第二十三話
ユーウェル館で開催されている人形展には、さまざまな種類の人形が集まっている。
有名な技師の人形が注目を浴びるのは当然の話だが、それ以外にも注目の的となっている人形があった。
「御覧なさい、彼がアストロット・アストロロジックよ」
メグに案内されてアウルとクラフトが見たのは、下半身が馬のような姿をしている人形だった。馬の首が生えているべき部分に人に似た体がくっついている、と言うより他に表現ができない。しかもその顔は大部分が目の役割を果たす硝子玉で、あからさまに通常の人に似せた人形とは違っていた。
そして、何よりそれが違っているところといったら、同じ姿をした人形がすぐ隣にもう一機並んでいるということだ。
(いや――同じじゃない、右のほうのやつには傷がついているんだ)
よくよく観察してみると、右側に立っている人形の体には、細かな傷がいくつもついているのが見えた。一方、左側の人形は真新しさを感じさせるほど、ひっかき傷の一つもない。
「正確に言うと、右の彼はアストロット・アストロロジック初号機。左の彼は二号機なのよ」
「そういえば噂で聞いたな。天文台の自動人形を新しくすると」
クラフトが言っていることに、アウルも心当りがあった。先日の新聞記事の隅のほうに、王立天文台の設備を一新するというのが載っていた。そこには自動人形のことも書かれていた。
「そうよ。前のが古くなって解体することになったから、新しいものが必要になるでしょう。それで、新しくなってどう違うのかっていうのを、ここでデモンストレーションしているわけなの。色々変わってるらしいわ、見た目はほとんど同じだけど」
「そういえば、僕天文台って具体的に何をどうするところなのか知らないな」
アウルにとっては、全くといっていいほど縁のない場所だ。「星を観察しているのよ」とメグは言った。
「この世界――私たちの星テルエの他にも、空の向こうに輝く多くの星がある。それは全て規則に従って動いているものだそうよ。天文台ではそういった天体や天文現象の観測とか研究をしているの。それは物理学的な一面からという話でもあるし、魔術師たちにとってはそれだけというわけでもないわ」
「というと?」
「占星術よ。星の魔力を読み取って、これから先に起こる未来を覗き込むの。予言の一種ね、それを本気で探求しているっていうこと。アストロロジックはその占星術研究のために作られた人形なのよ」
メグの視線は、アストロロジックを見ている。古い人形の前で、新しい人形が内蔵された占星術という魔術を披露しているのを、集まった客たちが見守っている。だがメグが真っ直ぐに見ているのは、新しい二号機のほうではなく、初号機のほうだった。
(何だろ――?)
それは、何というか、寂しげだ。人形が解体されることを、惜しんでいるような。だがそれを問うより先にメグが「ほら、あれを」とアストロロジックを指さした。
魔術の結果が出たのだ。初号機は明日の天気は晴れると言った。二号機は、向こう一週間晴れると言った。
「天気の予言?」
「二号機のほうがより複雑な魔術を搭載しているのね。だから高度な魔術を使うことができる。見せびらかしたくなるのもわかるわ」
「興味深いな。同じような型なのに、中身をどう作り替えたらそこまで魔術を圧縮できるんだろう。気になるな」
「元々体が大きい分、機能を詰め込んでいるのよね。私が言えるのは、どちらもエストレが提供している石を使ってることは確かってことくらいだけど……」
「ほほう」
「ペリドットを含む隕石が、彼らの核なの。あまり人形作りに向いた石ではないと思うけど、魔力はとても濃密でね。それを活かす技師の腕というやつね――魔術式を複数組み合わせることで複雑な機能を盛り込めるってことみたい」
「ふうん、魔宝石が変わり種なのか」
「かなり特殊な石だからあまり参考にはならないんじゃなくて?」
「複数の石を組み合わせれば再現できそうな気もする」
クラフトはすっかり技術者のような顔で、人形を観察している。「思考回路を単純化して――いや、何か一つの事象に特化させれば――」と何やらぶつぶつと、隣にメグやアウルに聞かせるでもなく呟いているのは、当然ながらアウルには理解できる内容ではなかった。
メグは慣れた様子だ。元々友人だったようなので、当然といえば当然かもしれない。一つ溜息をつきながらも、彼女は「明日はもっと面白いことをやるんですって」と言った。
「抽選で何人か選んで、その人の未来を予言するって聞いているわ。っていうか、もう魔術としてはやってるはずなのよ。明日結果を発表するってだけ」
「そんなのやるんだ」
「まあ、そう遠い未来を見られるわけでもないし……そういうのは、他の国にもっと洗練された魔術師がいるっていうしね。どうせ機能を試すだけの話よ」
確かにそれは天気を知らせるよりずっと興味深いかもしれない。天気を知ることができれば便利なことは間違いないが、天気は予言などなくともある程度予測ができるものだ。風の匂いであったり、雲の形であったり――そういったものから、完全とはいえなくとも明日の天気がどうなるかくらいは予想がつく。
「惜しいなあ、明日の実機試験がなければまたここへ来たものを」
「クラフトの研究?」
「俺のというか、チームの仲間たちのって感じだけど。軍の研究機関が本気出して新しい人形をいくつも作っているところさ。具体的にどうこうは言えないけど」
機密事項だ、とクラフトは唇に人差し指を当てた。要するに、軍でこれから使用していく兵器の開発ということだろう。内緒話というわりにはアウルたちには特に警戒心もなくかなり正直に白状しているようにも聞こえるが、それはアウルの気のせいというわけでもなさそうだ。確かにアウルもメグも無暗に喋りすぎる性質ではないけれど。
「最近忙しいのね、クラフト」
「ああ、うん――最近ほら、辺境の蛮族どもが小うるさいからね」
新聞のニュースでは、最近は人形展の華々しさのほうが大きく報じられているが、クラフトの言ったことも書かれていないわけではない。レイファン王国は数多くの国に囲まれているような場所で、周りの国は人間だけが暮らしているような場所ばかりだ。全て敵というわけではないし、同盟を結んでいるところもあるが、中には魔族を忌み嫌うような文化を持っている国もある。
レイファンに人間は少ないが、技術を持つ人間であれば活躍の機会がある――それは外国人であっても同様で、例えばセイジュローがそうだ。レイファンは魔族が中心の国だが、人間の技術を疎かにせず、魔術と上手く折り合いをつけて発展してきた。結果として諸外国より技術の発展は進んでいて、文化水準も高いほうだ。魔族と人間が手を取り合っている国は自然とそうなりやすい。そういった背景があるから、クラフトが辺境の地に住む人を蛮族と呼ぶのも仕方のない話ではある。相手の人間たちは魔術を理解せず、技術だけではレイファンに追いつけない。
そしてそもそもレイファンの歴史上、発展のために他国を滅ぼしたり、領土を奪ったりということは当然にあった。そして土地をめぐる揉め事はそう簡単に片付かないようになっている。昔学校に通えていた頃、アウルはそう習った覚えがある。
「あまり不穏の火種を放置しているわけにもいかないし、煩わしい相手を黙らせられるだけの力は欲しい。上のほうもそういう考えがあるから、研究チームがせっつかれてるんだ」
「……それって逆に今日はここにいていいの?」
「バーレット中佐とか仲間には言質はとった。より良い人形制作のために他の人形を見てくるって言っておけば大体なんとかなる。新しい人形を調整するときの参考にもなるからね。どうせなら今のうちに平和を満喫しておきたいって気持ちもあるし」
話を聞いたメグは心配そうに眉を顰めた。
「まさかあなた、兵士みたいに戦場に出るの? 裏方の研究者のはずでしょう?」
「俺の死霊術は戦争向きだからね。人形の扱いもわかっているし、技術班としては使い勝手がいいし。俺としても戦場に出れば死体漁りができて魔術の研究を進められるわけだし、それが目当てで軍にいるようなものだし……」
クラフトは言った。そうだ――彼にとって自動人形の制作は、本来の魔術である死霊術を極めるための、研究の一環に過ぎないのだ。本命ではない。
「ナイトオウルも戦争に連れていくのか?」
ナイトオウルは普段、クラフトに一番近いところにいる人形だ。彼が作り、彼が一番気に入っているものだ。アウルが問うと、クラフトは否定の意を示した。
「あれは俺個人の所有物であって、軍の所有物とは違うからね。連れていかなきゃいけない道理がない。まあ、留守の間に他の誰かに目をつけられても嫌だし――アウルくん預かってくれる?」
「え、僕が?」
「アウルくんはナイトオウルと仲が良いから」
言い切られてしまった。アウルとしてもそこは否定しないけれど、アウルの事情は一切考える気がないのだろうか。ナイトオウルを預かるには、フェアファクス探偵事務所の屋根裏部屋は少々広さが足りないのだが。
◆◆◆
人形展に近づく不穏な影はないわけではない。ナルシスイセンへの警戒は勿論のことだが、それ以外にも不審人物はいないわけではない。自動人形という高価な代物が展示されているのだから、変な気を起こす者も出てくるというわけだ。
閉館の時間が近くなってアウルがメグたちと分かれてから、ユーウェル館のロビーへ来ると、別行動をしていたアーロンがいた。正確に言うと、アーロンが見知らぬ男の腕を捻り上げるようにして引き摺っていて、近くには警備員だけでなく警察官の姿も見える。
「ひいいいいっ痛い痛い痛い――ッ!」
「盗みなんかやりたがるならもっと器用になってから出直しな。ま、今日のお前が帰る場所は家じゃなく留置所、その後行くのは刑務所なわけだが」
「いぎッ――」
「不法侵入、恐喝、窃盗未遂。レイファンでは盗みは重罪だ、果たして出てくるのにどれくらいかかるかな……」
アーロンは現行犯で捕まえたばかりの盗人を、警官に引き渡す。捕まった男は何やら騒ぎながらも、手錠をかけられてどこかへ連行されていく。
「この私の監視下で自動人形を盗もうとするとは不届きなやつ」
「アーロン先生、今のは……」
「ああ、アウル。何、大したことのないこそ泥だよ。ちょいと腕を捻ってやっただけさ」
ちょいと、というには犯人は随分と痛がっていた。アーロンが目を逸らしたのを見て、アウルは彼が犯人を相当甚振ったのだろうと察した。元々軍医だったというアーロンのことだ、暴れる患者を押さえつけるのと同じ感覚で逃げようとする犯人を拘束したに違いなかった。しかも人の構造をよくわかっているアーロンだから、より効率のよい締め上げ方を知っているし、過剰防衛にならない程度に痛めつけるやり方もよく理解しているのだ。
あまり聞かれたくないという顔をしているので、アウルはそこを追及するのは避けた。
「……ナルシスイセンの他にも人形を狙う泥棒がいるんですね」
「高価な代物が沢山ある場所だからね。もうちょっと頭がいいやつならスリをするところだが」
そちらのほうが気づかれにくい、とアーロンは言った。人形展のために多くの人が行きかうのだ。アーロンたちだけでなく、本業の警備員たちも目を光らせているが、限界はあるだろう。ここは日中、人で溢れている。
「それでも人形を欲しがるのは、それが疑いようもないほどの価値があるからだ。人形の価値に目が眩んでまともな判断ができなくなり、愚行を犯す」
「綺麗な人形が沢山並んでますもんね……」
「まあ、あれは綺麗というのは少し違う気はするが」
アーロンが目線をやった方向を見る。そこにいたのは、ちょうど昼間、メグたちと共に見てきたばかりの人形だった。
人のような体、されど下半身は馬に似ている。顔にあたる部分は表情などまるでわからず、ただ視覚情報を得るためだけの大きな硝子の目が一つ鎮座するのみ。よく磨かれているけれど、注意深く観察すればそれは細かな傷がついている。
アストロット・アストロロジック――それも、初号機のほうだ。彼はアウルたちの視線に気が付くと、会釈をした。




