第十九話
視察は終わったけれども、アウルはまだユーウェル館に通い続けている。というのも、メグが「手伝ってくれるなら自由に出入りしていいわよ」と言ったからだ。数々の人形が運び込まれてくるというだけでアウルの好奇心が刺激されるし、此処に入り浸ることで人の顔やどんなものがあるか覚えられる。
メグ自体は上流階級同士の付き合いとやらがあるらしく「これも修行のうちなのよ」と、どこか疲れを滲ませながらもアウルに告げたきりで、ユーウェル館を案内してくれたあの日から未だ顔を見ることができていない。アーロンはエストレ商会のほうと今後のことを相談したいから、ということであまりユーウェル館のほうには来ない。メグの父アントニオや、警備担当の者たちと言葉を交わしておきたいということだろう。難しい話はアウル向きではないし、これも役割分担だ。
色々な外見の人形が日を追うごとに会場に増えていく。そうするとアウルの怪物的な外見もさして目立つものではなくなり、簡単なこととはいえ作業を手伝っていたのも相まって、技師やその助手たちは快くアウルに人形を紹介してくれた。人と見紛うほど精巧に作られたまさに芸術品という人形もあれば、道具として完成された人形も沢山あった。そのどれもに同じなところは一つもなく、それぞれの人形技師の個性が滲み出ている。
セイジュローは一番多く人形を用意していた。どれもが華やかな美しさを持つ、豪奢な人形たちだった。だがどれを見ても、コバルトブルームとはまるで違った。
コバルトブルームが席を外している間に、セイジュローは「おかしな話です」と溜息をつく。
「世間様は機能性と見た目と両方欲しがる。それも機能性を求めておきながら、それを潰すような派手な見た目を好むんです。嘆かわしい」
セイジュローが展示する人形たちの頬を撫でる。親が子を慈しむ、そんな手つきで、けれどセイジュローが人形を見る目にはどこか悲哀が見え隠れしている。
「俺は好きな人形を作りたいが、人形を作るには金がいる。金を稼ぐには人が欲しがるような、俺が作りたくない人形を作らなきゃならん。ああ、ほんとにくだらない話ですがね」
「あなたは、それで後悔したことがあるの?」
「……勿論ありますとも。結局あの人形は、もう駄目になってしまった」
「人形を壊しちゃったんですか?」
「駄目にしてしまったのだ、あれは解体屋に渡すしかなかったんです。炉となる魔宝石に欠陥があったのを、無理に人形に仕立て上げたジャンクだった。あの頃の俺は今よりも若く愚かで、技量も足りなかったから」
秘密の話ですよ、と囁いて、セイジュローは思い出語りをしてくれた。
それは彼がレイファンに来たばかりの頃であったという。ヒノモトでは魔術を使わない絡繰り人形を作っていたという彼は、レイファンへやってきて自動人形の技術を学んだ。その頃は美しい人形を作ることが楽しみであったセイジュローは、自動人形を美しく作ることに没頭していた。そうして作られた人形たちの顔を気に入った貴族が人形制作を依頼してきたとき、セイジュローは自分の腕が認められたのだと、喜んでそれを引き受けた。
「だが、その仕事には条件があった。俺が選んだのではなく、その貴族が持ってきた魔宝石を人形の炉として使うという条件だ。そんなものはよくある話でね、死に別れた恋人の思い出だとか、思い入れの強いものを芸術として作り替えたいというやつさ」
「――でもその魔宝石に、欠陥があった……?」
「そうだ。一見美しい宝石だった。けれどそれはインクルージョンによって魔術式が途切れている、半端な魔宝石だったのだ」
インクルージョンとは、鉱石の内部に入りこんだ傷や異物のことを言う。
セイジュローが言うには、ほんの小さな傷ひとつで、とてもわかりにくいものだったという。けれど、その傷が人形の運命を変えた。
「魔宝石にするならば、特に事情がないのなら、インクルージョンの少ない石であるほうが良いのです。魔術式に悪影響が出てはいけない。だがそんなことを知っているのは、魔術に慣れ親しんだ魔族だけで、当時の私はそこまで知識を深く持っていなかった。僅かな異物も見逃してはいけなかったのに」
重大な欠陥に気づかれないまま、制作は進められた。
結果として、人形を動かすための魔術式が正しく刻まれなかった。セイジュローが欠陥に気が付いたのは、人形が完成してからのことで、気づいてしまった以上それを売り物にすることはできなかった。その人形はどうあっても魔宝石の欠陥のために莫大な魔力を消費し、長期間活動し続けることができない――それどころか、不安定な魔術式のせいで魔力が暴走することでもあれば、一体どのような災害が起こるかわからない。魔力がある道具とはそういった危険性を孕むものでもあるのだ。
「……その人形、解体されてどうなったんですか?」
「解体はされていない」
「え……」
「魔宝石を依頼主の貴族へ返す約束の前日、解体屋から人形が逃げ出してしまったんだよ」
「に、逃げ出した!?」
アウルは、何か嫌な感覚がした。セイジュローの話は、アウルの感覚を、気味悪く感じるところを刺激する。自然と心臓の鼓動が速くなるような、そんな感覚を覚えている。けれど彼の語る話を無視することもできず、セイジュローの言葉を聞き続ける。
「とうの貴族は宝石のことなどまるで忘れたかのように振る舞って、俺へ人形制作の依頼をしたことも知らないような顔をするんだ。人形がその貴族に何かしたということは、一目瞭然だった。その人形には人の心に働きかける機能があったからだ。それは人を癒すために俺がつけてやった機能だったが、人を害さないという制約は、魔宝石の傷が無意味なものへと変えていた。人形は駄目になった、怪物になってしまった。俺はずっと後悔しているんだ。あんな、欠けたところのある人形を世に送り出してしまったことを」
「その、人形の名は」
アウルが絞りだすような声で問うと、セイジュローは静かに、囁くように唇を開いた。
「エコール・ナルシスイセン」
◆◆◆
マグナッツ・コバルトブルームは瀬々羅木清十郎の作った自動人形である。機体は青一色、余計な装飾など一切ないシンプルな造詣の、まさに道具として作られた人形だ。清十郎の作った人形は数あれど、コバルトブルームほど道具らしく作られた人形は他にいない。
エストレ商会の令嬢マーガレットが清十郎の人形を好んでいるため、人形展で彼の人形が飾られるスペースは広くとられている。それはつまり、その分準備に時間がかかるということであり、清十郎の助手であるコバルトブルームはその手伝いに奔走していた。
清十郎は人形技師として腕が良いらしい。それは彼に作られた人形であるコバルトブルームとしても誇らしいことで、自分はその彼の一番身近な道具であるという自負がある。清十郎は興味のないことには頓着しないたちで、その分コバルトブルームが支えてやらなければならない。流石に問題だと感じることもあるが、コバルトブルームが説教をしたところでまともに聞くわけもなく、仕方なしにフォローに回っていることも多い。
人形展の準備もそうだった。清十郎の集中力が続く間はいいが、そうでないときは疲れ知らずのコバルトブルームが手を貸さなければならない。清十郎はエストレ商会の所属だからいくらでも商会の力を借りられる立場だが、無駄に気難しいところがあるから、重要な作業については結局コバルトブルームが手を貸さなければならなくなる。無論、それ以外にもやることは山とあるけれど。
不本意ながらも逆らう気もなく、ただ道具として使命を全うするのみだ。清十郎の作った他の人形たちが、この国の人々の目に触れるそのときのために、最高の舞台を用意する――それもまた、同じ父から生み出された仲間の役目だといえば、少しは気分もよくなるものだ。
「こんにちは、コバルトブルーム」
凛とした声が彼を呼ぶ。梱包材の中の人形を取りだそうとする手を止めて振り返ると、そこには女性のようななだらかな曲線を持つ人形が立っていた。
「ハーピストルさん」
「人形技師の助手ともなれば、毎日が忙しいのだな……何か手伝うことはないだろうか」
自分の持ち場の清掃が予定より早く片付いてしまった、とハーピストルは言った。
「教会の仲間たちはもう帰ってしまったけれど、わたくしは帰っても今日はあまりやることもないのだ。どうだろう、あなたの邪魔にはならないから、手伝える仕事をくれないだろうか」
「ふむ」
細やかな作業はコバルトブルームの領分だが、正直なところコバルトブルームだけでは手が回らない部分も山とある。折角の申し出を断るわけはなく、彼女には展示スペースの整理を頼む。
ハーピストルは時々こうしてコバルトブルームのもとを訪れる。先日ユーウェル館のゴミ捨て場で出会ってから、不思議と縁があって、すっかり友人のように話すようになっていた。
縁も不思議だが、彼女という存在もコバルトブルームには不思議だった。教会で暮らしているという優美なハーピストルは飾り物であるはずなのに、その佇まいはそれらしい隙がなく、まるで戦士のようだ。かといって荒々しいわけでもなく、コバルトブルームに向けてくる微笑みは穏やかでただ美しい。そしてそんな彼女を見ていると、コバルトブルームは苦しさを感じるのだ。
彼女と話すのは楽しく、共に過ごすのは心地良い。だが、何故か奇妙な苦痛を伴う。人形の体に――この体には痛覚は設定されていないはずなのに、締め付けられるような、針で刺されるような、謎めいた苦しさが消えない。それと同時に、ハーピストルを捕まえてしまいたい、そんな感情が湧きおこる。それが一体何故なのか、未だわからないままでいる。
作業の手が増えると、それだけで随分と捗った。ハーピストルが人形であることもあって、彼女は力仕事も充分にできるからだ。人とは違う怪力を持つのは、人形としての特徴といえよう。コバルトブルームが想定していたよりも早く設置が終わった。
これから清十郎のもとへ戻らねばならない。ハーピストルも役目を終えて教会へ帰る。別れの挨拶をするときに、また謎めいた苦痛がコバルトブルームを襲ったが、悟られぬよう努めた。ハーピストルは優しい人形だ。あまり心配をかけたくなかった。あくまでも通常どおりなのだと振る舞ってハーピストルを見送ると、彼女はまた優しくて温かい笑みをくれた。
もしかしたら、自分はどこか故障しているのかもしれない――コバルトブルームは思う。この忙しい時期にメンテナンスを頼むのは気が引けるが、一度清十郎に見てもらわなければならない。いざ彼のもとへ向かうため一歩踏み出そうとすれば、ふと聞き慣れない音が聞こえてきた。
物悲しい旋律だった。激しさはあるけれど、冷たい。そんな音を響かせて、そこに足音を混ぜて近づいてくるものがある。
コバルトブルームが目をやると、そこにいたのは、水仙の花を思わせる人形だった。その人形の顔を知っている。確か清十郎のアルバムに、写真が残っていた――。
「お前が、エコール・ナルシスイセン……マスターが作った、一番美しい人形か……?」
ナルシスイセンはくつくつと笑う。軽やかな足取りで友人のように容易く近づいて、コバルトブルームの頬に繊細な指を這わせる。人形の命である真宝石にナイフでも突きたてられているかのような錯覚。コバルトブルームは動くことができなかった。目の前の人形に、すっかり圧倒されている。
「可哀想な弟だね。きみも私と同じように、壊れたまま生み出されたんだ」
悲しげな旋律と同じくらい悲しそうに、心から憐れんでいるという顔をして、ナルシスイセンは囁いた。その声色は毒のように染みわたる。その声を聞かないままではいられない。
「私が、壊れている、と……そう、言うのか」
「自覚がないのかい、弟よ。きみは苦しんでいるだろう? 不自然に苦痛を抱いているだろう? それこそが欠陥だよ。生まれるときから与えられた、間違ったものなんだ。故障じゃあない、最初から間違えている」
「間違った、もの」
「間違った人形は生まれ変わらなければならない。私のように完成された存在へ変わるか、あるいはその糧となるか――間違っているきみは、人形として致命的に異端なんだ。わかるだろう?」
幼子に言い聞かせるような柔らかな声が、コバルトブルームを縛る。優しく甘い声色が鎖のように重く絡みついて離れない。
ナルシスイセンが微笑んだ。その笑みは甘く優しく、するりとコバルトブルームの心に入りこんで、毒が蝕むように影を差した。




