第二十二話
アウルたちは取り戻した魔宝石とコバルトブルームの体をセイジュローたちのもとへ運んだ。幸いにも魔宝石には傷ひとつなく、セイジュローがそれを元に戻すのは何ら難しいことではなかった。アウルたちだけでなくメグや、事情聴取に来たクラフトたちが見守る中、魔宝石を戻されたコバルトブルームは、セイジュローの顔を見るなり「教えてください、マスター」と言った。
「私は欠陥があるのか。私の心は、狂っているのだろうか」
「おい、何を言いだすんだ。何故そんなことを」
「私は……私は、マスターの人形だ。その事実は変わらないし、それに誇りを持っている。けれど私は、ただ一機の人形にばかり目を向けてしまう。彼女と話すときひどく苦しいのに、されど彼女から目を離したくなくなる。歪だ。私の心は歪んでしまっているのだろうか」
コバルトブルームは何かを堪えるように、その苦しみを吐きだした。それはナルシスイセンの誘いに乗った理由そのものだ。彼は自分の感情を持て余し、そこをナルシスイセンにつけこまれ、自ら彼の言葉に従ってしまった。コバルトブルームはその想いを、正常ではないと思いこんでいる。
だが、それを聞いていたアウルは、それこそ正しく心の在り方ではないかと感じたし、周りにいる者たちも恐らくは同様の感想を抱いたであろう。それはいわゆるところの、恋というものではないか。アウルはまだそれらしい経験には乏しいけれど、物語に語られるような恋そのもののような言い草ではないか。
コバルトブルームというセイジュローの傑作に興味津々という様子だったクラフトは、首を傾げた。
「きみがわからないというのなら、その彼女に決めてもらえばいいじゃないか」
全く無表情なまま言うので何を考えているのかわかりにくいが、本気で疑問に思っているというのは、アウルにも何とはなしに伝わってきた。しばらく付き合いを続けているうちに彼の表情もわかるようになってきたのかもしれなかったが、ともかく、それは良いアイデアのように思えて、アウルも賛同した。
◆◆◆
蒸気機関に埋め尽くされたこの王都で、十字時計を掲げるこの教会は数少ない木造の建物だった。カリタス神父がオルガンを弾いているのに合わせて、集まった信徒たちも笛を吹き、ベルを鳴らし、神を称えて歌う。彼女はハープを弾いていた。ステンドグラスから差し込む淡く柔らかな光が、その姿を照らし出す。ベエル神を称える曲が、力強さをもって奏でられる。されどその響きは穏やかで優しく、彼女によく似合っていた。
やがて歌が終わって、神父の説教があって、全て終わって信徒たちも帰路につく。コバルトブルームたちだけが、そこに残っていた。信徒たちを見送った彼女は、コバルトブルームを振り返った。丸みを帯びた女性的な肢体、鋼鉄の翼、鳥の鉤爪のような足――ハーピィ・ハーピストル。それが彼女の名だ。
「もう人形展の準備はよいのかな」
「はい。あの、ハーピストルさんはいつもここで音楽を?」
「ああ、わたくしは音楽が好きなんだ。美しい音は良いものだ。心を洗い流してくれる――カリタス神父や、ここへくる信徒の方々が、わたくしに美しい音楽を教えてくださった。あなたは音楽は好きか?」
「ええと――その、よくわからない……が、あなたが弾いていたのは、良かった」
「神を称える曲だよ。他にも素晴らしい曲が沢山あるから、機会があれば聞いてみるといい。きっとあなたも気に入ると思う」
ハーピストルが柔らかく微笑んだ。美しい笑みだった。それを見るたび、コバルトブルームの心は焦燥に駆られる。暗く重苦しい痛みに囚われてしまう――彼女と話すことは、嫌なことではないはずなのに。そうだ、今日ここへ来たのはそのためだ。その罪を明らかにしなければならない。そのような狂気は罪であるのだと、証明される必要がある。
一緒に来た清十郎やアウルたちは、何も口を挟まないで、そっと席を外してくれた。だからこそコバルトブルームは、嘘偽りなく、心から思うことを、告白しなければならない。
「私は狂っているのだろう。あなたと話していると、それだけで苦しい。あなたの輝かしい笑顔に焦がれて、あなたを閉じ込めてしまいたくなる。あなたのことを好ましく思っているはずなのに、あなたを傷つけてしまいたい」
言葉として紡ぐほど、自らの異質さを意識させられるかのようだった。こんなことは人形として異常だ。道具として生まれてきたはずが、それを逸脱した感情に振り回されているなどと。
「こんな感情は醜い。きっとどこかが壊れて悪くなってしまっているんだ。こんな私はこのまま存在していてよいのだろうか。神はそれを許すと思いますか。あなたは、私を許せるのですか」
「あなたが許しを求めているのなら、きっと、神はそれを許すでしょう。だからわたくしも許します」
ハーピストルは言った。硝子の瞳にはコバルトブルームの青が映っている。その目線はまっすぐコバルトブルームだけを見ていた。そこに欺瞞の色はない。
「あなたはとても人々と近い心を持っているのだな。人に作られたものなのに、心を持つものとして自然すぎるくらいに、あなたの心は成長の過程にある。きっとあなたを作ったセイジュロー・セセラギの腕がとても良いのでしょうね」
「しかし、こんな……こんな苦しみは、つらい。これは欠陥ではないのか。欠陥でないのなら、何だというのですか」
「それが心というものではないか。他に替えのないあなただけの、大切にするべきものだ」
宥めるように、ハーピストルがコバルトブルームの肩を叩く。
「安心しなさい、神はあなたを許される。人々が信仰する神が、そんなことにまで目くじらをたてるほど、狭量なはずがないからね。だからわたくしもあなたを許します」
「ハーピストルさん……」
「それほど想ってくれているなんて、少し気恥ずかしいけれど、わたくしは嬉しいよ」
偽りなく、心から。照れたように、はにかんで。
ハーピストルは眩しいくらいに、見惚れるほどに美しかった。どこか清々しく凪いだ気分がするのは、きっとその笑みが、コバルトブルームにだけ向けられたものだからだ。自分のためだけに、他の誰にするのとも違う、この笑みを向けてほしかったのだと、今になってようやく気がついた。
◆◆◆
人形展が始まって、王都全体に各地から人が訪れる。当然ながら会場となるユーウェル館は押し寄せる人で賑わっており、アウルたちはメグの一言で関係者として中に入ることができるが、そうでなければろくに観賞もできていなかっただろう。勿論、警備という仕事はまだ続いているので、ただ気を抜いていられるわけでもないのだが。
コバルトブルームはあれからハーピストルと懇意にしている。優先入場チケットで会場へやってきた彼女とその保護者であるカリタス神父を親切に案内したり、教会へ通って説教を聞いたりしているのだ。全てハーピストルに近づくためで、そのために彼女が興味を持つことを学ぼうとしている。見た目こそ無骨な人形だけれど、その在り方は少年のように純粋で健気だ。
そして軍の研究のためにハーピストルを訪ねているクラフトは、ついでにコバルトブルームという人形を熱心に研究しているらしかった。高名な技師が作り上げた人形を観察することで、その技を盗もうという魂胆らしく、セイジュローのところへ来てあれこれ人形のことを聞いている姿を、アウルは既に片手では数えきれない程度には見ていた。そこにアーロンが混ざることも珍しくない。彼も人形に関してそれなりに知識を持っているから、恐らく話が合うのだろう。
「俺はあのとき、ナルシスイセンを廃棄すべきではなかったのかもしれない」
セイジュローは、自分の作った華麗な人形たちの前で呟いた。眼前にはナルシスイセン同様に華々しい外見の人形たちが並び、精巧な人形たちを一目見ようと集まった客たちが列をつく。
アーロンはセイジュローを一瞥して、問うた。
「あんた今年で幾つだ」
「二十七になりますが」
「若いな。私より十八も若い」
「十八なんて誤差の範囲じゃありませんか」
そう言ったのはクラフトだった。基本的に長命な魔族にとっては、確かに大した違いではない。だが人間にとっては、それは大きな違いだ。
「魔族は歳を取りませんなあ。俺とそう変わらないように見えるのに」
「皆歳の取り方が違うから、他人と生きるのが下手な種族さ。あんたよりちょいとばかし長く生きてるから、その分後悔したことも多い。だが過ぎたことはどうしようもないというのは同じだ」
「それはそうですがね……でも、俺がもっとしっかりしていれば、ナルシスイセンがああなることもなく、コバルトブルームに心労をかけることもなかったんじゃないかとね、思うんですよ。俺は頼れる人ってのが少なすぎて、どうにもね、上手くやりきれない」
「もしもの世界なんか考えるだけ無駄だよ。私たちには今の世界しかない。後悔したことがあるなら、次からそうならないよう気をつければいい。それが学びというやつだ」
「ああ、それは確かにそうかもしれない」
セイジュローは納得したように頷いて、隣にいたクラフトを見遣った。
「きみは俺のような人形技師になっちゃいけないよ」
「ご心配なく、俺の本業は別ですから、あなたと同じになることはありません」
いつもの無表情で、クラフトが答えた。そうだ、彼の本業は死霊術であって、人形作りはその一環に過ぎないのだ。それに、と言葉を続けて、彼はアウルの傍にやってきて肩を抱く。
「俺にはアウルくんという友達もいるし、俺の人形もアウルくんと仲良くしてるから、平気ですよ」
「……僕ってクラフトと友達だったのか」
「違わないだろう?」
あまりにそういった意識がなかったので、アウルは不思議な気持ちがしたが、言われてみれば確かに友人らしいことをしているかもしれない。
(友達かあ)
人の友達というものが少なすぎて、いまひとつその定義をわかっていなかったが、どうやらアウルとクラフトは友と呼んでいい関係らしい。全くクラフトのことを理解できる気はしないけれど、だからといって友というのが嫌だとは思わなかった。不思議なものだ。クラフトは相変わらず表情一つ変えないから不気味だが、そろそろアウルも絆されてきている。
今度はあの人形も見よう、折角メグに融通をきかせてもらっているんだから。そう言ったクラフトに腕を引かれるままアウルはついていく。よくわからない相手だけれど、確かに、今傍から見たら自分たちは充分友に見えるのだろう。そんなことを、アウルはぼんやりと思った。
「子供ってのは良いですね。未来に希望が満ちている」
「未来に疑問を抱かないで生きていけるのが子供の特権で、保護者はそれを守ってやるものさ。あんたも人形たちの親なら、今手元にあるやつらのことくらいは、きちんと責任をもってやるといい」
「ああ、勿論だとも……ナルシスイセンのような子は、二度と作らない。ナルシスイセンのことも、いつか、ケリをつけなきゃいけませんねえ……」
「まあ、できることからしていけばいい。何事も手の届くところからだ」
「ですね。ところで、子育てについて聞いてもいいですかねえ。人形の情操教育も、案外人の子の話が参考になるかもしれない。あなたいいお父さんしてるみたいだし」
「私たちが親子に見えるのか」
「二人とも金髪だし、あなたの目は自分の子を見守るそれだ」
「そうか……親子に見えるのか。それも悪くはないかもな……」
自分たちの背を見守りながらアーロンたちがそんな会話をしているなどとは、アウルは知る由もない。
多くの人が、人形のために集う。この賑わいはまだまだ収まりそうもない。人形展は華々しく幕を開けたばかりだ。




