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光のもとでⅠ 第六章 葛藤  作者: 葉野りるは
本編
9/59

09話

 あのあと、栞さんが夕飯を大きなダイニングテーブルに並べ、異色なメンバーで夕飯を食べた。

 相変らず両親と静さんは楽しそうに話をしているし、司先輩はご飯が食べ終わればすぐに本を読み始める。

 湊先生と栞さんは休日にショッピングへ行こう、と話していた。

 蒼兄は両親と静さんの会話に交じっている。

 私は、そのどこにも交じっていない。なんというか、早すぎるペースで色んなことが決まってしまい、まだそれに頭がついていかれずにいた。

「翠葉ちゃん」

 そんな私に声をかけてくれたのは静さんだった。

「下の階、これから翠葉ちゃんと蒼樹くんが暮らす場所を見にいかない?」

「あ、はい」

「司も来いよ」

 静さんがソファで本を読んでいる司先輩に声をかけると、

「別にかまわない」

 読みかけの本を置いて立ち上がり、私の側まできて立ち上がるのに手を貸してくれた。

 その手を取ると、クスクス、と後ろから笑いが聞こえてきた。

 不思議に思って振り返ると、お母さんやお父さん、蒼兄がニコニコと笑っている。

「翠葉が蒼樹以外の人と接しているのを見るのは初めてだわ」

 嬉しそうにお母さんが口にした。

「そうだなぁ……。なんだか非常に新鮮だ」

 と、お父さん。

「あとね、海斗くんと佐野くん、桃華さんと飛鳥ちゃん、それから秋斗さんも普通に喋れるのよ」

 指折り数えて教えると、

「秋斗くんはこの間会ったとして、ほかの四人はまだ会ったことないわね。いつか会ってみたいわ」

「うん、いつか紹介する」

 どうしてか、こんな会話にすら幸せを感じる。

 今は離れて暮らしているからだろうか……。


 ゆっくりと立ち上がったけれど、もう眩暈は避けて通れない。

「このまま待つんだろ」

 司先輩の声が上から降ってくる。

「はい……。座ってもまた同じことの繰り返しなので」

「……その役、俺だけの特権だったんだけどなぁ……」

 蒼兄の声のあと、その場にいる人たちの笑い声が聞こえてきた。

「こういうのは何人いてもいいじゃない」

 と、湊先生の声が聞こえると、バシバシ、と何かを叩く音が聞こえた。

 即ち、湊先生に蒼兄が叩かれた、というところだろうか。

「蒼くんは翠葉ちゃんを独占できなくなるのが嫌なのよねー?」

 栞さんの言葉にお父さんが同意して見せる。

「あぁ、蒼樹は翠葉が中心に世界が回ってるからなぁ」

「そうそう。家族が三人溺れていたとしても、絶対に翠葉を一番に助けるわね」

 お母さんの言葉に静さんが心配の色を濃くした。

「蒼樹くん、君、まともに恋愛できてるか?」

 蒼兄の一言でここまで話が続くなんて、すごい……。

「蒼兄も一緒に見にいくのでしょう?」

 声だけで参加をすると、

「俺はさっき見てきたんだ」

「行かないの……?」

「そんな不安そうな顔するな。今は司の手があるだろう?」

 そう言われて、支えてくれている手を意識する。

「うん……」

「だから、今は俺がいなくても大丈夫だ」

「そっか……そうだよね」

 蒼兄は私の手を引いてくれる人。今までずっと私の道標だった。

 けれど、高校の先はそうはいかない。ならば、少しずつ自分の足で歩きださなくては……。

 そのリハビリに司先輩やほかの人が手を貸してくれているのだ。

「先輩、視界回復しました」

 顔を上げると、先輩は何も言わずに階段へ向かって歩きだした。階段を前にすると、

「足元気をつけて」

 と、前を歩くように促された。


 静さんの家は秋斗さんの家と少し似ている。

 茶色い床に白い壁、家具も茶色に統一されていて、アクセントに使われているのはキャメル色のソファやクリーム色が主体となった絵画。そして観葉植物が適度に配置されている。

「ここは静さんのプライベートルームなんですよね……?」

 気づけばそんなことを口にしていた。

「どういう意味だい?」

「え、あ……どういう意味だろう――」

 プライベートルームだけれど、やっぱり生活感を感じなかったから、かな。

 週に二、三日しか帰ってこれないとそうなってしまうものなんだろうか。

「あのさ、考えるのはかまわないけど、今は足元見て注意はそこだけに払ってくれない?」

「ごめんなさい」

「司は容赦ないな。そんなだと女の子に嫌われるぞ?」

「そのほうがいいこともある」

 いいことってなんだろう……。

 司先輩の思考回路をトレースしてみようと試みる。

 女の子は苦手、だから容赦なく話して嫌われてもかまわない?

 安直すぎるだろうか。でも、司先輩ならあり得る気がしてしまう。

 本当に女の子が苦手なんだな……。

 あれ? でも、それっていうのはやっぱり私は女の子から除外ということ?

 それはそれでちょっと悲しい気もする。

「でも、嫌われたくない子もいるんじゃないか?」

 静さんの話はまだ続いているようで、私の前を歩く静さんから司先輩に質問が投げられる。

「たとえそういう対象がいたとして、それが俺という人間を理解してくれないと意味がないですから」

 全然意味がわからない。けれども静さんは「なるほどね」と面白そうに笑った。

「対象」が女の子だとして、その人が司先輩の性格を理解していないと意味がない、ということになるのかな。でも、好きな人を「対象」扱いするところがすでに司先輩ならではな気がする。

「翠、考え込む余裕があるならこの手放すけど?」

「えっ、あ、なんで!?」

「首、右に傾いてる」

 なんですか、それ……。

 先に階段を下り終えた静さんがくつくつと笑いながら、

「ここが九階だよ」

 と、部屋の電気を点けてくれた。


「広い……」

 栞さんの家、湊先生の家、秋斗さんの家、十階の静さんの家、と全部見てきたけれど、この部屋のつくりは若干違う。

 フローリングは栞さんの家と同じパイン素材。

 壁も白いので、全体的に広く感じる。ただ、十階の部屋とはインテリアに使われている色味が違った。

 カーテンやクッションカバーは淡いラベンダーカラーで、ほかには淡いピンクやペールグリーンなどと調和させてあるあたり、ハーブ園を連想させる。

 リラクシングルーム、そんな感じ。

 ラベンダー畑とまではいかないけれど、そのくらいに爽やかさと華やかさを兼ね備えている空間だった。

 キッチンもほかの部屋とは少し違う。キッチンは独立していてL字型のようだ。

 普通の家庭用カウンターというわけではなく、少しスペースを取ってカクテルなどお酒や飲み物を作るバーカウンターが設けてあった。

 廊下の先はきっと十階の部屋と変わりないのだろう。

 違うことといえば、リビングから直接入れる部屋。主寝室がリビングダイニングと一体化していること。

 ゆえに、リビングダイニング、プラスアルファで三十畳……もう少し広いかもしれない。

 仕切りができるように引き戸が壁際に収納されていて、半分くらいには分けられるようになってるみたいだけど……。

「リビングダイニング、主寝室が一フロアになってるんですね」

「そう、ここは仕事関係の人間が集まることもある場所だから、主寝室はいらないんだ」

 静さんは中途半端に閉まっていた間仕切りを完全に開ける。と、間仕切りの奥にあったのは大きなグランドピアノ、スタインウェイだった。

 それと、部屋の隅にはテーブルや椅子が積み重ねられており、手前のフロアにはかなり大きめのソファセットが置かれている。

「人を泊らせるにしても二、三部屋あれば十分だ。たいていの人間はホテルに泊まるからね」

 言いながら、ピアノの前まで歩みを進め振り返る。

「調律は半年に一度はしている。ま、誰も弾いていないからどんな状態かはわからないが……。幸い先月調律を済ませたばかりだ」

 と、ピアノの蓋を開けた。

「弾いてみるかい?」

「でも、もう時間が遅いし……」

「私の部屋はこのピアノが置いてある関係上、ほかの部屋よりも防音設備が厳重なんだ。夜中に弾いても大丈夫だよ」

 嘘……。

「弾けば?」

 司先輩に言われる。

 静さんはすでに椅子を引いて待っていた。

「本当に……?」

「あぁ、好きなだけ弾けばいい」

 言うと、柔らかく微笑みかけられた。

「リクエスト、ありますか?」

 何を弾いたらいいのか迷ってしまい、リクエストを求めた。

「……ショパンの幻想即興曲」

 口を開いたのは司先輩。

 まさか、そんなハイレベルな曲を要求されるとは思っていなかっただけに、少し不安にもなる。

「最近ちゃんと練習していないからミスタッチあるかもしれませんけど、ご愛嬌で許してくださいね」

 司先輩の手を離れて椅子に座る。

「最初にキータッチだけ確認させてください」

 静さんに断りを入れてから鍵盤に手を乗せると、先日と同じように即興で全音域を確認するように鍵盤を沈めていく。

 うちにあるピアノや先日弾いたベーゼンドルファーよりも鍵盤が重い。細やかな表現をするのは難しいかもしれない。

 そんなことを考えながら弾くのをやめる。

「今のは?」

「キータッチを確認するために適当に弾いていただけです」

「ほぉ、これはまた稀有な特技を持っているね」

 静さんが笑みを深める。

 どうしてだろう……。

 この一族のこの手の笑顔には危機感を覚える。

 次にどんな言葉が飛び出てくるのかが怖くて、すぐにピアノに向き直った。

 鍵盤に手を乗せ、記憶の中にある幻想即興曲を弾き始める。

 左の低音のあとに始まる右手の早いパッセージ。

 この曲が弾きたくてピアノの練習を重ねていた時期を思い出す。

 幻想即興曲というけれど、私には森を駆け巡る風のように思えた。思うがまま、自由に激しく走り去るような、そんな風――。

 途中、湖のほとりで休むかのようにたゆたう旋律。そして再び激しく走り抜けるようなパッセージ。

 まるで、人の人生をあらわすかのような曲。

 最後には、人生の最後を振り返るようにゆっくりと低音が鳴る。

 私の人生はいったいどんなものとなって終わりを迎えるのだろうか。

 そのとき、私は満足をしているのか、それとも――不完全燃焼と思うのだろうか。


 ペダルから足を離すと拍手が聞こえてびっくりした。

 気づけば、上の階にいたはずの両親や湊先生たちまで階段からこちらを見ていた。

「翠葉ちゃん、これで本当に練習をしていなかったのかい?」

 確認のように静さんに訊かれる。

「はい、すみません……。最近はハープのほうが触る率高くて……。先日学校のベーゼンドルファーをで軽い曲を三曲弾きましたが、それくらいなんです。それに、こんなに重い鍵盤は普段弾くことがなくて……」

 言い訳を並べすぎただろうか。

 不安に思って静さんをうかがい見ると、そこには憂いを含む表情をした静さんがいた。

「私の母もピアノを弾く人だったんだ」

「え……?」

「ゆえに、私の耳は肥えているはずなんだが……。それでも十分にいい演奏だったと思うよ」

 言われてみれば、と思う。

 普通にピアノを弾く人ならばこんなに高価なピアノは必要ないだろう。それこそ、国産メーカーのグレードの高いピアノで十分なはず。

「ピアニスト、間宮静香。それが私の母の名前だ」

 嘘――。

「私、間宮さんのCDを聞いてこの曲が弾きたくて、一生懸命練習して――」

「そのCDは碧のだろう? 昔、私が贈ったものだ」

 私はお母さんの持っているCDや本を小さい頃からよく持ち出しては聞いていたし見ていた。それが、こんなところでつながるとは夢にも思わなかった。

「翠葉ちゃんの音楽のルーツは自分の母にあり、か。これは運命かな?」

「静さん、どうしよう……」

「ん?」

「鳥肌が――だって、これ……間宮さんが使われていたピアノなのでしょう?」

 思わず鍵盤から手を放す。指先が瞬時に冷え震え始めた。

 逆に、静さんはそのピアノを慈しむように触れる。

「そうだね。あのCDの録音に使われたピアノでもある」

 ますますもってどうしたらいいのかがわからない。

「誰にも弾かれることなく三十五年も経ってしまった。でも、翠葉ちゃんが弾いてくれるなら母も本望だろう」

 そう言うと、両肩にポンと手を乗せる。

 階段にいた五人もフロアに下りてきて、各々思うがままに感想を口にしてくれた。

「翠葉、リクエスト! 酒とバラの日々、弾ける?」

「あ、はい。ジャズですよね?」

 湊先生はコクコクと、首を縦に振る。

 少しお酒が入っているようで、陶器のように白い肌がほんのりと色づいていた。

「あの曲好きなの」

 とてもご機嫌そうだ。

「ちゃんと覚えているわけではないので、途中で即興が入ってしまうかもしれないけど、いいですか?」

「いい! 私が許すっ!」

「ちょっと湊、あなたお酒弱いんだから、これ以上は飲まないでよっ!?」

 栞さんがなだめる。

 こんな湊先生はめったに見れない。いつもの湊先生よりも陽気で少し幼く見えた。

「ほら、湊。立っていたら危ない」

 と、静さんがソファへと湊先生を促す。

 それを見届けたあと、ものすごく特別度の上がったピアノで再度音を奏でだす。

 自宅にあるシュベスターが一番好き。ベーゼンドルファーの音もすてきだったし、大好き。

 スタインウェイは別に好きでも嫌いでもなく、という位置づけにあった。けれども、このピアノだけは別。

 私が憧れていた間宮さんが使っていたピアノ――。

 人にもものにも出逢いというものがあるのね。


 ショパンを弾いたときよりも軽いタッチで軽快な音を奏でるように弾く。

 これだけ重い鍵盤というのは弾き慣れなくて、微妙な力加減がうまくいかないと感じる。もっと上手に弾きたい。もっと、もっと――。

 ピアノの音と自分の感覚にのみ意識を向けていると、ここがマンションの一室で、聞いてくれている人がいることを忘れそうになる。

 曲が終わって拍手が聞こえてきて気づく。私の周りにたくさんの人がいたことを。

 お父さんとお母さんと蒼兄、栞さんと司先輩、湊先生と静さん。

 優しい人がたくさん……。

 私、身体はつらいけど、人には恵まれてる。こんな場所を用意してくれる人がいる。

 やっぱり何か考えなくちゃ……。

 私が周りの人に返せる何かを。

 探し物は探さないと見つからないのよね?

 ――Nothing seek sought nothing find found.

「探さなければ見つからない」。

 探そう……。ちゃんと探そう――。


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