第十二話
ドラクリヤ・ドラフィリエの素行調査は、アウルがやると決まった――というのも、単純にアーロン自身がそれだけに構っていられるほど暇がなかっただけの話だ。アーロンは尊敬するドラフの仕事ならと自ら乗り出したい気持ちがあったようだが、探偵事務所の所長としての冷静さが効率の良さをとった。それをドラフも嫌だとは言わなかった。
「能力があるのなら、それを厭う必要はない」
アウルと同じように外見に変異のある魔族だからなのか、それとも長く生きている分人を見る目が養われているのか。子供だからと侮らないところは好感が持てる――アウルは信用してくれるのなら、それに応えなければと思う。
ドラフの屋敷は聖火師団の基地から近いところにあり、アウルはドラクリヤが外へ出てくるのを待ち伏せていた。
ドラクリヤは、屋敷の管理を任されているという。ドラフの広い屋敷は確かに管理が大変そうで、疲れ知らずの人形がそれを請け負うのは自然なことだった。そして、屋敷の仕事が終われば、後は自由に過ごしていい決まりなのだという話だった。
その自由な時間だとはいえ、流石に夜中まで戻らないというのは不穏な話である。ドラフは、ドラクリヤのことを真面目な人形だと評価しているようだった。屋敷の様子を外から窺うだけでも、よく手入れされた庭木や錆びひとつない門が、その管理をしているドラクリヤの性格を表しているようだ。その真面目なドラクリヤが、一体夜中までどこで何をしているのか。
夕刻。この日ドラフは軍の任務で屋敷へは戻らないという。静かに陽が暮れ始める頃、ドラクリヤは姿を現した。
黒いマントを着た、継ぎ接ぎ鎧の厳つい人形。アウルは彼に気づかれないよう、一定の距離を保つようにしながらその後を追いかける。
ドラクリヤは何か荷物を持っているようだった。それが何かまでは、アウルのいる位置からは見えない――しかし無理をしてドラクリヤに尾行がばれるわけにもいかない。こういった調査は慎重でなければならない。
こっそりと、しかし不自然に見えないように。アウルが気を遣いながら歩いていくその先で、ドラクリヤは何の迷いもない様子で歩を進める。大柄なドラクリヤの歩幅は大きく、アウルが追いかけるには少しばかり早足になってしまう――煩い足音を立てないよう追いかけるのは、アウルの神経をすり減らすが、弱音は吐いていられない。
だが、ある程度追いかけたところで、アウルは流石に踏みとどまるしかなかった。
(あいつ……外に出ようとしてる)
目の前にそびえるのは、王都を守る城壁だった。王都は海を除いて、街を守るように城壁が築かれている。この大きな壁の向こうには害獣と呼ばれるような怪物が暮らす森があるため、身を守る術を持たないなら出てはいけない――そんなことは、子供でも知っている常識だ。
しかしドラクリヤは何の躊躇いもなく、門番に何か見せて、扉を潜って外へ行ってしまった。
ここで追いかけようとしたところで、戦う手段のないアウルは門番にそもそも止められてしまうだろう。出られたとしても、外で何に襲われるかわからない以上、迂闊な行動はできなかった。
(待ち伏せ……するには場所が悪いな)
この辺りには、隠れられる場所があまりない。そのうえ、近くに門番がいる。アウルがいつ来るかわからないドラクリヤを待つには条件が悪い。ずっとこんな場所にいれば不審に思われてしまう。
この場ではどうしようもないので、アウルは来た道を引き返す。ドラクリヤが街の外へ出ていることはわかった――それだけでも大きな前進だ。夜遅くまで戻らないのは、街の外まで出ているせいということだろう。問題はそこで何をしているか、だが。
「そういえば、ミリィはドラクリヤのことよく知ってるんだっけ……」
思い出すのは、ドラクリヤが助けてくれた猫だ。オルタンス夫人の飼い猫であるミリィは、度々ドラクリヤに助けられていると言っていた。
駄目で元々だが、ミリィに話を聞いてみるのもありかもしれない。そう思いつき、アウルはオルタンス夫人の屋敷へと向かうことに決めた。
◆◆◆
オルタンス夫人の屋敷は嫌らしい派手さこそないものの、あからさまに大きな屋敷で、一目で金持ちの家だとわかるような豪邸である。
言い訳をどうするかが悩ましい。ミリィがどんな様子か気になって――といえば、気のいいオルタンス夫人なら中へ招き入れてくれるだろうが、不自然さは否めない。
とはいえ立ち止まってもいられない。いざオルタンス邸へ、と一歩踏み出そうとしたとき、後ろから「アウルくん?」と声をかけられて振り返る。
そこにいたのは、月光のようなブロンドのマーガレット・エストレその人だった。上品なフリルのドレスに身を包んだ彼女は相変わらずはっと目をひくような美人である。涼しげに見える釣り目も笑うと可愛らしく見えるからわからないものだ。
「やあ、メグ。奇遇だね。一人……みたいだけど、平気なの?」
「ええ、魔宝石って刻みつける魔術式によっては武器にもなるから、変な人がいても護身程度は問題ないもの。うちから遠いわけでもないし。あなたも、オルタンス夫人に何かご用?」
「ええと、オルタンス夫人っていうかミリィに……」
「ミリィ――って、オルタンス家の猫のミリィちゃんよね」
そう、アウルが話を聞きたいのはその猫だ。現状、ドラクリヤの行動に唯一繋がりを持っていそうな相手である。
アウルは動物と話せるのだとメグに打ち明けた。今請け負っている仕事について、ミリィが情報を持っているかもしれないと期待して来たが、オルタンス夫人への言い訳が上手く思いつかない――そのことを伝えると、メグは目を輝かせた。
「まあ! すっごく探偵さんらしいのね!」
聞き込みっていうやつね、と何やら随分興奮したような――というより、興味津々というべきか、そのような態度でメグはにっこりと笑った。
「……ええと、メグ?」
「依頼人のことは内緒にするものよね、うんうん、深くは聞かなくてよ。ふふふ、でも、そう、そうなのね」
「メグ、何を一人で納得してるの? メグ?」
「折角だから一緒に行きましょうよ。理由なんて、私の付き添いをしてきたって言えばいいの。私もオルタンス夫人に届け物があるのよ、そのミリィちゃんの首輪をね」
悪戯っぽく笑うメグに引きずられるようにして、アウルは一緒にドアを叩くことになった。来訪者を知らせるベルが鳴って間もなく、オルタンス夫人が現れる。
元々約束があったのだろう、メグは「例のものをお届けに参りましたの、積もるお話もありますから」と商売人の顔をしていた。
アウルに関しては本当に何もなく突然来てしまったわけだが、用意していた言い訳を使うと、オルタンス夫人は「ミリィちゃんは元気よお、良かったら顔を見ていって」と快く迎え入れてくれた。メグのおかげで怪しまれずに済んだようだ。
屋敷の中へ入ると、ミリィはアウルに挨拶をするようにすり寄ってきたが、抱きあげようとするとするりと逃げ出し、距離を取って振り返った。そのまま動かないので近づこうとすればまた距離を取る。
アウルが自分の腕から生えている羽のうち、生え変わりそうなものを一枚抜いて、誘うようにゆらゆらと揺らす。するとミリィは羽目がけて素早く床を蹴り突進してきた。遊びというには勢いがありすぎるが、ミリィから話を聞きだすには、どうも満足いくまで遊ばせてやらなければならないようだ。
「もしよかったらなのだけど、ミリィちゃん遊び足りないみたいだから付き合ってあげてくださる? ミリィちゃんの首輪をつけてあげたいけど、大人しくしていてくれないから」
「お、お任せ下さい! あっミリィ、羽を取るなよ!」
ミリィに羽根を奪われたため、それを取り返そうと追いかける。アウルの後ろで「ほんとに仲良しさんね」などというのが聞こえてきたが、仲が良い分遠慮もないのでミリィは手強い。オルタンス夫人とメグは商談のために応接室へ行くようなので、その間にアウルはミリィを捕獲せねばならなかった。
だが、ある意味では好都合だ。動物の心を読む力は便利だが、傍から見ると異様な光景に見えるものだ。普通、人と動物は話さない――魔物でもない限り、同じ言葉を使わない。そのような奇妙さのある光景を見られずに聞き込みができるというのは、ありがたい話である。
「この勝負――負けないからなッ」
ミリィとの根比べは今に始まった話ではない。ぐっと拳を握りしめて気合を入れると、逃げるミリィを追いかけて廊下を進む。
それから、散々追いかけたり、羽根で気を引いたりして、ようやくミリィが大人しくなる頃にはアウルもかなり疲れていた。逃げなくなったミリィを抱きあげ、アウルはふうと息をつく。応接室に向かう前に、聞きたいことを聞いておかなければ。
「ミリィ、この前の自動人形――ドラクリヤと知り合いなんだよね? あいつが普段何してるかって知らない?」
ミリィは知らないと首を振った。よくよく話を聞きだそうとしても、ミリィはドラクリヤのことはいつも出会うと抱きあげて撫でてくる気のいい人形、ということしか本当に知らないようだった。基本的に気ままな猫だから、そもそも興味の湧かないことを知ろうという気がないのだった。
ミリィの興味のある範囲でやっと聞きだしたのは、恐ろしい外見をしているけれど、ドラクリヤは抱き方が上手いのだということ。それから、いつも他の動物の匂いがするとミリィは言った。
「他の動物?」
アウルはドラフの屋敷を思い返すが、あそこには動物はいない。ドラフ自身は軍で竜と関わっているけれど、ドラクリヤはそうではない。それなら、匂いがつくほど動物と触れ合う機会は一体どこにあるというのか。
(壁の外か……?)
王都にもアウルの友である猫や烏や鼠たちがいるけれど、アウルだからこそ友として接することができるのであって、他の誰かなら匂いが移るほど触らせるということはまずしない。
壁の外へ出て、夜中まで戻らないドラクリヤは、壁の外で何か動物と接している――そういうことなのだろうか。怪物たちがいるという危険な外の世界へ出てまで、ドラクリヤは一体何に会いに行っているのだろう。
疑問は尽きないが、ひとまず今日のところはこれで調査終了だ。ミリィを応接室へ連れていき、オルタンス夫人に宝石のついた首輪をつけられるのを眺める。流行を気にするオルタンス夫人が好みそうなデザインの首輪だ。ミリィはあまり好きではないようで身を捩るが、遊び疲れた猫はもう逃げられない。アウルはそんな様子を見守るような顔をしながら、頭の中では次の作戦を考える。
どうにかして外へ出ていくドラクリヤについていかなければ。そうしなければ、ドラクリヤの謎は解けないのだ。
メグの用事も終わって、二人で屋敷を出ると、外はすっかり暗くなっていた。いくら近いとはいえ年頃の少女を一人歩かせるのも忍びなく、アウルはメグをエストレ邸まで送っていくことにした。付き添いという言い訳も、実際に付き添いをすれば嘘ではなくなる。
アウルがオルタンス邸に入りこむのに協力してくれたメグに礼を言うと「ちょっと面白かったからいいわよ」と彼女は笑った。
「今後の参考にするわ」
(参考……?)
一体何の参考になるのかアウルには想像がつかないが、メグは上機嫌だった。彼女の商談もそれなりに上手くいったようなので、深くは触れないでいいのかもしれなかった。彼女もアウルの仕事に深入りはしてこない。
「アウルくん、お仕事頑張ってるのね。私ももっと頑張らないといけないわね」
「メグはちゃんとしてると思うけど」
「理想は高いほうがいいものよ、何かとね」
他愛もない話をしながら、街灯に照らされる道を行く。暫くして交差点の曲がり角へ差し掛かったところで、メグは「ここでいいわ」と言った。
「もう近いし、あなただって明日も調べものの続きがあるでしょう。年下の坊やを遅くまで連れ歩く悪いお姉さんになっちゃいけないものね」
「そんなに歳変わらないよ」
アウルの反論に対して、メグはすうっと目を細めて内緒話をするかのように囁いた。
「子供でいるうちだけは大きな差なのよ、アウルくん」
またね、と手を振って彼女は行ってしまった。その背を見送りながら、アウルは自分の思考が上手くまとまらないと気が付いた。どうもメグには翻弄されてしまうのは何故だろう。
だが、とりあえずは、激励されているようだ。
今はメグに従い、アウルも帰路につく。壁の外へ行くにはどうしたらいいか考えながら。帰る頃には、アーロンが胡椒の効いた辛口のスープを作って待っているはずだ。
「そういえば、明日ってクラフトが来る日じゃなかったか」
蒸気自動車のバスに乗ったとき、ふと、そのことを思い出した。クラフトは定期的にフェアファクス探偵事務所にやってくる。
ドラフは依頼主であり、一応は守秘義務というものがあるが、果たしてクラフト相手に隠せるものだろうか。彼はどうせ午前中で帰ってしまうけれど、今から妙な緊張をしなければならなかった。




