第十七話
アーロン・フェアファクスは、探偵業を営む傍ら、薬草魔術を使って魔術師としても仕事をしている。人間の薬剤師と違うのは、アーロンが作るものは魔術品であり、まじないのかけられた薬であるということだ。
フェアファクス探偵事務所に住みつくようになってから、アウルはアーロンにさまざまなことを教わってきた。世間一般に通用するような常識から、探偵の助手としての仕事も。そして、魔術のこともだ。
この日アウルはアーロンに魔法薬の作り方を習っていた。振りかけたものを他者から見えなくするという代物だ。使い方を間違えると犯罪にも悪用できるものではあるが、幾らでも正しく使うことはできる。道具は使いようだ。
「いいか、アウル。魔術をやるときには、私の真似はするな。私ときみでは、そもそもの魔力が違いすぎる」
大鍋を火にかけて、魔力を注いだ薬草を混ぜながら、アーロンの指導を聞く。魔術を完成させるためには、魔術式を作らなければならない。いわばそれが呪文であり、魔術の形そのものだ。アーロンの指示に従って、アウルは魔術を作っていく。
「きみは生まれつきの体質として、魔力を多く持っている。素晴らしい才能だ――が、私が少ない魔力を絞りだそうとするのと同じことをすれば、逆に器に入りきらない魔力を注いでしまって、上手くいかなくなる。きみの場合は基本的に細く、少なくというのを心掛けるんだ。特にこういった、魔術品の制作においては」
「はい、先生」
「刻みつけた魔術式に、ほんの僅かだけ魔力を通す。さあ、やってごらん」
魔力によって書きつけられた魔術式の文字が、鍋の中に溶け込んでいく。生きたように文字が蠢き、そして鍋の中身の色も、緑から黒へ、それから赤へ、さらに黄色へとさまざまに変化していく。
薬草の葉から滲み出たエキスには、魔力が宿っている。そこへさらに林檎の果汁とオレンジの皮、それから並々と葡萄酒を注ぐと、いよいよ料理か何かのような気分がしてきたけれど、やっていることは間違いなく魔術であった。最後に魔術で小さな火を作って鍋の中へ入れると、中身の液体が一瞬にして青く燃えた。できた薬の色はどんよりと濁った紫色で、あからさまに怪しげである。
「……これで完成、なんですか?」
「一応はな。だが使うときには、これを振りかけた後、薬の中の魔術式を一つ解かなくてはいけない。この薬は幾つもの魔術式を組み合わせてあって、普段は見えなくならないように本命の魔術を封じ込めているんだよ」
上手くいったか試してみようか、とアーロンは鍋の中身をスプーンにひとさじ掬いあげて、すぐ傍にあった万年筆に振りかけた。
それからアーロンが薬を振りかけた万年筆に手をかざして「消えろ」と命令すると、ぱちんと小さな音がして、万年筆はみるみるうちに姿を消していった。
「うん、よくできている。初めて作ったにしては上出来だぞ、アウル」
「へへ……ありがとうございます、先生」
褒められて悪い気はしない。基本的にアーロンはアウルを甘やかす傾向が強いのでそもそもきつく当たられたことはないけれども、アーロンはアウルのやる気を引きだすのが上手い。
「量が少ないからすぐに見えるようになる」というアーロンの言葉どおり、数分もすれば万年筆は姿を現した。使う量によって消えている時間を調整できるようだ。
薬を瓶に詰めてラベルを貼ると、それらしくなる。アーロンは余った小瓶に薬を入れて、アウルに持たせた。
「持っていれば役に立つこともあるだろう。腐る前に使いきれよ」
「使うことありますかね」
「さあ、わからないがね。わからないが、世の中何があるかもわからないものだ。だから何でも持っておくというのは、時には有効な手段になる」
アウルも動物の友達から話を聞くためにパン屑を常に鞄に入れている。それと同じような話だ。持っていれば、使えることがある。
小瓶を鞄のポケットにしまう。本当に小さな瓶だから、全部を使いきっても姿を消せる時間は、せいぜい一時間がいいところだろう。大きいものを隠したいと思ったなら、もしかしたらもっと短い時間しかもたないかもしれない。
だが、魔術を習うというそれ自体が、アウルにとっては面白いことだった。知らないことを覚えるのは楽しいことだ。アウルは金のしがらみから学校に通えなくなってしまったけれど、勉強は元来好きな性質である。アーロンから教わることも好きだ。
今日のところはアーロンも急ぎの仕事がなく、アウルも暇がある。勉強の時間が終わると、本当に暇だった。もっと学ぶというのもありかもしれないが、朝からずっと集中していたのだ。真剣に取り組むのであれば、休息も必要だ。とはいえ世の中の事象を何も知らないで過ごすというわけにもいかないので、アウルはとりあえず新聞だけ読んでおくことにした。
近頃は自動人形を使った犯罪が多く、新聞のニュースも似たような話題ばかりであった。そうでなければ、近隣諸国との緊張した関係のことや、王国軍の軍事演習に力が入っていることだとか、そういう話だ。
目ぼしい話題があるかどうか流し読みしようとして、ぺらりと捲った二枚目に、自動人形展の広告が載っているのが目につく。その主催者となっているのは、あの美しい少女メグの実家、エストレ商会だった。
◆◆◆
「ええ、そうなの、来月からね……一流の人形技師たちが作った人形を展示するの。この企画は王国からの支援も受けているのよ。今後の技術発展のためにも、新しい刺激になるんじゃないかって」
後日、フェアファクス探偵事務所に遊びにきたメグは、そう言ってパンフレットを見せてくれた。どうやら人形技師たちの腕を競い合うような一面もあるのか、さまざまなギミックを盛り込んだ人形が展示されることになるらしい。ただの展示というわけではなく、展示即売会として人形が売られる場にもなるようだ。
「我々エストレ商会からは人形を作るための魔宝石を提供しているわ。一応前から企画を立てていることは宣伝していたんだけど、そろそろ予定が近いから、もっと大々的に広告していかないとね」
「はえー……すごいな……」
アウルからは想像がつかないような規模の話だ。単純に、アウルが商人の世界をよく知らないからというのもあるが、メグの言う企画というのは随分と大きな話だった。
だが興味深い。自動人形というのは、それこそ最近は何かと事件が起きて関わるということが多いけれど、元々嗜好品である。アウルにとっては本来縁遠いものだ。広く市民に開かれた展示会なら、普段じっくり見ることのないような人形たちを見られる。それはなかなかに貴重な機会かもしれない。
「まあ、その前に準備だわ。展示が始まる前にもう人形は運ばれてくるわけだし、その間にまた魔宝石を狙われないとは限らない。また探偵社を通じて依頼を回すことになるから、そのときはよろしくね」
話が大きくなると探偵社のサービスって色々便利なのよ、とメグは言った。探偵社は全国の登録している探偵たちに仕事を斡旋する業者だが、大きな組織だからこそその依頼に適した探偵を見つけてくることができる。フェアファクス探偵事務所にとっても仕事を得るうえで無視できない企業ではあるが、依頼者側にとっても都合の良い部分はあるようだ。尤も、そうでなければ商売として成り立つはずもないから、当然といえば当然の話だが。
メグはアウルに人形展のことを色々と教えてくれた。人形に対する知識が偏っているアウルは、何を聞くのも新鮮だった。有名な人形技師たちの中には、それこそ芸術品としての美しさを追求する美術家のような技師もいれば、大量生産ができるような人形をデザインした技師もいる。それぞれの技師たちの特徴が現れた人形は、どれもが素晴らしくよくできているという。外から呼び寄せた技師は勿論、エストレ商会のお抱えの技師も参加することになるという。
「お抱えの技師とかいるんだ」
「エストレ商会では仕事柄人形を傍に置くことが多いからね。魔宝石を売るには、魔宝石を使った道具を見せるのが一番ってことよ」
確かに、良い魔宝石を売るのなら、それにちなんだものが傍にあれば想像がつきやすいというのはあるだろう。特に魔宝石というのは、装飾品を求める貴族たちとはまた別の客層も必要とする。より生活に近く、実用的なものであれば、具体的な使用例を見せるのは効果的なのだろう。
「私の一押しの技師はセイジュロー・セセラギね。彼ほど面白い人形を作ってる人はなかなか見ないわ」
「聞き慣れない名前だな……外国の人?」
「ええ、遠く東のヒノモト帝国出身の人形技師よ。まだ若い人だし、しかも人間なんだけど、魔宝石の扱いが魔族より上手いって評判なの」
「人間なのに魔術が使えるの?」
アウルは驚いて言った。魔術というのは、強靭な魔力炉を持つ魔族が魔力を用いて行使する技術だから魔術というのだ。通常人間が魔術を扱えないのは、魔力を生み出す魔力炉がそれに耐えられないからであり、その常識が覆るというのならそれはとんでもないことだ。
メグは首を横に振った。アウルの思ったようなこととは違うらしい。
「彼自身の魔力だけでは、魔術なんて到底無理よ」
「そう……なんだ」
「ええ、そうよ。魔族じゃないんだもの、きっと命を搾り取ったって小さな火を起こすのにも足りないわね。でも、魔術式の在り方というのは学ぶことができるものだから、魔宝石の魔力で疑似的な魔術を行っている――というのが正しいのかしらね。尤もそのために魔宝石を湯水のように使っているみたいだけど」
「そ、想像がつかない……」
「その分出来の良い人形ばかりだから、外に売る人形も高値がつくのよ。高値で人形を売って、また次の人形を作るために魔宝石にお金をかけるから、裕福な暮らしとは縁遠いようだわ。儲からないのによくやるものよね」
そうは言いつつも、メグは随分と饒舌だった。その人形技師――セイジュロー・セセラギを心から気に入っているらしい。メグがそこまで言うのが一体どういう人物なのか、アウルも気になってくる。腕のいい人形技師というと、クラフトがそういう話が好きそうだな、とぼんやりと思う。
そして、彼のことを知る機会は、案外早くやってきた。
メグの訪れから間もなくして、探偵社を通じて人形展の護衛の依頼がきた。それを引き受けたアーロンと共に、メグに案内されて人形展の会場を下見に行ったとき、噂の彼がそこにいた。
レイファン王国では見慣れない服装だった。話に聞くヒノモト帝国の民族衣装、というやつだろうか。布地は群青で腰の辺りを帯で締めていて、一見ゆったりしているようでいたが、しかし襟のところがぴしっと見えるようにしっかりと着付けている。彼の身なりでアウルが違和感なく見えると思うのは、山高帽と足元のブーツくらいのものか。奇妙な出で立ちでありながら、それでも自然なように感じられるのは、彼が堂々としているからだろう。
「紹介しておくわ。彼がセイジュロー・セセラギよ」
「セイジュウロウです、メグお嬢さん」
「セイジュローでしょ」
「はあ、若干違う気がしますなあ。まあ俺の名くらいさして重要ではない、多少違っても構いませんが」
一体どう違うのか、傍から聞いているアウルもよくわからない。かといってどう違うのかと聞く間もなく、セイジュローは「どうも、探偵の人」と帽子を取って頭を下げた。
「瀬々羅木清十郎と申します。セイジュウロウ・セセラギと名乗ったほうが良いんでしょうかねえ、どうもこちらの決まりはわかりませんが。以後お見知りおきを」
そう挨拶したセイジュローと目が合う。アーロンが「よろしく」と言うのに倣ってアウルも挨拶をした。レイファンに人間が全くいないわけではないが、滅多にない出会いにアウルは自然と興味をひかれる。帽子を取った時に見えた耳は尖っていない、まさに人間らしい耳だった。




