第十話
「あなた、クラフトの人形なの? みんなちゃんと逃げたの?」
「ええ――船に残るのはあなたがたのみです。我が主より、あなたがたを船より連れ出すよう言いつかっている」
メグはそれを聞いて、少しだけ安心したように息をついた。
「きみ、飛べるんだね。飛べるように作るのが最近の流行りなのか知らないけど、頼りにするよ」
アウルが言うと、白銀の騎士ナイトメア・ナイトオウルは「お任せください」と良い返事をした。
ナイトオウルはアウルとメグの二人を軽々と抱きかかえ、「さあ、行きますよ」と飛空船を飛び立つ。強い風などものともせず、むしろそれを上手く利用しながら、彼は飛んだ。
「舌を噛まぬようお気をつけて」
ナイトオウルの腕は逞しい。その手に指は四本しかないが、力強く抱えられていることもあって、落とされるのではないかという不安など欠片も感じなかった。
前にもアウルはハーピストルに抱えられて空を飛んだが、その時とはまた違った感覚があった。ハーピストルの飛び方は鳥が羽ばたくようだったが、ナイトオウルのそれは滑空するのに近い。ハーピストルの場合はどこか優美で上手く空気の流れを掴むようにしていたが、ナイトオウルは空気の流れに乗っているという感覚がある。背中にあるエンジンらしきものはそれを補助するためのもののようだ。
しばらく飛ぶうちに、港が見えてくる。より近づけば、そこにアーロンたちの姿も見つけられた。
ナイトオウルは港へ着くと、アウルたちをそっと下ろしてくれた。見た目は厳つい騎士だが随分と気が回るようだ。よくできた人形である。
「ありがとう、ナイトオウル」
「本当に――私たち二人も抱えて重かったでしょう」
「何を仰る、そのようなことはありませんでした」
ナイトオウルの顔は兜で、目のレンズも一つしかないため、表情などはまるでわからない。だが大したことはないと伝えてくる声色や肩を竦めるような動作がそれを補って余りある。
(なんとなくクラフトと似てるな……子は親に似るのかな……)
クラフトが制作した人形なのだから、彼の子と言って間違いではないだろう。表情の伝わらない顔や話し方には彼と同じ物を感じる。
だが、そこでクラフトがナイトオウルの思考をアウルに似せたいと言っていたことを思い出す。もしかするとクラフトには、アウルがこのように見えているのだろうか。
「アウル!」
アーロンが呼ぶ声がして、そちらへ意識を向ける。
「怪我はしていないか」
「先生、はい、僕はこのとおり。ナイトオウルが助けてくれましたから」
アウルたちがそういった話をしている間にも、メグのほうにもアントニオがやってきて、無事の再会を喜んでいた。アントニオは探偵たちを雇ったのは無意味だったと嘆いてもいた。それを聞いたメグは「パパが何か言えた立場かしら?」とあれこれ指摘していた。オークション開催を無理に決行したことや、狙われている対象の魔宝石を勘違いしていたこと、船にも問題があったこと――次々と並べたてられて、アントニオは答えに窮していた。口喧嘩というよりは、言われ放題という様子である。
それでも、そんな風に話せるというのも、本当に、命があってこそだ。ナイトオウルには感謝しなければ。
辺りを見回すと、そのナイトオウルを作ったクラフトがひっそりと立っていた。いつもと変わらぬ無表情だが、しかし、どこか満足げなように感じられた。
ナイトオウルを寄越してくれたことに礼を言わないと、とアウルが口を開きかけたその時、クラフトは囁くように言った。
「よくできてるだろ」
思考はきみに似せたんだよ、と語るクラフトは、いつになく上機嫌――である、ように見える。いつもと同じような顔をしているのに、そう感じるのはおかしな話だったが、アウルはそうとしか思えなかった。クラフトもまた命の危機に晒された乗客の一人であるというのに、生還したことより人形のことを気にしている。
アウルが戸惑っているうちに、メグが口喧嘩を切り上げてやってくる。
「クラフト、あなたの人形のおかげで助かったわ」
「いやあ、間に合ってよかったよ。メグ嬢やアウルくんを失いたくはなかったからね。ナイトオウルのいい運用試験にもなった」
「こういう一大事を実験扱いするのはあなたの悪い癖かしらね」
「今回のは自信作だったからね。色々と今後の参考にするよ」
クラフトの言い方は、随分と研究者らしく聞こえるものだった。彼が軍の技術班にいることは知っているが、それにしても、技術研究に関係することには情熱を注いでいるようだ。命の危機より人形の研究を気にかけている辺り、アウルには理解しがたい感覚ではあるが。
海のほうへ視線をやると、クイーン・カッサンドラ号が墜落し、崩壊していくのが見えた。豪奢で美しかった飛空船が無残に壊れていく様は虚しさを感じさせる。あれを作り上げるまでにも多くの人が関わり、相応の金と時間がかかっているはずだが、終焉はあっけないものだ。
白銀のナイトオウルは、複雑な思いを抱くアウルに気が付いたのか、気遣うようにかがんでアウルに目を合わせた。
「どうかなされましたか」
「いや……大したことじゃないけどね。ナイトオウル、助けてくれて本当にありがとう」
「手の届く場所に助けを求める者がいるのなら、助けぬ道理はありません」
あなたを助けられてよかった、とナイトオウルは胸を撫で下ろすかのような仕草をした。一つしかないナイトオウルの目と目が合う。作り手のクラフトに似ていると感じたが、それだけではなさそうだ。少なくともクラフトよりは、確かにモデルにしたというアウルと近い感性を持っていそうである。人よりも人らしい人形というのもどうかと思うが、そういうものはアウルは嫌いではない。
「きみがいてくれてよかったよ」
アウルが言うと、ナイトオウルの兜の奥にある目が、赤く輝いた。
◆◆◆
翌日の新聞では、クイーン・カッサンドラ沈没が一面を飾っていた。ナルシスイセンの予告どおりに宝石が盗まれたことも大きく取り上げられている。死者は出なかったようだが、船の揺れで頭を打った人がまだ目覚めていないとか、他にも怪我人が出ているということがつらつらと書かれていた。
(ナルシスイセンは一体どうしてそんなに宝石に執着を……)
もっと多くの宝石が必要なのだと言ったナルシスイセンにとって、宝石を盗むことは目的ではなく手段であるようだ。そして彼は手段を選ばない人形だ。今回も、一歩間違えば大勢の死者が出ていたかもしれない。
彼は人の注目を集めるような行動をするが、人に対する興味は薄いように見えた。アウルの名を聞いておきながら、一度も呼びはしなかった。彼にも何らかの行動理由があるのはわかったが、彼を理解するには程遠い、とアウルは新聞を畳みながら息を吐く。
アーロンは、今回のことを「派手な事件だったな」と言った。
「アウルが生き延びてくれてよかったよ。兄弟ばかりか、きみまでもいなくなったらと思うと恐ろしい」
「先生……」
「犯行予告をされておきながら、誰一人ナルシスイセンを止められなかった。ひどい負け戦をしたものだ。私たちは踊らされるばかり、かな」
そう――ナルシスイセンには結局宝石を奪われてしまったため、依頼は達成できなかったことになる。アーロンの他にも多くの探偵や用心棒が集められていたというのに、人形一機に振り回されている。クラフトがナイトオウルを作ってくれたおかげでアウルも助かったが、そうでなければ今頃は海の藻屑だった。現在、警察がナルシスイセンの行方を追っているようだが、これまでも捕まっていないナルシスイセンが、そう簡単に足取りを明かすはずもないだろうとアウルは思った。
依頼に失敗したのはフェアファクスばかりではなく、特別こちらにだけ注目が集まるということはないだろう。それで評判がひどく落ちるということもないだろうが、あまり爽やかな気分にはなれそうもない。
――だが。
後日メグが使用人を引き連れてフェアファクス探偵事務所を訪ねてきた。
「結構綺麗なところなのね」
「マーガレット嬢、よくこられた。今日はどのようなご用向きで?」
アーロンがメグをソファへ案内しながら問う。
メグはあの事件の日とはまた別のドレスを着ていて、どこから見ても良家の娘という出で立ちである。ただ腰かけるだけのことさえ優雅さが滲み出る。
「お礼をしておきたかったの」
「礼ですか」
「フェアファクス先生にもお世話になったし、アウルくんにも助けられたから……そのお礼を、まだきちんとしていなかったでしょ。本当はパパを一緒に連れてきたかったんだけど……あの人忙しくて、今日のところは私だけで来たの」
メグが「感謝しているわ」と言って、今回の件の謝礼をいつ頃いくら支払う、というような話を始める。アーロンと共に話を聞きながら、アウルは疑問をぶつけた。
「僕、何もできてないよ」
アウルとしては、自分が何かできたという感覚はあまりない。ナルシスイセンは取り逃し、メグを救ったのもナイトオウルであって、そこにいただけだと思っている。
だが、メグはゆったりと首を振って否定した。
「勿論ナイトオウルやクラフトにも感謝してる――けど、あなたにも充分助けてもらったわ。ナイトオウルが来るまで、私の騎士をしてくれたでしょ」
「そんな大層なものじゃ……」
「勇気づけられたのよ、おかげさまで。信頼できる人は、私、大事にしたいのよ」
メグの宝石のような瞳に偽りの色はない。褒められすぎているように感じるけれど、それを否定するのはもらった気持ちを否定するのと同じだ。アウルは気恥ずかしく、少しばかりどもりながらも「どういたしまして」と言った。
「これからもフェアファクス探偵事務所を贔屓にしていきたいの。何かあったときは、よろしくお願いするわね」
メグが上品な唇で微笑んだ。真正面からその笑みを見ると、アウルはどうにも照れてしまって、むず痒い思いがする。堂々とした振る舞いはまさにいずれエストレ商会を継ぐ者としての貫禄を感じさせるのだが、彼女の華々しさには威圧感よりも柔らかさがあり、微熱に酔わされるような気分がするのだ。単に美人と話すのに慣れていないだけといえばそれまでだが。
用事は終わったと出ていこうとするメグを見送る。玄関のドアを開きかけて、メグは思い出したように振り返った。
「アウルくん!」
「な、何?」
「探偵さんとしてもそうだけど――友達としても、仲良くしてね」
それだけよ、とメグはアウルに握手をしてから出ていった。事務所の前に控えていたエストレ家所有の蒸気自動車に乗りこむと、そう時間をかけることもなく出発し、やがてその姿も見えなくなる。
それを、アウルは呆然と見ていた。アーロンがアウルの肩に手を置いて、面白がっているような声色で言った。
「アウル、やはりきみも隅に置けないな?」
「そういうんじゃありませんって……」
たぶん、と小さく呟いて、アウルはキャスケットを深く被った。誰とも目が合わなければ、この気恥ずかしさも少しくらいは誤魔化せる。このときばかりは自分の耳が羽に覆われていて良かったと思う。耳が熱くても赤くなったとばれないからだ。
アーロンから受ける視線が居た堪れない。逃げるように自室として使っている屋根裏部屋に閉じこもり、アウルはゆっくりと息をつく。
屋根裏の小窓から見える景色は、いつもどおりの街並みだ。ここで暮らすようになってすっかり見慣れた、小さく切り取られた世界。毎日、ほんの僅かずつ変化していくだけの、当たり前にある世界だ。
(生きて、帰ってきたんだな……)
安堵したというのが正しいのだろうか、凪いだ気持ちがする。そう、帰ってきたのだ――間違いなく。
日常がここにある。強く望んだ明日を迎えて、また明日が来るのを待っている、その繰り返し。その事実が、アウルの中でじわりと広がる。それは穏やかなようでいて、しかし激しい熱を孕んだ歓喜の声色で、存在を主張した。
――今、この身は生きているのだと。




