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光のもとでⅠ 第六章 葛藤  作者: 葉野りるは
本編
8/59

08話

 目が覚めた――というよりは、頭が起きた。

 まだ目は開けない。まず、自分がどういう経緯でどこに寝ているのかをきちんと把握してから目を開ける。

 これは意識してやっていることだった。

 これをせずに目を開けると、パニックを起こしてしまうことがあるから。私の中での必須項目……。

 学校で具合悪くなって保健室。帰りは司先輩が一緒で、途中で静さんに会って車で送ってもらった。今は湊先生の家で司先輩の間借り部屋。

 そこまで思い出してから目を開く。

 天井は栞さんの家と一緒。ただ、ここは私が使っている客間と同じ場所ではない。私が使っているのは玄関を入ってすぐのところにある部屋で、この部屋はリビングの手前にある部屋だ。

「何時だろう……」

 携帯を取り出そうとして制服ではないことに気づく。

「……七時」

 声に驚き窓際を見ると、司先輩が私服で本を読んでいた。

「あ、れ……? 部活は?」

「だから七時」

 ……それはつまり、部活を終えて帰ってきたということなのだろうか。

「……おかえりなさい」

「はい、ただいま」

 先輩とは距離にして一メートルちょっと。私が借りている客間よりも少し広い。

「具合は?」

「少しだけ気持ち悪いです」

 この手の薬を飲むと血圧が下がるし、どうしても吐き気が伴うのだ。そのことについては半分くらい諦めている。薬は良くも悪くも毒なのだから。

「吐き気止め持ってくるからちょっと待ってて」

 先輩が部屋を出ていったところを見ると、あらかじめ湊先生に指示されていたのだろう。

 すぐに水を入れたグラスと薬を持って戻ってきた。

 薬を飲んだ直後、

「水分摂取少なすぎ。少しつらくてももう少し飲んで。そのほうが薬の効きもいいから」

 促され、さらに水を口にした。

「あれ、飲みづらかった?」

 訊かれたのはハーブティーのこと。

「いえ、とても美味しかったです」

「じゃぁ、なんでこんなに残ってる?」

「少し飲んですぐに寝てしまったから……かな?」

「……そのあと、今の今まで一度も起きなかったってことか」

「ごめんなさい」

「別に怒ってない。冷めても飲めるものだから、飲めるならまたあとで飲むこと」

「はい」

 先輩は立ち上がると、また先ほどの窓際へ行き本を手に取った。

 私の視線を感じたのか、

「俺がここにいると眠れないって言うなら向こうに行くけど」

「いえ、そんなことはないです。なんか先輩空気みたいだし……」

「……よくわかった。俺に存在感がないってことが」

「やっ、あの――空気みたいっていうか……」

「存在感がないってことだろ? ほかにどんな意味が?」

 若干笑みを深められた。

 もう、どうしてこういうときに笑うのかなぁ……。

 きれいな笑顔なのに怖さしか感じない。

「違くって……だって、空気は人に必要なものでしょう? 酸素がなかったら死んじゃうし……」

 自分でも苦し紛れな言葉であることは重々承知。でも、その説明で反撃は緩んだ。

「酸素、ね。とりあえず、翠にとっては必要な存在と思ってもいいわけ?」

「それはもちろん」

 答えると、どうしてか表情が優しくなる。

 空気はだめで酸素はいいの?

「でも、どうせなら風のほうがいい。空気や酸素はそこにあるだけで自らは動くことができないけど、風ならどこへでも好きなところへ行ける」

 そう言うと、また本に視線を戻した。

 まだ外が明るいのでその明かりで本を読むことができるのだろう。

 司先輩の言葉に、今朝、同じようなことを考えたことを思い出す。

 先輩にしては意外な発想、意外な言葉に驚いた。

 悪い意味ではなく、リアリストだと思っていたのでかなり意外だった。

 とても人間らしいところを垣間見ることができた感じ。

 こうやって新しい一面を見ることができるととても嬉しくなる。

「先輩、暗くなる前にはちゃんと電気点けてくださいね」

「そしたらリビングへ行くからいい」

 あまり気を遣ってくれなくていいんだけどな……。

 思いながら横になると、またうつらうつらした。

 私はこれからの二週間、いったいどれだけの睡眠を貪ることになるのだろう。

 今回はその記録でもつけてみようか。

 そんなどうでもいいことを頭の隅で考えつつ眠りに落ちた。




「い……翠……」

 誰かに呼ばれてる……。蒼兄かな。

「起きられそう?」

 蒼兄の声にしては低く聞こえるそれに目を開ける。

 すると、目の前に端整な顔があってびっくりした。

「驚きすぎ……」

「だって――びっくりした。それに瞬時に見分けるのは難しいんですっ」

「それも嫌な理由だけど」

 と、眉間にしわを寄せる。

 目覚めたときにこの顔があると、湊先生なのか司先輩なのか、見分けるのには数秒かかる。

「今日はみんな静さんの家に集ってるから。隣まで移動できそう?」

「あ、はい。たぶん大丈夫です」

 最後の一言には呆れたような顔をされた。

「無理だったら無理で御園生さん呼ぶし、もしくは俺が運ぶから」

 と、身体を起こすのに手を貸してくれる。

 ――うわ……。これはひどい――。

 咄嗟に額を押さえる。

「薬がよく効く体質なんだな」

「はい……。胃カメラのときの筋肉注射で唾液が一滴も出なくなるくらいには効きやすい体質かと……」

「それ、投薬量の間違いとかない?」

「一応、薬の名前も分量も確認させられますけど、間違いはなかったかと思います」

 胃カメラの検査のとき、前処置として唾液を出にくくする薬を筋肉注射で打たれる。

 それはあくまでも唾液を出にくくする薬なのだけど、あまり効かない人だと、検査中に唾液をダラダラと流しながらの検査になるという。けれど、私の場合は引き潮のように全く出なくなるのだ。

 話をしながらベッドに座る状態にまでもってきた。あとは立つだけ。

 ゆっくりと立ち上がるも、やっぱり視界が真っ暗になる。

 必然と、支えてくれる手に力が入る。

「一度座る? それとも、視界の回復を待つ?」

 座れば楽にはなるけど、でも、また同じことの繰り返しだ。

「視界が回復するまで、少しだけ体重かけてもいいですか?」

「かまわない」

 真っ暗だった視界が徐々にモザイクがかった感じになる。目の前がチカチカして、身体のバランスが取れない。けれど、ぐらつく体をしっかりと支えてくれる手があった。

 この手があるから不安を感じないで済んでいるのだろう。

 そんなことを考え始めた頃、ようやく視界が回復した。

「焦点合った?」

「はい」

 このマンションに来たとき同様、支えられながら歩き、湊先生の家の左隣のインターホンを押した。右側は栞さんの家、その先が秋斗さんの家。

 静さんの家の前には確かにエレベーターがあった。


 インターホンを押すと、蒼兄が出迎えてくれた。

「翠葉、大丈夫か?」

「うん……どうかな」

 苦笑を返し、リビングへと促される。

 リビングには両親と静さん、湊先生に栞さんが揃っていた。

 栞さんが優しく声をかけてくれる。

「午前三限まで受けたんですって? がんばったわね」

「休んじゃえば良かったのに。私に似ず真面目なんだから」

 後者はお母さんの言葉。

「容姿はそっくりなのに、どうやら性格は違うようだな」

 そう言ったのは静さんだった。

 促されるままにラグへ座る。

 そこはキャメル色したソファの真横で、そのままソファに身体を預けることができた。

「湊先生から色々と話を聞いたよ。この際、好意に甘えてしまわないか?」

 そう切り出したのはお父さんだった。

「でも……」

 お母さんがにこりと笑って話し出す。

「私たち学生結婚だったのは知ってるでしょ? そのときね、この下の階に住まわせてもらったことがあるのよ」

「下の、階?」

 そういえば、司先輩が静さん専用のエレベーターは十階と九階に停まると言っていた。

「翠葉ちゃん、私の家だけは九階と十階がメゾネットになっているんだ。そこの階段から下に下りられるよ。間取りは変わらず4LDKだけど、強いていうなら翠葉ちゃんが好みそうなものが置いてある」

 静さんの物言いは自信たっぷりだった。

「グランドピアノ、スタインウェイが置いてある。母の形見なんだ」

「え……?」

 お母様の形見? でも、栞さんは実家で柊子先生のお手伝いをしてるって――。

「翠葉ちゃん、私は後妻の子どもなのよ。静香さんという方が静兄様の実母で早くに亡くなられているの。だから私と静兄様の年の差が十五歳」

 栞さんの説明に異母兄妹であることを知った。

 顔のつくりが全く違うことに納得し、さらには年の差にも納得した。

「私は週にニ、三度しかここへは帰って来れないし、誰に気を遣うこともないよ。蒼樹くんも一緒にこへ泊るといっているし、もとより九階はゲストルーム仕様だからいつでも使えるようになっている。隣の部屋は楓が使っているし、上の階にはこのメンバーだ。何があってもすぐに対応できるだろう。学校へ通う負担も少なくなる。いいこと尽くしだと思うけど、どうだろう?」

 どうだろう、とは言うけれど、すでに外堀を埋められている気がしてならないのは気のせいだろうか。

「あぁ、ハープは後日自宅からこちらへ運ばせるよう手配しよう」

 奥の手まで押さえられてしまった気分だ。

「自宅のピアノのほうが好きだと言うなら、それも運ばせるが?」

 どうしてか、どんどん追い詰められている気がしてくる。

「静、あなたはいつもやりすぎなのよ」

 静さんに言ってから、お母さんは私に向き直った。

「翠葉、今は好意に甘えてしまいましょう? 学校に通いたいんでしょう?」

 まるで幼い子を諭すように言う。

 そこへ口を挟んだのは湊先生だった。

「翠葉、こっちから言い出してるんだから迷惑じゃないのよ。 好意よ、好意」

 最後、追い討ちをかけるように、「なんなら国語辞書貸すけど?」と司先輩。

 それの意味するところは、「迷惑と好意を混同するな」という意味だろう。

 蒼兄を仰ぎ見ると、

「翠葉が決めていいよ」

 私が、決める……?

「翠葉がどういう道を選ぶか……。より良い選択肢が加わったってところだよ」

 これは本当に甘えてもいい場所?

「翠葉ちゃんがここに住んでくれると打ち合わせの場所に困らないんだがな」

「あの……本当にいいんですか?」

 司先輩以外の人たちが笑いだす。

「翠葉は俺に似て謙虚なんだ」

 と、お父さんが口にすれば、

「絶対に違うわよ」

 と、お母さん。

「反面教師の間違いじゃないか?」

 と、付け足したのは静さんだった。

 そんなやり取りを見て、同級生なんだな、と思う。

「どうする?」

 改めて静さんに訊かれ、

「よろしくお願いします」

 と、頭を下げた。

 学校へはできる限り通いたい。

 そして、ここに来ることで周りの人への負担が軽くなるならば、それ以上の選択肢など存在しない。

 どこまでやれるのか――。

 ――You never know what you can do till you try.

 できるかどうかなんてやってみないとわかりはしない……?

 そうだ、まずは試してみよう……。


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