるわけではなかった。せいぜいがメグにアストロロジックを守ってほしいと頼まれているくらいのものだ。けれどナイトオウルは「それでも出会ってしまいましたので」と言う。


「同じ人形として、アストロロジックの終わりがこれでは寂しすぎますから。それに、ナルシスイセンは軍が追っている人形でもある。無視はできません」

「そうは言っても無茶だ、あまり近づきすぎるときみだってナルシスイセンの影響を受けるだろう」


 人形である以上、人よりは影響を受けにくいだろうが、間近で音を聞かされればそれに揺らされてしまうのは事実だ。接近戦に向いた作りをしているナイトオウルには、ナルシスイセンに近づくことは容易くない。


「いや、ナルシスイセンはあれだけの音は今日はもう使ってこないでしょう」

「セイジュローさん」

「あれは一種の魔術だ。魔術の理論に従って考えるなら、常に魔力不足であるはずのナルシスイセンがそう何度も使えるものじゃないはずですよ。次があってもここまでひどくはならない」


 恐らくは、魔宝石を奪うことによって、使った魔力以上に補えると踏んだからこそ、ナルシスイセンはあのような行動を取った。それが事実ならば、ナイトオウルに反撃の余地はある。


 危険なことに変わりはない。クラフトから借り受けているだけのナイトオウルに、アウルの友でもある彼に、そのような危険を冒させてよいものか。


 けれどナイトオウルは「迷う暇はありません」と、メグから宝石を受け取って、その光が指し示す方へ飛んでいく。


 メグもナイトオウルの後を追いかけようとしたが、それはアウルが止めた。ただでさえ危ないことだとわかっているのに、彼女を向かわせられない。


「でも、アストロロジックは私のセンセイなのよ」

「センセイなら生徒の安全が一番大事なはずだ」


 メグの目が揺れた。メグにとってのアストロロジックが大切なものであるように、アストロロジックのほうも、あまりはっきりとした自覚はなかったようだが、メグをきちんと想っていた。それなら、メグを危険に晒してはいけないのだ。


「きみが無事でないと、何の意味もないんだよ。きみの魔術は通用しなかった。僕だって行っても何の役にも立たないかもしれないけど、メグの目の代わりになることはできる。夜目もそれなりに利くほうだよ」


 他の護衛をしていた者たちも、ナルシスイセンの攻撃からはまだ回復しきっていない。アウルとて条件はあまり変わらないが、少なくとも、ナルシスイセンのことを知っているぶん、追跡するにはマシであるつもりだった。


「……ばかね、ナイトオウルもあなたも。全部私の我儘で、あなたたちには別に関係ないじゃないの」


 口ではそう言ったが、メグはアウルに小さな宝石を一つ渡した。それはナイトオウルが持っていったのと同じように、光がナルシスイセンの行方を指しているものだ。


 出発しようとするアウルに、アーロンが小瓶を投げてよこした。瓶の中身は緑っぽい色をした、さらりとした砂のような粉末だった。


「先生、これ……」

「どうしてもまずい状況だと思ったら使いなさい。それは風を味方につけてくれる」


 アウルは一つ頷いて、改めて駆けだした。


 その背を見つめながら、アーロンは深い溜息をつく。それを見て、メグは「止めなかったわね、先生」と言った。


「止めて止まってくれると思うかい」

「大事なアウルくんが危ないことに首を突っ込むなんて、保護者ならどうやってでも口うるさく止めるものだと思っていたわ。そこのセイジュローも煽るようなことを言うし」


 セイジュローは「事実を言っただけです」と開き直っている。確かにアウルを煽ろうとしたわけではないが、目が泳いでいる辺り、気にしてはいるようだった。ナルシスイセンを生み出したものとして、思うところはある様子だ。


 だが、アーロンとしては、本来なら自分が行くべきだったと考えていた。セイジュローはたとえ製作者であっても既にナルシスイセンを手放している。アーロンこそが探偵として依頼を受けた存在であり、アウルはあくまでも助手であって、責任などない。それでも彼に行かせたのは、彼が行くという意思を強く持っていたからに他ならない。それをアーロンが追いかけたとしても、凶暴な人形に対抗できるだけの戦闘能力はなく、先にいったナイトオウルの足手まといが増えるだけになってしまいかねない。


「色々と、思うところはあるんだがね。アウルにもあれはあれで譲れない理由があるつもりなんだ」

「そうなの?」

「アウルは学問には苦労が多い。アストロロジックは――他の人形にも言えることだが――アウルには手の届かなかった知識の結晶とも言える。それを放っておけないんだろう」

「そういうものなの……」

「それに、男というのは可愛いお嬢さんの前では背伸びしたくなる生き物さ」

「……行動ができるっていうのは良いことよ」


 メグは目を伏せた。もう、アウルの後ろ姿は見えない。


 無残な姿となったアストロロジックの体を労わるように撫でた。その硝子の瞳には、今は何も映らない。


「私が万能ならよかったのにね。やりたいことが沢山あっても、何一つ、自分じゃどうにもできないわ」

「人でもものでも万能なものなど何もないよ。たとえどんなに完璧に見えようともね」


 どうせそうなることはないのだから、万能など目指すものではない。そもそも完璧というものが存在するのなら、世間には何も問題など起きるはずもないのだから。当然、人形だってそうだ。完璧なように作られるが、必ずしもそうとは限らない。


「人形技師の前で言う台詞じゃなかったかな」とアーロンがセイジュローの顔を見ると、彼は決まり悪いといった表情をして帽子を深く被って目線を隠した。


「いやはや、難しいですなあ」


 本当に、完璧というのは難しいものだ。アーロンは静かに首を横に振った。


 壁に空いた穴から、月明かりが僅かながら入りこんでくる。夜はまだ明けない。


「アウル、無事で戻れよ」




◆◆◆




 メグの宝石から洩れる光が、アウルを導いてくれる。夜の闇の中を駆けていくことは、別に苦痛でも何でもない、慣れたことだ。アーロンに拾われる前は、寝床や食料の確保が上手くいかなかったときは、こうして夜の街を駆けたものだ――あの頃と同じ。問題はない。メグのようなか弱い少女に、夜の街を走らせずに済むのなら、この程度易いことだ。


 石畳の道路を抜けて、煉瓦のビルとビルの隙間の階段を上がる。それから蒸気を送るパイプが張り巡らされた裏道を進み、錆びたトタンの屋根をくぐって、迷路のような街並みを駆け抜ける。近くから金属音が響くのが聞こえて、そこへ向かってひたすらに走る。


 建物の影から、姿が見えた。ナイトオウルとナルシスイセンが、公園になっている広場で戦っている。周囲はビルに囲まれているが、一か所だけ拓けている。少し高い場所であるため、そこには展望台のように双眼鏡が設置されており、転落防止のための柵がある。夜の闇の中でも、月明かりに照らされれば、水仙と白銀の二機の影ははっきりと見えた。


 ナイトオウルが爪の刃で襲い掛かるのを、ナルシスイセンが水仙の葉のような剣でいなす。セイジュローの言ったとおり魔力を無駄遣いしたくないのか、音の攻撃はないようだ。ナイトオウルのほうが力が強いのか、ナルシスイセンのほうが随分追い詰められてぎりぎりでかわしているように見える。ナイトオウルの猛攻はナルシスイセンの両腕の剣のうち、左のそれを刃毀れさせるほどである――が、ナルシスイセンの表情には焦りの色はない。それどころか余裕さえ感じられるほどに落ち着いている。


 いつ出ていくべきか、あるいは隠れているべきか。心臓の鼓動が速くなる感覚がある。見届けなければ来た意味はないが、やはり人ならざる者の戦いというのは、どうにも異質な恐ろしさというものがある。アウルがじっと建物の影から様子を窺っていたとき、一瞬、ナルシスイセンの目線がこちらへ向けられた。


(僕のことに気が付いている……!)


 偶然とは思えぬ視線の交わりに背筋がぞわりと震える。あれは、上に立っている者の目だ。ナイトオウルに苦しめられているはずなのに、追い詰められた鼠の顔をしていない。


 よく観察すると、ナルシスイセンのホーンは修繕した跡が残っている。誰かに修理されたのか、自分で修理をしたのか――修理というよりは、もしかすれば見た目にわからないだけで、改造の域にあるのかもしれない。それくらいに、今日のナルシスイセンは以前とは違っている。


 ナルシスイセンの右手にはあのアストロロジックの石がある。暗闇の中で月と星の光を浴びて、それがきらりと煌めいた。


「――あは」


 ナイトオウルの攻撃を受け止めて、ナルシスイセンはにやりと笑った。彼の手の中の魔宝石がいっそう光り輝いて眩しく、突如として闇を照らしたためにナイトオウルは怯んだ。


 ナルシスイセンはナイトオウルを振り払って、輝く魔宝石に仰々しく口づける。眩しさの中で、アウルは目を細めながらも、その光景を見た。


 ピシリと音を立てて、魔宝石に亀裂が入る。石の魔力がナルシスイセンに奪われていく――あらゆるものは魔力によって存在を保っている。魔力が失われれば、存在は崩壊するのが道理だ。石の亀裂は徐々に大きくなり、やがて砕け散る――!


「この時を待っていたんだよ、月が石の魔力を解き放ってくれるこの時を。これでこいつの魔力は全て私のものだ」

「貴様、なんということを……っ」

「惜しむ価値などこいつにあるか! それに世の中にはこういう言葉がある、弱肉強食――弱者はより優れた者の贄になるものさ」


 からからと人形の声が嗤い、砕けた石を踏み潰そうとする。自動人形にとって心臓とも言える石を砕いたばかりか、尊厳を踏みにじるような行為に、アウルはかっと熱を帯びるのを感じた――それと同じかそれより早いか、アウルは建物の影から飛び出していた。


 アーロンからもらった瓶の中身を一握り、鍵を開けるようなイメージで魔力を注いで足に振りかければ、青い砂に封じ込められていた魔術式が風を呼び込み、アウルの背を後押しする。


 人ではありえないような速度で、アウルは彼らに接近した。ナルシスイセンが石を潰してしまう前に、アウルは地面に転がる石の欠片を拾いあげる――そのまま勢い余って足がもつれ、倒れる前に受け身を取って転がる。石はなんとか欠片だが形を残している。決してそれを無事とは言い難いが、かろうじて欠片だけはまだ僅かに魔力が残されている。


「おや、ただ震えているだけでもないのだね」


 ナルシスイセンが笑っている。


「でもわからないなあ、そんなクズ石なんかに何の価値があるっていうんだい。もうそれに魔力は残っていないよ。私が全部いただいたから」

「お前にとっちゃそれだけかもしれないけどね」

「ああ、そうとも、それだけさ。きみとは本当に価値観が合わないねえ。全くもって煩わしい。芸術を理解できない凡人はこれだから困る」


 アウルが体勢を立て直して彼と睨み合いをする中で、ナイトオウルがアウルを庇うように前に立った。ナルシスイセンを狙って鋭い爪を向けるが、それはさっとかわされてしまう。


「そいつは充分見慣れたよ。きみの攻撃ってのは単調でいけないね、もっと上手く演出してくれなくちゃ」

「くっ」

「野蛮なもの同士つるむのは楽しいかい、小鳥くんども。それともつるまないとやっていられないのかなあ」

「……きみだってハーピストルやコバルトブルームを引き込もうとしていたくせによく言うよ」

「弟に関しては期待外れだったからどうでもいいけどねえ、セイジュローが私の後に作った人形はどいつもこいつも半端ものだ。やつも私を手放したことを後悔するがいいさ、これほどよくできた人形を捨てるなんて愚かしい人間め。ハーピストルは残念だよ――彼女はあれほど美しいのに、どうして私と同じところへ来てくれないのだろう?」


 饒舌に語りながら心底不思議だというようなその態度が、アウルには信じられない。ナルシスイセンの本心が読めない。魔力を奪って回復した今、ナルシスイセンが何を仕掛けてくるか――。


 ナルシスイセンはナイトオウルの攻撃を交わしながら後退し、身軽に跳ねて柵の上に立つ。


「まあいいさ、今日のところは欲しいものはもう貰ったからね。本当はきみたちを始末してしまいたいけれど、折角ならきちんと準備をしたいからね――グッド・バイ」


 子供にするように手を振って、彼は、そのまま後ろへ飛び降りた。


 アウルとナイトオウルが下を覗き込んでも、ナルシスイセンの姿は既に闇に紛れて見えなくなっていた。

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