第十三話
翌日。いつもと同じように、朝食を食べ終わって顔を洗ったような頃、クラフトはフェアファクス探偵事務所へやってきた。いつもどおりに一言アーロンに挨拶をして、アウルの自室となっている屋根裏へ向かう。ただし、今日は前とは一つだけ違う――ナイトメア・ナイトオウルが一緒にいる。
「こいつももっと試験をして記録をとらないといけないからね。今後の技術開発のために役立ってもらわないと」
クラフトは淡々と言う。どうやら誕生して間もないナイトオウルは、クラフトの新たな研究のために助手をさせられているようだ。
「私のような図体の大きなものがいるとお邪魔かもしれませんが、ご了承ください」
ナイトオウルは実に申し訳なさそうに言った。表情などないはずだが、随分感情豊かなように感じられる辺り、ナイトオウルはよくできている。
「いや、別にそれは構わないけど……え、クラフトはまたきみの他に新しい人形作ってるの?」
アウルがクラフトを見ると「軍の機密に関わる」とだけ返事をした。
「自分用じゃないんだね」
「まあそれはそれとしてまた計画は立ててるけど。本業の死体漁りもあるし」
「ああ、そう……」
何だか妙に不穏な会話だ。いつものことといえばそうなのだが、クラフトと話していると妙に背中がざわりとするような気分がする。
彼の用事は大抵午前中に片付く。今日も何事もなく終わればいいのだが――そう思いながらいつものように魔術に関して質問を受けたり、魔術式を試したりする。だが、クラフトの口から思わぬ台詞が飛び出した。
「ドラフィリエ大佐のとこの人形調べてるんだって?」
アウルは思いきりむせた。アウルの請け負う仕事を追及されたらどうしようと悩んでいたのに、隠すどころかとっくにクラフトは知っていたのだ。冷静に考えてみれば、同じ組織にいるのだから話が伝わるのもおかしな話ではない。
ドラフが教えたのだろうかと確認してみると、クラフトは「バーレット中佐から聞いた」と言った。
「あの人つつくとすぐぼろを出すからな。あれでも中佐になれる辺り、他が優秀なんだろうね。あ、俺がこんな話してたっていうのは中佐には内緒にしておいてね」
「そもそも滅多に会うことがないよ……」
その答えを聞いて、クラフトは「そう、安心した」と言った。安心したも何も、最初から焦った様子も見せていないのだから、どこまで本心かわからないけれど。
「それで、調査のほうは順調なのかい」
「……そういうのも本当はあんまり言っちゃいけないことなんだけどな」
「大丈夫だよ、バーレット中佐から聞きだした時点でドラフィリエ大佐にも確認を取ってあるからね」
「何故そういうところの手回しは早い」
「そのほうが俺にとって都合がいいことが多いからだよ」
さあ話せ、とクラフトに迫られ、アウルは折れた。どうにもクラフトの持つ謎めいた威圧感には逆らえない。
仕方なしに、アウルは昨日のことを話す。ドラクリヤ・ドラフィリエを追うと、彼は城壁の外へ行った。遅くまで戻らないのはそれが理由だろうけれど、そこで何をしているのかはわからない――。
「成る程ね、城壁の外は害獣どもの巣窟だ。一人で行く場所じゃない」
「でも、ドラクリヤを調べるには外へついていかないといけない。どうしたもんか……」
「何、簡単な話じゃないか。こいつがいるだろう」
クラフトはナイトオウルを指して言った。
「こいつにきみの護衛をさせよう」
「え、ナイトオウルって怪物相手に戦えるの?」
空を飛べることは既に身をもって知っている。その外見が、あからさまに騎士のようだというのもわかるし、頼りになる人形だというのもよく知っていた。けれど害獣相手ではどうなのか。武器らしいものはどこにも見当たらない。
「まだ王都の外へは連れ出したことないけど、想定はして作ってある。武器もある、指に刃があるよ」
クラフトに言われてアウルがナイトオウルの手を覗き込む。以前アウルを助けてくれた指は鉤爪のようになっているとはいえ、そこまで鋭利なものではない――が、ナイトオウルが少し指を動かすと、ぱきりと音がして彼の手指から刃が現れた。普段の鉤爪の指は、刃を隠す鞘だったのだ。
「このナイトオウル、一通りの戦闘技術は備わっております。アウル殿をお守りする分には、何ら問題はないかと」
「そっか……手伝ってくれるならありがたいけど、僕、何もお礼とかできないよ」
クラフトにもナイトオウルにも、礼らしい礼ができるかどうかはあまり自信がないところだった。普通なら護衛といえば金を払って冒険者を雇うのだ。技術には価値がつけられなければならない。しかし同じことをしてもらうのに、相応の金を出せるほどアウルには余裕はない。
「ああ、それならナイトオウルの記録を取らせてもらえればいいから気にしないでいいよ。記録装置をつけておく」
「そんなことでいいの?」
「研究資料には金と同じだけの価値があるものさ、少なくとも俺にとってはそうだ」
そういうものか、とアウルはいまひとつ理解はできないものの頷いた。人によって価値を感じるものは違うというが、クラフトがそれでいいというのなら、ありがたくその話に乗らせてもらうだけだ。
「ナイトオウルが嫌じゃないなら、お願いしようかな……」
ナイトオウルは「お任せください」と頼もしく頷いてくれた。決して広くない屋根裏部屋で窮屈そうにしているのでなければ、もっと格好がついたかもしれない。
今日もこの後ドラクリヤを追いかけるのだとアウルが言うと、それなら外へ出られるよう門番に話をつけておこうとクラフトは言った。研究が捗るのは重要だと彼は語る。アウルにとってもありがたい話なので礼を言うと、クラフトは少しだけ目を細めた。
「ほらね、やっぱり都合がよかった」
◆◆◆
「それじゃあ俺は一旦軍に戻る。ナイトオウル、用事が終わるまで帰ってこなくていいよ」
そう言ってクラフトはフェアファクス探偵事務所を出ていった。
それからアウルも準備をして、アーロンに出掛ける旨を告げて外へ出る。ナイトオウルとアウルだけでもそれなりに目立つけれど、ナイトオウルが加わるといっそ派手と言っても過言ではなかった。白銀の甲冑は目を引く。これで尾行しようというのは少々難があった。
「空から追いかければよいのでは?」
「それ余計目立たない?」
「案外上は見ないものですよ」
とはいえ、万が一ばれて警戒されるようなことがあっては困る。城壁の外へ行くまではナイトオウルは空から、アウルは地上でドラクリヤを追うことに決めた。どちらかに警戒されることがあっても、両方へ注意するのは難しいからだ。
陽が傾きかけた頃、ドラフの屋敷から出ていったドラクリヤは、今日もまた何か荷物を抱えていた。その正体も気にかかるが、とにかく、今日こそはドラクリヤの行く先を突き止めねば。
今日のドラクリヤは、昨日よりも早足だった。
(もしかして尾行ばれた?)
しかし、ここで見失っては、また振りだしに戻ってしまう。外へ出ていくことは想像がつくが、どこへ向かうのかがわからなければ探しようがなくなってしまう。王都は広いが、城壁の外はもっと広いのだから。
歩幅の大きなドラクリヤを追いかけていくには、早足だけでは足りなかった。駆け足ともなれば足音を消しきることもできず、一定の距離を保つというのもいっそう難しい。ドラクリヤは急いだ様子で、昨日と同じ門から外へ出ていった。
それからしばらくして、ナイトオウルが降りてくる。クラフトが門番に話をつけておくと言っていたが、若干の不安はある。それでも意を決して門番に話しかけると「アウル・アシュレイ殿ですね」と確認をとられた。
「はい、あの、外へ出たいんですが」
「クレー技術少尉から話は聞いています。これをどうぞ」
門番から渡されたのは、小さな木製の板だった。通行許可証と書いてある。
「次、外へ出ることがあればそれをお見せください。クレー技術少尉の研究へのご協力、感謝しております」
今回外へ出るのはアウルに必要なことだからなのだけれど、クラフトはその辺りをどう伝えているのだろう。不要なことは言わぬほうが吉、と判断したアウルはただ愛想よく笑って門をくぐった。
だが、門の外へ出るというのは初めてのことだ。恐ろしい怪物がいるところだと、それこそ幼い頃にも聞いたような場所へ行くことになろうとは。夕暮れ時に、獣の咆哮が遠くで響いているのが不気味であった。緊張するアウルを安心させるように、ナイトオウルが一歩前に出た。
「アウル殿は私の後ろに。何が来ても指一本触れさせませんから」
「外出るのきみも初めてなのに、なんていうか、勇気あるね……」
「私とて、自分だけで放りだされれば不安でしたでしょう。しかしあなたが一緒ですから孤独ではありません。あなたを孤独にもしません。必ずお守りしますから、どうぞ頼ってください」
「ほんと頼りにするよ」
城壁の外の冒険において、これ以上の相棒は他にいないだろう。白銀の背が、とても大きく見えた。
「さて、ドラクリヤはどっちへ行ったのかな……」
辺りは木々生い茂る森だ。薄暗くなってきたこともあってどちらを見ても同じように見えたが、注意深く観察すると、地面に足跡が残っていた。
「行こう、ナイトオウル」
この先にいるであろうドラクリヤの元へ。どこかから聞こえてくる鳥や獣の鳴き声は普段アウルが友好的に接している猫や烏たちとはまるで違って恐ろしげだったけれど、それで怯んでもいられない。ナイトオウルがいるから大丈夫だと自分に言い聞かせ、森の中へ入っていく。
しばらく足跡を辿っていくと、途中で地面の雰囲気が変わった。足跡が途切れて見えない――消えたというよりは、そもそも残っていないのだ。豊かな土は森の木々を育てるが、大きく育った樹木が落とす大きな葉は、足跡のつかないような腐葉土になる。
いよいよドラクリヤの行方がわからなくなってしまい、途方にくれる。かといってここで諦めて引き返すのも悔しい。何か他にヒントになりそうなものは残っていないかと辺りを探そうとしたとき、奥のほうから何かが吠える声がした。それは先程まで聞こえていたような遠いものではなく、かなり近いように感じられる。
ナイトオウルが、ずっとそれが聞こえてくる方向を見つめていた。無機質な硝子の瞳は、しかし、そこから視線を外さない。一体どうしたというのか――アウルがナイトオウルに声をかけようとしたとき、彼はそれより先にアウルをすぐ傍の巨木に隠すように体ごと影へ引き込んだ。
次の瞬間、アウルは背後に熱を感じて振り返った。
「炎……!?」
紅い熱が揺らめいて、乾いた枯れ葉を燃やす。一瞬にして地面が焼け、焦げた臭いが立ち込めた。生木は燃えにくいため樹皮が焼けたくらいだったが、もしこの木に隠れなければアウルたちも燃えているところだった。
状況を把握しようとアウルが覗き込もうとすると、大きな衝撃があって思わず転びそうになる。ナイトオウルに支えられたため怪我はしなかったが、アウルはそのとき、二体の獣を見た。
一体は黒い体をしていた。狼のような、狐のような、いまひとつ判別はつかないが四本足だ。けれどその大きさときたら普通の狼の三倍はあろうかという巨体である。それだけでなく、目が顔だけでなく頭の後ろ側や足など、体のさまざまな場所に八つあり、ぎょろりと輝いて不気味であった。地面を揺らしたのはこの巨体が倒れたせいだが、既に起き上がって、雄々しく牙を剥きだしにしている。
「あれが、世間で言う害獣というやつですか……」
ナイトオウルが呟いた。確かにその黒い獣の異様な姿は、話に聞く怪物そのものだった。
もう一方は、全身が赤い鱗で覆われた竜だった。黒い獣よりも一回りか二回りほど小さい。炎の原因はこの竜のようで、吠える度に口から火の粉が漏れている。どうやら手負いのようで、体のあちこちの割れた傷口から血が流れていた。
そして、もう一つ足音があった。こちらへ、というより獣たちに近づいている。薄暗いせいでわかりにくかったが、その影のことは見覚えがあった。
黒いマントを着た、継ぎ接ぎの鎧の人形――ドラクリヤ・ドラフィリエ。それが今、わざわざこの危険な獣たちの争いの中へ割り込もうとしていた。




