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光のもとでⅠ 第六章 葛藤  作者: 葉野りるは
本編
6/59

06話

 目が覚めて、天井を見ればどこにいるのかがわかる。

 保健室……。

 ぶら下がっている点滴のパックにはいつもと同じ名称が書かれている。

 ソルデム3G。きっとビタミン剤も入れてくれている。身体中に水分が行き渡る感覚。

 成分はポカリスエットとほとんど変わらないという輸液。

 経口摂取を努めているつもりでも、やっぱり全然足りていなくて、軽く脱水症状を起こしているのだろう。

 あと少しで点滴が終わる。

 この点滴は五百ミリリットルを二時間半から三時間かけて落とすから、今は一時半を過ぎたくらいだろうか……。

 点滴を打たれていない右手をポケットに入れ、携帯を取り出し時間を確認する。

 やっぱり一時四十分。

 そのとき、静かに湊先生が入ってきた。

「起きてたの?」

「今起きました」

「少し起きられる?」

 上体を起こそうとすると、手を背中に添えて支えてくれた。

 軽い眩暈はするものの、なんとかなりそうな範囲。

「シュークリームなら食べられるでしょう?」

「え……?」

「嫌かもしれないけど、薬を飲むには何か食べたほうがいいから」

 あ、そうか……。もうお昼も過ぎているから……。

「はい、食べます」

 湊先生はひとつため息をつくとカーテンから出ていった。


 食べられるとか食べられないとか、そういう問題ではなく食べなくてはいけない。そのくらいの努力はしなくては……。

 食べやすいように中身がクリーム状のものを用意してくれているのだ。どうあっても食べなくてはいけない。

 先生が戻ってくると、「はい」とプレートを差し出された。

「アンダンテの新作よ」

「どうして……?」

 湊先生は勤務時間だから買いに行けるわけがない。蒼兄が来たという話も聞いていないし……。

「秋斗が昼過ぎに持ってきたのよ。たぶん、ここに翠葉がいるだろうと察しをつけてね」

「秋斗、さん?」

「そう。あんたの寝顔見たら少し安心したみたい。今は図書棟で仕事してるわ」

「あとでお礼言わなくちゃ……」

 そのとき、けたたましく保健室の内線と思われる電話の音が鳴り響いた。

「だああああ、もううるさいっ!」

 湊先生は言いながらその電話を取りに行く。

「はい。――今起きたのよ。上体起こしてるから少しくらい血圧だって下がるわ。いちいちいちいちうるさい男ねっ!? 気持ちはわからなくもないけど、今診察中っ」

 そこまで言うと、ガッチャ、と電話を切ったであろう音がした。

 そして、またカーテンの中へと入ってくる。

「秋斗よ。血圧が急に下がったけど大丈夫なのか、って。こういう面では司のほうが知識がある分冷静ね。さ、それ食べちゃいなさい」

 プレートに乗せられたシュークリームにかぶりつく。

 アンダンテの商品とあって、甘さ控え目で上品な味がする。

 かぶりついていいのだろうか、と思う節もあるけれど、これが一番上手に食べられる方法な気がした。


「翠葉、秋斗のこと振ったんですって?」

 不意に投げられた質問に驚く。

「あの――」

「どうして? あんた秋斗のこと好きでしょう? あのバカ、どうしようもないヤツだけど、収入や仕事の出来、将来性は何を取っても文句のつけようがない人間よ? しかも翠葉に首っ丈」

 言われて少し頬が熱を持つ。

「でも、そんな人だから、です。私じゃだめ……」

「意味わかんないわね」

「私と秋斗さんじゃつり合わない……。私は子どもなんて産めるかわらかないもの……」

「それ、翠葉の考え?」

「はい」

「それはおかしいわね。どう考えても十七歳の子が考えることじゃないわよ? 出産なんて今から考えること? 言うなれば――翠葉、あんたまさか雅に会ったのっ!?」

 あぁ、湊先生は知らなかったんだ。じゃぁ、知っていたのは司先輩と秋斗さんだけ?

 ……なんだか自分で地雷を踏んでしまった気分だ。

「検査の日――病院の中庭でお会いしました」

「……あとで秋斗を締めないと気が済まないわね」

 先生は真面目な顔でそう言った。でも、すぐに私へ向き直り、

「雅の言ったことなんて気にしなくていいのよ?」

「違うんです。気にしてるとかではなくて、言われたことを納得してしまったんです。だから……」

「それじゃ、この先恋愛はしないつもりなの?」

 それは考えなかった。

「気持ちがどう動くのかは私にもわからなくて……。だから、また誰かを好きになるかもしれないし、このまま秋斗さんを好きでいるのかもしれないし……。でも、付き合うとかそういう選択肢は浮かばないでしょうね。見ているだけでいいです。時々お話ができるだけでいいです」

「欲なさ過ぎ……」

「ないほうが楽。あれもこれもって求めてしまうのは自分がつらくなるから」

「ネガティブね」

「いつもは半強制ポジティブを繕ってるだけですから」

「しょうがない子ね……。薬持ってくるから待ってなさい」

 と、またカーテンから出ていった。

 私は残りのシュークリームを頬張る。

 口の中に残る甘い余韻に恋愛が重なる。

 正直、もう誰も好きになりたくない。恋愛は、貪欲な自分ばかりを目の当たりにする羽目になって、怖い――。


 先生は薬と一緒に鍵を持ってきた。

「うちの鍵よ」

「え?」

「翠葉の指紋認証は秋斗からデータもらってマンションの入り口のセキュリテイには登録済みになってるから。あとはその鍵と指紋認証でロックを外せばうちに入れるわ」

「あの……」

「学校が終わったらうちに行きなさい。秋斗のところにいるよりかは精神衛生上いいでしょ?」

「……なんだか申し訳ないです」

「栞のところでもいいんだけどね、栞が幸倉からこっちに帰ってくるよりも、私のほうが早いから。それに、うちのほうが医療機器が適度に揃ってるのよ。今日は授業が終わったら司が送って行くって言ってた」

「でも、先輩部活……」

「あんた送り届けて戻ってきても三十分ロスくらいよ。なんてことないわ。ほら、さっさと薬飲む」

 言われて薬を飲んでため息ひとつ。

 やっぱり学校は休むべきだったかもしれない。

 明日からは休もう。そのほうが周囲に迷惑をかけなくて済む。

 家にいてもどうせ寝ているだけだし……。

「翠葉が良ければだけど、うちから学校通う? そのほうが身体の負担は軽くなると思う。今日みたいに午前中だけとか午後だけ出席するというのでもいいと思うわよ。そのほうが単位に響く率も低くなる。登下校は私が一緒だし」

「っ……そこまで迷惑はかけられませんっ」

 咄嗟に口をついた言葉。

 次の瞬間には両頬を湊先生につままれる。

「迷惑じゃないわよ。自分の患者が目の届くところにいると安心するの。それだけ。あとで蒼樹や栞、ご両親にも連絡してみんなで決めましょう」

 そう言うと、カーテンから出ていった。


 あのマンションのつくりは4LDKだから、もう一部屋客間があってもおかしくはないけれど……。

 でも、ここまでの好意を受け取っていいのか、私には判断ができない。

 というか、ここまで甘えたらいけない気がする、というのが正直なところで、どちらに針を振ったらいいのかがわからないのだ。

 甘えるのは怖い。その手をいつか離さなくてはいけないときがくることを想像せずにはいられないから。

 そんなのは杞憂だとみんなは言ってくれるけれど、これはいわばパブロフの条件みたいなもので、刷り込まれている分、簡単には払拭できない。

 中学のときとは環境が違う。違いすぎるゆえに順応しきれていない部分も多いのかもしれない。それでもやっぱり――。

 優しい人たち、自分の大切な人であればあるほどに、今は自分の側にはいてほしくない。

 その人たちを傷つけるような言葉をいつ吐いてしまうかわからない。だから、できるだけ誰にも会いたくないし、誰のもとにもいたくない。

 消えてしまいたい――。

 そう思った瞬間に涙が溢れ出てきた。

 まただ……。また、私はそんなことを考えてしまう。

 涙を手の甲で拭ったとき、カーテンが開いた。

 湊先生かと思ったら違った。

「今度はなんで泣いてるの?」

 司先輩……。

「俺にはろくでもないことでも、翠にとっては大切なことなんだろ?」

「……なんでもないです」

「下手な嘘。隠したいならもっと練習したほうがいいと思うけど?」

 司先輩らしい言葉に相変らずだな、と思って見ていると、

「簾条たちが荷物を持ってきたら送っていくけど、歩けそう?」

「……立ってみないことにはなんとも……」

「ま、それもそうだな」

 そんな話をしていると湊先生が入ってくる。

「もし無理でも崎本さんが迎えに来てくれるわ」

 崎本さん……?

「マンションのコンシェルジュ統括者よ」

 湊先生の言葉に司先輩が補足説明を加えてくれる。

「マンションには常にふたり常駐していて、藤宮の人間においてはこういう対応も仕事のうちに入っている」

 本当にVIP待遇なんだなぁ、と思ったのは言うまでもない。

 そんな話を聞きつつ呆然としていると、桃華さんたちが保健室にやってきた。


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