第八話
次々と煌びやかな宝石が現れては、高値で買われていく。そもそもがこういう場所に縁のなかったアウルにとっては、別世界に迷いこんだかのような気分がした。聞いたこともないような額の金がやりとりされる現場にいる、というのはなんとも不思議な感覚がする。
だが、一向にナルシスイセンが現れるような気配はなかった。アーロンの他にも探偵や用心棒として雇われた冒険者のようななりをした連中がいるけれど、それを恐れて来なくなるようなナルシスイセンではない――以前ナルシスイセンに危害を加えられそうになったアウルはそう思うのだが、今のところ、あの自動人形の姿はない。
そわそわしながら待っているうちに、ついにあのスターライト・ブラッドルビーがオークションにかけられる。メグが石の紹介をしているが、遠目に見てもわかるほどの紅の輝きは、アウルも思わずため息が出るほどだ。これを待っていたとばかりに、多くの参加者たちが声を上げる。今日一番の盛り上がりだ。
ハンマープライスは王都の一等地に豪邸が三軒は建つというほどのもので、このオークションの勝者となった壮年の魔族は誇らしげに宝石を手にしていた。なんでも婚約者への贈り物にするとか何とか――アウルにはどうでもいい話である。婚約でそれだけ高価なものを渡すのなら、本当に結婚するときの祝いには一体どれだけ金をかけるつもりなのか、ほんの少し気になるけれども。
結局、ナルシスイセンは現れていない。問題はそれだ。まさか本当に対策されているのを恐れて、ということはあるまい。そのような慎重な性格をしているのなら、そもそも犯行予告など出して怪盗として派手な盗みをすることもないに違いないからだ。
まだ商品の宝石はあったが、一番の目玉商品の競りが終わると、会場は少し静かになったようだった。メグは自分の仕事は終わったとばかりに、アウルたちの姿を見つけてこちらへ向かってきた。
アーロンに対して、ふわりとしたドレスのスカートをつまんで優雅に淑女らしいお辞儀をしたメグは、挨拶もそこそこに「あなたの姿が見えたから来ちゃった」とアウルに笑いかけてきた。
「きみも隅に置けないな」
アーロンは何やら随分と愉快そうに目を細めて囁いた。
「やめてください先生。メグ、オークションはもういいの?」
「あとはパパが全部やってくれるわ。私は今のうちに将来良いお付き合いができそうな方とお話ししておかないと」
「それじゃあ僕に構ってる場合じゃなくない?」
アウルの懐事情では、宝石など買えるはずもない。エストレ商会の顧客となることはない――あったとしても相当先の話だ。客にならないものを相手にしているより、もっと他と話をするべきではなかろうか。
しかしメグは笑って否定した。
「あなたのことも充分に大事よ」
アウルの手を取ったメグの手は、透けるように白い肌をしていて、アウルより一回り小さな、少女らしい手をしていた。いちいち彼女の挙動にどきりとさせられて、アウルは気分が落ち着かない。
そんなアウルの様子をわかっているのかいないのか、メグは何でもない顔をして「ナルシスイセン、結局来なかったわね」と言った。
「派手な怪盗だって新聞によく載ってるから、オークションを邪魔しにくるって思ったんだけど」
「そうだね……でもオークションに出される宝石がまだあるなら、これから来るってこともあるかも」
「何を考えてるかわからない相手って怖いわ」
アウルたちの雑談をよそに、商品の値を決めるハンマーが叩かれる音が響く。
この調子で順調に今日は終わるのだろうか――だがそんなことを考えた次の瞬間、足元がぐらりと揺れた。
「なっ、なんだ!?」
何かが擦れ合うときのような金属音、それから大きなものがぶつかるような、折れるような、色々なものが混ざり合ったような轟音が耳を衝く。今まで安定していた床はぐらぐらと揺れ、テーブルの上にあったものが落ちていく――船が傾いているのだ。
尋常ならざる事態が起きていると気が付いた乗客たちが混乱から騒ぎ出す。アントニオや他の船員たちが状況を治めようとする中、アーロンは難しい顔をしていた。
「ナルシスイセンが現れたのか」
この場に姿はないが、アーロンはそれを確信しているようだった。アウルも思い当たる――そういえば、この船には、まだ宝石があったはずではないか。
「機関室だ! メグ、この船を浮遊させてる魔宝石、それって何か変わった特徴はない!?」
メグはこの状況の中で、不安と焦りを表情に滲ませながらも、アウルの問いに答えてくれた。
「変わった、というほどではないけど……原石のまま、研磨していないの。大きさはばらばらで、全部合わせて百個使われてるわ。普段は機関士たちが点検や整備をしていて、一番大きいのが船の浮遊状態を保つように調整されている。他の石はそれを支えて船が傾かないようにしているんだけど……」
研磨されていないということは、掘り出されたそのときのままの大きさということだ。この巨大な船を支える宝石は、それに見合った大きさであるはずだ――美しく輝く商品よりも、ずっと大きいものでなければならない。
横で話を聞いていたアーロンは納得がいったという顔をした。
「ナルシスイセンの予告状は、一等星をいただくという内容だった。一等星っていうのは、つまり、スターライト・ブラッドルビーのことじゃなく――」
ナルシスイセンが狙いそうな宝石といったら、もうあとはそれだけだ――機関室の魔宝石。恐らくこの船の中にある、一番大きな一等星だ。
それに気が付いたとき、アウルは重要なことに思い当たった。あの怪盗は、邪魔をする者は何の迷いもなく排除しにかかる。
「ナルシスイセンは人を傷つけるのに躊躇わない。機関士たちが危ない!」
◆◆◆
階段を駆け下りて、アウルたちが機関室へ向かうと、ドアは破壊されていた。中を見ると、三人の機関士たちが倒れており、沢山の機械に宝石が使われている中で、一か所だけ空洞になっているところがあった。
その時、不意に音楽が聞こえてくる。明るく陽気なようでいて、しかしどこか寂しげな旋律。
「な、なんなの……急に、体が、重く……」
メグが異変を訴える。そのまま、彼女はその場に座り込んでしまった。異変は彼女だけでなくアーロンにも襲い掛かり、彼の顔もじっとりと汗ばんでいる。アウルはそれに心当りがある。
「わかるのか、アウル」
「はい。これ、ナルシスイセンの音楽だ……!」
前に聞いたのとはまた違う曲ではあったが、間違いないと直感していた。
魔力のないものは影響を受けやすい、というのは本人の口から聞いている。魔族に魔力がないということはないが、アウルに影響が出ていないのは、二人よりも魔力を多く持っているからということか。
音は展望室のほうから聞こえてくる。アウルがそちらへ向かうと、そこには見覚えのある人形の姿があった。
「エコール・ナルシスイセン!」
そう呼ばれて、彼は振り返った。どこか水仙の花に似た、レコードを鳴らす宝石泥棒――ナルシスイセンはにいやりと不敵に笑う。彼の腕の中には、アウルと同じくらいの大きさの、巨大な水晶の六角柱がある。
「やあ、きみか。いつぞやは驚いたよ、まさか私の音を聞いても倒れないやつがいるなんて。なかなか興味深いことだよね。ええと――ああ、名前なんていうんだっけ、小鳥くん?」
「……僕はアウル。そんなことより、宝石を返せよ」
ナルシスイセンはちっちっと指を立てて「駄目だよ」と笑った。
「これは私がいただいた、もう返してあげない」
アウルは背筋がぞわりとするような落ち着かなさを感じる。人を愛するハーピストルの温かさとは違って、ナルシスイセンの笑みはどこか酷薄な印象があり、子供のように無邪気な言い方をするけれど子供以上の残酷さを孕んでいる。
「私にはもっと沢山の宝石が必要なのさ――いやはや、ちょっと目くらましの音を鳴らすだけで入りこめるんだから、人の言う警備っていうのは頼りなくって助かるよ」
一体どれほどの重さかわからないようなそれを軽々と持ち上げる様は、まさに人ではありえない。ぐらぐらと揺れる足元のせいで、まともに立っていることすら難しいような状況で、ナルシスイセンは全く動じることもない。彼を止めようにも、アウルにはその力がなかった。
「じゃあね、小鳥くん。次に会うことがあれば、またね」
最後にそう言ったかと思うと、ナルシスイセンは展望室の窓を破り、船から飛び降りた。派手な音を立てて硝子の破片が飛び散る。
「あ、あいつ……!」
アウルが体勢を崩さないよう柱にしがみ付きながら、窓から下を覗くと、黄色のカイトが見えた。魔宝石の力を飛ぶことに利用しているのか、それは重みでバランスを崩すこともなく滑空し、船から離れていく。
呑気にしているわけにはいかなかった。浮遊のための魔宝石がなくなったということは、この船は遠からず墜落するのだ。
機関室に戻ると、ナルシスイセンの音から解放されたアーロンたちがいた。
「先生、ナルシスイセンに逃げられました」
「してやられたな。ああいう能力を持っているわけか、身を持って学んだ。さて、ぐずぐずしてはいられないな……どうにかみんな脱出しないと」
「それならホールに脱出用の転移魔術装置があります。フェアファクス先生、機関士たちの様子はどうかしら」
「皆気を失っているだけだ。命に別状はないが、怪我をしている者もいる。治療が必要だ」
アーロンが機関士たちを診ながら言った。彼らを此処から運ぶにしても、大の大人が三人もいるのだ。アーロンたちだけでは迅速に安全に運ぶのは不可能だ。
「私はパパにこのことを伝えなくちゃ、こっちの救助に人を寄越してもらわないと」
だが、機関室にある連絡用の通信機は破壊されていた。機関室から異常を連絡できないようにするための、ナルシスイセンの仕業に違いなかった。
「仕方ないわ、展望室のを使いましょう。たぶん、そっちは無事なはずだから……」
展望室はナルシスイセンが窓を破壊したこともあって危険な状態だ。メグ一人で行かせるわけにはいかないと、機関士たちのことはアーロンに任せてアウルは彼女についていくことにした。
不安定な足場で、転ばないようにメグを支える。展望室の隅のほうにひっそりと機材があり、メグは手慣れた様子で何か操作して、受話器を取った。
「エコール・ナルシスイセンが現れたわ。船を浮かせる魔宝石が盗まれたの。機関士たちが襲われて怪我をしているし、こちらに手を貸してほしいの――それと、避難用の魔術装置を起動させて。ゲストの皆さまを避難させなくては」
自分のことをお飾りだと言ったが、メグが状況を伝え指示を出す声色は動揺を隠して冷静であり、全くお飾りというようには見えなかった。
連絡を終えて戻ろうとしたとき、ぴしりと嫌な音がした。
「――メグっ!」
「きゃあっ!」
アウルは咄嗟にメグの腕を引く。次の瞬間、すぐ目の前に柱が倒れてきて道を塞いだ。よく見ると柱の根元に斬りつけたような跡があった。その柱に繋がっていた天井の板、その上に隠れていた蒸気を送るパイプも壊れてばらばらと落ちてきて、アウルはメグを庇うように抱きよせて後ろへ下がった。
「あ、ありがとう……」
「礼はいいよ、まだ終わってないからね」
船の墜落は始まっている。助かったと言えるのは、此処から逃げ出せたときだ。
しかし間一髪のところで押しつぶされずに済んだが、戻るに戻れなくなってしまった。
船全体に響きそうな音がしたからか、誰かが駆け寄ってくる気配がした。
「おい、無事か!」
「先生! 僕もメグも生きてます、そっちは……」
「機関士たちは地上へ下ろして治療することになった。もう避難が始まっている。きみたちはそこから出てこられるか?」
出ていきたいのはやまやまだが、柱や天井板が重なり合って、ほとんど隙間らしい隙間もない。あるとしても、折れた木材が鋭い針のように飛び出しているようなところばかりで、とてもまともに通れそうにない。
再び、足場がぐらついた。いよいよ船が傾き、メグがまっすぐ立っていられず悲鳴と共に転倒する。そのまま重力に従ってメグが下へ滑り落ちていくのを、放っておけるアウルではない。
「先生は先に行ってください! 僕はメグと一緒に後から行きますからっ」
「アウル!」
アーロンの声を無視して、アウルは下へ落ちていくメグを助けるために追いかける。
「必ず二人で脱出しろ!」とアーロンの声が聞こえて少しだけ安心した。彼はちゃんと逃げてくれる。アウルも彼の期待に応えて、きちんとメグと共に逃げ延びなければならない。




