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きみの黄泉路に花はない  作者: 味醂味林檎
第三幕 ドラクリヤ・ドラフィリエ

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第十一話

 猫は冒険者より冒険家である。塀を飛び越えてよそへ出かけたり木を上ったりなどというのは当たり前のことで、知らない場所へ出かけることに躊躇いがなく、また何かを恐れるということもしない。


 オルタンス夫人の猫ミリィもまた冒険心が強いのか、よく夫人のもとを脱走している。フェアファクス探偵事務所にミリィを探してくれと依頼が舞い込むのは最早日常茶飯事と言ってよい。


 逃げたペット探しというのはアウルの得意分野である。というのも、アウルが動物の心を知る能力を持っているからであり、それによって動物たちと友好的な関係を築いているからだ。どの辺りにどんな生き物たちがいてどのように暮らしているか、大体は把握している。


 ミリィを探すことも、アウルにはさして難しい課題ではない。だが、ミリィを連れ戻すには、満足するまで好きにさせてやらなければならないから、タイミングによっては根気がいる作業ともなる。この日、気まぐれなミリィはなかなか帰る気にならないらしく、アウルから逃げてしまった。それを追いかけて、いつもいる港から少し離れた道路へ来ていた。辺りは工場や高い煉瓦のビルが雑然と立ち並び、太陽の傾きのせいか道路は大きな影に覆われていた。


「ミリィ、待ってくれったら!」


 灰色をした長毛の猫は、その重そうな見た目に反して軽やかに駆けていき、アウルの手を擦り抜ける。思いのほか手強い。


 普段はよき友だが、こうして逃げられると困る。見つけること自体はさほど難しい話ではないけれど、飼い猫のミリィは野良猫に襲われたらひとたまりもないはずだし、それ以外にも喧嘩しそうな連中は沢山いるのだ。早く確保しなければと思うのだが、ミリィは恐れ知らずでどんどん進んでいってしまう。


 ミリィを追いかけて広い通りに出たとき、アウルはまずいな、と思った。蒸気機関の音がする。近くに蒸気自動車が走っているのだ。


 嫌な予感は当たった。ミリィが飛び出していこうとする先に、車が近づいてきている。


「ミリィ、危ないからっ」


 アウルが叫ぶより先に、ミリィが走っていく。近づく蒸気自動車を見て、アウルは息を呑んだ。全力で走っているのに、ここからではミリィに手が届かない――!


 その時だった。黒い影が車の前をすっと通り抜けていく。車は止まることなく、すぐにどこかへ行ってしまった。ミリィは、その黒い影の主に抱かれていた。


 黒一色のマントに身を包み、背はアウルより頭二つ分以上大きい。最初、逆光でよく見えなかったけれど、近づいてきたときに継ぎ接ぎのある古びた鎧を着ているとわかった。その鎧の立てる金属音に紛れて、きしりと何か擦れるような音が混ざっていた――それでアウルは気が付いた。これは自動人形オートマターである。


 腕にミリィを抱いたまま無言で近寄ってくる人形は、その大きさのせいかひどく威圧感があって、アウルは思わず尻込みしてしまう。人形は無言のままミリィを指し出してくる。アウルはおずおずと長毛の猫を受け取って「ミリィを助けてくれてありがとう」と礼を言った。


「僕の友達なんだ。ほんと……ありがとう」


 もう少しでミリィが車に轢かれてしまうところだった。この人形が助けてくれたのだ――大柄なせいか見た目は少し、否、相当に恐ろしく見えるけれども。


 人形はやはり何も言わなかった。だが、挨拶をするように少しだけ首を傾けて、人形はどこかへ去っていった。


「ミリィ、きみ、もうちょっとで死んじゃうとこだったんだぞ。これに懲りたら変なところへ逃げるなよな」


 ミリィはアウルの腕の中でにゃあと鳴いた。ふわりとした毛皮に覆われた体を撫でると、あの人形はいいやつだと主張してきた。ミリィの記憶の中に残っているのは間違いなく先程の人形で、アウルは知らなかったことだが今までも危ないところを何度か助けられていたらしい。


「あのね、いつでも誰かが助けてくれるってわけじゃないんだから」


 ミリィはまたにゃあと鳴いた。あまりよくわかっていないような返事で、アウルは溜息をつく他ない。オルタンス夫人がミリィに逃げられてしまうのはよくあることだが、この調子だといつか本当に事故で死んでしまってもおかしくない。そんなことになれば寝覚めが悪すぎる。


(オルタンス夫人に対策……は求められないんだよなあ)


 そもそも上手く対策できるくらいなら、最初からオルタンス夫人は猫探しの依頼などしてこない。


 ただ、報告の義務はあるだろうと、アウルはオルタンス夫人にミリィを届ける際、事故の危険があったと伝えた。オルタンス夫人はミリィを困った子だと叱っていたが、相変わらずべたべたに甘やかすような声色は変わらないので、遠くないうちにまたミリィは羽を伸ばしに逃げ出すのだろう。フェアファクス探偵事務所としては収入源としてありがたいが、ミリィが危険な目に遭うのは友人としては歓迎したくない話である。




◆◆◆




 事の顛末を報告すべくフェアファクス探偵事務所へ戻ると、アーロンが薬を調合しているところだった。


 アーロンは探偵だが、薬草魔術ハーブクラフトを扱う魔術師でもある。簡単な依頼であればアウルに任せて、自身は難しい薬の調合に集中しているということが多い――それでもアーロンは多忙を極めている。アウルが来る前は何もかも一人でこなしていたというのだから信じがたい。


 臼で挽いている薬草は、砂糖のような甘い匂いがするものだった。普段アーロンがよく作っているのは、冒険者が怪物退治に使うような毒薬で刺激臭が強いものだとか、怪我や病に効く渋みの強い薬であって、どれも決して甘い匂いはしない。あまり嗅ぎ慣れない匂いに、アウルは首を傾げた。


「これ、何のお薬ですか?」


 アーロンは「ただの胃腸薬だよ」と言った。


「ただしドラゴン用だ」


 竜――レイファン王国においては、とても重要な存在だ。竜の吐く息は炎の熱を持っており、戦争において戦略の要となるばかりでなく、蒸気機関の発達にも深く関わってきた。古くから人の生活と近いところに存在する、強く、逞しく、美しいもの――それが竜という魔物である。尤も、竜を飼い馴らすのは簡単なことではなく、上手く手懐けているのはこの国でもほんの一部の人々だけで、アウルにとってはそれほど身近なものでもないのだが。


「竜も胃腸薬とか必要なんですか?」

「まあ生き物だからな。あいつらは雑食だから何でも食うが、人に飼われているようなやつは野生では食わないようなものも間違って食うことがある。それで腹を壊すんだ」

「へえ……何か意外です。竜って大きくて強いって印象しかなかった」

「でかいだけで犬や猫とそう変わらんさ。まずい薬は嫌がるから、こういうものを用意してやらなきゃいけない」

「そういうものですか……」


 アーロンは手際よく粉末を小瓶に詰めていく。瓶の中に収まった赤い粉はぼんやりと発光していて、薬と知らなければインテリアとして飾られる小物のようでもあった。


 そこへ、玄関のベルが鳴る。アウルが「いらっしゃいませ」とドアを開けると、そこにいたのは長身の男だった――その肌は緑色の鱗に覆われており、それこそ先程話をしていた竜のような尾を持っていた。アウルと同じように人とはかけ離れた姿をした魔族だ。


 その姿を見たアーロンは「ドラフ殿!」と明るい声色でその男を呼んだ――知り合いであるらしい。


「ちょうどよかった、頼まれていた薬ができたところですよ」

「ああ、フェアファクスは仕事が早いね。助かるよ」


 アーロンはアウルを手招きして、その男――ドラフに「弟子のアウルです」と紹介をした。それから、彼が何者かも教えてくれた。


「この方はドラフ・ドラフィリエ大佐殿。聖火師団の竜騎兵団を率いる英雄だ。竜の男(ドラクル・ドラフ)の名を聞いたことはないか」


 昔軍にいた頃随分世話になってね、とアーロンは言った。ドラフは恐ろしげな外見をしていたけれど、その目つきは穏やかで優しく、わざわざ背の低いアウルに目を合わせて「我が名はドラフ・ドラフィリエ、よろしく」と挨拶をしてくれた。


 折角来たのだから、とアーロンはドラフに茶を出した。「いただこう」と口をつける様すら絵になっていて、アウルは不思議な気持ちがした。ドラフは怪物のような姿だが、落ち着き払って荒々しさを感じさせず、独特の存在感を持っている。低く響くテノールのせいか、言葉遣いも随分と上品で洗練されているように聞こえる。


「それにしても、ドラフ殿が私に薬の依頼をするとは随分久しぶりですね。軍の竜たちはみな健康優良児ばかりだと思っていましたが。竜の角が折れたのを治してやったとき以来ですか」


 アーロンが言った。アウルもアーロンのもとへ来てから一度もドラフのことを見たことがなかったため、本当に久しぶりのことなのだろう。


 ドラフは「竜も老いるのだ」と言った。


「老いは体を弱くする。先の戦争で活躍した竜たちも、最近はあまり覇気がないのだよ。普通の食べ物だけでも調子を悪くすることがある……新しい竜も育てているが、そろそろ、世代交代の時期なのかもしれない。もし時間が取れるようなら、一度竜たちを診てもらえるとありがたいのだが」


 アーロンは愛想よく「喜んで」と答える。


(なんかバーレット中佐のときとはえらく違うな……)


 世話になった、と言っていた辺り、アーロンはドラフに対して相当の敬意を抱いているようである。アウルとて隣で話を聞いているだけだが、ドラフは自らの地位などまるで笠に着ることなく、アウルのことも対等な人として扱ってくれているとわかる。


 そんなことを考えていたとき、不意にドラフが「バーレットから聞いたのだが」と言ってアウルはちょうど自分の思考と被ってぎくりとしてしまった。


「フェアファクスは色々と相談に乗ってくれる、というが、私からも頼み事をしてもいいだろうか。忙しいのは知っているが、お前もその助手もいい仕事をするとバーレットが褒めていた」

「探偵としてお手伝いできることなら、お伺いしますが」


 アーロンが促すとドラフは「素行調査をしてほしいのだがね」と何やら眉を寄せて言った。普通の人なら不機嫌なだけという表情だが、竜のような顔をしたドラフがやるといっそう恐ろしく見える。


 ともかく、素行調査とあらば探偵の仕事である。ドラフは「ある自動人形を調べてほしいのだ」と写真を提示してきた。


 それを見たアウルは思わずあっと声を上げた。


「どうかしたか、アウル?」

「この人形、ミリィを助けてくれた人形です」


 白黒の写真に写っていたのは、ちょうど先程出会ったばかりの、マントを着けた継ぎ接ぎ鎧の厳つい人形だ。事情を知らないドラフに猫を助けてもらったのだと話すと、彼は「悪いことをしていないなら良いのだが」と呟いた。


「こいつの名は、ドラクリヤ・ドラフィリエという――いや、そう名乗らせている。廃棄されかかっているところを私が拾って、そう名付けたのだ」

「ドラフ殿が自動人形を持つとは」


 自動人形とは、世間的には大抵の場合嗜好品である。アーロンが意外だと言うと、ドラフはゆるりと首を横に振った。


「興味があったわけではなかったのだが、技師の想いが籠った人形がただ捨てられるというのも忍びない話だ。古くともまだ動く道具だ、仕事の手伝いでもさせられればと思ってな。実際よくやってくれている」


 どうやら、基本的には真面目な人形であるようだ。アウルも出会った時恐ろしい外見だと思ったが、猫を助ける優しい人形だということはわかっている。見た目に反して優しいというのは、ドラクリヤは持ち主であるドラフに似たのかもしれない。


「そのドラクリヤが、どうかしたんですか?」


 アウルが問う。ドラフは深く頷いて、近頃のドラクリヤに異変を感じると訴えた。


「どうした、というほどでもないのだが……最近、このドラクリヤが夜遅くまで帰ってこない。時には深夜を過ぎても戻らないこともある。前はそのようなことはなかったんだが――近頃は物騒な世の中だ。こいつがどこで何をしているのか、調べてほしい」


 時間のあるときでいいのだが、とドラフは言った。


 自動人形の素行調査――人のことは何度か頼まれたことはあるけれど、人形について依頼されることになろうとは。


 依頼者ドラフの目は、子を心配する親のようであった。

挿絵(By みてみん)

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