星が降る夜に
先ほどの男の人を気にしつつも、茜音は鉄道に乗った。平成ならばちょうどラッシュにかぶる時間帯なのだが、そこまで混んでいない。
席に座り、一息つくと茜音は今日のことを振り返った。
今日は初めての出勤日。鷗外から綺麗な服を貸してもらい、ピアノを引き続けた。弾き終わると響く拍手。それが記憶の中の何かに引っかかったけれど、何のことか、どうも思い出せなかった。
帰り道にはヴァイオリンケースを持った少し……ではなくかなり変わった男性とすれ違った。彼こそが演奏家だとしたら、ワクワクしてくる。いつか一緒に演奏したいな、なんて思ったり。
「いつまで寝ているんだい?」
聞きなれた声が聞こえて、茜音は目を開けた。疲れていると、帰りの電車で寝てしまう癖は、どの時代に行っても健全なようだ。
「鷗外さん……!?」
茜音は驚いた。そう。目を開けると目の前に鷗外がいたのだ。
軍服姿の彼に手を引かれ、電車から降りる。
閑静な明治東京の住宅街を、ぽつりぽつり灯り始めた該当が照らす。
「今、帰り?」
「はい。」
「お疲れ様」
「ありがとうございます」
やがて訪れた静寂は決して居心地の悪いものではなかった。きらきら光る星空の下、前を歩く大きな背中を前にして、茜音はいままでとは何か違う感覚がした。
この気持ちは何だろう。答えはもう出ていた。それでもわからないふりをして、目を伏せて。
それなのに、あなたはこちらを振り返るから。その瞬間、目と目が合って胸の奥で何か弾けた。
風花みたい。
「鷗外さん……!」
思いが、やっと声になった叫びになる。
「どうしたの」と、彼は笑った。もう、なにも言えない。
鷗外は手を差し出した。
茜音はその手を取った。
「ちょっと寄り道しようか。」
「はい。」
もしも私がもっと大人だったら、堂々としていられるのに。自信がない。
いつものようなテンションなんて、もうどこかへ消えてしまった。




