第十四話
二体の獣は睨み合う。だが、黒い怪物に分があるのか、竜の吐く炎などものともせず、その首に食らいつく。飢えたような目つきで鱗に牙を立て食い破ろうとする様は、野生の獣が獲物を食らう様子というよりは、ただ蹂躙するだけのようにも見えた。それが異様だ。普通の獣が食事のために獲物を狩るのとはまるで違うような異質さがある。
ドラクリヤはそこへ向かって石を投げた。目で追うのも難しいほどの速さで投げられたそれは真っ直ぐ黒い獣の目に向かい、そのまま突き刺さった。その苦痛に呻くように吠えて、獣が竜から離れると、ドラクリヤは竜を庇うようにその前に立った。
黒い怪物が吠え、ドラクリヤへ襲い掛かる。巨体を相手に怯むことなく真正面からぶつかり合うドラクリヤの怪力は、まさに自動人形らしいものだった。だが、それはあくまで盾になる程度のものでしかない。このまま放っておけば、いずれ黒い怪物が全て征服する――そんな予感がした。
「助けないと」
ドラクリヤと竜の不利は肌で感じ取れた。このままでは、ドラクリヤたちはあの怪物に潰されてしまう。それは駄目だとアウルの感情が叫んでいた。
それは直感的なものである。それが正しい選択かどうかなどは知らない。ただ、自分が一番後悔しないであろう選択だ。
「ナイトオウル」
アウルが呼ぶと、白銀の騎士はゆるく首を振った。
「いけません。私の役目は、アウル殿をお守りすることです。あなたから目を離して、何かあってからでは遅い」
「わかってる、それでも」
アウルには戦う力がない。魔術はまだ勉強の途中で、それも戦闘に使えそうなことを学んでいるわけではない。そのような弱い存在であるというのに助けたいと思うことはただの傲慢であり自己満足でしかない。その自覚はあった。だが、それでも、無視して逃げるという選択肢を、どうしても選びたくない。
「――このままドラクリヤたちを放っておいたら、きっと僕の心が死んでしまう!」
ドラクリヤは依頼主のドラフが案じているというだけではない。アウルはドラクリヤが優しい人形だということをもう知っているのだ。知ってしまったなら、それはもう、知らない顔をして通りすぎていける他者ではない。
「僕に力があったらよかった! でも今それがあるのはきみしかいないんだ、ナイトオウル」
「アウル殿」
「頼むナイトオウル、彼らには助けが必要だ。きみなら手を伸ばすことができる……!」
縋るようにナイトオウルに頼み込む。彼はゆっくりとアウルを引き剥がした。
それから、彼は爪の鞘を外す。彼の指には、鋭い刃が煌めいている。
「私が見ていないうちに怪我をしないでくださいね」
ナイトオウルが飛び立つ。上空から害獣の後頭部へ向かって一気に距離を詰める。鋭い刃の指先が害獣の背についた目に突き刺さった。黒ずんだ色の血が噴き出して、ナイトオウルの手を汚す。それを気に留めることもなく、しなやかな金属の両足で害獣の首を締め上げるように挟み、さらに別の目を抉るように切り裂く。苦痛に怯んだ害獣は、ドラクリヤたちから注意を逸らした。
アウルはただ、邪魔にならないようにすることだけに集中した。邪魔にならず、しかし確実に場を治める必要がある。そのためにアウルができることが、一つだけあった。
「ドラクリヤ・ドラフィリエ!」
アウルが呼びかけると、彼は驚いたように肩を震わせた。悪いが、細やかな心遣いをしてやれるほど、今は余裕がない。
「今のうちに逃げよう。竜を安全なところへ連れていかないと」
傷ついた竜の心は、アウルには手に取るようにわかった。不安に満ちていて、けれど、ドラクリヤを大切に思っている。動物の心なら、アウルにはわかるのだ。恐ろしい怪物を前にしても、互いを守ろうとしているのだ。
それならば、生き抜くために、この場を切り抜けなければならない。
さあ、とアウルが手を伸ばすと、ドラクリヤは少しだけ迷うような仕草を見せたが、竜の様子を見て心を決めたようだった。
ナイトオウルが害獣を引き留めている間に、竜とドラクリヤを連れてその場から離れる。辺りの大きな木々に隠れてしまえば、あの害獣のような巨体では、枝に引っかかってこちらを探しづらくなる。竜も決して小さな体ではなく、時間稼ぎにすぎないけれど、時間を稼げるのならそれでよかった。それが重要なのだ。この場でのアウルの役割とはそういうものである。
害獣は獲物が逃げていこうとしているのを悟ったのか、地面を揺らすように蹴った。その振動は食らいついたら逃がさないとでもいうような、狙ったものが遠ざかるのを許さない響きを孕んでいる。
その巨体でアウルたちを追いかけようとして、ナイトオウルを振り払おうと暴れる。当然ながら、ナイトオウルはそれを許しはしない。アウルがドラクリヤと竜を遠ざけているうちに、始末をつけなければならなかった。
「おやおや、いけない仔犬だな。他の目も全部潰されないとわからないようだ」
害獣の首を絞めたまま、ざくり、とナイトオウルの指が害獣の目を潰していく。暴れる害獣に振り落とされないようにしっかりと組みついて、ナイトオウルは害獣から見られなくなったのをいいことに、そのままその獣の口の中に手を入れた。そのまま刃の指で舌を裂くと、どろどろと溢れる夥しい血が害獣の喉を塞ぐ。
徐々に暴れる力が弱くなっていく。窒息によって意識を失ったのを確認して、ナイトオウルはようやく害獣から離れた。この状態であれば、放っておいても呼吸が回復せず、心肺が停止し死に至るだろう。こうなってしまえば、アウルに害が及ぶこともない。
ナイトオウルは白銀を汚す黒い血を振り払うようにして指の刃を鞘に納めると、木の影に隠れているアウルに合図をした。ようやく、落ち着いて話をすることができる。
◆◆◆
害獣という脅威を退けて、他に恐ろしいものが迫っていないことを確認してから、アウルはドラクリヤに本当のことを打ち明けた。ドラフがドラクリヤを案じていて、だから追ってきたのだということを。ドラクリヤはそのことについて「ドラフ様、迷惑、かける気なかった」と片言気味に言った。どうやら、発声機能に故障があるらしく、言葉が途切れてしまうらしい。
「おれ、欠陥ある。中途半端。戦う、できない。さっき、助かった。おまえたちのおかげ」
「僕は大して何もしてないけどね……ナイトオウルが頑張ってくれただけだし。っていうか、きみも充分害獣相手に戦ってたように見えたけどな」
「確かに、あれほどの怪力は誇れる能力と思うが」
「力だけ、戦い方、知らない」
どういうことだろう。アウルがいまひとつ理解できていない一方で、ナイトオウルは「その機能がないということです」と耳打ちしてきた。
「我々自動人形は、予め体に機能を与えられ、魔宝石に思考を与えられる。私が空を飛んだり、敵を殺すのは、最初からそういう動きができるような機能を持っていて、思考のほうもそれができるように調整されているからです。ドラクリヤの場合、怪力が出せるような構造ではあるけれど、それを使って戦えるような機能、あるいは思考が設計の中に入っていないのでしょう。戦闘用としては確かに半端かもしれませんね」
アウルはドラクリヤを見た。改めて間近で見ると、やはり恐ろしい外見であったし、片言の喋り方も威圧感を増すだけである。いらぬ苦労をしそうだ、というのが正直な感想である。
「そういえば、ドラクリヤは廃棄されかかっていたってドラフ大佐から聞いたけど、もしかしてその欠陥のせいなの?」
ドラクリヤは頷いた。
「おれ、試作。完成したら、いらない」
「ああ……そっか、そういうことか」
自動人形を作るうえで、新しい機能を試すのに試作機を作るというのは、あって当然の話だ。自動人形を一機どころでなく沢山作れるだけの資金があれば、間違いなくそうしたほうが、より完成度の高い人形を作ることに繋がる。ドラクリヤはその研究の過程で生み出され、そして不要になってしまったものなのだ。
(親から捨てられた人形か……)
アウルは奇妙な親近感を覚えた。アウルもまた、実の親からは捨てられている。害獣ほど異質ではないにせよ、怪物的な外見をしているという点でも共通点があると言える。人形と人では厳密には違うことかもしれなかったが、どうにもドラクリヤの境遇はアウルに近いように感じられた。
だが、アウルがそんな思いを抱いている一方で、ドラクリヤはアウルに対して別の部分で親しみを感じたらしかった。
「おまえ、おれと、似てる。言葉、変だ」
「へ、変!?」
唐突にそんなことを言われて、アウルは思いきり動揺した。言葉が変だとは、今まで言われたことがなかった。
急に不安にとらわれて、アウルはすぐ隣にいるナイトオウルを見上げた。
「僕、そんなに訛っているかなあ?」
「……気になる、というほどでは。少々発音が独特なときはありますが、伝わらないほどのものではありません」
「やっぱり訛ってるんだ……そうなんだ……知らなかった……」
少なからず衝撃を受けている。思えば、アウルは路地裏暮らしが長く、まともに人と話すことも少なかった時期がある。アウルと同じように路上で暮らしているような連中の言葉遣いが美しいはずもなく、それが知らぬうちに身に着いてしまって、まだ抜けていないらしい。
(アーロン先生にも恥をかかせているのかな……)
言葉遣いについて、指摘を受けたことはない。言葉だけで人を判断するようなアーロンではないことは、アウルは充分知っている。だが、もしかすれば、今までにも胡乱な目で見られることがあったのは、ただ子供だからとか外見が人らしくないからというだけでなく、言葉に問題があったからなのかもしれない。洗練されていない話し方は、教養がないことを晒すようなものではあるまいか。
とはいえ、自分で自覚がないものを、簡単に直せるわけもない。気にかかりはするけれども、今は仕事で此処へ来ているのだ。アウルは一つ咳払いをしてから、聞きたかったことを聞いた。
「その、さ、ドラクリヤはどうしてここに来ているの?」
ドラクリヤは傷ついた竜を撫でながら「こいつのため」と言った。
「こいつ、独り。放っておけない」
言葉が途切れるせいか、彼の言い方は端的であり、詳細がわかりにくい。だがナイトオウルに心当りがあったのか、思い出すように硝子の目を光らせた。
「クラフト様から聞いたことがあります。レイファニア・フレア種の竜は外敵から身を守るために、強い雄をリーダーとして群れを成すと。王国軍で飼われているのもこの竜と同じレイファニア・フレアですね。強い騎士が従わせ、集団行動をするという点で都合が良いのでしょうが……」
群れで行動するはずの竜が、たった一頭だけ。ひどく傷ついた体は、よく見れば、最近の傷だけでなく、既に塞がった古傷や、塞がりかけているものもある。それだけわかれば、察しはつく。
「ええと、じゃあこの竜、群れからはぐれたの? それを見つけて、ドラクリヤが世話をしてた?」
ドラクリヤが頷いた。アウルも竜を撫でてその心を覗けば、怪我によって群れから見捨てられてしまったらしいということがわかった。まだ子供の竜のようで、弱っていたところをドラクリヤが発見して、それ以来食べ物や薬を持ってきて世話をしているというのだ。アウルが見た荷物というのも、それに違いなかった。早足だったのは、傷ついた竜を案じていたからだ。
「ドラフ様の、遣い。薬草探しのとき、こいつ、見つけた。おれと同じ、拾われないと、死んでしまう」
「ドラフ大佐がきみを拾ったんだよね」
「そうだ。ドラフ様、おれ、拾ってくれた。ドラフ様、いなかったら、おれは……」
ドラフが子を案じるようにドラクリヤを想っているのと同様に、彼もまたドラフを父のように大切に想っているらしいということは、その様子から伝わってきた。
そして、傷ついた竜のことを、自分と重ねているのだ。群れから切り捨てられてしまった竜を、研究の過程で切り捨てられた自分と、同じように思っている。
「昨日も、怪物のせい、怪我した。今日もだ。心配だ」
アウルがドラフと一緒に竜を撫でると、昨日はまた今日とは別の害獣に襲われていた記憶が読み取れた。群れからはぐれてしまったことで、敵に狙われやすくなっているのだろう。傷の治らないうちから、新たな傷を作っているのだ。
「でもこいつ、屋敷、連れていけない。だから、こっそり来てる」
「竜の世話は気を遣うことが多いというからな、確かに連れ帰るのは難しかろう。だが、ドラフィリエ大佐もあなたを案じている。アウル殿があなたを探しに来たのもそのためだ。一度、ドラフィリエ大佐にはしっかりと話をしておくべきではないか」
ナイトオウルが言った。アウルも仕事でやっていることだ。報告しなければならない都合上、ドラクリヤが隠そうとしたところで最早無意味だ。
ドラクリヤは無言で頷いた。ドラフに心配をかけるのは、彼としても不本意なことなのであった。赤い竜は、ドラクリヤを後押しするように静かに鳴いた。




